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1巻
1-2
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ならばここは素直に、邪魔者は退散すべきだと考え、二人に気付かれないようにこっそり逃げ出そうとする。
二人の目を逃れ、なんとか公園の出口近くまでやってきたぼくは、そこで恐ろしい光景を目の当たりにした。さっき、ガード下で見かけたバイク集団のうち、ぼくを追ってこなかった数人が仲間を呼んで、公園に押し寄せてきたのだ。
「なんだよ、まだピンピンしてんじゃん。あいつらなにやってたんだよ」
ぼくを見るなり、不良の一人がそう言った。
数にして二〇人近かったと思う。
公園の外へと通じる道はすべて囲まれてしまったため、ぼくは仕方なく逃げてきた場所に再び戻ることになった。
不良たちは、公園を取り囲み、逃げ道を完全に封じたことで安心しきっているのか、薄ら笑いを浮かべてぼくとの距離を詰めてくる。
「おーい、逃げ場なんてどこにもないぞー」
ゲラゲラ笑う不良たち。だが、公園内で横たわる仲間を発見すると表情が険しくなった。
「テメエがこいつら殺ったのか?」
「ち、違います」
ぼくは必死に首を横に振った。
「じゃあ誰が――」
不良たちの言いかけた言葉が途中で止まる。その視線の先には、彼らの仲間である御堂とかいう男と、倒れている二人を一撃でダウンさせたアカサビさんの姿があった。
「これはどういう状況だ、御堂。なんで喧嘩屋がここにいる」
「す、すみません。俺にもなにがなんだか」
「状況は極めて単純だ、タコ」
御堂の言葉を遮ったアカサビさんはそう言いながら、肩を回した。
「うじゃうじゃ集まってきたクソうぜえハエ連中を、これからオレが一匹残らず叩き潰すってことだよ」
「上等だオラ、オメエらやっちまえ!」
二〇人以上の不良集団が、たった一人に襲いかかろうとしていた。
アカサビさんがどれほど強いのか知らないが、さすがにこの人数では集団リンチだ、助けないと。そう思い、一歩踏み出そうとしたけれど、体が動かない。染み付いたオタク根性が、不良たちを前にぼくの足をすくませる。
彼を巻き込んでしまったのはぼくなのに、なにも出来ない不甲斐ない自分が嫌になる。せめて警察に通報を、そう思いスマホを取り出すと、アカサビさんは右手をあげ、ぼくを制して言った。
「大丈夫。黙って見ていろ」
その様子を見て、不良たちが声を荒らげる。
「なんだよアカサビ、死ぬ覚悟でも固まったか! テメエの首を手土産に、うちらのチームも千葉連合の上位組織の仲間入りだ」
「へえ。連合なんてものがあるのか。じゃあアンタらを潰した後は、その千葉連合ってヤツを潰すとしよう」
「金で雇われる喧嘩屋風情が、粋がってんじゃねえぞ」
「だから何度も言ってんだろうが。オレは喧嘩屋じゃねえよ」
拳を構えたアカサビさんは、そして言った。
「オレは、正義の味方だ」
その後は、まるでアニメでも見ている気分だった。
二〇人もの不良が次々と、たった一人にやられていく様に目を疑ってしまう。
お世辞にも連携が取れているとは言えないチームだったが、それでも数に勝る優位なし。一対二〇では、そもそもアカサビさんに勝ち目などないはずだった。だが、結果はぼくの想像とは違っていた。
繰り出される、不良たちの拳と蹴り。それを、まるですべて見えているかのように簡単に避けてしまうアカサビさん。そして、その動作の中で、近くにいる不良たちの足を破壊する勢いでローキックを入れていく。たちまち身動きが取れなくなった不良たちは、逃げ出すことも許されないまま、アカサビさんの圧倒的な力を味わうことになった。
これが御堂とかいう不良が言っていた喧嘩屋の力なのだろう。
「クソがっ」
死屍累々の中、やられた足を引きずりながら、男が言う。どうやら彼がこのチーム、スカイラーズのリーダーらしい。
「おい御堂! 千葉連に連絡入れろ。このクソ野郎の息の根、止めるために兵隊出させろや!」
ただ一人、早々に命乞いをしていた男、御堂数だけはアカサビさんの攻撃を受けていなかった。だが、それは御堂が手を出さないと宣言していたからであって、敵対行動を取るとわかれば、アカサビさんも黙ってはいないだろう。
御堂は状況を精査し、判断を下した。
両手をあげ、降参のジェスチャーを見せ「お断りです」と。
「テメエ! 裏切るつもりか。新参のお前を取り立ててやった恩を忘れたとは言わせねえぞっ」
「ギャーギャー喚くな、鬱陶しい」
アカサビさんが、喚き散らす男に近づく。
「だいたいよぉ、このチームは今日をもって解散なんだよ。なんかここら一帯を支配したつもりでイイ気になってるチームがいることは知ってたけどよ。まあ実害があった訳じゃないし大目に見てきたが、少しハシャギすぎたな」
「テメエら、これで終わったと――」
「うるせえ、もう寝てろ」
アカサビさんに、ゲシッと顔面を靴底で容赦なく蹴られる男。入り方が悪かったのか、そのまま昏倒してしまった。
アカサビさんはあくびを漏らすと、振り返って言った。
「御堂っつったか。お前、今回だけは見逃してやるが、次にオレの目の前で舐めた真似したら、今度は容赦しねえから」
こくこくと頷く御堂に続いて、「それからお前」と矛先がぼくに向かう。
「ハ、ハイッ」
ぼくは思わず姿勢を正し、直立で返事していた。
「ケガ、なかったかよ?」
アカサビさんは品定めするみたいにじっくりこっちを眺めた後、そう言って破顔したのだった。
な、なんというイケメン。顔もさることながら、精神的にもイケメン過ぎるよこの人、アニキって呼ばせてほしい!
