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ブラック & ホワイト
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翌日の土曜日、ぼくは出かけることにした。
昼前に石神さんからメールが届き、少し出てこられないかと聞かれたので、ぼくは肯定の言葉を返した。
基本的にフットワークが軽くないぼくのことを気遣い、近場で会うことにしてくれていた石神さんだが、今日はどうしても行きたい場所でもあるのか、珍しく都内の方を指定してきた。
最寄り駅に到着すると、駅の改修工事をしているのか、駅の建物に白色の遮蔽物が設置されていた。今日は土曜日で休工のようだが、それでも普段は通れる通路の通行が妨げられたままで不便だ。迂回路は東口側のロータリーを通らされるため、柄の悪い集団とすれ違うことになり、ぼくはそっと視線を外す。駅を改修するよりも、街の治安回復に取り組む方が先ではないかと内心で悪態をつきながら、駅改札を抜けて電車に乗りこんだ。
表参道までやってきたぼくは、スマホの地図を使って目的地までやってくる。
すると、大通りから外れた隘路にある隠れ家的カフェに人の群れができていた。地図が示す場所はここで間違いない。
単純に繁盛しているだけかと思ったが、よく見るとなにか機材のような物を積み込んだ車が側に停まっていて、写真撮影が行われているようだった。
今日は雑誌撮影かなにかだろうか。
ぼくは困惑しながら、小洒落た容姿の人垣の中から、石神さんの姿を探す。学校で見る彼女は、周囲と比べて容姿が抜きん出ているため目立つが、モデル仲間の中に入ると馴染んでしまってなかなか見つからない。
あたふたと挙動不審に撮影現場を見ていると、石神さんの方からぼくに気付いて、「間久辺!?」と声をあげた。
「あ、石神さん。おはよう」
「うん、おはよう……って違うから! なに普通に挨拶してんのよ!」
なぜ、そんな驚いたような態度を取るのだろう。疑問を抱いたぼくに、彼女はさらに不可思議なことを口にした。
「つか、どうしてここにいるの?」
「え、どうしてって……」
石神さんが連絡してきたんじゃないか。
戸惑うぼくに、石神さんも困惑した様子を見せていた。
すると、ぼくらの様子に気付いたモデルの女性が近付いてきた。見覚えあると思ったら、以前、カラオケ合コンをしたときに石神さんと一緒にいた女性だ。
「お久しぶり、間久辺君だよね。私のこと覚えてる?」
「え、あ、はい。えっと、沢渡、さん、ですよね?」
「ありがとぉ、覚えててくれたんだ、嬉しいぃ。それにしてもなぁに、緊張してるの?」
沢渡さんは媚びるような口調でそう言いながら、ぼくの腕にそっと触れてきた。
なんだこの人、距離を一気に詰めてくるな。以前会ったときはぼくに見向きもしなかったくせに、やたらと気さくに話しかけてくる。だいたいの男は、こういうボディータッチの激しさを好意と勘違いしがちだが、ぼくはただただ緊張するだけだった。ボッチ歴の長さ舐めんな。
「ちょっと先輩、間久辺困ってますから。やめて下さい」
さりげなくぼくと沢渡さんの間に割って入る石神さん。振り返った彼女は、さっきより少し眉間に皺をつくり、語気も強めて言った。
「まだ答え聞いてないんだけど。なんでここにいるのよ?」
「なんでって、石神さんがぼくを呼んだんじゃないか。ほら、これメール」
そう言って、ぼくはスマホを彼女の眼前に持っていく。
内容を確認した石神さんは、「……なんで」と不思議そうに呟いたあと、なにかに気付いたようにハッとした。
「沢渡さん。置いといたウチのスマホ勝手にいじりました?」
「んー? なんのことぉ?」
「いや、ニヤけてるし。あんただろ犯人」
ため息をこぼした石神さんは、再びぼくに向き直り、一転して眉根を下げた。
「ごめん、間久辺。沢渡さんの悪ふざけみたい。ウチが彼氏できたって言ったら、やたらと連れてこいとかうるさかったんだけど、無視してたのよね。まさか撮影中、勝手に人のケータイ使って呼び出しかけるとは思ってなかった」
そう言って、鋭い視線を沢渡さんに向ける石神さん。
「沢渡さん。なにが目的ですか? 間久辺をこんな所に呼んで―――」
その瞬間、撮影スタッフらしき人から、「冴子ちゃんスタンバイお願いしまーす」と声がかけられた。
言いかけた言葉を飲み込んだ石神さんは、どこか不安そうに表情を曇らせながら、「ちょっと待ってて」と言って撮影に向かった。
すると、沢渡さんと二人きりで残されるぼく。言うまでもなく、居心地の悪さを感じた。
石神さんが撮影に入ったことで、それまで撮影されていたモデルの人たちが数名こちらの方に近付いてきた。ぼくのことを見ると、訝るように眉をひそめてから、沢渡さんに視線を向ける男の姿が。
