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ブラック & ホワイト
4裏ー3
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集団の数は十五人に満たない。このくらいの数を相手にしたことは何度もある。というか、喧嘩屋として名前が知られるようになってからは、タイマン張ってくるような気合い入ったヤツの方がずっと少なくなった。多対一が基本だ。
だから、この程度のヤツら相手に苦戦を強いられることになるとは、思ってもみなかった。
こいつら、ただのチンピラじゃねえ。数は大したことねえが、喧嘩慣れしているのか、上手いこと立ち回ってオレに攻撃の隙を与えないようにしてきやがる。こっちもやられないように攻撃を捌くことは可能だが、逆に言えばそれで精一杯だ。数の優位性を生かした追い詰め方を、こいつらは知っている。間違いなく常習犯だ。同じ手口で、いったいどれだけの人間を傷つけてきたのか、想像もしたくねえ。
やがて、オレを取り囲む男たちが道を一か所開け、そこから顔にタトゥーを入れた男が輪に入り込んできた。オレたちを取り囲む連中に向けて、タトゥー男は「手を出すな」と言って、おもむろに拳を構えた。その矛先は当然、オレに向いていた。
散々集団で攻め立てておいて、いまさらタイマン張ろうってことか。
まあ、別にそれなら構わねえさ。オレも拳を握り、戦闘体勢に入る。
タトゥー男は右腕を大きく後ろに構えると、一歩踏み込み、勢いに任せて拳を打ってきた。かなり真正面な攻撃で、しかもあそこまで大振りなら避けることは余裕なはずだが、かわしてみるとかなりギリギリだったことに驚く。
ヤツの拳の速度は、オレが思っているよりもずっと速い。形は滅茶苦茶で、まともに格闘技を学んだことのない喧嘩屋スタイルそのもの。だが、無駄ばかりの動きの中に、信じられないようなスピードの攻撃が交じっていて、単純に身体能力の高さがうかがえた。
このタトゥー男は、どこかで格闘技を学んだわけではないだろう。オレも喧嘩屋スタイルであまり型のようなものを持ってはいないからわかる。
だが、間違いなくその辺の不良やチンピラとも違っていた。明らかに戦い慣れ過ぎている。いびつに歪んだ拳の形からも、それがうかがえた。
避けることに集中するオレに、輪を形成していた男の一人が、「逃げんじゃねえ!」と言って背中に蹴りを入れてくる。
タトゥー男の攻撃を避けるのに必死だったオレは、背後からの不意打ちに思わず体勢を崩した。その隙を見逃さず、タトゥー男は左足を軸にして、持ち上げた右足をオレの頭部に向けて思い切り蹴り出した。
辛うじて左腕でガードしたが、見た目からは想像もできない重たい蹴りで、そのままオレは横倒しになるみたいに蹴り倒される。
タトゥー男はすぐに倒れたオレに向けて、追撃してきた。
だが、そう何度も攻撃を受けてやるほどオレはサービス精神旺盛じゃねえ。
「オラッ!」
横倒しの体勢から、右足を地面に滑らせるように動かし、相手の踏み込みの瞬間の浮いた足を払う。すると、地面に付こうとしていた足が宙に浮き、体勢を崩して相手も倒れ込む。
その隙に、オレは勢いに任せて立ち上がった。完全に立場が逆転し、タトゥー男の顔面がオレのすぐ足元にある。
容赦なく蹴りを打ち込もうとすると、仲間の男たちが攻撃を仕掛けてきて、再びオレの邪魔をする。追撃ができなかったせいで、タトゥー男は大したダメージも受けず体勢を整えてしまった。
クソが。なにがタイマンだ。これじゃあキリがねえぞ。
仕切り直しかと思い気合を入れなおしたところで、仲間の一人がタトゥー男に近付いた。
「青木さん。そろそろ行かないと"ステゴロ”の時間に間に合いません」
相変わらず拳を構えたままでいるオレに対し、青木と呼ばれたタトゥー男は持ち上げていた腕をダラリと下げ、言った。
「その赤い髪、お前、喧嘩屋アカサビだろう?」
「あ? 違えよ。オレは喧嘩屋じゃねえ」
「どうだっていいけど、もうこの街で最強は名乗らせない。生憎と時間がないから今日はこの辺りにしておくが、次に会ったときはアカサビ、あんたを殺す」
「そうやって逃げ口上言う連中と腐るほど戦ってきたんだよ、こっちは。オレにとっては、テメエらもそれとなんも変わらねえぞ」
「そんな雑魚共と一緒にするなよ、アカサビ。俺たちの強さは、いまやってみて痛感しただろう?」
オレは黙り込んだ。
認めたくないが、タトゥー男とその仲間はいままでの連中とは格が違う。
「俺は青木洋二。近い内にお前を殺す男の名前だ、憶えておけ」
そう言うと、タトゥー男―――青木は背中を向けて駅の方へと戻って行った。
ふざけやがって。いきなり喧嘩吹っ掛けておいて、時間だから終わりだ? そんな舐めた真似させるかよ。
オレは追いかけようとしたが、連携の取れた動きの男たちに邪魔される。
実際問題、仮に青木に追いついて同じように闘ったとして、勝てるかどうかは怪しい。タイマンならなんとかなるかもしれねえが、周りにいる連中も相手にしながらとなるとかなり厳しいだろう。
ここは素直に引き下がることにした。
だが、これで終わるつもりはない。いままであんな連中はこの街で見かけたことがない。だとすると、近頃の街の異変とさっきの連中は関わりがあるのかもしれない。あるいは、アートマンとも……。
オレは、懇意にする情報屋に連絡を取ることにした。その情報屋は、『第三者ネットワーク』と呼ばれる独自の情報網を街中に張り巡らせていて、そこから得た情報を売って金に変えている。支払いは基本的にコンビニなんかでも売ってるギフトチケットのコードで取引するため、実際に情報屋と会ったことはない。広くアンテナを張っている情報屋は、ときに知るだけで命を狙われる類の情報にまで触れてしまうことから、顔バレをひどく嫌うようだ。
