3 / 3
第一章 永遠に続く旅路
忘却の双子/1
しおりを挟む
「お姉ちゃん……本当に“時の扉”に変化があったの?」
少女は息を切らしながら、お姉ちゃんと呼んだ少女の後をついて行く。『お姉ちゃん』は金色の腰まである綺麗な髪を風になびかせ、汗ひとつかくことなく坂道を登っていた。少女は深くため息をついて後ろを振り返る。さっきまでいた街はずいぶん遠く下の方に見えていた。思わずもう一度ため息をもらしてしまった。
「えぇ。昨日の夜、確かにね。誰かがイタズラでもしたのかしら……扉を封鎖していた魔法が解けてしまったのよ」
わざわざこんな山奥までイタズラしに来る馬鹿がどこにいるの、と言いかけたが口には出さずに飲み込んだ。
少女は額に浮かんだ汗を手で拭った。普段から身につけている黒い手袋に汗が滲んだ。あとで洗わなきゃ、とまたため息。
「ごめんね、付き合わせて。本当は私の管理不足のせいなんだけど…」
姉は申し訳なさそうに少女の方を振り返る。陰気な顔をしていた少女は慌てて取り繕った。
「そんなこと!私は全然大丈夫!お姉ちゃんの仕事が大変なのは知ってるもん」
姉は名の知れた魔法使いだ。と言ってもなんでも万能に使える魔法使いなんて聞いたこともなく、姉も例外ではない。姉の使える魔法は『空間に干渉する魔法』。魔力を操り、空間を自由に操作することができる。その操作できる空間には『時間』も含まれており、姉はその力を使って各地に点在する『時の扉』と呼ばれるものを管理しているのだ。
しかし、その『時の扉』が厄介で、ひとつふたつでは済まなく、数百単位で存在している。時間を操れる魔法使いは長い歴史的に見てもそう多くなく、今では姉一人くらいしかいない。
そのため、昔は分担していた(と文献には記されていた)『時の扉』の管理は、現在姉一人で行っている。当然その全てに目が届くわけがなく……。
「今じゃ魔法使いなんて珍しくないけど、お姉ちゃんみたいに強い魔法使いはあんまりいないもんね」
「ふふ、褒めてくれるのは嬉しいけど、アルシェに言われると少し複雑ね。あなたは世にも珍しい、万能の魔法使いじゃない」
少女──アルシェはぶぅと口を尖らせた。
「万能の魔法使いじゃないもん。私は知識が豊富なだけで、お姉ちゃんみたく役には立てないから」
「あら。でも、知識が豊富って事はそれだけで武器になるわ。それに『叡智の魔法使い』さんはあらゆる魔法に関する知識を全部その頭の中に記憶しているんでしょう?」
姉は意地悪な笑顔を浮かべた。少し皮肉めいている言い草だ。
しかし、言っていることはすべて事実だ。
叡智の魔法使いであるアルシェはこの世の全ての知恵という知恵を知り尽くし、彼女に分からない事柄などこの世に存在しない。ただその大きすぎる力の代償もまた大きく、その身に宿している知識量が膨大すぎて、アルシェは他人に触れる事が出来ない。なんせこの世のありとあらゆる知恵を持っているのだ。制御なんてできるわけもなく、他人に触れてしまうと膨大すぎるその知恵を溢れさせてしまう。アルシェだからかろうじて留めているが、普通の人間はその知識量に耐えられない。
気を狂わせてしまうのだ。
だからアルシェは普段から手袋を身につけている。肌をなるべく露出させないように、袖の長い服に、長いローブを羽織り、スカートから伸びる足はタイツに包まれている。自分の力が他人に危険を与えてしまう事はちゃんと理解しているのだ。
「ティーゼ」
アルシェはおもむろに姉の名前を呼んだ。敬愛する姉を呼び捨てにしたのは片手で数えられるほどしかない。
呼び捨てにされた姉──ティーゼは蒼色のその瞳をいっぱいに開いていた。
「どうしたの」
驚きを隠せないまま、山の急な坂の途中で足を止めた。
「双子なのにこんなに違いがあるんだなって」
「なにそれ皮肉?自分の方が優れた魔法使いなんですーって?」
「そうじゃなくて、」
冗談めかしたティーゼに返す言葉は見つからなかった。