「誰こいつ?」
すらりと伸びた高身長のメンズモデルが、ぼくを指差してそう言った。
やはり、部外者がここにいてはいけないのだろうか。そう思って立ち去ろうとすると、くすくすと笑い声がして、そちらを見ると沢渡さんが笑っていた。
「彼、間久辺君っていうのよ。石神の彼氏だって」
「はあ!?」
大袈裟なくらい驚くメンズモデル。ぼくのことを上から下までまじまじ眺めると、今度は不適に笑った。
「マージで? 君、やるじゃん。俺にもどうやったらあの石神を落とせるのか教えてよ」
すると、沢渡さんがケタケタ笑う。
「健斗だってモテモテじゃん」
「はあ? だって俺、石神に連絡先教えてって何度も頼んでるのに、ぜんぜん相手にされてねえもん。でもそうか、彼氏がいるんじゃしょうがないよね。あー、でも彼氏君前にしてこういうこと言うのは悪いと思うんだけど、俺、石神にけっこうマジだったりするんだよね。だから、これからも仕事で一緒になったらアプローチかけちゃうかもしれないけど、悪く思わないでね。なんつーの? いままでは理由もわからず避けられてた訳だけど、彼氏っていう競争相手を目の当りにしたら、俄然やる気出てきちゃったんだよね。ほら俺、スポーツマンだしさ」
「ちょっと健斗、それ失礼じゃない? 間久辺君を見たらやる気出たって、それ、負ける気しないって意味でしょー?」
「ちょっとちょっと、やめてよ沢渡さん。俺、そんなつもりで言ったんじゃねえから。彼氏君も気にしないでね」
そう言いながら、下卑た笑いを浮かべる健斗という男。その表情には馴染みがある。なんと言っても、中学の頃からずっとそんな嘲笑を向けられてきたのだから、相手がどういう感情を向けているのかくらいすぐにわかる。
だが、すぐに表情だけではなくその顔にも見覚えがあることに気付き、ぼくは愕然とした。
この健斗という男は、昨夜、妹に見せてもらったファッション雑誌で石神さんと並んで立っていた男に間違いない。そう、彼氏役で。
「健斗くーん、また入ってくれるー?」
撮影スタッフから声がかかり、メンズモデルは「はーい」と間延びした返事を返す。
そして、すぐにぼくの方を向くと、言った。
「ごめん間久辺君。君の彼女、借りるね」
心底嫌味ったらしい口調でそう言い残すと、健斗はその場をあとにした。
残されたのは、茫然と佇むぼくと、沢渡さんだけ。
「ねえ、見てよ間久辺君」
いきなり話しかけてきた沢渡さんは、撮影中の現場を指差した。
「石神と健斗、君の目から見てどう?」
「……どうって、なんて答えたらいいんです?」
「素直な感想聞かせてくれたらいいのよ。あの二人、君の目にはどう映ってる?」
写真の中の、お洒落なカップル。
癪だが、それが素直な感想だった。
なにも答えずにいるぼくの心情を察したのか、沢渡さんは「ごめんね」と先に謝った。
「だけど、これが現実。石神は最近読者モデルの中でかなり人気も上がってきたし、これからどんどん成長して、綺麗になって行かないといけないの。そのためには、周囲の環境、特に側にいる相手がとても大切になるのよ。隣を歩く相手次第で、女はステップアップできるか、停滞するかが決まる。学生としての石神のことは知らないけど、少なくとも読モとして石神には、健斗みたいな男がお似合いだって、私は思うんだよね」
君はどう思う?
沢渡さんにそう聞かれ、ぼくはなにも答えられなかった。
肯定の言葉はもちろんだが、逆に否定の言葉も出てこない。
だって、事実思ってしまったんだ。なんてお似合いな二人なのだろう、と。
「……言いたいことは、それだけですか? だったらもう失礼します」
ぼくは、これ以上見ているのが辛くてその場を離れることにする。これ以上、石神さんが別の男の隣に立っているところなんて、一秒だって見ていたくない。
一旦その場を離れ、駅の方に向かっていたぼくだったが、少しして石神さんが言った言葉を思い出す。ちょっと待っててと言われたのだから、やはり無断で帰るのは失礼だろう。そう思い、引き返すことにした。
撮影現場のカフェに戻ると、相変わらずスタッフと大勢のモデルでごった返していた。その中に、撮影を終えた石神さんと、健斗というモデル、そして沢渡さんの姿があった。
その輪に入る勇気がなかったぼくは少し離れた場所から様子をうかがうことにした。石神さんが二人から離れたタイミングで声をかけようと思ったのだ。
だが、なかなか離れようとしない。というか、話しかけられるから移動できないという様子を石神さんは見せていた。
悪いとは思いながらも、ぼくは悟られないようにそっと近付き、彼らの会話を盗み聞きした。
「つーか石神、いいじゃん今度飯行こうぜ」
「無理。ウチ、彼氏いるし」