アカサビのアニキは背中を向けると、言った。
「オレはもう行く。お前もそこでのびてる連中が目覚ます前に帰ったほうがいいぞ。なにがあったか知らないが、これに懲りたら、パンピーが夜の街に関わらないことだ」
当然そのつもりだ。もう二度と、今日みたいな真似をするつもりはない。アニメは所詮、虚構にすぎない。どれだけ願っても、この現実世界から抜け出して異世界へ旅立つことなど出来ないのだ。
「ッキショー、これからどうしたらいいんだ」
頭を抱えた御堂は、どうやらこれからのことを考えるので忙しいようなので、邪魔をしないよう、ソッと帰ることにした。
そうして家に帰る頃には、すでに朝日が昇りはじめていた。
結果として、ぼくは睡眠不足のまま登校を余儀なくされ、こうして惰眠をむさぼっていた訳だ。しかし、いつも騒がしいクラスメイトたちの喧騒が、今日は余計に耳に刺さる。目を閉じていることで感覚が鋭敏になっているのかとも思ったが、それにしても騒がしい。
『なあなあ、もうすぐ文化祭じゃん。準備どうなってんの?』
『衣装メンバーはかなり前から準備入ってるらしいけど、俺ら雑用は前日にならないと教室を飾り付け出来ないから気楽なもんだ』
『衣装なぁ。女子連中、どんな格好するんだろう。楽しみだな』
ぼくの目の前で、男子二人がそんな会話をしていた。
そう言われてみると、クラス内の浮足立った雰囲気は、イベント前特有の騒々しさだ。
文化祭なんて、ぼくに言わせれば時間の無駄としか思えないイベントで、ソシャゲのイベントダンジョンをやっている方がずっと有意義な時間の過ごし方だと思う。
さて、そろそろ目も覚めてきたので、クラス内の喧騒をBGMに、スマホでも弄っていることにしよう。
そう思って机から体を起こしたそのとき、まるで健やかな目覚め直後のスズメのさえずりのような、あるいは萌ゲーのヒロインの甘えた声のようなソプラノボイスがぼくの耳に届いて、思わず視線を向ける。
彼女は、加須浦百合と書いて天使と読む女の子。小柄な体は、まるで深窓の令嬢のようにしなやかで、首筋まで伸びたボブカットの黒髪には、光を受けて天使の輪が見えた。その容姿とは裏腹な天真爛漫な性格と、無邪気な仕草を見ているだけで、ぼくはもう、辛抱堪らなくなる。
その天使、もとい加須浦さんは、「わぁ!」と声を出したかと思うと、「ねえねえ冴子、これ見てこれ!」と机をバンバンと叩いた。
ああもう可愛い。可愛いなホント。
「あん?」
加須浦さんに呼ばれ、スマホから気だるげな表情を覗かせたのは石神冴子。見るからに脱色した髪をドライヤーの当て過ぎによるものだと言い張って教職員を黙らせる彼女は、そのセミロングの髪の毛先に最近ゆるふわパーマを掛けたのだと自慢げに大声で話していた。本当、どうでもいい。
そして、スラリと伸びた足を惜しげもなく晒すミニスカートに、独自のセンスで着崩した制服。加えて学校だというのに化粧していることを隠そうともしないその態度。これ尻軽確定、漫画じゃメインヒロインになれないタイプだよ、彼女。
おっと、それに比べてぼくのメインヒロインであるところの加須浦さんが、頬を膨らませているぞ。
「もう冴子、ちゃんと聞いてよ。ストジャ更新されてるの見た?」
「見てないよそんな不良雑誌。ストリートジャーナル、だっけ?」
「ストジャは不良雑誌なんかじゃない。れっきとしたファッション誌だよ。冴子、読者モデルなんだし知ってるでしょ?」
「いや、あれメンズじゃん。ウチがモデルやってるのティーンズ誌だし」
「それにしたってストジャは要チェックだよ。雑誌としてはファッション情報誌の体裁をとっているけど、特集で組まれる若者カルチャー紹介が最高なんだから。それに私が言ってるのはそれのウェブ版。コンビニに売っている雑誌版とは内容の濃さとか比較にならないんだから。特にいま注目なのがこの最新記事。謎のグラフィティアーティストが、かなり大きい不良グループを潰したんだって。これ、この街のこと書いてあるんだよ?」
「だからぁ、ウチ、そういうの興味ないし」
そう言って、石神さんは加須浦さんの話をバッサリ切った。
「えー、カッコよくない? 正体不明のライター、悪を討つって」
「どうせブ男よ、そいつ」
「そんな夢を壊すこと言わないでよぉ、もう」
加須浦さんは頬を膨らませ、眉間にシワを寄せた。
天真爛漫なアイドルみたいな加須浦さんと、女子のファッションリーダー的存在で、しかも実際に読者モデルをやっているクールな石神さん。この二人は、これが不思議と馬が合うのか、いつも二人で行動している。
その見た目の華やかさも相まって、このクラス、いや学年全体で見ても発言力の高いリーダー的存在と言えるだろう。それに付随する煩わしいストラップのように、運動部に所属する男子連中が取り巻きみたいに輪を形成している。運動部のくせに髪は長く、眉毛なんかも手入れしちゃって、スポーツマンらしくない。
いつも一緒にいる石神さんや、その運動部男子のチャラい風貌とは違い、加須浦さんはまるでそう、それは古式ゆかしい日本人らしい黒髪からしてどこか違う。
