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本編
accablement 消える音
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彼女が抵抗することはありませんでした。
ほら穴に嵌められた格子の向こうで、ただひたすら悪魔に血を吸われていました。
天使に対抗しうる魔力を必要とする悪魔の数が多いのと、病弱な彼女の体調もあり、その状態は何日も続きました。
あの日のことを知っている悪魔たちは、せめても、と彼女に、美味しい食べ物や、飲み物、柔らかい毛布などを与えようとしました。
ですがそれを悪魔の長である青年は許しません。
彼は彼女に、必要最低限の食料と水しか与えませんでした。
「なぜですか!彼女は私たちのことをおもって!!」
怒れる悪魔を彼は宥めます。
「それはわかっている…だからだ」
彼は再び声を荒げようとする悪魔をさえぎって言いました。
「…彼女は私が近いうちに殺すんだ。変に希望や未練を持たせてしまっては…なおさら酷だろう。彼女には私を最低だと思って、この世に見切りをつけて欲しいんだ」
それは、彼なりの優しさでした。
それに気づいた悪魔は、もう何も言えませんでした。
***
また、数日が経ち、ついに戦いに行く悪魔たち全員が彼女の血を飲み終えました。
彼女はもう体を起こすことは出来ません。体に力が入らないのです。
青年は、彼女の周りに誰もいない時を見計らって、彼女の元へ行きました。
漆黒の空気が彼女を覆っています。
彼女の体をゆっくりと起こし、目を合わせます。
そして、言いました。
「明日、あなたを天使たちのところへ持っていきます」
彼女は弱々しく笑って
「わかりました」
とだけ言いました。
でも、その声は震えていて、彼女の瞳からは次から次へと涙が溢れてきます。
「明日まで、待ちましょうか…」
青年は、口に出した後で後悔しました。
彼女からの返答はありません。
ただひたすら深夜の静けさが二人の間を張り詰めさせます。
そのとき青年は察しました。彼女が残りの時間を苦しむことを。
青年はすっとナイフを取り出しました。
彼女は彼に身を委ねて、全身の力を抜きました。
「最後に、あなたの名前を教えてくださいませんか?」
彼女の鈴のような声が転がります。彼女は彼を見上げて、答えを求めていました。
「俺はグランフォート。あなたは?」
「私はグランディーネです」
グランディーネはにっこりと笑いました。
きっと二人の名前に、同じグランドという言葉が組み込まれていたのが嬉しかったのでしょう。
グランフォートは少女にナイフをあてがいました。
グランディーネは目を閉じ、“そのとき”を待ちます。
しかし彼にはなかなか、成し遂げることは出来ません。
「グランディーネ…」
グランフォートの中で、恐ろしいほどの罪悪感が渦を巻いているのです。
彼はどうしようもなくグランディーネの頭を撫でました。
そうして、ただ時間だけが過ぎていきます。
グランフォートの腕にはとくん、とくんと緊張した鼓動が響いてきます。
彼は、今彼女を殺す。
彼女は、今彼に殺される。
二人の間には今にも切れそうな、切れてはいけない緊張の糸がありました。
グランフォートはナイフを握りしめました。
筋がたち、みるみる青くなっていきます。
さらに青から紫へと…。その手は震えています。
それを見たグランディーネはそっと彼の拳に手を添えました。
「…わかりました。いますぐです」
彼は彼女の意図を察しました。
決意しました。
そして彼はナイフを高く振り上げました。
「ありがとうございます。グランフォート」
唐突な感謝にナイフが空中で止まります。
「ごめんなさい。グランディーネ」
ナイフが一瞬だけ躊躇に揺れました。ナイフの描く弧は大きく振れました。しかしそれは、しっかりと少女へと振り下ろされたのです。
彼は、力のかぎり一杯にナイフを突き刺したのです。
***
彼の小さなナイフでは、グランディーネは即死出来ませんでした。
しかし、これだけで精一杯だったグランフォートには、もう一度刺すことなど到底出来ずにいました。