「彼氏ってさっきのだろ? あれはどうなん? 男の俺には彼氏君の良さがいまいちわからないんだけど、なに? なんかすごい特技でも持ってる訳? 性豪とか?」
「やぁだ、健斗げひんー」
いちいち合いの手を入れる沢渡さんを横目に、石神さんはいたって冷静だった。
「別に普通の男子だよ。まあ、強いて言えば絵が描けるくらいかな。美術部だし」
「うっわ、なんか暗そう」
「うん、オタクだし」
即答する石神さん。少しはフォローしてくれよ。
ぼくは心の中でそう思いながら聞いていた。
「つか、間久辺はどこ行ったのよ?」
そう言ってスマホに手を伸ばす彼女。
ヤバい、電話をかけるつもりだ。そんなことされたらすぐ側にいたことがバレてしまう。話を盗み聞きしてたなんて知られたらなにを言われるかわからない。ぼくは慌ててスマホの電源を切った。
「ちっ、繋がらないし」
不機嫌そうに眉を寄せた石神さん。転じて、その鋭い視線を沢渡さんに向けた。
「ねえ、なんか間久辺に言ったでしょ?」
「なにも言ってないけど?」
「嘘だ。だったらここに呼ぶ理由がないじゃん。マジで意味わかんないんですけど?」
「えー、ちょっと石神の彼氏君に会いたいと思っただけなんだけど。彼氏君だって、石神の綺麗な姿が見られて喜んでたんじゃない?」
「そういう問題じゃなくて、ウチはあんまり見られたくないんです。こういう撮影とか、雑誌に映る姿。あいつマジネガティブだから、絶対に気にする。今日だってメンズモデルと一緒の撮影だったから見られたくなかったのに、どうして余計なことするんですか?」
「うーわ、自分の彼女の活躍を素直に応援できないような男なら、いるだけ邪魔じゃん。だいたい、石神も間久辺君に失礼だって思わない? モデルと並んでる姿を見られたくないってことは、間久辺君じゃ自分の隣に並んでも見劣りするって言ってるようなものだよ?」
「別にそんなこと言ってないじゃないですか!」
「言ってなくても、あんたは心のどこかでそう思っているんだ。だから、彼氏に見られたくなかったんだよ。世間的に見て、自分たち二人よりもメンズモデルとのツーショットの方が似合っているって、わかっていたから間久辺君に見られたくなかったんでしょう?」
否定してくれ。
ぼくは心の中でそう願った。
だけど、その願いとは裏腹に、今度は石神さんはなにも言い返さなかった。言い返せなかった、というのが正しいのかもしれない。
つまりはそういうこと。彼女自身わかっているということだ。
ぼくと石神さんでは、住む世界が違うのだと。
結局ぼくは、これ以上この場違いな場所にいつづけることに耐えられなくなり、その場をあとにした。もやもやとした気持ちの中で、あてもなく辺りをさまよい、気が付くと夜になっていた。朝からなにも食べていなかったため、若干の空腹感はあるのだが、知らない土地で店に入るのも億劫だったため、結局は街に戻ることにした。
駅に到着したときには、時刻は夜の十時を過ぎていた。一日をこんなにも無為に使ってしまうなんて、なんてもったいないのだろう。本当だったら、石神さんと過ごしていたはずなのに……。
翌日が日曜日ということもあって、駅前は人の往来が激しい。休日に羽目を外した人々の喧騒が耳につく。
素直に家に帰って眠ろうと思い、バスターミナル目指して階段を下りようとしたとき、前から二人組の柄の悪い男たちが階段を上がってきた。真正面から鉢合わせしたような体勢になり、お互い一瞬立ち止まる。
二人の内の片方が、ぼくの姿を見るなり、
「ちっ、邪魔くせっ」
と悪態を吐いた。言葉が出てくるまでに時間差があったのは、ぼくの姿を見分する必要があったからだろう。人を見て態度を決めるこの二人組は小物だ。鍛島やアカサビさんと比較したら、下の下の不良。
そんな連中にすら、ぼくはバカにされている。
昼間は初対面の優男にバカにされ、夜はこんな小物の不良にいちゃもんつけられるのか。
―――ああ、うるっさいなあ
内心では苛立ちに毒づいたが、ぼくは心とは裏腹にへこへこしながら、「すみません」を繰り返した。
顔中に皺を寄せた男に肩を小突かれ、壁に押し付けられる。世界で一番ときめかない壁ドンだ。
目を合わせないように俯いていると、少し呆れたような声でもう一人の連れの男が、
「なあ、もういいじゃん。そんなん放っておいて行こうぜ」
そう言って苛立つ男をなだめた。
「おい、ガキ。歩くときは前見て歩け。あと、鏡もな。テメエみてえな根暗は道の端っこ歩いてろ」
言い終えると、下品な笑い声をこだまさせながら二人組の男たちは立ち去った。
ああ、やっと行った。ああいう頭の空っぽな連中は本当に、見ていて同情するよ。小さい世界で粋がることでしか自己顕示欲を満たせない矮小な人間には反吐が出る。
正しいのはぼくの方だけど、いちゃもん付けられたからって、言い返して殴られるなんてバカバカしい。だから、あれで良かったはずなのに、こんなに心がくさくさするのはなぜだろう。
