優しい幽霊話、はじめました。

まだねむお

文字の大きさ
4 / 8

夢の中の幽霊

しおりを挟む
 夢を見ると、いつだって彼女は僕の前に現れる。白い素足を出したパジャマ姿で。

「悪いね、いつもいつも」

 第一声は、毎回気恥ずかしさを含んだ謝罪の言葉だ。繰り返し夢に現れて申し訳ない、と思っているらしい。頭を掻いている。

「いや、まあ、もう慣れたけど」

 僕は苦笑して言葉を返す。
 同じようなやり取りを、一体これまで何度繰り返してきたことやら。面倒なので数えるのをやめたけれど、三十回以上にはなる。

「前回までの夢の記憶はある?」

 問いかけると、うーん、と彼女は眉根にシワを寄せた。ショートカットの髪が揺れる。

「何度も君の夢に出てることは覚えてる」
「なるほど」
「でもそれ以外、ほぼ忘れてるんだよね」

 だけどさ、と彼女は付け加えた。ごく自然に、おまけのように、

「あたしが死んでることは覚えてるよ」

 僕は少しだけ肩をすくめた。またしても、そこからのスタートか。仕方がない。
 まずは基本の質問から始めよう。

「じゃあさ、何で死んじゃったの?」

 こちらの問いに、そこなんだよね、と相手は低い声で呻いた。僕は言葉を続ける。

「ということは、覚えてないわけ?」
「前に君の夢に出たときはどうだった?」
「いつも覚えてないって言ってたよ」

 やっぱりね、と彼女はやや苦い顔をする。

「なら教えてよ。あたしの死んだ理由」
「教えてもまた忘れるだろ?」
「多分そうだけどさ。でも気になる」

 僕は少しためらう。さて、今回はどうすべきだろうか? まずは急がず、一旦ひと息入れることにしよう。焦らない焦らない。

「ところで、さ。僕が誰だかわかる?」
「あたしの彼氏。あ、元カレかな?」
「元カレ?」
「だってあたし、死んだから」

 それを言うならむしろあたしが元カノか、と彼女は寂しげに笑った。

「死人は忘れて、君は自由にしたまえ」
「それを言いに出てきたの?」
「うーん。それも違うような」

 あたしはそんな殊勝な女じゃなかった気がする、と彼女が真顔で呟いたので、僕は思わず吹き出してしまった。正直なやつだ。

「自力で思い出してみたらどう?」

 僕の言葉に、相手はきょとんとした。

「あたしが、自分の死んだ理由を?」
「そう」
「それ、しんどくなるやつじゃない?」
「まあそうだね」

 彼女はむっと口を尖らせた。相変わらずころころと表情が変わる。見ていて楽しい。

「君が教えてくれればいいのに」
「前に何度も教えたよ」
「ううう」

 意地悪、ともごもご口の中で悪態をついた後、諦めたように彼女は考え始めた。

「パジャマ着てるし、病気で死んだ?」
「違う」

 パジャマのことを認識しているのはいい傾向だな、と僕はひそかに考える。

「じゃあ、車の事故?」
「違うよ」
「鉄道や飛行機や船の事故?」
「違うね」
「自殺?」
「違います」
「まさか、人に殺された?」
「大違い」
「医療事故とか建物関係の事故?」
「どっちも違う」
「天災?」
「それも違う」
「テロとか、戦争?」
「全然違う」

 もう思いつくほとんどのパターンを言ったんだけど、と彼女は拗ねた顔をした。

「今言った以外に、死に方ある?」
「まあ、ほぼ出尽くした感はあるね」
「つまり、どういうこと?」
「どういうことだと思う?」

 質問で返さないでよ、と怒られた。彼女はじろりと僕を睨む。

「そもそもこれ、君の夢でしょ?」
「はあ」
「ということは、忘れたのは君のせい」
「そうきますか」
「早く成仏させてよ」
「成仏?」
「夢に何度も幽霊が出たら嫌でしょ?」
「別にそんなことないけど」
「でも元カノの幽霊だよ?」

 いけない、彼女は苛立ち始めている。
 そろそろ正念場ではあるけれど、僕は再度小休止を入れることにした。
 回答は保留して、強制的に話を逸らす。

「僕について、他に覚えていることは?」
「意地悪な元カレ」

 ひどい言われ様だ。彼女はぺろりと舌を出していた。あっかんべえ。

「それ以外の情報は?」

 再びじっと僕を眺め、相手は口を開く。

「ええと、君は」

 また少し、言葉に間が空いた。
 ためらい、手探りをするような沈黙。
 ややあって、ぽつりと呟きが漏れる。

「あれ、今、何か思い出しかけたような」

 彼女はしきりに首をかしげている。
 僕は緊張した。おや、これはもしかして。
 ついに記憶が戻りつつあるのだろうか。小休止のつもりが、意外に有効な話の進め方だったのかもしれない。でもあまり追い詰めてもいけない。慎重に声をかけよう。