つるんでいる男子は髪をワックスでガチガチに固め、石神さんはアイロンだかなんだかでくるくると髪をウェーブさせたり、茶髪に染めたりしている中で、加須浦さんは作り物ではない、自然体の可愛らしさを持っていた。女子のリーダー的存在である石神さんと仲が良いことも相まって、女子生徒からも人気が高く、当然、男子からの受けも良い。
もちろん、ぼくだってその他大勢の内の一人だ。
誰だって、加須浦さんに憧れを抱く。
そんな風に、物思いに耽っていたため油断した。
「うっわ、キモオタがこっち見てるし」
石神さんがそう言ってぼくの方を指さした。慌てて視線を外したがもう遅い。あの性悪女の言葉に焚き付けられた運動部男子連中が、クラス全体に聞こえるくらい大きな声でケタケタと笑いながら、ぼくの方を指さして悪態をつく。これが現実。ぼくの世界。
そもそも人にはそれぞれ個別の世界、色がある。
ぼくの世界は、まあ色でたとえるなら灰色。御覧の通り、くすんだ冬の空と同じ。
一方、大声で笑い合う男女グループは恐らく、ネイビーブルー。真夏の海のように華やかで眩しい。それを言葉にするならば青春、だろうか。
詩的で素敵な自分の世界に浸るあまり、本来は危険察知能力がサバンナの小動物並みに高いはずのぼくが、あろうことか出遅れてしまった。
気付くと、壁沿いの席を遠巻きに囲むようにして笑っていたはずの運動部男子たちが、ぼくの机の周りを取り囲んでいたのだ。
借りてきた猫だってもう少し生きた心地を楽しむだろうというくらい小さくなるぼく。ほんと、物理的にも小さくなったみたいな気分だった。
やがて誰かが口を開いた。
「お前さあ。教室でゲームやるとかどんだけオタクだよ。見てて萎えるわ」
別にぼくがどこでなにをしていたって、彼らにはなんの影響もないはずだ。
だが、彼らはそうは思ってくれないらしい。彼らにとってこの教室は自分たちの部屋で、ぼくはそこに無断で入り込んだ外敵なのだ。いや、もしかしたら害虫とでも思われているのかもしれない。
だからぼくは、「ご、ごめん。気を付けるよ」と謝る他ない。
口ごもった姿を見て、小バカにしたように誇張してぼくの口真似をした野球部の江津君に、ドッと笑いが起きる。
「マジモノマネサイコー。江津ヤバいわ、芸人なれってホント。あ、そう言えば」
あー、腹イテ、と言いながら、確かサッカー部の能田君だったか、彼がぼくの机にバンッ、と手を置いて顔を近づけてくる。
「確か間久辺も、モノマネ得意じゃね?」
マクベ? はて誰のことだろう。そんな他人のフリをして現実逃避を試みるくらい、ぼくはもう、生きた心地がしなかった。
モノマネ? そんなのしたことないし、ましてや彼らの前で披露するような状況がこれまでにある訳がない。
それなのに、こんな無茶ぶりしてくるのは、彼らの後ろで控えている石神さんと加須浦さんに見せつけるためなのだろう。これは見せしめだ。どうやらぼくのようなクラス内カーストの最下層に位置するオタクには、彼女たちを視界に入れることすら許されないらしい。
「よっし、じゃあリクエスト。死にかけのヒキガエルの真似やってくれよ」
「お、いいじゃんそれ、面白そう」
「やれよ、間久辺」
運動部三人に圧力をかけられ、ぼくは身動き一つ取れなくなっていたというのに、さらに煽られる。
「よぉみんな、間久辺がこれからとっておきのモノマネ披露するってよ!」
最悪のアシストを見せたのはバスケ部のエース、木下君。ほんとキラーパスだ。
いよいよもって死刑台に立たされた気分になったが、もう引き下がることも出来ないし、時計に目をやっても、まだ授業が始まるまで数分ある。このイタズラを時間切れで乗り切るのも無理そうだった。
「早くー、みんな待ってるよマクベ」
石神さんが急かすようにそう言い、教室内にマクベコールが巻き起こる。
マックーベ、マックーベ、マックーベ、マックーベ…………
ああ、もう逃げられそうにない。
ぼくは席から立ち上がると、教室の開けた所まで行き、そこで仰向けに寝転がって、手足を不格好に持ち上げる。喉の奥から、悔しさとか怒りとか、そういうのを絞り出すように「グエエェ」と鳴き真似をし、バタンと手足を地面に落とした。
死にかけのヒキガエル? 死にかけはぼくの方だ。
案の定、教室の中はまるで通夜の席みたいに静まり返っていた。笑うな、と運動部連中が目で合図したのだろう。クラスメイト、誰一人として物音ひとつ立てない。
もう死にたい。本気でそう思った。
だが、次の瞬間、「あはは」と笑い声があがる。
それは嘲笑とかではない、心の底から面白いものを見たような笑い。
顔を向けると、教室の中心で加須浦さんが大爆笑していた。
席から立ち上がった彼女は、運動部連中に近づくと、「言った通りサイコーだね。江津君なんかよりずっと面白いよ、彼」と言った。
それから、加須浦さんはなにを思ったのか、その足の方向をぼくの方に向け、近づいてきた。やがてその足は横たわるぼくのすぐ側まで来て、止まる。
もちろん紳士なぼくはこれっぽっちも彼女の下着を覗こうなんてしていなかったけれど、ただ地べたに横たわっているこの状況では、見えてしまうのは仕方ないだろう。不可抗力というやつだ。