正しい行動だったと頭では理解しているし、いつもだったら無事にやり過ごせたことに安堵しているくらいのはずなのに、今日は腹立たしさが心を支配していた。
だけど、やらなければならないこともあるし、ぼくは家に帰ることにする。
与儀さんから任されていた、イベントのフライヤーデザインの仕事がまだ残っている。下書きはある程度出来上がっているし、手直しだけだからそれほど時間はかからないはずだ。
家に戻ったぼくは、用意されていた夕食を温めなおしてから、妹の冷たい視線に気付かない振りをしながら胃袋に流し込み、空腹を満たした。
食事を済ませ、部屋に戻ったぼくは、日曜が締め切りだと釘を刺されていたフライヤーのデザインを仕上げようと、コートのポケットに手を突っ込んだ。イラストがそこに入っているはずだ。
右、左と調べたが、中にはなにも入っていない。
慌てて制服のズボンにも手を入れてみたが、やはり中にはなにも入っていなかった。
「無いっ! なんでっ!?」
思い出せ。確かにポケットに入れたはずだ。
与儀さんにイラストを見せて、その話の流れで線引屋の活動に関して難色を示してきたから、頭にきて店を出て、そこでポケットに……。
「まさか、落とした?」
そんな訳ないと自分に言い聞かせながら、入れた覚えもないカバンの中やブレザーのポケットまで調べたが結局は見つからなかった。
「……どうしよう」
無意識に爪を噛んでいたのか、先が割れて痛みが走る。
いまから夜通し描けば一度描いたイラストを再現することは可能かもしれないが、それでもあのイラストを描くのに一週間かけた。特に今回はエロティックな表現を強調するためにシンプルな構図にこだわった結果、それを補うために肌の質感などにかなり力を入れたんだ。一度描いた絵とはいえ、同じクオリティをたった一晩で描けるものか自身がない。ましてや、前回描いた絵では納得いかないと言って持ち帰ったのだ。クオリティの落ちたイラストを見せるなんて我慢ならなかった。
気が付くと、ぼくはスプレー缶の入ったカバンを手にしていた。
そうだ。簡単なことじゃないか。フライヤーなんて小さな紙に描くから、絵のクオリティにこだわってしまう。フライヤーとは要するにチラシ。客寄せの道具だ。受け取ってもらえれば効果はあるが、そもそも手にしてもらえなければなんの意味もない。だったら、もっと目立つ方法があるじゃないか。道を歩いているだけで、自然と目に入ってくるもの。
―――グラフィティ。
そもそもぼくは、イラストレーターじゃない。グラフィティライターだ。
与儀さんはぼくが線引屋として行動することを面白く思っていないようだが、それはつまり極端な話、嫉妬だろう。与儀さんはCAGA丸という名義でプロのグラフィティライターをやっているが、いまではその名前より線引屋の方がずっと有名だ。自分の教え子が自分よりも有名になってしまったものだから、面白くないんだ。だから自分の知ってる枠にはめようとする。
もちろんアンダーグラウンドで活動するぼくを心配してくれている言葉も嘘ではないだろう。だったら、証明してやる。ぼくは一人でもやれるんだってことを、見せつけてやるんだ。
そうすれば、きっと誰もがぼくを認めてくれるはずだ。
普段のぼくは、イケメンからもヤンキーからもバカにされる根暗だ。だけど、ガスマスクを被ればぼくは線引屋になれる。線引屋としてなら、この街のカリスマでいられるんだ。そうしたら、さっきみたいにバカにされることもない。
以前はそんなこと考えもしなかった。いや、考えないようにしていたんだ。中学時代、酷いいじめを受け、肉体的にも精神的にも追い詰められていたぼくは、それ以上傷つかないように心に蓋をしめた。サンドバッグにされ、笑われ、バカにされることがぼくにとっての日常で、普遍的なものなのだと自分に言い聞かせた。
だけど、知ってしまったんだ。違う景色があるのだと。
少なくともガスマスクのレンズ越しに見る世界は、違って見えるんだ。
―――だから、捨てる訳にはいかないんですよ、与儀さん。
だって線引屋でなくなったらぼくにはなにも残らない。
御堂も、与儀さんも、アカサビさんも、江津も、侭さんも、みんな線引屋としてのぼくを必要としてくれたんだ。もう。失いたくない。なにも持っていなかった昔に戻りたくないんだ。
ぼくが線引屋でなくなったら、ぼくはまた失ってしまう。そんなのは嫌だ。
―――石神さん。君を失うのだけは、嫌なんだ。
だって、石神さんだってぼくが線引屋として行動するようになってから仲良くなった。
どれだけぼくのことを知っているのかわからないけれど、ぼくは誰よりも間久辺比佐志って人間が信用できない。そんなぼくが、唯一、人から認められたのが線引屋なんだ。それを失う訳にはいかない。他にぼくに誇れるものなど、なに一つとしてないのだから。