むしろ、劣っているのは自分なのだ、なんて言ったところで説得力に欠ける。
「さ、はやく『時の扉』の調査を済ませちゃお。ずっとじめじめした山の中にいたら頭の中にキノコが生えちゃいそう」
今度先頭を歩くのはアルシェだった。
さっきまでは息を切らしていたはずなのに、いきなり元気になっている。アルシェの後ろ姿を眺めたまま、動かなかったティーゼが、
「今、体力増幅の魔法使ったわね?」
と見透かしたように言うと、アルシェはビクッと肩を揺らし、ゆっくりと振り返った。
「……えへ」
「さっきの双子の違いがどうのって会話、体力の事だったんでしょう。私の方が体力あるもの」
「……」
図星だ。
アルシェやティーゼのような優れた魔法使いは魔法を使う時に詠唱する手間が要らない。だから魔法を悟られないように意識を傾けさせたのだった。
双子なので姉のティーゼにはバレてしまったのだが。
「もう……。そんなに疲れたのなら言ってくれれば良かったのに」
「お姉ちゃんに迷惑かけたくないもん」
「双子よ。そんなに気を遣わなくてもいいの」
ティーゼはアルシェの前に出ると、坂道を切って歩いた。
アルシェにとっては見慣れた背中。昔からの憧れだ。いつか、自分も姉のようになりたいとずっと考えている。
少しずつ坂が緩くなり、道が開けてくる。
「もうすぐね」
ティーゼは振り返ることなく呟いた。うん、とアルシェは声には出さなかったが頷いた。
そこには泉があった。その空間だけ木が無く、空から見下ろしたらきっとぽっかり穴が空いているんだと思った。
「ここに、『時の扉』が?」
「えぇ。でも、目には見えないわよ。アルシェはここで待っていて」
泉から少し離れたところでアルシェを待たせる。アルシェには空間に干渉する力はない。もし、ティーゼの魔法に巻き込まれたとしても抜け出す術がないのだ。
ティーゼは泉のほとりまで歩く。実際に『時の扉』の元に来るのは久しぶりだ。触れるのに少しの抵抗がある。
泉の奥にある『時の扉』に触れようとして、泉の中に手を入れたところでティーゼは疑問の声をあげた。
「……ん?」
泉の中に影があるのだ。それはまるで、人のような……
「!?ちょっ」
ティーゼは声を上げると泉の中に落ちていく。
アルシェから見たティーゼは、足を滑らせたとかそういうのではなく、なにかに引っ張られて落ちたようにしか見えなかった。
「お姉ちゃん!?」
助けに行こうと身体を動かすが、ここで待つように言われていた事を思い出し、動きを止めた。自分が不用意に近づけば余計に面倒な事になるかもしれない。
ティーゼが落ちたことにより波打った水面はゆっくりと落ち着いていく。静かになったその空間には鳥のさせずりすら聞こえない。
だが、突然、
「ぷはっ」
とティーゼが水の中から顔を出す。
いつも綺麗に整えている髪が水に濡れて崩れてしまっていた。
「お姉ちゃん!大丈夫!?」
耐えきれなくなってしまったアルシェは、ティーゼの元へ駆けていく。ティーゼは水から抜け出すと、片腕に抱えていたその男を岸にあげた。
「え…誰」
アルシェは素の声をあげるが、無理もない。
泉の中に落ちた自分の姉が知らない男を、しかも水の中から連れてきたのだ。何事かと思ってしまう。
「分からない。でも、『時の扉』の封鎖は案の定解けてたから、巻き込まれたんだと思う」
ティーゼは顔の水を腕で拭うが、全身水浸しの為あんまり意味は無かった。男の胸元に耳を当てる。
(心臓は動いてる……)
とりあえずホッとする。
「い、生きてるの?」
「なんとかね。でもたぶん水をいっぱい飲み込んでる」
神妙な面持ちで男を見たのち、男の鼻をつまむと、
「ふー…」
息を吹き込んだ。
当然、ティーゼと男の口は接触しているわけで。
「なっ」
アルシェは顔を真っ青にした。目の前で自分の敬愛する姉と見ず知らずの得体の知れない男が接吻しているのだ。それがたとえ緊急の蘇生法だとしても。