だが残念ながら彼女はすぐに膝を折ると、ぼくの手を掴んで引き起こした。いや、残念どころか彼女に触れられただけで幸運か。まあとにかく、加須浦さんはぼくを起こすと、「ほんと、面白かったよ」と言って、また自分の席に戻って行った。
同時に、始業の鐘が鳴る。
悔しそうにこちらを睨み付ける江津たち運動部連中は、見るからに不愉快そうに自分たちの席に戻って行った。
2
「マクベス。そりゃ災難だったな」
携帯ゲーム機に視線を落としながら、友人の廣瀬はそう言った。マクベスとは仲間内で呼び合うぼくのあだ名みたいなもので、いまは部活動という名目で集まった廣瀬と中西と三人で、美術室で協力プレイのゲームに熱中しているところだった。
彼らは趣味を通じて出来た学内唯一の友人たちで、ゲームのマップ移動中に、さっき教室で起きた惨事を説明したところ、他クラスの二人も「俺たちもクラスで似たような境遇だ」と笑っていた。正直、ぼくらのような生徒は生きづらくなっているのだ、学校という場所は。
美術室は校庭と面していて、グラウンドからは野球部とサッカー部の気合の入った掛け声が聞こえてくる。その中に、さっきぼくをバカにし、笑っていたクラスメイトの姿も見受けられた。
「まあ、俺なんてこんなブサ面に産み落とされた時点で、この人生詰んでるから。中西はリアルな脇役みたいな顔してるし、マクベスは見た目暗そうってこと以外はまあ普通だけど、他人と二秒以上目を合わせられない挙動不審者じゃん?」
「ひ、ひどいこと言うな」
「そうだそうだ、ぼくだって目を合わせることくらい出来る」
ほら、と言いながらぼくは前髪をかきわけ、廣瀬の瞳をまっすぐ見る。
「いや、俺相手じゃしょうがないだろう」
確かに廣瀬の言う通りではあるな。
完全なる格差社会。それが学校だ。運動部に力を入れているこの鹿橋高校は、偏差値的には中間よりも少し下回るレベルにある。運動部で青春を費やすために入学した生徒を除けば、頭の空っぽなギャルや不良生徒か、あるいはぼくらのような趣味に没頭するオタク生徒が集まっているような極端な学校だ。当然、オタクは虐げられる星の下にあった。
ここ、美術部のような文化系の部活動はそんな根暗な生徒たちの隠れ蓑としての役割を持っていた。美術部はぼくらを含め、名前だけ書いてそれきり来る気配のない幽霊部員ばかりで、まじめに活動をしている生徒など皆無だ。
「て、敵みっけ。ふ、二人もさっさと合流してくれ」
相変わらず、仲間内でもドモリがちな中西は、教室ではほとんど一言も話さないという。そんな彼の貴重な言葉に、ぼくと廣瀬もゲームに熱中する。
「死ね死ね死ね!」
モンスターを攻撃しながら、時々クラスの気に入らないチャラ男の名前を挟んだりして笑い合うことで、復讐心を満たすくらいが、ぼくらに出来るささやかな反抗だった。
クエストをクリアし、ゲームに一区切りがついたところで廣瀬が言った。
「そうだ。昨日の〝ドドメキ〟見た?」
「で、出た、今期最大の問題作〝ドキドキ明星貴族学園〟!」
ぼくも嬉しくなって答えた。
「録画しておいたけど、それでも目覚ましかけて起きて見たよ。一〇分前くらいから画面に釘付け」
深夜にやってるアニメの話題で盛り上がる。ぼくらにとっては鉄板ネタで、アニメの話なら半日語り合っても飽きることはない自信がある。
「異世界キャラのミリア様、ま、マジ女神」
「声が良いんだよな。声優のセリナはクールキャラ外れないし。俺は前からセリナ絶対当たるって目つけてたし」
「出たよ声優オタ」
「で、でもやっぱ、作画はさすがじゃね? あの制作会社が立ち上がった時点で、げ、原作の世界観を良い意味で壊してくれたし、あ、あの異世界に通じる魔法陣とか、ま、マジ鳥肌立った」
「お、さすがわかってるじゃん!」
ちょっと待ってと言い、ぼくは部屋の中を移動して引き出しの中に入っている画用紙と色鉛筆を持ってくる。話のタネに、すぐ仕上がるように軽いタッチで頭の中のイメージを画用紙に投射していくと、廣瀬と中西が徐々に感嘆の声をあげる。
「マクベスは相変わらずスゲーな。もう描けるようになってんじゃん」
ぼくの描いた幾何学模様を見ながら、感動したように声をあげてくれる二人。
昨夜、ぼくはテンションが上がって居てもたってもいられず、ガード下の壁にスプレーインクで同じものを描いたのだ。それに比べれば、紙にペンで描くことなど造作もなかった。
「マ、マクベス、あ、アニメのキャラとかも普通に描けるもんね。うらやましい。ま、漫画とか描いてみたらよくね?」
「無理だよ。どんなに絵が描けたってストーリーが全然だもん。どうやったっていままで見たラノベのパクリにしかならないし」
「そう言うってことは描こうとしたことあんのかよ」
墓穴を掘ってしまった。ただまあ、友達にちょっとした黒歴史を知られることくらいなんということはない。
なんて言ったって、ぼくらの黒歴史は現在進行形な訳だし。
二人の目を逃れ、なんとか公園の出口近くまでやってきたぼくは、そこで恐ろしい光景を目の当たりにした。さっき、ガード下で見かけたバイク集団のうち、ぼくを追ってこなかった数人が仲間を呼んで、公園に押し寄せてきたのだ。