本来なら顔も知らない相手を信用などしないのだが、これまでもなん度か情報取引を行い、それによって助けられた実績があるため、信用していた。
定期的に連絡を入れる度に、飛ばしの携帯を使い番号を変える慎重さは流石だ。オレは、以前とは違う番号にかけ、きっちり三度目のコールが鳴るのを待って一度電話を切る。五分後、折り返し掛かってきた番号に出ると、情報屋はいきなりこう切り出した。
「ずいぶんと危ない連中に狙われているみたいだね、アカサビ」
男とも女とも取れる中性的な声の主は、情報屋。
誰も名前を知らないため、便宜上、『第三者ネットワーク』の異名で呼ばれる人物だ。
それにしても、慣れたつもりでいても、やはり驚きは隠せない。たった五分で、電話の向こうの人物はどうやってついいましがたの出来事を把握できるのだろうか。初めて情報を欲してコンタクトを取ったとき、直接そのことを聞いてみたが、『どこにでも人の目はあり、耳がある』というのが返ってきた答えだった。この街で起きている事象は、情報屋にとっては五分で調べがついてしまうことなのかもしれない。
「オレが変な連中に狙われているのはいつものことだ。そんなことより、情報が欲しい」
「なんだい? 天下のアカサビに頼みごとをされるというのは、情報屋冥利に尽きるよ」
「だったらネタ代安くしてくれ」
「悪いね。値引き販売はしない主義だ。適正な情報は適正な価格で、がモットーだ」
情報の適正価格なんて知るか。言ったもん勝ちじゃねえか、と文句のひとつも言ってやりたい気分だが、実際こいつの情報には代価に見合う価値がある。
「それで、欲しい情報は?」
オレは言葉を精査した。情報屋は、一回の取引で多くの情報をやり取りしない。あくまで情報屋は中立的な立場の存在であるため、例えばチームが争っていた場合、片方が多くの情報を与えられたことによってもう一方のチームが壊滅の憂き目にあった場合、その恨みは情報屋に向かうことになる。そういう逆恨みを防ぐため、こいつは情報の取引をする相手をしっかりと見極めつつ、一度に多くの情報を捌くような真似はしない。一度の取引で聞き出せるのは、基本ひとつだけだ。
だからオレは、考え抜いて、聞き出す情報を選んだ。
「ステゴロという言葉に聞き覚えはないか?」
『ステゴロですか? もちろん、言葉の意味を聞いているわけではありませんよね?』
当然だ。素手で喧嘩することをステゴロというが、そんなことをわざわざ情報屋から聞く必要はない。
『だとしたら、街に関係することとなると知っていることはただひとつ』
「なんなんだ?」
『地下格闘技ですよ。マッドシティで秘密裏に開催されている地下格闘技の名前が『素手喧嘩』という名称らしいです』
地下格闘技か。そういうものがあるという話は聞いたことあるし、過去に出てみないかと誘われたこともあったが、まさかこの街にもあったとはな。
「それで、その地下格闘技について詳しく聞きたい。青木という男とはどういう関係がある」
『関係もなにも、青木が率いる『トライバル』という半グレ集団が中心となってその格闘技大会を開催しているのさ。青木だけじゃなく、部下の連中もほとんどが大会の出場者だ』
なるほど。道理でさっきの連中、戦い慣れしていると思ったぜ。
「それで、その地下格闘技が開かれる場所はどこなんだ?」
『残念だけど、情報はここまでだ』
マジかよ。まあ、確かにここらが引きどきかもしれねえな。
オレが知る限り、『トライバル』なんていう連中はこの街にはいなかった。それが入り込んできたことで、ここ最近の治安の悪化に繋がっているのだとしたら、街を仕切るチーム『マサムネ』が黙っているとは思えない。
もしも『トライバル』と『マサムネ』が抗争に発展した場合、直近でその情報を取引していた情報屋も怪しまれる可能性が高い。
オレは礼を言うと、報酬はいつも通りと伝え、電話を切った。
それにしても、『トライバル』か。ヤクザとも族とも異なる、いわゆる半グレ連中。
半グレはかなり厄介だ。族と同じく、大した歴史も持たないのにヤクザ並みに性質が悪いため、手がつけられない。歴史の積み重ねによって組のルールを築いている分、ヤクザの方がまだマシかもしれない。
そんなヤツらが、これから街で好き勝手するようになったら、これまで以上に治安の悪化は避けられないだろう。なんとしても食い止めねえとな。
あらためて決意を固め、オレは再び夜の街へと足を運んだ。
―――――――――――――――
バーで田隈という男から聞き出した情報によると、アートマンとは一部で有名な彫り師のことを指し、その彫り師の後ろ盾として『トライバル』というチームが控えているらしい。
一旦戻って鍛島にそのことを報告すると、唸りながら首を捻った。
「『トライバル』か。聞いたこともねえな」
「鍛島さんでも知りませんか?」
「ああ。でも関係ねえさ。この街で好き勝手やるってんなら、こっちも容赦しねえ。全力で叩き潰す」
怒りからかなり熱くなっている鍛島。チームの部下を大人数街に放って、情報収集を開始させた。
すると、開始してから一時間も経たない内に、一人が戻って来た。
その部下は、かつて俺がチームに加入したばかりの頃、直属の部下として与えられていた人物だ。
そいつの話によると、東口側駅前に黒塗りのバンが四台停まっていて、怪しいと感じたそうだ。そして観察を続けていると、その車から顔にタトゥーを入れた男と、その仲間と思しき連中が一斉に出てきたらしい。そして、車から出て来た男たちは、ある人物を追いかけて廃工場跡地の方へと向かっていた。