アルシェは手を強く握り、唇も噛み締めて怒りに耐えた。
何度か息を吹き込む作業を繰り返している時、ピクッと男の手が動いた。
「!」
ティーゼは口を離すと、男の頬をぺちぺちと叩いた。
「大丈夫!?意識はあるかしら」
呼びかけに対し、男は小さなうめき声をあげる。
途端、ゴホゴホと咳き込んで水を吐き出した。
息を吹き返した男を見て、ティーゼは安堵のため息を漏らす。
「良かった…」
お人好しなのは姉の悪いところだ、とアルシェは腑に落ちない顔でティーゼを見た。昔から面倒事に巻き込まれては、マメな事にそのすべてを解決しようとする。自分に利益が無くても、だ。
男はようやく状況が読めてきたのか、ティーゼとアルシェの姿を交互に見た後、目をぱちぱちさせていた。
「…………ここは?」
それが男が放った第一声だった。
暗い表情をしているアルシェの代わりにティーゼが男に答えた。
「ベルガッド王国の郊外の森の中。あなたはそこの泉の中で溺れていたのよ」
ティーゼは泉を指さした。
男は背後にあった泉を見ると、すぐさまティーゼに視線を戻す。
「……もしかして、アンタが引き上げてくれたのか?」
全身が水浸しのティーゼの姿を見てそう判断したらしい。ただ、泉に落ちている人を引き上げるだけでは普通はここまで全身が濡れたりはしない。
苦笑いするティーゼの横でアルシェが鋭い瞳を男に向けた。
「あなたがお姉ちゃんを泉に引き落としたのよ。助けてくれたお姉ちゃんに感謝の言葉くらい言えないの」
刺のある口調で男に告げる。
男は「あー…」と気まずそうに視線を逸らし、頭をかく。
「そうか、何かに掴まろうと必死だったんだが……悪かった。助かったよ、」
そこまで口にして男は口ごもる。
ティーゼはすぐにその理由を察した。
「私はティーゼよ。この子は双子の妹のアルシェ」
ティーゼは半ば強引にアルシェを自分の方に引き寄せ、ずっと拗ねている妹の頭をなでた。
アルシェは驚いた顔をするが、すぐにその頭のぬくもりに嬉しそうに目を細めた。
男は双子の微笑ましいやり取りを見て口元を緩ませた後、ティーゼに片手を差し出した。
「俺はカルマ。さっきはありがとな、ティーゼ。……それと、アルシェ」
「……軽々しくその呼び名を口にしないで。アルシエル、よ。その呼び方はお姉ちゃんしか許さない」
ティーゼの腕の中でアルシェはカルマを睨んだ。
アルシェの本当の名はアルシエルだ。姉が自分に付けた愛称を、他の人に使われるのは気に食わないらしい。
「……悪かったよ、アルシエル」
「ふん」
カルマが訂正するも、アルシェは口を尖らせ顔を背けてしまう。
そんな妹の様子を見て、ティーゼは困ったように眉を下げたが、口元は少し嬉しそうだった。
「私、ちょっとあっちの方に行ってるね。話が済んだら呼んでね、お姉ちゃん。……お姉ちゃんに変な真似しないでね」
ティーゼには満面の笑みを浮かべた後、カルマにジト目を送った。そのまま踵を返すと、泉から離れた方へ向かう。
自分がいると話が進まないことを察したのだ。
「ごめんね、悪い子じゃないのよ」
二つに括った髪を揺らしながら離れていく妹の後ろ姿を見ながらティーゼはカルマに語る。
「あの子はちょっと特別な能力を持っていて、他の人に触れる事ができないの。そのせいで昔からあまり人に寄り付かなくて。いつも私と一緒にいたから私だけには気を許していてくれるんだけどね」
語る声音は優しい。
「本当は誰よりも優しくて、脆い子なの。だから悪くは思わないであげてね」
ティーゼはカルマに笑いかけた。
心地よい風が吹き、木々を揺らす。それまで木に隠されていた陽の光が、木々の隙間から漏れ出してティーゼを照らした。陽光に照らされ、キラキラと光を帯びる金色の長い髪。
カルマは幻想的ですらあるその少女に目を奪われていた。
「次にあなたの事を聞かせてくれる?なぜ泉の中にいたのか、あなたの目的はなんなのか」