「なんだよ、まだピンピンしてんじゃん。あいつらなにやってたんだよ」
ぼくを見るなり、不良の一人がそう言った。
数にして二〇人近かったと思う。
公園の外へと通じる道はすべて囲まれてしまったため、ぼくは仕方なく逃げてきた場所に再び戻ることになった。
不良たちは、公園を取り囲み、逃げ道を完全に封じたことで安心しきっているのか、薄ら笑いを浮かべてぼくとの距離を詰めてくる。
「おーい、逃げ場なんてどこにもないぞー」
ゲラゲラ笑う不良たち。だが、公園内で横たわる仲間を発見すると表情が険しくなった。
「テメエがこいつら殺ったのか?」
「ち、違います」
ぼくは必死に首を横に振った。
「じゃあ誰が――」
不良たちの言いかけた言葉が途中で止まる。その視線の先には、彼らの仲間である御堂とかいう男と、倒れている二人を一撃でダウンさせたアカサビさんの姿があった。
「これはどういう状況だ、御堂。なんで喧嘩屋がここにいる」
「す、すみません。俺にもなにがなんだか」
「状況は極めて単純だ、タコ」
御堂の言葉を遮ったアカサビさんはそう言いながら、肩を回した。
「うじゃうじゃ集まってきたクソうぜえハエ連中を、これからオレが一匹残らず叩き潰すってことだよ」
「上等だオラ、オメエらやっちまえ!」
二〇人以上の不良集団が、たった一人に襲いかかろうとしていた。
アカサビさんがどれほど強いのか知らないが、さすがにこの人数では集団リンチだ、助けないと。そう思い、一歩踏み出そうとしたけれど、体が動かない。染み付いたオタク根性が、不良たちを前にぼくの足をすくませる。
彼を巻き込んでしまったのはぼくなのに、なにも出来ない不甲斐ない自分が嫌になる。せめて警察に通報を、そう思いスマホを取り出すと、アカサビさんは右手をあげ、ぼくを制して言った。
「大丈夫。黙って見ていろ」
その様子を見て、不良たちが声を荒らげる。
「なんだよアカサビ、死ぬ覚悟でも固まったか! テメエの首を手土産に、うちらのチームも千葉連合の上位組織の仲間入りだ」
「へえ。連合なんてものがあるのか。じゃあアンタらを潰した後は、その千葉連合ってヤツを潰すとしよう」
「金で雇われる喧嘩屋風情が、粋がってんじゃねえぞ」
「だから何度も言ってんだろうが。オレは喧嘩屋じゃねえよ」
拳を構えたアカサビさんは、そして言った。
「オレは、正義の味方だ」
その後は、まるでアニメでも見ている気分だった。
二〇人もの不良が次々と、たった一人にやられていく様に目を疑ってしまう。
お世辞にも連携が取れているとは言えないチームだったが、それでも数に勝る優位なし。一対二〇では、そもそもアカサビさんに勝ち目などないはずだった。だが、結果はぼくの想像とは違っていた。
繰り出される、不良たちの拳と蹴り。それを、まるですべて見えているかのように簡単に避けてしまうアカサビさん。そして、その動作の中で、近くにいる不良たちの足を破壊する勢いでローキックを入れていく。たちまち身動きが取れなくなった不良たちは、逃げ出すことも許されないまま、アカサビさんの圧倒的な力を味わうことになった。
これが御堂とかいう不良が言っていた喧嘩屋の力なのだろう。
「クソがっ」
死屍累々の中、やられた足を引きずりながら、男が言う。どうやら彼がこのチーム、スカイラーズのリーダーらしい。
「おい御堂! 千葉連に連絡入れろ。このクソ野郎の息の根、止めるために兵隊出させろや!」
ただ一人、早々に命乞いをしていた男、御堂数だけはアカサビさんの攻撃を受けていなかった。だが、それは御堂が手を出さないと宣言していたからであって、敵対行動を取るとわかれば、アカサビさんも黙ってはいないだろう。
御堂は状況を精査し、判断を下した。
両手をあげ、降参のジェスチャーを見せ「お断りです」と。
「テメエ! 裏切るつもりか。新参のお前を取り立ててやった恩を忘れたとは言わせねえぞっ」
「ギャーギャー喚くな、鬱陶しい」
アカサビさんが、喚き散らす男に近づく。
「だいたいよぉ、このチームは今日をもって解散なんだよ。なんかここら一帯を支配したつもりでイイ気になってるチームがいることは知ってたけどよ。まあ実害があった訳じゃないし大目に見てきたが、少しハシャギすぎたな」
「テメエら、これで終わったと――」
「うるせえ、もう寝てろ」
アカサビさんに、ゲシッと顔面を靴底で容赦なく蹴られる男。入り方が悪かったのか、そのまま昏倒してしまった。
アカサビさんはあくびを漏らすと、振り返って言った。
「御堂っつったか。お前、今回だけは見逃してやるが、次にオレの目の前で舐めた真似したら、今度は容赦しねえから」
こくこくと頷く御堂に続いて、「それからお前」と矛先がぼくに向かう。
「ハ、ハイッ」
ぼくは思わず姿勢を正し、直立で返事していた。
「ケガ、なかったかよ?」
アカサビさんは品定めするみたいにじっくりこっちを眺めた後、そう言って破顔したのだった。
な、なんというイケメン。顔もさることながら、精神的にもイケメン過ぎるよこの人、アニキって呼ばせてほしい!