「ある人物って誰だ?」
鍛島の問いに、部下は苦々しくこう答えた。
―――アカサビ、と。
俺は予想もしていなかった名前が出て驚かされた。
だが、すぐに冷静さを取り戻し、その後の話を聞く。
話を聞いてみると、部下の男はアカサビとタトゥー男たちが向かって行った方向に行かなかったようだ。
「テメエ、なんで追いかけなかったんだ!」
怒りから声を荒げる鍛島。
だが、俺はなんとなく理解できる気がした。
この部下の男は、俺がチームに入ったばかりの頃、直属の部下として動いていた人物だ。しかし、それは鍛島に監視を命じられて従っていただけに過ぎず、黒煙団絡みで間久辺を助けに行こうとした俺を、止めた連中の一人だ。
あのとき、部下の監視を強行突破して間久辺を助けに行った俺を追いかけて、部下たちは廃工場でアカサビと対峙したことがある。拳を構えたアカサビの恐ろしさときたら半端じゃない。部下の男は、そのときの記憶があったからアカサビに関わることに躊躇してしまったのだろう。
しかし、怖かったから追いかけられませんでしたなんて言いわけが鍛島に通用するはずがない。
怒りで爆発し出しそうな鍛島の顔を見て、部下の男は慌てて言葉を継いだ。
「ア、アカサビは見失いましたけど、もう一方の、黒いバンに乗っていた連中を調べました」
部下の話によると、アカサビを追いかけて行った集団は、三十分ほどで車に戻って来たらしい。そして車に乗り込むと、どこかへ移動を開始するのが見えたため、乗って来たバイクで気付かれないように後ろを追跡したらしい。
俺は手を打って部下の功績を称えた。
「でかした! それで、車はどこに向かったんだ?」
「場所はすぐ側でしたよ。駅の東口を出て、歓楽街の方に向かう途中にあるライブハウス。その前で車は停まりました」
ライブハウス? そういえば、そんなのあったな。
「今日はなんのライブをやっていたんだ?」
「ええと、俺が覗いたときは普通のインディーズロックバンドのライブだったと思います。だけど不思議なんですよ。車から降りた連中、中に居なかったんです。ライブに出るわけでもなさそうだったんで、どこに行ってしまったのか……」
部下がライブ会場に行ったときには、既にライブは始まろうとしていたらしい。だが、ライブハウスのどこを見渡しても、バンに乗っていた男はいなかった。当然、ライブゲストにも名前はなかった。
つまり、建物へ入った男たちはどこかへ消えたということになる。
ライブハウスか。『モスキート』からはそう離れていないな。
俺は自分の中で決心を固め、ライブハウスに実際に足を運んでみることにした。
徒歩で二十分、ライブハウスの前に到着した。
時刻は午後十時前で、まだライブは行われているようだ。階段を数段降りて奥まった扉から軽く顔を覗かせると、大音量の音楽と熱狂する観客の声が聞こえる。
ざっと見た感じだが、部下が言っていた特徴に該当するような集団は見られなかった。
それにしても物凄い大音量だな。
聞きたいとも思わないバンドの演奏はただただ耳障りだ。取りあえず外に出るかと思っていると、受付らしき人物が俺に気付いて近付いてきた。
なにか口にしていることは口の動きでわかるが、大音量のせいでなにを言っているのか聞き取れない。
ジェスチャーでやり取りを試みるが、うまくいかず、結局店の外に出て話をすることになった。
受付の男は、開口一番、「チケット」とぶっきらぼうに言った。
「悪い。別にライブを聞きにきたわけじゃないんだ」
俺がそう答えると、受付は警戒心を強めたのか、ただでさえ愛想のない顔をさらに険しくした。
「客じゃないなら、おたく、誰?」
その問いに、頭を急回転させ答えを探す。
このライブハウスに怪しい連中が入って行ったのは間違いないが、どう聞けば良いだろう。考えた結果、俺はこう言った。
「俺は『トライバル』の関係者だ。今日、ここにくれば会えるって聞いていたんだが」
唯一いまわかっている情報は『トライバル』。その名前を出す他に、俺には思いつかなかった。
もしこの男の警戒心が本物なら、より怪しまれることになってしまうだろう。これはある意味賭けだ。
しかし、幸いこの男は扱いやすいタイプの人間みたいだ。
「あ、『トライバル』の関係者さんでしたか。いつもお世話になってます。メンバーの方たちは既に到着してますよ。さあ、こちらへどうぞ」
そう言われ通されたのは、関係者のみが入れる通路。さらにその先を進むと、『締切』と書かれた札がかけられた扉の前で男は立ち止まった。
男がその扉を開くと、薄暗い扉の向こうに階段が下へと伸びていえ、さらに地下へと続いていた。
このライブハウスは表通りから階段を下りた、地面に対して少し低い位置にあった。それよりも更に下のフロアがあるということか。
俺は内心で不審におもいながら、おくびにも出さず男について行った。
階段を下り階下へと降りると、上と同じく通路が伸びていて、いくつか扉があるのがわかる。男の案内で、直進した先の突き当たりの扉に近付くと、なにやら人々の歓声が聞こえるような気がする。上でやっているライブの音が下まで響いているのかと思ったが、さっきまで聞こえていなかったのに不自然だ。
その疑問は、しかし通路を抜けた先に広がる光景を見て納得した。
まるですし詰め状態の人々に、多くの歓声。
上のフロアのライブハウスと同じくらいの広さの箱に、なにやら柄の悪い連中が集結していた。
人垣はフロアの中心部を取り囲むように形成されており、中心は意図的に空間が作られていた。
その空間には、二人の男が向かい合って立っており、お互いにリズミカルなステップを踏みながら拳を構えていた。
ーーーこれ、もしかして地下格闘技じゃねえか?