あくまで声音は柔らかく、でも向けた表情は真剣なものだった。『時の扉』のある泉の中にいた以上、扉を悪用しようとしていた不届きものの可能性だって少なからずある。問いたださないわけにはいかない、と意気込んだティーゼの鼻先をついたのは思いもよらない一言だった。
「…わからない。気がついたらここの底にいた、のを今助けてもらった」
「わからない?……嘘は、ついてないみたいね」
カルマの顔をじっと見つめて、悪意など見られない瞳に思わず安堵する。しかし、それで安堵するわけにもいかない状況ななのだが。
「名前以外にわかることは?何処から来たの?」
「ごめん、思い出せない。なにも…」
「うーん、わかった。とりあえず、街の方まで降りましょうか。手がかりが、あるかもしれないしね」
ティーゼは立ち上がると座ったままのカルマに手を差し伸べる。
戸惑ったその手を引き寄せ、立ち上がらせると優しく微笑んだ。
「もしかしたら、カルマの記憶がなくなった原因は私にあるかもしれないから、できる範囲であなたの手助けをするわ」
アルシェは嫌がるかもしれないけど、と付け加えて苦笑いする。
「さ、行こう」
先に歩き出すティーゼの後ろ姿を目で追った。長い金色の髪が歩幅に合わせて線を描く。
そのさらに奥では、アルシェが腕を組みながら仏頂面で立っていて、カルマを見ながら何か文句を言っているようだ。それをティーゼがなだめると、アルシェは腑に落ちないとでも言いたげにカルマに視線を送り、そのまま踵を返してしまう。
ティーゼが「ごめんね」と口を動かして困ったように笑うと手招きすると、まるでそれに誘われるようにふらふらを足が動き始める。
かくして、カルマの長い旅路は幕を開けてしまったのである。
少女は息を切らしながら、お姉ちゃんと呼んだ少女の後をついて行く。『お姉ちゃん』は金色の腰まである綺麗な髪を風になびかせ、汗ひとつかくことなく坂道を登っていた。少女は深くため息をついて後ろを振り返る。さっきまでいた街はずいぶん遠く下の方に見えていた。思わずもう一度ため息をもらしてしまった。
「えぇ。昨日の夜、確かにね。誰かがイタズラでもしたのかしら……扉を封鎖していた魔法が解けてしまったのよ」
わざわざこんな山奥までイタズラしに来る馬鹿がどこにいるの、と言いかけたが口には出さずに飲み込んだ。
少女は額に浮かんだ汗を手で拭った。普段から身につけている黒い手袋に汗が滲んだ。あとで洗わなきゃ、とまたため息。
「ごめんね、付き合わせて。本当は私の管理不足のせいなんだけど…」
姉は申し訳なさそうに少女の方を振り返る。陰気な顔をしていた少女は慌てて取り繕った。
「そんなこと!私は全然大丈夫!お姉ちゃんの仕事が大変なのは知ってるもん」
姉は名の知れた魔法使いだ。と言ってもなんでも万能に使える魔法使いなんて聞いたこともなく、姉も例外ではない。姉の使える魔法は『空間に干渉する魔法』。魔力を操り、空間を自由に操作することができる。その操作できる空間には『時間』も含まれており、姉はその力を使って各地に点在する『時の扉』と呼ばれるものを管理しているのだ。
しかし、その『時の扉』が厄介で、ひとつふたつでは済まなく、数百単位で存在している。時間を操れる魔法使いは長い歴史的に見てもそう多くなく、今では姉一人くらいしかいない。
そのため、昔は分担していた(と文献には記されていた)『時の扉』の管理は、現在姉一人で行っている。当然その全てに目が届くわけがなく……。
「今じゃ魔法使いなんて珍しくないけど、お姉ちゃんみたいに強い魔法使いはあんまりいないもんね」
「ふふ、褒めてくれるのは嬉しいけど、アルシェに言われると少し複雑ね。あなたは世にも珍しい、万能の魔法使いじゃない」
少女──アルシェはぶぅと口を尖らせた。
「万能の魔法使いじゃないもん。私は知識が豊富なだけで、お姉ちゃんみたく役には立てないから」