アカサビのアニキは背中を向けると、言った。
「オレはもう行く。お前もそこでのびてる連中が目覚ます前に帰ったほうがいいぞ。なにがあったか知らないが、これに懲りたら、パンピーが夜の街に関わらないことだ」
当然そのつもりだ。もう二度と、今日みたいな真似をするつもりはない。アニメは所詮、虚構にすぎない。どれだけ願っても、この現実世界から抜け出して異世界へ旅立つことなど出来ないのだ。
「ッキショー、これからどうしたらいいんだ」
頭を抱えた御堂は、どうやらこれからのことを考えるので忙しいようなので、邪魔をしないよう、ソッと帰ることにした。
そうして家に帰る頃には、すでに朝日が昇りはじめていた。
結果として、ぼくは睡眠不足のまま登校を余儀なくされ、こうして惰眠をむさぼっていた訳だ。しかし、いつも騒がしいクラスメイトたちの喧騒が、今日は余計に耳に刺さる。目を閉じていることで感覚が鋭敏になっているのかとも思ったが、それにしても騒がしい。
『なあなあ、もうすぐ文化祭じゃん。準備どうなってんの?』
『衣装メンバーはかなり前から準備入ってるらしいけど、俺ら雑用は前日にならないと教室を飾り付け出来ないから気楽なもんだ』
『衣装なぁ。女子連中、どんな格好するんだろう。楽しみだな』
ぼくの目の前で、男子二人がそんな会話をしていた。
そう言われてみると、クラス内の浮足立った雰囲気は、イベント前特有の騒々しさだ。
文化祭なんて、ぼくに言わせれば時間の無駄としか思えないイベントで、ソシャゲのイベントダンジョンをやっている方がずっと有意義な時間の過ごし方だと思う。
さて、そろそろ目も覚めてきたので、クラス内の喧騒をBGMに、スマホでも弄っていることにしよう。
そう思って机から体を起こしたそのとき、まるで健やかな目覚め直後のスズメのさえずりのような、あるいは萌ゲーのヒロインの甘えた声のようなソプラノボイスがぼくの耳に届いて、思わず視線を向ける。
彼女は、加須浦百合と書いて天使と読む女の子。小柄な体は、まるで深窓の令嬢のようにしなやかで、首筋まで伸びたボブカットの黒髪には、光を受けて天使の輪が見えた。その容姿とは裏腹な天真爛漫な性格と、無邪気な仕草を見ているだけで、ぼくはもう、辛抱堪らなくなる。
その天使、もとい加須浦さんは、「わぁ!」と声を出したかと思うと、「ねえねえ冴子、これ見てこれ!」と机をバンバンと叩いた。
ああもう可愛い。可愛いなホント。
「あん?」
加須浦さんに呼ばれ、スマホから気だるげな表情を覗かせたのは石神冴子。見るからに脱色した髪をドライヤーの当て過ぎによるものだと言い張って教職員を黙らせる彼女は、そのセミロングの髪の毛先に最近ゆるふわパーマを掛けたのだと自慢げに大声で話していた。本当、どうでもいい。
そして、スラリと伸びた足を惜しげもなく晒すミニスカートに、独自のセンスで着崩した制服。加えて学校だというのに化粧していることを隠そうともしないその態度。これ尻軽確定、漫画じゃメインヒロインになれないタイプだよ、彼女。
おっと、それに比べてぼくのメインヒロインであるところの加須浦さんが、頬を膨らませているぞ。
「もう冴子、ちゃんと聞いてよ。ストジャ更新されてるの見た?」
「見てないよそんな不良雑誌。ストリートジャーナル、だっけ?」
「ストジャは不良雑誌なんかじゃない。れっきとしたファッション誌だよ。冴子、読者モデルなんだし知ってるでしょ?」
「いや、あれメンズじゃん。ウチがモデルやってるのティーンズ誌だし」
「それにしたってストジャは要チェックだよ。雑誌としてはファッション情報誌の体裁をとっているけど、特集で組まれる若者カルチャー紹介が最高なんだから。それに私が言ってるのはそれのウェブ版。コンビニに売っている雑誌版とは内容の濃さとか比較にならないんだから。特にいま注目なのがこの最新記事。謎のグラフィティアーティストが、かなり大きい不良グループを潰したんだって。これ、この街のこと書いてあるんだよ?」
「だからぁ、ウチ、そういうの興味ないし」
そう言って、石神さんは加須浦さんの話をバッサリ切った。
「えー、カッコよくない? 正体不明のライター、悪を討つって」
「どうせブ男よ、そいつ」
「そんな夢を壊すこと言わないでよぉ、もう」
加須浦さんは頬を膨らませ、眉間にシワを寄せた。
天真爛漫なアイドルみたいな加須浦さんと、女子のファッションリーダー的存在で、しかも実際に読者モデルをやっているクールな石神さん。この二人は、これが不思議と馬が合うのか、いつも二人で行動している。
その見た目の華やかさも相まって、このクラス、いや学年全体で見ても発言力の高いリーダー的存在と言えるだろう。それに付随する煩わしいストラップのように、運動部に所属する男子連中が取り巻きみたいに輪を形成している。運動部のくせに髪は長く、眉毛なんかも手入れしちゃって、スポーツマンらしくない。
いつも一緒にいる石神さんや、その運動部男子のチャラい風貌とは違い、加須浦さんはまるでそう、それは古式ゆかしい日本人らしい黒髪からしてどこか違う。