彼は彼女をただただ抱きしめて、静かに泣いていました。
彼の腕には、先ほどより弱くなった心音が響いていきます。
それは一回打つごとに弱く、小さくなっていきます。
グランディーネはもう既に動きません。
彼女の意識の届かないところで、彼女の体が“まだ生きたい”と最後の抵抗をしているのです。
とくん…とくん…
心音が、少し、また少しと小さくなっていきます…
音が消えていきます。
***
夜が明けます。
彼女の最後の心音からもう数分経っていました。
彼女は亡くなったのです。
グランフォートは悟り、つぶやきました。
「グランディーネ、あなたの名前の中のグランドはあなたの壮大な心のことだろう…。俺のグランドは…」
“重罪である”という意が彼の心の中に浮かんでいました。
「もうすぐ朝がくる」
彼は冷たい彼女の頬を愛でながら、泣きながら、ぼそぼそとつぶやきます。
太陽が昇り始め、赤い光が格子の隙間から差し込んできます。
その光がグランディーネの肌の血の気の無さを際立たせ、彼に、彼女の死をしつこく主張しました。
彼の中で何かが弾けます。
ぶつんと何かが切れました。
「グランディーネ…」
心の奥からふつふつと、どす黒いものが湧き出てきます。
やり場のなかったはずの怒りです。
“怒りは人を狂わせます”
太陽は昇り続け、グランフォートの影を濃く落とします。
赤く、赤く染まった格子の先で、グランフォートは狂い始めました。
「うヴワアアアァァ!!」
幼い少女の命を奪った恐怖。奪わなければならなかったセカイへの怒り。グランディーネへの愛しみ。会えない悲しみ。
(本当は人間が悪い。人間が悪い。人間がいなければ彼女は死なずに済んだ。聡明な少女は失われなかった。これからも多くの人が死ぬ。グランディーネではなく人間を殺してしまえば良かった。人間が憎い。でも…!)
全てを交えた彼の雄叫びが響きました。
悲鳴と言った方が正しいのかもしれません。
彼の涙は止まりませんでした。
とめどなく涙を流したまま、彼女を持って歩き出しました。
***
「行くぞ…準備を済ませろ」
悪魔たちは見慣れない彼の涙と、彼が抱く少女にひどく動揺しました。
彼の静かな怒りを孕んだ声は重く、静かに壁に吸い込まれていきました。
ほら穴に嵌められた格子の向こうで、ただひたすら悪魔に血を吸われていました。
天使に対抗しうる魔力を必要とする悪魔の数が多いのと、病弱な彼女の体調もあり、その状態は何日も続きました。
あの日のことを知っている悪魔たちは、せめても、と彼女に、美味しい食べ物や、飲み物、柔らかい毛布などを与えようとしました。
ですがそれを悪魔の長である青年は許しません。
彼は彼女に、必要最低限の食料と水しか与えませんでした。
「なぜですか!彼女は私たちのことをおもって!!」
怒れる悪魔を彼は宥めます。
「それはわかっている…だからだ」
彼は再び声を荒げようとする悪魔をさえぎって言いました。
「…彼女は私が近いうちに殺すんだ。変に希望や未練を持たせてしまっては…なおさら酷だろう。彼女には私を最低だと思って、この世に見切りをつけて欲しいんだ」
それは、彼なりの優しさでした。
それに気づいた悪魔は、もう何も言えませんでした。
***
また、数日が経ち、ついに戦いに行く悪魔たち全員が彼女の血を飲み終えました。
彼女はもう体を起こすことは出来ません。体に力が入らないのです。
青年は、彼女の周りに誰もいない時を見計らって、彼女の元へ行きました。
漆黒の空気が彼女を覆っています。
彼女の体をゆっくりと起こし、目を合わせます。
そして、言いました。
「明日、あなたを天使たちのところへ持っていきます」
彼女は弱々しく笑って
「わかりました」
とだけ言いました。
でも、その声は震えていて、彼女の瞳からは次から次へと涙が溢れてきます。
「明日まで、待ちましょうか…」
青年は、口に出した後で後悔しました。
彼女からの返答はありません。
ただひたすら深夜の静けさが二人の間を張り詰めさせます。
そのとき青年は察しました。彼女が残りの時間を苦しむことを。
青年はすっとナイフを取り出しました。
彼女は彼に身を委ねて、全身の力を抜きました。
「最後に、あなたの名前を教えてくださいませんか?」