昼前に石神さんからメールが届き、少し出てこられないかと聞かれたので、ぼくは肯定の言葉を返した。
基本的にフットワークが軽くないぼくのことを気遣い、近場で会うことにしてくれていた石神さんだが、今日はどうしても行きたい場所でもあるのか、珍しく都内の方を指定してきた。
最寄り駅に到着すると、駅の改修工事をしているのか、駅の建物に白色の遮蔽物が設置されていた。今日は土曜日で休工のようだが、それでも普段は通れる通路の通行が妨げられたままで不便だ。迂回路は東口側のロータリーを通らされるため、柄の悪い集団とすれ違うことになり、ぼくはそっと視線を外す。駅を改修するよりも、街の治安回復に取り組む方が先ではないかと内心で悪態をつきながら、駅改札を抜けて電車に乗りこんだ。
表参道までやってきたぼくは、スマホの地図を使って目的地までやってくる。
すると、大通りから外れた隘路にある隠れ家的カフェに人の群れができていた。地図が示す場所はここで間違いない。
単純に繁盛しているだけかと思ったが、よく見るとなにか機材のような物を積み込んだ車が側に停まっていて、写真撮影が行われているようだった。
今日は雑誌撮影かなにかだろうか。
ぼくは困惑しながら、小洒落た容姿の人垣の中から、石神さんの姿を探す。学校で見る彼女は、周囲と比べて容姿が抜きん出ているため目立つが、モデル仲間の中に入ると馴染んでしまってなかなか見つからない。
あたふたと挙動不審に撮影現場を見ていると、石神さんの方からぼくに気付いて、「間久辺!?」と声をあげた。
「あ、石神さん。おはよう」
「うん、おはよう……って違うから! なに普通に挨拶してんのよ!」
なぜ、そんな驚いたような態度を取るのだろう。疑問を抱いたぼくに、彼女はさらに不可思議なことを口にした。
「つか、どうしてここにいるの?」
「え、どうしてって……」
石神さんが連絡してきたんじゃないか。
戸惑うぼくに、石神さんも困惑した様子を見せていた。
すると、ぼくらの様子に気付いたモデルの女性が近付いてきた。見覚えあると思ったら、以前、カラオケ合コンをしたときに石神さんと一緒にいた女性だ。
「お久しぶり、間久辺君だよね。私のこと覚えてる?」
「え、あ、はい。えっと、沢渡、さん、ですよね?」
「ありがとぉ、覚えててくれたんだ、嬉しいぃ。それにしてもなぁに、緊張してるの?」
沢渡さんは媚びるような口調でそう言いながら、ぼくの腕にそっと触れてきた。
なんだこの人、距離を一気に詰めてくるな。以前会ったときはぼくに見向きもしなかったくせに、やたらと気さくに話しかけてくる。だいたいの男は、こういうボディータッチの激しさを好意と勘違いしがちだが、ぼくはただただ緊張するだけだった。ボッチ歴の長さ舐めんな。
「ちょっと先輩、間久辺困ってますから。やめて下さい」
さりげなくぼくと沢渡さんの間に割って入る石神さん。振り返った彼女は、さっきより少し眉間に皺をつくり、語気も強めて言った。
「まだ答え聞いてないんだけど。なんでここにいるのよ?」
「なんでって、石神さんがぼくを呼んだんじゃないか。ほら、これメール」
そう言って、ぼくはスマホを彼女の眼前に持っていく。
内容を確認した石神さんは、「……なんで」と不思議そうに呟いたあと、なにかに気付いたようにハッとした。
「沢渡さん。置いといたウチのスマホ勝手にいじりました?」
「んー? なんのことぉ?」
「いや、ニヤけてるし。あんただろ犯人」
ため息をこぼした石神さんは、再びぼくに向き直り、一転して眉根を下げた。
「ごめん、間久辺。沢渡さんの悪ふざけみたい。ウチが彼氏できたって言ったら、やたらと連れてこいとかうるさかったんだけど、無視してたのよね。まさか撮影中、勝手に人のケータイ使って呼び出しかけるとは思ってなかった」
そう言って、鋭い視線を沢渡さんに向ける石神さん。
「沢渡さん。なにが目的ですか? 間久辺をこんな所に呼んで―――」
その瞬間、撮影スタッフらしき人から、「冴子ちゃんスタンバイお願いしまーす」と声がかけられた。
言いかけた言葉を飲み込んだ石神さんは、どこか不安そうに表情を曇らせながら、「ちょっと待ってて」と言って撮影に向かった。
すると、沢渡さんと二人きりで残されるぼく。言うまでもなく、居心地の悪さを感じた。
石神さんが撮影に入ったことで、それまで撮影されていたモデルの人たちが数名こちらの方に近付いてきた。ぼくのことを見ると、訝るように眉をひそめてから、沢渡さんに視線を向ける男の姿が。
「誰こいつ?」
すらりと伸びた高身長のメンズモデルが、ぼくを指差してそう言った。
やはり、部外者がここにいてはいけないのだろうか。そう思って立ち去ろうとすると、くすくすと笑い声がして、そちらを見ると沢渡さんが笑っていた。