つるんでいる男子は髪をワックスでガチガチに固め、石神さんはアイロンだかなんだかでくるくると髪をウェーブさせたり、茶髪に染めたりしている中で、加須浦さんは作り物ではない、自然体の可愛らしさを持っていた。女子のリーダー的存在である石神さんと仲が良いことも相まって、女子生徒からも人気が高く、当然、男子からの受けも良い。
もちろん、ぼくだってその他大勢の内の一人だ。
誰だって、加須浦さんに憧れを抱く。
そんな風に、物思いに耽っていたため油断した。
「うっわ、キモオタがこっち見てるし」
石神さんがそう言ってぼくの方を指さした。慌てて視線を外したがもう遅い。あの性悪女の言葉に焚き付けられた運動部男子連中が、クラス全体に聞こえるくらい大きな声でケタケタと笑いながら、ぼくの方を指さして悪態をつく。これが現実。ぼくの世界。
そもそも人にはそれぞれ個別の世界、色がある。
ぼくの世界は、まあ色でたとえるなら灰色。御覧の通り、くすんだ冬の空と同じ。
一方、大声で笑い合う男女グループは恐らく、ネイビーブルー。真夏の海のように華やかで眩しい。それを言葉にするならば青春、だろうか。
詩的で素敵な自分の世界に浸るあまり、本来は危険察知能力がサバンナの小動物並みに高いはずのぼくが、あろうことか出遅れてしまった。
気付くと、壁沿いの席を遠巻きに囲むようにして笑っていたはずの運動部男子たちが、ぼくの机の周りを取り囲んでいたのだ。
借りてきた猫だってもう少し生きた心地を楽しむだろうというくらい小さくなるぼく。ほんと、物理的にも小さくなったみたいな気分だった。
やがて誰かが口を開いた。
「お前さあ。教室でゲームやるとかどんだけオタクだよ。見てて萎えるわ」
別にぼくがどこでなにをしていたって、彼らにはなんの影響もないはずだ。
だが、彼らはそうは思ってくれないらしい。彼らにとってこの教室は自分たちの部屋で、ぼくはそこに無断で入り込んだ外敵なのだ。いや、もしかしたら害虫とでも思われているのかもしれない。
だからぼくは、「ご、ごめん。気を付けるよ」と謝る他ない。
口ごもった姿を見て、小バカにしたように誇張してぼくの口真似をした野球部の江津君に、ドッと笑いが起きる。
「マジモノマネサイコー。江津ヤバいわ、芸人なれってホント。あ、そう言えば」
あー、腹イテ、と言いながら、確かサッカー部の能田君だったか、彼がぼくの机にバンッ、と手を置いて顔を近づけてくる。
「確か間久辺も、モノマネ得意じゃね?」
マクベ? はて誰のことだろう。そんな他人のフリをして現実逃避を試みるくらい、ぼくはもう、生きた心地がしなかった。
モノマネ? そんなのしたことないし、ましてや彼らの前で披露するような状況がこれまでにある訳がない。
それなのに、こんな無茶ぶりしてくるのは、彼らの後ろで控えている石神さんと加須浦さんに見せつけるためなのだろう。これは見せしめだ。どうやらぼくのようなクラス内カーストの最下層に位置するオタクには、彼女たちを視界に入れることすら許されないらしい。
「よっし、じゃあリクエスト。死にかけのヒキガエルの真似やってくれよ」
「お、いいじゃんそれ、面白そう」
「やれよ、間久辺」
運動部三人に圧力をかけられ、ぼくは身動き一つ取れなくなっていたというのに、さらに煽られる。
「よぉみんな、間久辺がこれからとっておきのモノマネ披露するってよ!」
最悪のアシストを見せたのはバスケ部のエース、木下君。ほんとキラーパスだ。
いよいよもって死刑台に立たされた気分になったが、もう引き下がることも出来ないし、時計に目をやっても、まだ授業が始まるまで数分ある。このイタズラを時間切れで乗り切るのも無理そうだった。
「早くー、みんな待ってるよマクベ」
石神さんが急かすようにそう言い、教室内にマクベコールが巻き起こる。
マックーベ、マックーベ、マックーベ、マックーベ…………
ああ、もう逃げられそうにない。
ぼくは席から立ち上がると、教室の開けた所まで行き、そこで仰向けに寝転がって、手足を不格好に持ち上げる。喉の奥から、悔しさとか怒りとか、そういうのを絞り出すように「グエエェ」と鳴き真似をし、バタンと手足を地面に落とした。
死にかけのヒキガエル? 死にかけはぼくの方だ。
案の定、教室の中はまるで通夜の席みたいに静まり返っていた。笑うな、と運動部連中が目で合図したのだろう。クラスメイト、誰一人として物音ひとつ立てない。
もう死にたい。本気でそう思った。
だが、次の瞬間、「あはは」と笑い声があがる。
それは嘲笑とかではない、心の底から面白いものを見たような笑い。
顔を向けると、教室の中心で加須浦さんが大爆笑していた。
席から立ち上がった彼女は、運動部連中に近づくと、「言った通りサイコーだね。江津君なんかよりずっと面白いよ、彼」と言った。
それから、加須浦さんはなにを思ったのか、その足の方向をぼくの方に向け、近づいてきた。やがてその足は横たわるぼくのすぐ側まで来て、止まる。
もちろん紳士なぼくはこれっぽっちも彼女の下着を覗こうなんてしていなかったけれど、ただ地べたに横たわっているこの状況では、見えてしまうのは仕方ないだろう。不可抗力というやつだ。