地下格闘技とは、スポーツとしての格闘技と一線を画し、参加者は不良などアウトローな連中ばかりという、喧嘩場のようなものだ。
しかし、なぜこんな場所に?
違法な地下格闘技は、参加者を含め集まる人間が裏社会の人間であることが多いため、街の治安悪化を懸念した鍛島が、過去に排斥したと聞いていたのだが。
それが、まさか『マサムネ』のお膝元で秘密裏に開催されていたとは驚きだ。
観客は会場で闘う選手に金銭を賭けているためか、声援にも熱が入っている。
『ぶっ潰せ!』
『殺せっ!』
そう言った口汚い言葉が飛び交う中心部では、男たちが殴り合いをしている。
軽く見ただけでもわかるくらい、片方の選手は疲弊しており、いまにも倒れそうだ。それに比べて、もう一方の選手はまだまだ余裕があるのか、ときどき観客の方を向いて歓声を煽るような真似をする。
俺の立っている方向を向いたことで、その選手の顔を見ることができた。
それほど狭い街ではないが、もしかしたらどこかで会ったことがあるかもしれないと思い注視したが、見覚えのない顔だった。だが、二度と忘れることはないだろう。
―――その顔、右半分にタトゥーが彫られていたから。
俺をこの場所まで案内した受付の男は、そのタトゥー男を指差した。
「丁度いま青木さんが闘っているところですね。もう少し試合終了まで時間かかりそうですし、少し施設内をご案内しましょうか?」
男の申し出を受けることにした俺は、熱気溢れる試合会場を抜けて、さっき階段を下りてきたときとは違う通路に入って行く。狭い通路には、試合を終えたばかりの選手なのか、上半身裸で地面に倒れ込み、荒い息を整えようとしている人の姿があった。
その男の体にも、さっきの青木という選手が顔に施していたタトゥーに似た模様が刻まれていた。
通路は選手たちの控室のような役割があるのか、そこら辺に汗だくの男たちが横たわっている。なんだか異様な光景だ。
男の案内で通路を進んで行くと、他とは違う造りの扉が見えてきた。鉄製の扉の上部には、鉄格子がはめ込まれていて、室内がのぞき込めるようになっている。
男はその扉の前で立ち止まると、俺の方を振り向き、説明を開始する。
「ここが彫り部屋。試合に負けた選手はこの部屋でタトゥーを彫られ、地下格闘技を主催しているチーム『トライバル』の傘下に入らされます。トップの青木さんに勝利すれば賞金が出ますが、現在のところ勝者は現れてませんね」
男の話から推測するに、この地下格闘場がチーム『トライバル』という連中の隠れ蓑になっているのは明らかだ。そして、ここで地下格闘技が行われているのは、賞金目当てで地下に入り込んできた挑戦者を倒し、仲間に引き込むことで勢力を拡大するためなのだろう。その傘下に入った証明として、体に『トライバル』という柄のタトゥーを彫らなければならないらしい。
そして、そのタトゥーを彫る部屋というのがこの鉄扉の向こうか。
俺は、覗き窓から部屋の中を覗き込んだ。
すると、室内には病院のベッドのような物が置かれていて、その上に背中を晒した女性がうつ伏せで倒れている。女性のすぐ側に、エナメル質のようなコートを羽織った人物が立って、なにやら文房具のコンパスのような物を手にしている。そのコンパスのような器具にはチューブが付いていて、チューブの反対側には両手で持てるくらいの大きさの機械が繋がっている。
コンパスのような器具の先端を、横たわる女性の肩あたりにあてがう。どうやら、その器具はタトゥーを彫るための道具らしい。
さっき案内の男が言っていたのは、タトゥーを彫るのは試合に負けた選手という話だったが、どういうわけか室内のベッドには若い女が横たわっていた。そして、その光景をさらに異様に映していたのは、女性がタトゥーを彫られている様子を、部屋の中でじーっと観察している中年男たちの姿だ。女性の体に針が刺される様子を見てなにが楽しいのか知らないが、中年男たちは興奮した様子で見守っていた。変態かよ。
タトゥーが彫られる様子を見る中年男も、彫られる様子を見せる女も、彫っている様子を見せる彫り師も、すべてが異常な光景に思えた。
しかし、それにしても不思議だ。俺も話で聞いただけだが、タトゥーを彫る行為は、針で肌に傷をつけているのだから、場所にもよるがかなりの痛みを伴うらしい。しかし、彫られている女性はまるで眠っているかのように大人しい。
眠って……いるように?
まさかと思い、俺は覗き窓に触れる勢いで中の様子をうかがった。だが、この位置からではベッドの上の女が痛みに耐えているのか、あるいはなにか薬物などで眠らされタトゥーを彫られているのか判断がつかない。
他に手がかりはないかと、扉に設えられた鉄格子窓の隙間から室内をさらに覗いてみると、部屋の隅に場違いな飾りっ気のない紺色のカバンが置かれているのを発見する。
紺色のカバンには、どこかで見た覚えがある紋章のような物が象られている。
いったいどこで見たのだったか?
しかし、数瞬の後、その既視感の理由に思い至り、俺は思わず鉄格子に手をかけた。部屋に置かれていたカバンのマークは、間違いない。あれは、高校指定のカバンだ。カバンに描かれた特徴的なマークは校章に違いなかった。
見間違うはずがない。だって、あれは―――間久辺が通う高校の校章なのだから。
どうしたものかと思案していると、注意力が散漫になり、触れていた鉄格子から、キィィ、とわずかに鉄が軋む音が響いてしまう。
その物音に、離れていた中年男たちは気付かなかったようだ。
だが、室内で扉に一番近い距離にいる彫り師は、物音に気付いたのか振り向く。
彫り師は、顔をマスクで隠していた。マスクと言っても、口元を隠すような物ではなくて、どちらかと言うと化け物の面と呼ぶのが相応しいだろう。
化け物の面―――般若の面が、こちらを凝視していた。
だから、この程度のヤツら相手に苦戦を強いられることになるとは、思ってもみなかった。
こいつら、ただのチンピラじゃねえ。数は大したことねえが、喧嘩慣れしているのか、上手いこと立ち回ってオレに攻撃の隙を与えないようにしてきやがる。こっちもやられないように攻撃を捌くことは可能だが、逆に言えばそれで精一杯だ。数の優位性を生かした追い詰め方を、こいつらは知っている。間違いなく常習犯だ。同じ手口で、いったいどれだけの人間を傷つけてきたのか、想像もしたくねえ。
やがて、オレを取り囲む男たちが道を一か所開け、そこから顔にタトゥーを入れた男が輪に入り込んできた。オレたちを取り囲む連中に向けて、タトゥー男は「手を出すな」と言って、おもむろに拳を構えた。その矛先は当然、オレに向いていた。
散々集団で攻め立てておいて、いまさらタイマン張ろうってことか。
まあ、別にそれなら構わねえさ。オレも拳を握り、戦闘体勢に入る。
タトゥー男は右腕を大きく後ろに構えると、一歩踏み込み、勢いに任せて拳を打ってきた。かなり真正面な攻撃で、しかもあそこまで大振りなら避けることは余裕なはずだが、かわしてみるとかなりギリギリだったことに驚く。
ヤツの拳の速度は、オレが思っているよりもずっと速い。形は滅茶苦茶で、まともに格闘技を学んだことのない喧嘩屋スタイルそのもの。だが、無駄ばかりの動きの中に、信じられないようなスピードの攻撃が交じっていて、単純に身体能力の高さがうかがえた。
このタトゥー男は、どこかで格闘技を学んだわけではないだろう。オレも喧嘩屋スタイルであまり型のようなものを持ってはいないからわかる。
だが、間違いなくその辺の不良やチンピラとも違っていた。明らかに戦い慣れ過ぎている。いびつに歪んだ拳の形からも、それがうかがえた。
避けることに集中するオレに、輪を形成していた男の一人が、「逃げんじゃねえ!」と言って背中に蹴りを入れてくる。
タトゥー男の攻撃を避けるのに必死だったオレは、背後からの不意打ちに思わず体勢を崩した。その隙を見逃さず、タトゥー男は左足を軸にして、持ち上げた右足をオレの頭部に向けて思い切り蹴り出した。
辛うじて左腕でガードしたが、見た目からは想像もできない重たい蹴りで、そのままオレは横倒しになるみたいに蹴り倒される。
タトゥー男はすぐに倒れたオレに向けて、追撃してきた。
だが、そう何度も攻撃を受けてやるほどオレはサービス精神旺盛じゃねえ。
「オラッ!」
横倒しの体勢から、右足を地面に滑らせるように動かし、相手の踏み込みの瞬間の浮いた足を払う。すると、地面に付こうとしていた足が宙に浮き、体勢を崩して相手も倒れ込む。
その隙に、オレは勢いに任せて立ち上がった。完全に立場が逆転し、タトゥー男の顔面がオレのすぐ足元にある。
容赦なく蹴りを打ち込もうとすると、仲間の男たちが攻撃を仕掛けてきて、再びオレの邪魔をする。追撃ができなかったせいで、タトゥー男は大したダメージも受けず体勢を整えてしまった。
クソが。なにがタイマンだ。これじゃあキリがねえぞ。
仕切り直しかと思い気合を入れなおしたところで、仲間の一人がタトゥー男に近付いた。
「青木さん。そろそろ行かないと"ステゴロ”の時間に間に合いません」
相変わらず拳を構えたままでいるオレに対し、青木と呼ばれたタトゥー男は持ち上げていた腕をダラリと下げ、言った。
「その赤い髪、お前、喧嘩屋アカサビだろう?」
「あ? 違えよ。オレは喧嘩屋じゃねえ」
「どうだっていいけど、もうこの街で最強は名乗らせない。生憎と時間がないから今日はこの辺りにしておくが、次に会ったときはアカサビ、あんたを殺す」
「そうやって逃げ口上言う連中と腐るほど戦ってきたんだよ、こっちは。オレにとっては、テメエらもそれとなんも変わらねえぞ」
「そんな雑魚共と一緒にするなよ、アカサビ。俺たちの強さは、いまやってみて痛感しただろう?」
オレは黙り込んだ。
認めたくないが、タトゥー男とその仲間はいままでの連中とは格が違う。
「俺は青木洋二。近い内にお前を殺す男の名前だ、憶えておけ」
そう言うと、タトゥー男―――青木は背中を向けて駅の方へと戻って行った。
ふざけやがって。いきなり喧嘩吹っ掛けておいて、時間だから終わりだ? そんな舐めた真似させるかよ。
オレは追いかけようとしたが、連携の取れた動きの男たちに邪魔される。
実際問題、仮に青木に追いついて同じように闘ったとして、勝てるかどうかは怪しい。タイマンならなんとかなるかもしれねえが、周りにいる連中も相手にしながらとなるとかなり厳しいだろう。
ここは素直に引き下がることにした。
だが、これで終わるつもりはない。いままであんな連中はこの街で見かけたことがない。だとすると、近頃の街の異変とさっきの連中は関わりがあるのかもしれない。あるいは、アートマンとも……。