「彼、間久辺君っていうのよ。石神の彼氏だって」
「はあ!?」
大袈裟なくらい驚くメンズモデル。ぼくのことを上から下までまじまじ眺めると、今度は不適に笑った。
「マージで? 君、やるじゃん。俺にもどうやったらあの石神を落とせるのか教えてよ」
すると、沢渡さんがケタケタ笑う。
「健斗だってモテモテじゃん」
「はあ? だって俺、石神に連絡先教えてって何度も頼んでるのに、ぜんぜん相手にされてねえもん。でもそうか、彼氏がいるんじゃしょうがないよね。あー、でも彼氏君前にしてこういうこと言うのは悪いと思うんだけど、俺、石神にけっこうマジだったりするんだよね。だから、これからも仕事で一緒になったらアプローチかけちゃうかもしれないけど、悪く思わないでね。なんつーの? いままでは理由もわからず避けられてた訳だけど、彼氏っていう競争相手を目の当りにしたら、俄然やる気出てきちゃったんだよね。ほら俺、スポーツマンだしさ」
「ちょっと健斗、それ失礼じゃない? 間久辺君を見たらやる気出たって、それ、負ける気しないって意味でしょー?」
「ちょっとちょっと、やめてよ沢渡さん。俺、そんなつもりで言ったんじゃねえから。彼氏君も気にしないでね」
そう言いながら、下卑た笑いを浮かべる健斗という男。その表情には馴染みがある。なんと言っても、中学の頃からずっとそんな嘲笑を向けられてきたのだから、相手がどういう感情を向けているのかくらいすぐにわかる。
だが、すぐに表情だけではなくその顔にも見覚えがあることに気付き、ぼくは愕然とした。
この健斗という男は、昨夜、妹に見せてもらったファッション雑誌で石神さんと並んで立っていた男に間違いない。そう、彼氏役で。
「健斗くーん、また入ってくれるー?」
撮影スタッフから声がかかり、メンズモデルは「はーい」と間延びした返事を返す。
そして、すぐにぼくの方を向くと、言った。
「ごめん間久辺君。君の彼女、借りるね」
心底嫌味ったらしい口調でそう言い残すと、健斗はその場をあとにした。
残されたのは、茫然と佇むぼくと、沢渡さんだけ。
「ねえ、見てよ間久辺君」
いきなり話しかけてきた沢渡さんは、撮影中の現場を指差した。
「石神と健斗、君の目から見てどう?」
「……どうって、なんて答えたらいいんです?」
「素直な感想聞かせてくれたらいいのよ。あの二人、君の目にはどう映ってる?」
写真の中の、お洒落なカップル。
癪だが、それが素直な感想だった。
なにも答えずにいるぼくの心情を察したのか、沢渡さんは「ごめんね」と先に謝った。
「だけど、これが現実。石神は最近読者モデルの中でかなり人気も上がってきたし、これからどんどん成長して、綺麗になって行かないといけないの。そのためには、周囲の環境、特に側にいる相手がとても大切になるのよ。隣を歩く相手次第で、女はステップアップできるか、停滞するかが決まる。学生としての石神のことは知らないけど、少なくとも読モとして石神には、健斗みたいな男がお似合いだって、私は思うんだよね」
君はどう思う?
沢渡さんにそう聞かれ、ぼくはなにも答えられなかった。
肯定の言葉はもちろんだが、逆に否定の言葉も出てこない。
だって、事実思ってしまったんだ。なんてお似合いな二人なのだろう、と。
「……言いたいことは、それだけですか? だったらもう失礼します」
ぼくは、これ以上見ているのが辛くてその場を離れることにする。これ以上、石神さんが別の男の隣に立っているところなんて、一秒だって見ていたくない。
一旦その場を離れ、駅の方に向かっていたぼくだったが、少しして石神さんが言った言葉を思い出す。ちょっと待っててと言われたのだから、やはり無断で帰るのは失礼だろう。そう思い、引き返すことにした。
撮影現場のカフェに戻ると、相変わらずスタッフと大勢のモデルでごった返していた。その中に、撮影を終えた石神さんと、健斗というモデル、そして沢渡さんの姿があった。
その輪に入る勇気がなかったぼくは少し離れた場所から様子をうかがうことにした。石神さんが二人から離れたタイミングで声をかけようと思ったのだ。
だが、なかなか離れようとしない。というか、話しかけられるから移動できないという様子を石神さんは見せていた。
悪いとは思いながらも、ぼくは悟られないようにそっと近付き、彼らの会話を盗み聞きした。
「つーか石神、いいじゃん今度飯行こうぜ」
「無理。ウチ、彼氏いるし」
「彼氏ってさっきのだろ? あれはどうなん? 男の俺には彼氏君の良さがいまいちわからないんだけど、なに? なんかすごい特技でも持ってる訳? 性豪とか?」
「やぁだ、健斗げひんー」
いちいち合いの手を入れる沢渡さんを横目に、石神さんはいたって冷静だった。