「あら。でも、知識が豊富って事はそれだけで武器になるわ。それに『叡智の魔法使い』さんはあらゆる魔法に関する知識を全部その頭の中に記憶しているんでしょう?」
姉は意地悪な笑顔を浮かべた。少し皮肉めいている言い草だ。
しかし、言っていることはすべて事実だ。
叡智の魔法使いであるアルシェはこの世の全ての知恵という知恵を知り尽くし、彼女に分からない事柄などこの世に存在しない。ただその大きすぎる力の代償もまた大きく、その身に宿している知識量が膨大すぎて、アルシェは他人に触れる事が出来ない。なんせこの世のありとあらゆる知恵を持っているのだ。制御なんてできるわけもなく、他人に触れてしまうと膨大すぎるその知恵を溢れさせてしまう。アルシェだからかろうじて留めているが、普通の人間はその知識量に耐えられない。
気を狂わせてしまうのだ。
だからアルシェは普段から手袋を身につけている。肌をなるべく露出させないように、袖の長い服に、長いローブを羽織り、スカートから伸びる足はタイツに包まれている。自分の力が他人に危険を与えてしまう事はちゃんと理解しているのだ。
「ティーゼ」
アルシェはおもむろに姉の名前を呼んだ。敬愛する姉を呼び捨てにしたのは片手で数えられるほどしかない。
呼び捨てにされた姉──ティーゼは蒼色のその瞳をいっぱいに開いていた。
「どうしたの」
驚きを隠せないまま、山の急な坂の途中で足を止めた。
「双子なのにこんなに違いがあるんだなって」
「なにそれ皮肉?自分の方が優れた魔法使いなんですーって?」
「そうじゃなくて、」
冗談めかしたティーゼに返す言葉は見つからなかった。
むしろ、劣っているのは自分なのだ、なんて言ったところで説得力に欠ける。
「さ、はやく『時の扉』の調査を済ませちゃお。ずっとじめじめした山の中にいたら頭の中にキノコが生えちゃいそう」
今度先頭を歩くのはアルシェだった。
さっきまでは息を切らしていたはずなのに、いきなり元気になっている。アルシェの後ろ姿を眺めたまま、動かなかったティーゼが、
「今、体力増幅の魔法使ったわね?」
と見透かしたように言うと、アルシェはビクッと肩を揺らし、ゆっくりと振り返った。
「……えへ」
「さっきの双子の違いがどうのって会話、体力の事だったんでしょう。私の方が体力あるもの」
「……」
図星だ。
アルシェやティーゼのような優れた魔法使いは魔法を使う時に詠唱する手間が要らない。だから魔法を悟られないように意識を傾けさせたのだった。
双子なので姉のティーゼにはバレてしまったのだが。
「もう……。そんなに疲れたのなら言ってくれれば良かったのに」
「お姉ちゃんに迷惑かけたくないもん」
「双子よ。そんなに気を遣わなくてもいいの」
ティーゼはアルシェの前に出ると、坂道を切って歩いた。
アルシェにとっては見慣れた背中。昔からの憧れだ。いつか、自分も姉のようになりたいとずっと考えている。
少しずつ坂が緩くなり、道が開けてくる。
「もうすぐね」
ティーゼは振り返ることなく呟いた。うん、とアルシェは声には出さなかったが頷いた。
そこには泉があった。その空間だけ木が無く、空から見下ろしたらきっとぽっかり穴が空いているんだと思った。
「ここに、『時の扉』が?」
「えぇ。でも、目には見えないわよ。アルシェはここで待っていて」
泉から少し離れたところでアルシェを待たせる。アルシェには空間に干渉する力はない。もし、ティーゼの魔法に巻き込まれたとしても抜け出す術がないのだ。
ティーゼは泉のほとりまで歩く。実際に『時の扉』の元に来るのは久しぶりだ。触れるのに少しの抵抗がある。
泉の奥にある『時の扉』に触れようとして、泉の中に手を入れたところでティーゼは疑問の声をあげた。
「……ん?」
泉の中に影があるのだ。それはまるで、人のような……
「!?ちょっ」
ティーゼは声を上げると泉の中に落ちていく。
アルシェから見たティーゼは、足を滑らせたとかそういうのではなく、なにかに引っ張られて落ちたようにしか見えなかった。