「焦らず、思い出してみるといいよ」

 彼女は宙を向いて黙り込み、次の瞬間、びくりと身震いをした。目を見開いている。

「嫌な感じ」
「何が?」
「すごく嫌な感じがするの」
「僕についての記憶が?」
「うん。思い出したくない」

 彼女は強張った表情で、激しく頭を振る。

「君さ、もしかして」
「何?」
「あたしに暴力とか振るってた?」

 僕は落胆した。違う、そうじゃない。何でそうなってしまうんだろう。

「振るってないよ」
「ならごめん。でも、その」
「思い出そうとすると嫌な感じ?」
「うん」

 ごめんね、と彼女はもう一度言った。
 仕方ない。僕は腹を決めた。今回はここで本当のことを言おう。暴力野郎呼ばわりされたことに腹を立ててはいないけれど、彼女がまた別の物語に逃げ込むのは良くない。

「その、嫌な感じの理由を教えるよ」

 僕の言葉に、彼女は一瞬怯えたような目でこちらを見た。視線が泳いでいる、

「嫌な感じなのは事実を認めたくないから」
「あ、あの、認めるって、何を?」

 極力優しく、僕は彼女に事実を告げる。

「死んだのは僕の方だってこと」

 彼女の表情が消えた。硬直した唇が、ひどくかすれた声を漏らす。

「嫌、やめて」
「幽霊は僕の方だ」
「違う」
「違わない。君は死んでない」
「やめて!」
「死んでないから、思い出せない」
「嫌、イヤ」
「これは君の夢なんだ」

 彼女は必死で耳を塞いでいる。でも、かわいそうだけれど、それは無駄だ。僕の声は、幽霊の声は、心が聞いているものだから。

「僕らは交通事故に遭った。車の事故だ」
「お願い、やめて」
「そして僕は君の前で死んだ」
「お願い」
「君はまだ生きていて、病院で眠っている」

 運転していたのは彼女だった。僕を死に追いやったという罪の意識が、夢の中で現実をすげ替えている。夢に逃げている。

 でも、きっと大丈夫。彼女の芯は強い。何度も浅い眠りと深い眠りを繰り返し、同じ夢を繰り返しながら、少しずつ現実に向き合い始めている。目を覚ます準備をしている。いつもなら僕が本当のことを話し出すとすぐ彼女は深い眠りに逃げ込んでいたけれど、今回はまだ夢が続いている。なら目覚めは近い。

 パジャマ。
 元カレ。
 元カノ。
 成仏。
 彼女が無意識に口にした言葉も意味深い。心の裏側では、もう気がついているはず。

 だとしたら、彼女を目覚めさせるのは僕の役目だ。僕は意地悪な元カレなのだから。

「僕は君を責めてなんかいない」
「でも、あたしは」
「君が君を責めているんだよ」

 彼女は、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。相変わらずころころと表情が変わる。僕はそんな彼女が大好きだった。

 でも、終わりにしないといけない。
 溢れる涙はきっと事実を受け入れた証拠。なら、お別れを言わなくては。

「さあ、目を覚ますんだ」
「嫌だ、よ」
「僕だって、きちんと眠りたい」
「……ごめん」
「僕こそ、そばにいられなくてごめん」

 嗚咽を漏らす彼女に、僕は辛い一言を告げる。言葉にできない願いを込めて。

「さよなら」

 彼女は泣きながら僕に抱きついてきた。
 痛いくらいに回された腕。
 柔らかな身体の感触。
 ほのかな体温。そして優しい髪の匂い。

 けれどこれは全て幻だ。
 ここは儚い夢の中。
 彼女はここにいない。
 僕もここにはいない。

 唐突に視界が白く輝き、薄れていく。

 ああ、終わるんだな、と僕は思う。
 彼女はついに現実を受け止めた。だから、繰り返された夢が終わる。

 眩しい。もう何も見えない。

 さよなら。
 でもきっと、また会おう。
 いつかの未来、どこかの場所で。

 だから、今はおやすみ。
 そしておはよう、ねぼすけさん。

 彼女は、目を覚ました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...