「別に普通の男子だよ。まあ、強いて言えば絵が描けるくらいかな。美術部だし」
「うっわ、なんか暗そう」
「うん、オタクだし」
即答する石神さん。少しはフォローしてくれよ。
ぼくは心の中でそう思いながら聞いていた。
「つか、間久辺はどこ行ったのよ?」
そう言ってスマホに手を伸ばす彼女。
ヤバい、電話をかけるつもりだ。そんなことされたらすぐ側にいたことがバレてしまう。話を盗み聞きしてたなんて知られたらなにを言われるかわからない。ぼくは慌ててスマホの電源を切った。
「ちっ、繋がらないし」
不機嫌そうに眉を寄せた石神さん。転じて、その鋭い視線を沢渡さんに向けた。
「ねえ、なんか間久辺に言ったでしょ?」
「なにも言ってないけど?」
「嘘だ。だったらここに呼ぶ理由がないじゃん。マジで意味わかんないんですけど?」
「えー、ちょっと石神の彼氏君に会いたいと思っただけなんだけど。彼氏君だって、石神の綺麗な姿が見られて喜んでたんじゃない?」
「そういう問題じゃなくて、ウチはあんまり見られたくないんです。こういう撮影とか、雑誌に映る姿。あいつマジネガティブだから、絶対に気にする。今日だってメンズモデルと一緒の撮影だったから見られたくなかったのに、どうして余計なことするんですか?」
「うーわ、自分の彼女の活躍を素直に応援できないような男なら、いるだけ邪魔じゃん。だいたい、石神も間久辺君に失礼だって思わない? モデルと並んでる姿を見られたくないってことは、間久辺君じゃ自分の隣に並んでも見劣りするって言ってるようなものだよ?」
「別にそんなこと言ってないじゃないですか!」
「言ってなくても、あんたは心のどこかでそう思っているんだ。だから、彼氏に見られたくなかったんだよ。世間的に見て、自分たち二人よりもメンズモデルとのツーショットの方が似合っているって、わかっていたから間久辺君に見られたくなかったんでしょう?」
否定してくれ。
ぼくは心の中でそう願った。
だけど、その願いとは裏腹に、今度は石神さんはなにも言い返さなかった。言い返せなかった、というのが正しいのかもしれない。
つまりはそういうこと。彼女自身わかっているということだ。
ぼくと石神さんでは、住む世界が違うのだと。
結局ぼくは、これ以上この場違いな場所にいつづけることに耐えられなくなり、その場をあとにした。もやもやとした気持ちの中で、あてもなく辺りをさまよい、気が付くと夜になっていた。朝からなにも食べていなかったため、若干の空腹感はあるのだが、知らない土地で店に入るのも億劫だったため、結局は街に戻ることにした。
駅に到着したときには、時刻は夜の十時を過ぎていた。一日をこんなにも無為に使ってしまうなんて、なんてもったいないのだろう。本当だったら、石神さんと過ごしていたはずなのに……。
翌日が日曜日ということもあって、駅前は人の往来が激しい。休日に羽目を外した人々の喧騒が耳につく。
素直に家に帰って眠ろうと思い、バスターミナル目指して階段を下りようとしたとき、前から二人組の柄の悪い男たちが階段を上がってきた。真正面から鉢合わせしたような体勢になり、お互い一瞬立ち止まる。
二人の内の片方が、ぼくの姿を見るなり、
「ちっ、邪魔くせっ」
と悪態を吐いた。言葉が出てくるまでに時間差があったのは、ぼくの姿を見分する必要があったからだろう。人を見て態度を決めるこの二人組は小物だ。鍛島やアカサビさんと比較したら、下の下の不良。
そんな連中にすら、ぼくはバカにされている。
昼間は初対面の優男にバカにされ、夜はこんな小物の不良にいちゃもんつけられるのか。
―――ああ、うるっさいなあ
内心では苛立ちに毒づいたが、ぼくは心とは裏腹にへこへこしながら、「すみません」を繰り返した。
顔中に皺を寄せた男に肩を小突かれ、壁に押し付けられる。世界で一番ときめかない壁ドンだ。
目を合わせないように俯いていると、少し呆れたような声でもう一人の連れの男が、
「なあ、もういいじゃん。そんなん放っておいて行こうぜ」
そう言って苛立つ男をなだめた。
「おい、ガキ。歩くときは前見て歩け。あと、鏡もな。テメエみてえな根暗は道の端っこ歩いてろ」
言い終えると、下品な笑い声をこだまさせながら二人組の男たちは立ち去った。
ああ、やっと行った。ああいう頭の空っぽな連中は本当に、見ていて同情するよ。小さい世界で粋がることでしか自己顕示欲を満たせない矮小な人間には反吐が出る。
正しいのはぼくの方だけど、いちゃもん付けられたからって、言い返して殴られるなんてバカバカしい。だから、あれで良かったはずなのに、こんなに心がくさくさするのはなぜだろう。
正しい行動だったと頭では理解しているし、いつもだったら無事にやり過ごせたことに安堵しているくらいのはずなのに、今日は腹立たしさが心を支配していた。
だけど、やらなければならないこともあるし、ぼくは家に帰ることにする。
与儀さんから任されていた、イベントのフライヤーデザインの仕事がまだ残っている。下書きはある程度出来上がっているし、手直しだけだからそれほど時間はかからないはずだ。
家に戻ったぼくは、用意されていた夕食を温めなおしてから、妹の冷たい視線に気付かない振りをしながら胃袋に流し込み、空腹を満たした。
食事を済ませ、部屋に戻ったぼくは、日曜が締め切りだと釘を刺されていたフライヤーのデザインを仕上げようと、コートのポケットに手を突っ込んだ。イラストがそこに入っているはずだ。
右、左と調べたが、中にはなにも入っていない。
慌てて制服のズボンにも手を入れてみたが、やはり中にはなにも入っていなかった。
「無いっ! なんでっ!?」
思い出せ。確かにポケットに入れたはずだ。
与儀さんにイラストを見せて、その話の流れで線引屋の活動に関して難色を示してきたから、頭にきて店を出て、そこでポケットに……。
「まさか、落とした?」
そんな訳ないと自分に言い聞かせながら、入れた覚えもないカバンの中やブレザーのポケットまで調べたが結局は見つからなかった。
「……どうしよう」
無意識に爪を噛んでいたのか、先が割れて痛みが走る。
いまから夜通し描けば一度描いたイラストを再現することは可能かもしれないが、それでもあのイラストを描くのに一週間かけた。特に今回はエロティックな表現を強調するためにシンプルな構図にこだわった結果、それを補うために肌の質感などにかなり力を入れたんだ。一度描いた絵とはいえ、同じクオリティをたった一晩で描けるものか自身がない。ましてや、前回描いた絵では納得いかないと言って持ち帰ったのだ。クオリティの落ちたイラストを見せるなんて我慢ならなかった。
気が付くと、ぼくはスプレー缶の入ったカバンを手にしていた。
そうだ。簡単なことじゃないか。フライヤーなんて小さな紙に描くから、絵のクオリティにこだわってしまう。フライヤーとは要するにチラシ。客寄せの道具だ。受け取ってもらえれば効果はあるが、そもそも手にしてもらえなければなんの意味もない。だったら、もっと目立つ方法があるじゃないか。道を歩いているだけで、自然と目に入ってくるもの。
―――グラフィティ。
そもそもぼくは、イラストレーターじゃない。グラフィティライターだ。
与儀さんはぼくが線引屋として行動することを面白く思っていないようだが、それはつまり極端な話、嫉妬だろう。与儀さんはCAGA丸という名義でプロのグラフィティライターをやっているが、いまではその名前より線引屋の方がずっと有名だ。自分の教え子が自分よりも有名になってしまったものだから、面白くないんだ。だから自分の知ってる枠にはめようとする。
もちろんアンダーグラウンドで活動するぼくを心配してくれている言葉も嘘ではないだろう。だったら、証明してやる。ぼくは一人でもやれるんだってことを、見せつけてやるんだ。
そうすれば、きっと誰もがぼくを認めてくれるはずだ。
普段のぼくは、イケメンからもヤンキーからもバカにされる根暗だ。だけど、ガスマスクを被ればぼくは線引屋になれる。線引屋としてなら、この街のカリスマでいられるんだ。そうしたら、さっきみたいにバカにされることもない。
以前はそんなこと考えもしなかった。いや、考えないようにしていたんだ。中学時代、酷いいじめを受け、肉体的にも精神的にも追い詰められていたぼくは、それ以上傷つかないように心に蓋をしめた。サンドバッグにされ、笑われ、バカにされることがぼくにとっての日常で、普遍的なものなのだと自分に言い聞かせた。
だけど、知ってしまったんだ。違う景色があるのだと。
少なくともガスマスクのレンズ越しに見る世界は、違って見えるんだ。
―――だから、捨てる訳にはいかないんですよ、与儀さん。
だって線引屋でなくなったらぼくにはなにも残らない。
御堂も、与儀さんも、アカサビさんも、江津も、侭さんも、みんな線引屋としてのぼくを必要としてくれたんだ。もう。失いたくない。なにも持っていなかった昔に戻りたくないんだ。
ぼくが線引屋でなくなったら、ぼくはまた失ってしまう。そんなのは嫌だ。
―――石神さん。君を失うのだけは、嫌なんだ。
だって、石神さんだってぼくが線引屋として行動するようになってから仲良くなった。
どれだけぼくのことを知っているのかわからないけれど、ぼくは誰よりも間久辺比佐志って人間が信用できない。そんなぼくが、唯一、人から認められたのが線引屋なんだ。それを失う訳にはいかない。他にぼくに誇れるものなど、なに一つとしてないのだから。
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