オレは、懇意にする情報屋に連絡を取ることにした。その情報屋は、『第三者ネットワーク』と呼ばれる独自の情報網を街中に張り巡らせていて、そこから得た情報を売って金に変えている。支払いは基本的にコンビニなんかでも売ってるギフトチケットのコードで取引するため、実際に情報屋と会ったことはない。広くアンテナを張っている情報屋は、ときに知るだけで命を狙われる類の情報にまで触れてしまうことから、顔バレをひどく嫌うようだ。
本来なら顔も知らない相手を信用などしないのだが、これまでもなん度か情報取引を行い、それによって助けられた実績があるため、信用していた。
定期的に連絡を入れる度に、飛ばしの携帯を使い番号を変える慎重さは流石だ。オレは、以前とは違う番号にかけ、きっちり三度目のコールが鳴るのを待って一度電話を切る。五分後、折り返し掛かってきた番号に出ると、情報屋はいきなりこう切り出した。
「ずいぶんと危ない連中に狙われているみたいだね、アカサビ」
男とも女とも取れる中性的な声の主は、情報屋。
誰も名前を知らないため、便宜上、『第三者ネットワーク』の異名で呼ばれる人物だ。
それにしても、慣れたつもりでいても、やはり驚きは隠せない。たった五分で、電話の向こうの人物はどうやってついいましがたの出来事を把握できるのだろうか。初めて情報を欲してコンタクトを取ったとき、直接そのことを聞いてみたが、『どこにでも人の目はあり、耳がある』というのが返ってきた答えだった。この街で起きている事象は、情報屋にとっては五分で調べがついてしまうことなのかもしれない。
「オレが変な連中に狙われているのはいつものことだ。そんなことより、情報が欲しい」
「なんだい? 天下のアカサビに頼みごとをされるというのは、情報屋冥利に尽きるよ」
「だったらネタ代安くしてくれ」
「悪いね。値引き販売はしない主義だ。適正な情報は適正な価格で、がモットーだ」
情報の適正価格なんて知るか。言ったもん勝ちじゃねえか、と文句のひとつも言ってやりたい気分だが、実際こいつの情報には代価に見合う価値がある。
「それで、欲しい情報は?」
オレは言葉を精査した。情報屋は、一回の取引で多くの情報をやり取りしない。あくまで情報屋は中立的な立場の存在であるため、例えばチームが争っていた場合、片方が多くの情報を与えられたことによってもう一方のチームが壊滅の憂き目にあった場合、その恨みは情報屋に向かうことになる。そういう逆恨みを防ぐため、こいつは情報の取引をする相手をしっかりと見極めつつ、一度に多くの情報を捌くような真似はしない。一度の取引で聞き出せるのは、基本ひとつだけだ。
だからオレは、考え抜いて、聞き出す情報を選んだ。
「ステゴロという言葉に聞き覚えはないか?」
『ステゴロですか? もちろん、言葉の意味を聞いているわけではありませんよね?』
当然だ。素手で喧嘩することをステゴロというが、そんなことをわざわざ情報屋から聞く必要はない。
『だとしたら、街に関係することとなると知っていることはただひとつ』
「なんなんだ?」
『地下格闘技ですよ。マッドシティで秘密裏に開催されている地下格闘技の名前が『素手喧嘩』という名称らしいです』
地下格闘技か。そういうものがあるという話は聞いたことあるし、過去に出てみないかと誘われたこともあったが、まさかこの街にもあったとはな。
「それで、その地下格闘技について詳しく聞きたい。青木という男とはどういう関係がある」
『関係もなにも、青木が率いる『トライバル』という半グレ集団が中心となってその格闘技大会を開催しているのさ。青木だけじゃなく、部下の連中もほとんどが大会の出場者だ』
なるほど。道理でさっきの連中、戦い慣れしていると思ったぜ。
「それで、その地下格闘技が開かれる場所はどこなんだ?」
『残念だけど、情報はここまでだ』
マジかよ。まあ、確かにここらが引きどきかもしれねえな。
オレが知る限り、『トライバル』なんていう連中はこの街にはいなかった。それが入り込んできたことで、ここ最近の治安の悪化に繋がっているのだとしたら、街を仕切るチーム『マサムネ』が黙っているとは思えない。
もしも『トライバル』と『マサムネ』が抗争に発展した場合、直近でその情報を取引していた情報屋も怪しまれる可能性が高い。
オレは礼を言うと、報酬はいつも通りと伝え、電話を切った。
それにしても、『トライバル』か。ヤクザとも族とも異なる、いわゆる半グレ連中。
半グレはかなり厄介だ。族と同じく、大した歴史も持たないのにヤクザ並みに性質が悪いため、手がつけられない。歴史の積み重ねによって組のルールを築いている分、ヤクザの方がまだマシかもしれない。
そんなヤツらが、これから街で好き勝手するようになったら、これまで以上に治安の悪化は避けられないだろう。なんとしても食い止めねえとな。
あらためて決意を固め、オレは再び夜の街へと足を運んだ。
―――――――――――――――
バーで田隈という男から聞き出した情報によると、アートマンとは一部で有名な彫り師のことを指し、その彫り師の後ろ盾として『トライバル』というチームが控えているらしい。
一旦戻って鍛島にそのことを報告すると、唸りながら首を捻った。
「『トライバル』か。聞いたこともねえな」
「鍛島さんでも知りませんか?」
「ああ。でも関係ねえさ。この街で好き勝手やるってんなら、こっちも容赦しねえ。全力で叩き潰す」
怒りからかなり熱くなっている鍛島。チームの部下を大人数街に放って、情報収集を開始させた。
すると、開始してから一時間も経たない内に、一人が戻って来た。
その部下は、かつて俺がチームに加入したばかりの頃、直属の部下として与えられていた人物だ。
そいつの話によると、東口側駅前に黒塗りのバンが四台停まっていて、怪しいと感じたそうだ。そして観察を続けていると、その車から顔にタトゥーを入れた男と、その仲間と思しき連中が一斉に出てきたらしい。そして、車から出て来た男たちは、ある人物を追いかけて廃工場跡地の方へと向かっていた。