「お姉ちゃん!?」
助けに行こうと身体を動かすが、ここで待つように言われていた事を思い出し、動きを止めた。自分が不用意に近づけば余計に面倒な事になるかもしれない。
ティーゼが落ちたことにより波打った水面はゆっくりと落ち着いていく。静かになったその空間には鳥のさせずりすら聞こえない。
だが、突然、
「ぷはっ」
とティーゼが水の中から顔を出す。
いつも綺麗に整えている髪が水に濡れて崩れてしまっていた。
「お姉ちゃん!大丈夫!?」
耐えきれなくなってしまったアルシェは、ティーゼの元へ駆けていく。ティーゼは水から抜け出すと、片腕に抱えていたその男を岸にあげた。
「え…誰」
アルシェは素の声をあげるが、無理もない。
泉の中に落ちた自分の姉が知らない男を、しかも水の中から連れてきたのだ。何事かと思ってしまう。
「分からない。でも、『時の扉』の封鎖は案の定解けてたから、巻き込まれたんだと思う」
ティーゼは顔の水を腕で拭うが、全身水浸しの為あんまり意味は無かった。男の胸元に耳を当てる。
(心臓は動いてる……)
とりあえずホッとする。
「い、生きてるの?」
「なんとかね。でもたぶん水をいっぱい飲み込んでる」
神妙な面持ちで男を見たのち、男の鼻をつまむと、
「ふー…」
息を吹き込んだ。
当然、ティーゼと男の口は接触しているわけで。
「なっ」
アルシェは顔を真っ青にした。目の前で自分の敬愛する姉と見ず知らずの得体の知れない男が接吻しているのだ。それがたとえ緊急の蘇生法だとしても。
アルシェは手を強く握り、唇も噛み締めて怒りに耐えた。
何度か息を吹き込む作業を繰り返している時、ピクッと男の手が動いた。
「!」
ティーゼは口を離すと、男の頬をぺちぺちと叩いた。
「大丈夫!?意識はあるかしら」
呼びかけに対し、男は小さなうめき声をあげる。
途端、ゴホゴホと咳き込んで水を吐き出した。
息を吹き返した男を見て、ティーゼは安堵のため息を漏らす。
「良かった…」
お人好しなのは姉の悪いところだ、とアルシェは腑に落ちない顔でティーゼを見た。昔から面倒事に巻き込まれては、マメな事にそのすべてを解決しようとする。自分に利益が無くても、だ。
男はようやく状況が読めてきたのか、ティーゼとアルシェの姿を交互に見た後、目をぱちぱちさせていた。
「…………ここは?」
それが男が放った第一声だった。
暗い表情をしているアルシェの代わりにティーゼが男に答えた。
「ベルガッド王国の郊外の森の中。あなたはそこの泉の中で溺れていたのよ」
ティーゼは泉を指さした。
男は背後にあった泉を見ると、すぐさまティーゼに視線を戻す。
「……もしかして、アンタが引き上げてくれたのか?」
全身が水浸しのティーゼの姿を見てそう判断したらしい。ただ、泉に落ちている人を引き上げるだけでは普通はここまで全身が濡れたりはしない。
苦笑いするティーゼの横でアルシェが鋭い瞳を男に向けた。
「あなたがお姉ちゃんを泉に引き落としたのよ。助けてくれたお姉ちゃんに感謝の言葉くらい言えないの」
刺のある口調で男に告げる。
男は「あー…」と気まずそうに視線を逸らし、頭をかく。
「そうか、何かに掴まろうと必死だったんだが……悪かった。助かったよ、」
そこまで口にして男は口ごもる。
ティーゼはすぐにその理由を察した。
「私はティーゼよ。この子は双子の妹のアルシェ」
ティーゼは半ば強引にアルシェを自分の方に引き寄せ、ずっと拗ねている妹の頭をなでた。
アルシェは驚いた顔をするが、すぐにその頭のぬくもりに嬉しそうに目を細めた。
男は双子の微笑ましいやり取りを見て口元を緩ませた後、ティーゼに片手を差し出した。
「俺はカルマ。さっきはありがとな、ティーゼ。……それと、アルシェ」
「……軽々しくその呼び名を口にしないで。アルシエル、よ。その呼び方はお姉ちゃんしか許さない」
ティーゼの腕の中でアルシェはカルマを睨んだ。