だが残念ながら彼女はすぐに膝を折ると、ぼくの手を掴んで引き起こした。いや、残念どころか彼女に触れられただけで幸運か。まあとにかく、加須浦さんはぼくを起こすと、「ほんと、面白かったよ」と言って、また自分の席に戻って行った。
同時に、始業の鐘が鳴る。
悔しそうにこちらを睨み付ける江津たち運動部連中は、見るからに不愉快そうに自分たちの席に戻って行った。
2
「マクベス。そりゃ災難だったな」
携帯ゲーム機に視線を落としながら、友人の廣瀬はそう言った。マクベスとは仲間内で呼び合うぼくのあだ名みたいなもので、いまは部活動という名目で集まった廣瀬と中西と三人で、美術室で協力プレイのゲームに熱中しているところだった。
彼らは趣味を通じて出来た学内唯一の友人たちで、ゲームのマップ移動中に、さっき教室で起きた惨事を説明したところ、他クラスの二人も「俺たちもクラスで似たような境遇だ」と笑っていた。正直、ぼくらのような生徒は生きづらくなっているのだ、学校という場所は。
美術室は校庭と面していて、グラウンドからは野球部とサッカー部の気合の入った掛け声が聞こえてくる。その中に、さっきぼくをバカにし、笑っていたクラスメイトの姿も見受けられた。
「まあ、俺なんてこんなブサ面に産み落とされた時点で、この人生詰んでるから。中西はリアルな脇役みたいな顔してるし、マクベスは見た目暗そうってこと以外はまあ普通だけど、他人と二秒以上目を合わせられない挙動不審者じゃん?」
「ひ、ひどいこと言うな」
「そうだそうだ、ぼくだって目を合わせることくらい出来る」
ほら、と言いながらぼくは前髪をかきわけ、廣瀬の瞳をまっすぐ見る。
「いや、俺相手じゃしょうがないだろう」
確かに廣瀬の言う通りではあるな。
完全なる格差社会。それが学校だ。運動部に力を入れているこの鹿橋高校は、偏差値的には中間よりも少し下回るレベルにある。運動部で青春を費やすために入学した生徒を除けば、頭の空っぽなギャルや不良生徒か、あるいはぼくらのような趣味に没頭するオタク生徒が集まっているような極端な学校だ。当然、オタクは虐げられる星の下にあった。
ここ、美術部のような文化系の部活動はそんな根暗な生徒たちの隠れ蓑としての役割を持っていた。美術部はぼくらを含め、名前だけ書いてそれきり来る気配のない幽霊部員ばかりで、まじめに活動をしている生徒など皆無だ。
「て、敵みっけ。ふ、二人もさっさと合流してくれ」
相変わらず、仲間内でもドモリがちな中西は、教室ではほとんど一言も話さないという。そんな彼の貴重な言葉に、ぼくと廣瀬もゲームに熱中する。
「死ね死ね死ね!」
モンスターを攻撃しながら、時々クラスの気に入らないチャラ男の名前を挟んだりして笑い合うことで、復讐心を満たすくらいが、ぼくらに出来るささやかな反抗だった。
クエストをクリアし、ゲームに一区切りがついたところで廣瀬が言った。
「そうだ。昨日の〝ドドメキ〟見た?」
「で、出た、今期最大の問題作〝ドキドキ明星貴族学園〟!」
ぼくも嬉しくなって答えた。
「録画しておいたけど、それでも目覚ましかけて起きて見たよ。一〇分前くらいから画面に釘付け」
深夜にやってるアニメの話題で盛り上がる。ぼくらにとっては鉄板ネタで、アニメの話なら半日語り合っても飽きることはない自信がある。
「異世界キャラのミリア様、ま、マジ女神」
「声が良いんだよな。声優のセリナはクールキャラ外れないし。俺は前からセリナ絶対当たるって目つけてたし」
「出たよ声優オタ」
「で、でもやっぱ、作画はさすがじゃね? あの制作会社が立ち上がった時点で、げ、原作の世界観を良い意味で壊してくれたし、あ、あの異世界に通じる魔法陣とか、ま、マジ鳥肌立った」
「お、さすがわかってるじゃん!」
ちょっと待ってと言い、ぼくは部屋の中を移動して引き出しの中に入っている画用紙と色鉛筆を持ってくる。話のタネに、すぐ仕上がるように軽いタッチで頭の中のイメージを画用紙に投射していくと、廣瀬と中西が徐々に感嘆の声をあげる。
「マクベスは相変わらずスゲーな。もう描けるようになってんじゃん」
ぼくの描いた幾何学模様を見ながら、感動したように声をあげてくれる二人。
昨夜、ぼくはテンションが上がって居てもたってもいられず、ガード下の壁にスプレーインクで同じものを描いたのだ。それに比べれば、紙にペンで描くことなど造作もなかった。
「マ、マクベス、あ、アニメのキャラとかも普通に描けるもんね。うらやましい。ま、漫画とか描いてみたらよくね?」
「無理だよ。どんなに絵が描けたってストーリーが全然だもん。どうやったっていままで見たラノベのパクリにしかならないし」
「そう言うってことは描こうとしたことあんのかよ」
墓穴を掘ってしまった。ただまあ、友達にちょっとした黒歴史を知られることくらいなんということはない。
なんて言ったって、ぼくらの黒歴史は現在進行形な訳だし。
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