「ある人物って誰だ?」
鍛島の問いに、部下は苦々しくこう答えた。
―――アカサビ、と。
俺は予想もしていなかった名前が出て驚かされた。
だが、すぐに冷静さを取り戻し、その後の話を聞く。
話を聞いてみると、部下の男はアカサビとタトゥー男たちが向かって行った方向に行かなかったようだ。
「テメエ、なんで追いかけなかったんだ!」
怒りから声を荒げる鍛島。
だが、俺はなんとなく理解できる気がした。
この部下の男は、俺がチームに入ったばかりの頃、直属の部下として動いていた人物だ。しかし、それは鍛島に監視を命じられて従っていただけに過ぎず、黒煙団絡みで間久辺を助けに行こうとした俺を、止めた連中の一人だ。
あのとき、部下の監視を強行突破して間久辺を助けに行った俺を追いかけて、部下たちは廃工場でアカサビと対峙したことがある。拳を構えたアカサビの恐ろしさときたら半端じゃない。部下の男は、そのときの記憶があったからアカサビに関わることに躊躇してしまったのだろう。
しかし、怖かったから追いかけられませんでしたなんて言いわけが鍛島に通用するはずがない。
怒りで爆発し出しそうな鍛島の顔を見て、部下の男は慌てて言葉を継いだ。
「ア、アカサビは見失いましたけど、もう一方の、黒いバンに乗っていた連中を調べました」
部下の話によると、アカサビを追いかけて行った集団は、三十分ほどで車に戻って来たらしい。そして車に乗り込むと、どこかへ移動を開始するのが見えたため、乗って来たバイクで気付かれないように後ろを追跡したらしい。
俺は手を打って部下の功績を称えた。
「でかした! それで、車はどこに向かったんだ?」
「場所はすぐ側でしたよ。駅の東口を出て、歓楽街の方に向かう途中にあるライブハウス。その前で車は停まりました」
ライブハウス? そういえば、そんなのあったな。
「今日はなんのライブをやっていたんだ?」
「ええと、俺が覗いたときは普通のインディーズロックバンドのライブだったと思います。だけど不思議なんですよ。車から降りた連中、中に居なかったんです。ライブに出るわけでもなさそうだったんで、どこに行ってしまったのか……」
部下がライブ会場に行ったときには、既にライブは始まろうとしていたらしい。だが、ライブハウスのどこを見渡しても、バンに乗っていた男はいなかった。当然、ライブゲストにも名前はなかった。
つまり、建物へ入った男たちはどこかへ消えたということになる。
ライブハウスか。『モスキート』からはそう離れていないな。
俺は自分の中で決心を固め、ライブハウスに実際に足を運んでみることにした。
徒歩で二十分、ライブハウスの前に到着した。
時刻は午後十時前で、まだライブは行われているようだ。階段を数段降りて奥まった扉から軽く顔を覗かせると、大音量の音楽と熱狂する観客の声が聞こえる。
ざっと見た感じだが、部下が言っていた特徴に該当するような集団は見られなかった。
それにしても物凄い大音量だな。
聞きたいとも思わないバンドの演奏はただただ耳障りだ。取りあえず外に出るかと思っていると、受付らしき人物が俺に気付いて近付いてきた。
なにか口にしていることは口の動きでわかるが、大音量のせいでなにを言っているのか聞き取れない。
ジェスチャーでやり取りを試みるが、うまくいかず、結局店の外に出て話をすることになった。
受付の男は、開口一番、「チケット」とぶっきらぼうに言った。
「悪い。別にライブを聞きにきたわけじゃないんだ」
俺がそう答えると、受付は警戒心を強めたのか、ただでさえ愛想のない顔をさらに険しくした。
「客じゃないなら、おたく、誰?」
その問いに、頭を急回転させ答えを探す。
このライブハウスに怪しい連中が入って行ったのは間違いないが、どう聞けば良いだろう。考えた結果、俺はこう言った。
「俺は『トライバル』の関係者だ。今日、ここにくれば会えるって聞いていたんだが」
唯一いまわかっている情報は『トライバル』。その名前を出す他に、俺には思いつかなかった。
もしこの男の警戒心が本物なら、より怪しまれることになってしまうだろう。これはある意味賭けだ。
しかし、幸いこの男は扱いやすいタイプの人間みたいだ。
「あ、『トライバル』の関係者さんでしたか。いつもお世話になってます。メンバーの方たちは既に到着してますよ。さあ、こちらへどうぞ」
そう言われ通されたのは、関係者のみが入れる通路。さらにその先を進むと、『締切』と書かれた札がかけられた扉の前で男は立ち止まった。
男がその扉を開くと、薄暗い扉の向こうに階段が下へと伸びていえ、さらに地下へと続いていた。
このライブハウスは表通りから階段を下りた、地面に対して少し低い位置にあった。それよりも更に下のフロアがあるということか。
俺は内心で不審におもいながら、おくびにも出さず男について行った。
階段を下り階下へと降りると、上と同じく通路が伸びていて、いくつか扉があるのがわかる。男の案内で、直進した先の突き当たりの扉に近付くと、なにやら人々の歓声が聞こえるような気がする。上でやっているライブの音が下まで響いているのかと思ったが、さっきまで聞こえていなかったのに不自然だ。
その疑問は、しかし通路を抜けた先に広がる光景を見て納得した。
まるですし詰め状態の人々に、多くの歓声。
上のフロアのライブハウスと同じくらいの広さの箱に、なにやら柄の悪い連中が集結していた。
人垣はフロアの中心部を取り囲むように形成されており、中心は意図的に空間が作られていた。
その空間には、二人の男が向かい合って立っており、お互いにリズミカルなステップを踏みながら拳を構えていた。
ーーーこれ、もしかして地下格闘技じゃねえか?
地下格闘技とは、スポーツとしての格闘技と一線を画し、参加者は不良などアウトローな連中ばかりという、喧嘩場のようなものだ。
しかし、なぜこんな場所に?