アルシェの本当の名はアルシエルだ。姉が自分に付けた愛称を、他の人に使われるのは気に食わないらしい。
「……悪かったよ、アルシエル」
「ふん」
カルマが訂正するも、アルシェは口を尖らせ顔を背けてしまう。
そんな妹の様子を見て、ティーゼは困ったように眉を下げたが、口元は少し嬉しそうだった。
「私、ちょっとあっちの方に行ってるね。話が済んだら呼んでね、お姉ちゃん。……お姉ちゃんに変な真似しないでね」
ティーゼには満面の笑みを浮かべた後、カルマにジト目を送った。そのまま踵を返すと、泉から離れた方へ向かう。
自分がいると話が進まないことを察したのだ。
「ごめんね、悪い子じゃないのよ」
二つに括った髪を揺らしながら離れていく妹の後ろ姿を見ながらティーゼはカルマに語る。
「あの子はちょっと特別な能力を持っていて、他の人に触れる事ができないの。そのせいで昔からあまり人に寄り付かなくて。いつも私と一緒にいたから私だけには気を許していてくれるんだけどね」
語る声音は優しい。
「本当は誰よりも優しくて、脆い子なの。だから悪くは思わないであげてね」
ティーゼはカルマに笑いかけた。
心地よい風が吹き、木々を揺らす。それまで木に隠されていた陽の光が、木々の隙間から漏れ出してティーゼを照らした。陽光に照らされ、キラキラと光を帯びる金色の長い髪。
カルマは幻想的ですらあるその少女に目を奪われていた。
「次にあなたの事を聞かせてくれる?なぜ泉の中にいたのか、あなたの目的はなんなのか」
あくまで声音は柔らかく、でも向けた表情は真剣なものだった。『時の扉』のある泉の中にいた以上、扉を悪用しようとしていた不届きものの可能性だって少なからずある。問いたださないわけにはいかない、と意気込んだティーゼの鼻先をついたのは思いもよらない一言だった。
「…わからない。気がついたらここの底にいた、のを今助けてもらった」
「わからない?……嘘は、ついてないみたいね」
カルマの顔をじっと見つめて、悪意など見られない瞳に思わず安堵する。しかし、それで安堵するわけにもいかない状況ななのだが。
「名前以外にわかることは?何処から来たの?」
「ごめん、思い出せない。なにも…」
「うーん、わかった。とりあえず、街の方まで降りましょうか。手がかりが、あるかもしれないしね」
ティーゼは立ち上がると座ったままのカルマに手を差し伸べる。
戸惑ったその手を引き寄せ、立ち上がらせると優しく微笑んだ。
「もしかしたら、カルマの記憶がなくなった原因は私にあるかもしれないから、できる範囲であなたの手助けをするわ」
アルシェは嫌がるかもしれないけど、と付け加えて苦笑いする。
「さ、行こう」
先に歩き出すティーゼの後ろ姿を目で追った。長い金色の髪が歩幅に合わせて線を描く。
そのさらに奥では、アルシェが腕を組みながら仏頂面で立っていて、カルマを見ながら何か文句を言っているようだ。それをティーゼがなだめると、アルシェは腑に落ちないとでも言いたげにカルマに視線を送り、そのまま踵を返してしまう。
ティーゼが「ごめんね」と口を動かして困ったように笑うと手招きすると、まるでそれに誘われるようにふらふらを足が動き始める。
かくして、カルマの長い旅路は幕を開けてしまったのである。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
『伯爵令嬢 爆死する』
三木谷夜宵
ファンタジー
王立学園の中庭で、ひとりの伯爵令嬢が死んだ。彼女は婚約者である侯爵令息から婚約解消を求められた。しかし、令嬢はそれに反発した。そんな彼女を、令息は魔術で爆死させてしまったのである。
その後、大陸一のゴシップ誌が伯爵令嬢が日頃から受けていた仕打ちを暴露するのであった。
カクヨムでも公開しています。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる