つばさ

ハコニワ

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第3話 それはとても痛くて

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 この狭い鳥のかごからを出てやる。出て、わたしは外の世界を知って、本当の幸せを手にするんだ。

 亮太くんと一緒に出る。

 脱出経路は限られている。まず、鉄格子を外して出る。難しい。いくら、錆びれてて取れそうだったとしても、窓が小さい。わたしの体が入れない。鉄格子の窓からの脱出は無理。

 唯一、置いていないのは、父の書斎。昔、まだわたしが家族と上手くいっていたころ、兄たちと隠れんぼした。ジャンケンで鬼を決めて、わたしはいつも、一階の部屋に隠れていた。

 一階の部屋は多い。隠れる場所も様々で、その父の書斎も一階だった。そこに足を踏み入れることはできなかった。寸前で父に見つかり、注意された。そこには、兄たちもいた。兄たちでさえ、そこに入れなかった。

 父の部屋は、厳重だ。厳重なのに、監視カメラがないのか、複雑だ。

 けど、あえてそれを使う。この地下から父の書斎は、割と近い。誰にも見つからなければ、脱出は可能。

 今まで、この家を出たいとは思わなかった。ここにいるのが、当たり前だと思っていた。酷い仕打ちをされても、わたしはここしか、帰る場所がないと思っていた。

 でも、翼を広げればわたしの帰る場所は、いくらでもあるんだと知った。亮太くんが色々教えてくれた。

 翼の広げ方や飛び方を知らない鳥だったわたしに、一から教えてくれた。

 そうと決まれば、すぐに作戦に移った。運がいいことに、今日は家族そろって〝スーパーマーケット〟という施設で〝ケーキバイキング〟というケーキ食べ放題に向かっている。ケーキは知っている。

 雪のようなショートケーキに、甘い香りがするチョコレートケーキ、砂糖いっぱいで甘くて美味しくて、口がとろけるもの。雪みたいなショートケーキが好きだった。五歳の誕生日ケーキも、皮肉にも、ショートケーキだった。今や嫌いな食べ物だ。

 そのケーキの食べ放題に、家族は家を出ている。なので、誰もいない。翼を広げるのは今だ。

 そっと監禁部屋から出た。檻の部屋は、普段鍵をしていない。杜撰なところが仇になった。冷たい廊下を裸足で歩き、階段を登り、扉を開けた。普段なら、誰かと一緒じゃないと殴られる。

 勝手に家の中をうろつくんじゃねぇ、と殴られ蹴られる。きっと、今家族が帰ってきて
わたしがここにいることに気づいたら、一体どんな表情するか、見なくても分かる。

 わたしは監視カメラに映らないように、慎重に歩いた。監視カメラがどこにあって、どう渡ればいいか、把握済だ。むしろ、知りつくしている。

 書斎にたどり着いた。ここに来るまでに、冷や汗がどっとかいている。息があがっている。足がまだガクガク震えている。

 大丈夫、そう自分に言い聞かせた。

 翼を広げたい。自由を勝ち取りたい。わたしは、書斎のドアに手を伸ばした。その時だった。

「まぁ、こんなところに粗大ごみが」

 ぞっとする声だった。
 心臓がドクン、と止まった。
 音が、空気が、時間が止まった気がした。
 声のした方向を恐る恐る振り向く。今まで誰もいなかったであろう、廊下には母がいた。その後ろには兄たちを率いている。

 母はゴミをみるような眼差しで見下ろしていた。心臓が大きく跳ねた。首筋にツゥ、と汗玉が伝った。冷たい。死神の鎌が首筋に当てているみたい。

 脱走は見破られ、広げかけた翼は閉じてしまった。そのあと、言うまでもなく罰を受ける。

 どうして、脱走がバレたのか。まだ帰ってくるには時間が早いのに。はかったようにして現れた。

 なんで、どうして、と心の中で疑問に思うばかりで、これから受ける罰に、それどころではなくなった。

 母に無理やり引っ張られ浴室に放り投げられた。裸にされ、四十度以上ある熱湯に押し付けられた。熱いというより、チクチク刺されたように痛い。

 息ができなくて苦しくて、痛くて、もがく苦しんでも、母に頭を押さえつけられ、熱湯地獄を味わった。

 ただただ苦しくて、熱湯から顔を出そうにも、上手く出来ない。苦しくて手足をばたつかせた。そのときに、爪が母の頬をかすった。ほんの小さなかすり傷。

 それでも逆鱗に触れたには変わらない。母は鬼のような血相で、汚い、と叫んで熱湯から引きずり出して今度は冷水をあびせた。

 熱湯地獄で針のように刺された肌が、すっと溶けて皮膚がドロドロと溶けていく。真っ赤に猿のようになった体。どんどん冷え切って、逃げても足首を捕まれ逃げ切れない。

 次第に唇も青ざめ、歯がカチカチなり全身ぶるぶる震わせた。体がおかしいほど、震えている。体を温かせる暇もなく、すぐに脱衣所で放置された。

 母の罰を受けたあとは、兄たちだった。

 マットに包まされ、その上で竹刀で叩かれた。マットは柔らかいとしても、ぐるぐるにされ、身動きが取れない状態。叩きつける竹刀の響きあって、まるで、芋虫みたいだ。

 身動きが取れないから、攻撃が集中する。竹刀が空気を裂いて叩きつける音が鼓膜に響く。それから浴びせる罵倒。何を言われたのか、朦朧とした意識で分からなかった。

 ただただ受ける暴力と暴言に、ただ、耐えるしかなった。母、兄たちからの罰を受け、それから父から受けた。

 父からの罰は、単純なものだった。無視。一貫して無視を貫いていた。わたしが浴室で熱湯地獄を受けていたときも、兄たちから竹刀で叩かれていたときも、無視だった。

 まるで、この世にわたしがいないように、あたかも普通に珈琲を飲んでいた。そして、罰をくだしたら、父は母に命令した。

「三日間水以外与えるな」

 と。わたしは再び地下牢に閉じ込められた。

 暗くて、冷たくて、痛くて涙が出て、怖くなって、普段は感じない感情がどっと湧いてきた。

 見慣れた場所が、こんなに暗かったなんて気づかなかった。

 見慣れた場所が、こんなに冷えてたなんて気づかなかった。

 この場所で、一人でいることがこんなに怖いなんて初めて知った。

 狭苦しい部屋でもの一つ置いていない。顔を見上げ、鉄格子越しの外を見上げた。ほんの小さな窓で、でも、その窓から始まった。

 まだ小刻みに体が震えている。体が恐怖で身が竦んでいる。ぎゅ、と自分の体を抱きしめても震えは収まらなかった。

 やっぱりわたしには、羽ばたく翼も自由を知る翼も、要らないんだ。一度手に入れかけた翼を、わたしは失った。

「大丈夫?」

 ふと、亮太くんの声が聞こえた。外でずっと待っていたのだろうか。疲れてて喋れない。亮太くんの気配はずっとしている。

 亮太くんは、鉄格子越しで横になったわたしを見下ろしていた。

 このときのわたしは知らなかった。家族の帰りが早かった理由――それは誰かが家族にチクったからだ。それは誰か、使用人でもない。わたしに翼を教えてくれた亮太くんだと知る由もない。

 亮太くんは、外に出た家族に電話をし〝わたしが脱走した〟とチクった。なぜそうしたのか、それは――亮太くんはわたしを見つめた瞬間、わたしの目に惚れた。光も指さない真っ黒な瞳に心酔。
 
 罰を受けたわたしの目を見て、更に興奮した。
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