違法な地下格闘技は、参加者を含め集まる人間が裏社会の人間であることが多いため、街の治安悪化を懸念した鍛島が、過去に排斥したと聞いていたのだが。
それが、まさか『マサムネ』のお膝元で秘密裏に開催されていたとは驚きだ。
観客は会場で闘う選手に金銭を賭けているためか、声援にも熱が入っている。
『ぶっ潰せ!』
『殺せっ!』
そう言った口汚い言葉が飛び交う中心部では、男たちが殴り合いをしている。
軽く見ただけでもわかるくらい、片方の選手は疲弊しており、いまにも倒れそうだ。それに比べて、もう一方の選手はまだまだ余裕があるのか、ときどき観客の方を向いて歓声を煽るような真似をする。
俺の立っている方向を向いたことで、その選手の顔を見ることができた。
それほど狭い街ではないが、もしかしたらどこかで会ったことがあるかもしれないと思い注視したが、見覚えのない顔だった。だが、二度と忘れることはないだろう。
―――その顔、右半分にタトゥーが彫られていたから。
俺をこの場所まで案内した受付の男は、そのタトゥー男を指差した。
「丁度いま青木さんが闘っているところですね。もう少し試合終了まで時間かかりそうですし、少し施設内をご案内しましょうか?」
男の申し出を受けることにした俺は、熱気溢れる試合会場を抜けて、さっき階段を下りてきたときとは違う通路に入って行く。狭い通路には、試合を終えたばかりの選手なのか、上半身裸で地面に倒れ込み、荒い息を整えようとしている人の姿があった。
その男の体にも、さっきの青木という選手が顔に施していたタトゥーに似た模様が刻まれていた。
通路は選手たちの控室のような役割があるのか、そこら辺に汗だくの男たちが横たわっている。なんだか異様な光景だ。
男の案内で通路を進んで行くと、他とは違う造りの扉が見えてきた。鉄製の扉の上部には、鉄格子がはめ込まれていて、室内がのぞき込めるようになっている。
男はその扉の前で立ち止まると、俺の方を振り向き、説明を開始する。
「ここが彫り部屋。試合に負けた選手はこの部屋でタトゥーを彫られ、地下格闘技を主催しているチーム『トライバル』の傘下に入らされます。トップの青木さんに勝利すれば賞金が出ますが、現在のところ勝者は現れてませんね」
男の話から推測するに、この地下格闘場がチーム『トライバル』という連中の隠れ蓑になっているのは明らかだ。そして、ここで地下格闘技が行われているのは、賞金目当てで地下に入り込んできた挑戦者を倒し、仲間に引き込むことで勢力を拡大するためなのだろう。その傘下に入った証明として、体に『トライバル』という柄のタトゥーを彫らなければならないらしい。
そして、そのタトゥーを彫る部屋というのがこの鉄扉の向こうか。
俺は、覗き窓から部屋の中を覗き込んだ。
すると、室内には病院のベッドのような物が置かれていて、その上に背中を晒した女性がうつ伏せで倒れている。女性のすぐ側に、エナメル質のようなコートを羽織った人物が立って、なにやら文房具のコンパスのような物を手にしている。そのコンパスのような器具にはチューブが付いていて、チューブの反対側には両手で持てるくらいの大きさの機械が繋がっている。
コンパスのような器具の先端を、横たわる女性の肩あたりにあてがう。どうやら、その器具はタトゥーを彫るための道具らしい。
さっき案内の男が言っていたのは、タトゥーを彫るのは試合に負けた選手という話だったが、どういうわけか室内のベッドには若い女が横たわっていた。そして、その光景をさらに異様に映していたのは、女性がタトゥーを彫られている様子を、部屋の中でじーっと観察している中年男たちの姿だ。女性の体に針が刺される様子を見てなにが楽しいのか知らないが、中年男たちは興奮した様子で見守っていた。変態かよ。
タトゥーが彫られる様子を見る中年男も、彫られる様子を見せる女も、彫っている様子を見せる彫り師も、すべてが異常な光景に思えた。
しかし、それにしても不思議だ。俺も話で聞いただけだが、タトゥーを彫る行為は、針で肌に傷をつけているのだから、場所にもよるがかなりの痛みを伴うらしい。しかし、彫られている女性はまるで眠っているかのように大人しい。
眠って……いるように?
まさかと思い、俺は覗き窓に触れる勢いで中の様子をうかがった。だが、この位置からではベッドの上の女が痛みに耐えているのか、あるいはなにか薬物などで眠らされタトゥーを彫られているのか判断がつかない。
他に手がかりはないかと、扉に設えられた鉄格子窓の隙間から室内をさらに覗いてみると、部屋の隅に場違いな飾りっ気のない紺色のカバンが置かれているのを発見する。
紺色のカバンには、どこかで見た覚えがある紋章のような物が象られている。
いったいどこで見たのだったか?
しかし、数瞬の後、その既視感の理由に思い至り、俺は思わず鉄格子に手をかけた。部屋に置かれていたカバンのマークは、間違いない。あれは、高校指定のカバンだ。カバンに描かれた特徴的なマークは校章に違いなかった。
見間違うはずがない。だって、あれは―――間久辺が通う高校の校章なのだから。
どうしたものかと思案していると、注意力が散漫になり、触れていた鉄格子から、キィィ、とわずかに鉄が軋む音が響いてしまう。
その物音に、離れていた中年男たちは気付かなかったようだ。
だが、室内で扉に一番近い距離にいる彫り師は、物音に気付いたのか振り向く。
彫り師は、顔をマスクで隠していた。マスクと言っても、口元を隠すような物ではなくて、どちらかと言うと化け物の面と呼ぶのが相応しいだろう。
化け物の面―――般若の面が、こちらを凝視していた。
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