彼女の鈴のような声が転がります。彼女は彼を見上げて、答えを求めていました。
「俺はグランフォート。あなたは?」
「私はグランディーネです」
グランディーネはにっこりと笑いました。
きっと二人の名前に、同じグランドという言葉が組み込まれていたのが嬉しかったのでしょう。
グランフォートは少女にナイフをあてがいました。
グランディーネは目を閉じ、“そのとき”を待ちます。
しかし彼にはなかなか、成し遂げることは出来ません。
「グランディーネ…」
グランフォートの中で、恐ろしいほどの罪悪感が渦を巻いているのです。
彼はどうしようもなくグランディーネの頭を撫でました。
そうして、ただ時間だけが過ぎていきます。
グランフォートの腕にはとくん、とくんと緊張した鼓動が響いてきます。
彼は、今彼女を殺す。
彼女は、今彼に殺される。
二人の間には今にも切れそうな、切れてはいけない緊張の糸がありました。
グランフォートはナイフを握りしめました。
筋がたち、みるみる青くなっていきます。
さらに青から紫へと…。その手は震えています。
それを見たグランディーネはそっと彼の拳に手を添えました。
「…わかりました。いますぐです」
彼は彼女の意図を察しました。
決意しました。
そして彼はナイフを高く振り上げました。
「ありがとうございます。グランフォート」
唐突な感謝にナイフが空中で止まります。
「ごめんなさい。グランディーネ」
ナイフが一瞬だけ躊躇に揺れました。ナイフの描く弧は大きく振れました。しかしそれは、しっかりと少女へと振り下ろされたのです。
彼は、力のかぎり一杯にナイフを突き刺したのです。
***
彼の小さなナイフでは、グランディーネは即死出来ませんでした。
しかし、これだけで精一杯だったグランフォートには、もう一度刺すことなど到底出来ずにいました。
彼は彼女をただただ抱きしめて、静かに泣いていました。
彼の腕には、先ほどより弱くなった心音が響いていきます。
それは一回打つごとに弱く、小さくなっていきます。
グランディーネはもう既に動きません。
彼女の意識の届かないところで、彼女の体が“まだ生きたい”と最後の抵抗をしているのです。
とくん…とくん…
心音が、少し、また少しと小さくなっていきます…
音が消えていきます。
***
夜が明けます。
彼女の最後の心音からもう数分経っていました。
彼女は亡くなったのです。
グランフォートは悟り、つぶやきました。
「グランディーネ、あなたの名前の中のグランドはあなたの壮大な心のことだろう…。俺のグランドは…」
“重罪である”という意が彼の心の中に浮かんでいました。
「もうすぐ朝がくる」
彼は冷たい彼女の頬を愛でながら、泣きながら、ぼそぼそとつぶやきます。
太陽が昇り始め、赤い光が格子の隙間から差し込んできます。
その光がグランディーネの肌の血の気の無さを際立たせ、彼に、彼女の死をしつこく主張しました。
彼の中で何かが弾けます。
ぶつんと何かが切れました。
「グランディーネ…」
心の奥からふつふつと、どす黒いものが湧き出てきます。
やり場のなかったはずの怒りです。
“怒りは人を狂わせます”
太陽は昇り続け、グランフォートの影を濃く落とします。
赤く、赤く染まった格子の先で、グランフォートは狂い始めました。
「うヴワアアアァァ!!」
幼い少女の命を奪った恐怖。奪わなければならなかったセカイへの怒り。グランディーネへの愛しみ。会えない悲しみ。
(本当は人間が悪い。人間が悪い。人間がいなければ彼女は死なずに済んだ。聡明な少女は失われなかった。これからも多くの人が死ぬ。グランディーネではなく人間を殺してしまえば良かった。人間が憎い。でも…!)
全てを交えた彼の雄叫びが響きました。
悲鳴と言った方が正しいのかもしれません。
彼の涙は止まりませんでした。
とめどなく涙を流したまま、彼女を持って歩き出しました。
***
「行くぞ…準備を済ませろ」
悪魔たちは見慣れない彼の涙と、彼が抱く少女にひどく動揺しました。
彼の静かな怒りを孕んだ声は重く、静かに壁に吸い込まれていきました。
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