わたしとあなたの夏。

ハコニワ

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一 大倉麻耶 

第33話 未来へと

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 次に病院で会ったのは精神科に連れていかれる景子だった。景子はあの夜、村人全員の目の前で佳代子さんの仇と言って黄瀬家の巡太郎じゅんたろうさんの頭をかちわった。

 それにより、周囲から〝鬼〟と呼ばれている。恐れられ、蔑み、のちに景子から初めとする暁家は〝鬼の一族〟と名付けられた。

 人を平気で人柱とする住民たちが、途端に自分に恐怖の存在が降りかかると弱くなる。人間って本当に醜い。

 それから、外に繋がる大広間で洋介と再会した。相変わらず、ピンピンしている。貴一さんを囮にして自分は逃げたんだと。たぶんだけど、洋介はあの場逃げなくても助かったと思う。

 景子は無駄に殺傷はしない。そう思いたい部分があるのかも。ベンチに腰掛けた洋介は隣に座ったわたしをチラチラ見てくる。
「なに? そのいやらしい目線」
 洋介は飛ぶようにしてベンチから立ち上がった。顔を真っ赤にさせている。いつかのわたしみたい。
「ばっ! その……なんだ、す、すすすす好きって言われたから」
「あぁ、それ」
 わたしは遥か昔の記憶を掘り起こすように、思い出した。つい最近のものなのに。遠くに感じちゃうよ。洋介がその気になっているようなので早々と誤解を解いた。そうしないと体クネクネしてて気持ち悪い。
「それ違うから。ライクであってラヴじゃないほうね」
「は? え? 英語?」
 洋介は目をぱちくりさせて、わたしの目を凝視した。信じられない、という表情だ。英語の授業はないけど、ちょっとした外国語は知ってるはずだ。バカでも。田舎でも。
「ラヴじゃない……」
 洋介はがくっと肩を落とした。

 トボトボとおぼつかない足取りで去っていく。その背は、受験に失敗してしまった受験生みたい。背を丸めて寂しそうに歩いていく。

 その背がどんどん小さくなるのを眺めていると、視界に影が入った。振り返ると、そこには篤さんが小さく手を振っていた。

 あのとき、わたしたちを逃がすために囮になったのにどこも怪我なんてしていない。洋介と同じようにピンピンしている。
 わたしの隣に腰掛けた。さっきまで、洋介が座ってた場所に。
「なに話してたの?」
「ライクとラヴについて! あいつ、わたしが告白したって勘違いしてんの」
 クスクスと笑うと、篤さんは目を細めた。わたしの顔を覗きこみ、慎重に礼子の名前を出してきた。

 わたしの脳裏に礼子の最後・・の言葉、とても五年生とは思えない顔たち、透明に透き通った声が神経を刺激し、キーンと耳鳴りがする。

 次第に鼓膜がビリビリと裂けるような音にかわる。嫌な音にわたしは片耳をおさえた。篤さんは天井を見上げていたから気づいてない。

 篤さんは、パズルのピースを一つ一つはめるように事細かく詳細に村や事件について話しをしてくれました。
 メディアから「消えた村」「村八分」と、テレビで大々的に報じられた。絶法村、ていう名前を知らないほどまで広まった。

 死者十七名、生存者十六名。たったの八日でこれほど死者を出したにも関わらず、犯人及び原因因子すらも見つからない。小さな村で起きた事件に政府も口を出してきた。

 絶法村を閉鎖し、村住民を一斉に追い払った。新たに別の場所で集落をつくるのは半数。新たに別の場所で名前を捨て生きることを選んだのが過半数。うち、洋介もその過半数の一人だ。

 故郷を捨て生きることを選んだ洋介は病院を退院したあと、そのまま行方をくらませた。村を捨て、名前を捨て、生きるなんて思いもつかなかったです。

 そして、新たに集落をつくった半数は絶法村を〝希望村〟と改名した。これからの未来、希望でいっぱいにしようと全員で考えた名前です。

 篤さんの肩がきゅうに近く感じた。彼はヒョロと痩せてて、筋肉質な体型じゃない。分厚くって硬い肩に思わず心臓が跳ねた。肩から伝わる体温と、息が、わたしの心を優しく包み込んだ。

 心の底からホッとする。温かい灯が心の中に宿ったような。彼の意外にも大きい指先がわたしの指先近くにあった。ちょっと動くと触れ合う距離。
「泣いていいかな?」
「うん」
 わたしは距離をつめた。指先が触れ合う。それに動じて篤さんも指先を絡めて手を合わせた。
「今だけ、だから」
「うん……」
 目からツウと涙が伝った。電気がいきなり落ちたみたいに涙が溢れてくる。わたしは大声を出して泣いた。その声は産声ともいう。

 全ての感情をそれに捧げ、体中に一気にそれを爆発させた。抑制力など皆無で、泣き叫ぶことしかできなかった。
 篤さんはずっと手を握ってくれました。あのときの温もりは一生忘れないでしょう。



 篤さん含む少数の研究者さんは希望村に残り、研究をし続けた。わたしもその一員に加わり、そして、八年後わたしは篤さんと結婚をします。そのとき、篤さんが笑顔いっぱいでこう言ったのです。

 夢みたいだ、と。わたしも夢だと思いました。あの日、生き残りそして大切なかたと一生共に過ごすことになるなんて、なんて幸せものでしょう。でも、ふいにあの子の言葉が頭をよぎるのです。

 笑って落ちるあの子の顔が。頭をよぎって離れません。今でもやはり、希望村は差別的な問題が起きています。平和でのどかになったのに、まだあの事件を持ってきて差別する人間がいるのです。これは多分、覆ることはないのですね。

 なにをしても、その目で見られる。その覚悟を持って生きるってこんなに苦しい。けど、あの子と約束したのです。精いっぱい生きるって。

 だから、第一子の子が生まれたとき、その約束をいつまでも忘れないようにその子の名前は〝麗子れいこ〟と名付けました。




               著  昭和四十三年七月八日 田村麻耶






















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