この虚空の地で

ハコニワ

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Ⅱ 勇気と偽愛情~14歳~

第18話 触らないで

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 関心していると、アイが顔を覗いてきた。ウエイトレスのように人数分の皿を幾つか両手に抱えて。
「おっ! サラダ終わり! ビーフステーキも今焼いたとこだよーそっちはどう? あ、雨皿お願いね」
「ん……」
 両手に抱えた皿を机に置いて、嬉しそうに窯にいるピッザ担当のスタンリーのもとに駆け寄った。
 雨はご主人様に従順な犬のように、言われた通り、シンクにある無造作に放置されたゴミのような鍋やフライパン、箸を黙々と洗う。
 俺は不思議に思い、半分からかいで笑う。
「五人いるもんな。洗い担当か」
 すると、ピタッと手を止めた。今もなお、蛇口の水がダーと流れてシンクに貯まる。大きな皿が水に浸かると、それはまるで、池のようになっていった。
 水嵩が増すと、その水面には油や泡、使わなかった食材がふよふよと浮いてくる。行き場のない旅路を、蛇口が回っている限り続く。
 濁った水面に、雨の表情が映っていた。生気を感じない人形の瞳、呆けているような眼差し。蛇口が回っていることさえ知らなさそうな。
 水がいよいよ、溢れ返るのを慌てて蛇口を止めた。少し動くと、ギリギリにシンクから溢れかえる高さ。これじゃあ、洗い物やれないな。
 すると、ボソッと言った。その声は、温度が感じなかった。
「私に触らないで、掠っただけでも触れればたちまちそこが腐敗して、一気に黒くなる。その進行は私にも止められない。黒くなって、灰になるの」
 俺は困惑して、呆然としていると、雨はそのまま黙り込んでしまった。硬く閉じた口がいつにもまして硬く閉じてみえる。
 仕方なく、俺は窯にいるアイとスタンリーのもとに歩み寄った。赤茶色の煉瓦で、湾曲に丸っ、と造られた窯。
 煙突近くになると赤茶色の煉瓦ではなく、黒く焦げたシミが付着している。煙突からは、モクモクと黒い煙が立っていた。
 スタンリーとアイは、ピッザを焼いている空洞を凝視して、楽しそうに会話していた。
「雨の呪怨て特殊なの?」
 そう言って、間に入ると二人はこちらを振り向いた。
「あいつ、元々だろ」
 とスタンリーが顎で雨を指差してそっぽ向く。ピッザの生地を焼いている空洞の中を、凝視する。
 灼熱の赤い炎が肌を照らし、白く光っている。よく外に走り回る運動系の肌が、眩しく光っている。
 アイが苦笑し、頬をかかじる。
「特殊、というか……言ってたでしょ? 掠っただけでも触れればたちまち腐敗する、って。食材に手をつけないのもそう。【腐敗の呪怨】だから。あ、別にいじめてないよ? 本人の呪怨がこういう時、厄介だから。本人から言ってきたの。皿洗いをするって」
 後者、自分の過ちを弁明するかのようにアイは必死に。口調が早くなった。
「でも、手袋してるだろ?」
 俺は自分の手を顔の前に翳した。アイは首を横にふる。
「手袋していても、外れたり、穴が開いた場合あるんだ。本人の意思とは関係なしに全てを腐敗する」
 昔の出来事を掘ったように、アイは強張った表情で言う。
 聞いてしまった俺は、なんともいえない複雑な心境が絡み合った。あの無愛想で、いつでもどこでも誰でも壁を作る雨が、苦難な壁に当たっていたなんて。
 呪怨で困ったといえば、妄想していたより大小が異なること。ただそれだけだ。
 でも、雨は、自分の呪怨なのに操作ができない。これって、天才じゃないとその壁は上手く越せられないんだ。
 さっき、からかってやった自分が恥ずかしい。雨のこと、今後どうやって顔見れば。
「それより、今焼いてんだよ。どこで道草食ってたの!」
 アイがスタンリーの肩をバシッと叩いた。スタンリーが痛っと小さく悲鳴をあげる。叩かれた肩をこすり、ムッと睨みつけた。
 あ、やばいぞ。アイがやられる。アイの目の前にいるのは、我がDクラス一の問題児、スタンリー・カモミール。猛突猛進で気性が荒い獣。
 この前、Bクラスと喧嘩をして数人がかりでも圧勝したって話し聞いたぞ。いまさらだが、体力、成績、五感、呪怨など総じてクラスごとを分けている。Dクラスはそれを劣っているわけでBクラスより弱いはずだ。なのに、スタンリーは腕力だけで打ち勝ったと。
 柔道家のようながっしりとした体型、ヒグマのような恐ろしい威圧。
 アイの細腕じゃ敵いっこない。固唾を飲んで様子見していると、案外、予想していた展開と違い、その場は血が飛ぶ修羅場ではなかった。
「道草なんてしてねぇよ」
 ケロッとそう言う。
 アイは怪しげにふーん、と言ってニヤニヤ笑う。
 すると、遠くから美樹がトコトコ足音を立てこちらにやって来た。
「やっほーい! やってる? やってる?」
 太陽に似た天真爛漫な声が、室内をやけに明るくさせる。
「なに? 美樹」
 アイが首を傾げ、聞き返した。こちらに辿りていて、美樹は、フンと小さく息をつくや手を腰につけた。
「みんなで一緒に食べない? 席、用意してんだ!」
 その笑顔は、こちらが断ることを疑う余地もない無垢であった。
 そんな笑顔を向けられて「いいです」なんて言えっこない。一瞬、一同は顔を見合わすもすぐに承諾した。
 美樹はふふふと笑って、その場を去った。まだ、ほのかに彼女の明るい雰囲気が空気に散りばっている。現れたら太陽でもあり、去ったら静寂な夜。嵐のような子だ。

 ピッザも無事完成し、ルイが盛りつけをしてくれた結果、判定を出す料理完成。
 各班の完成した品がずらっと机に置かれている。いろんな香りがする。どれも美味しそうだ。Aクラスの先生、スノー・アリウム先生が判定をする。ブヨブヨの顎を動かして咀嚼する。ますます、体型が太りそうだ。

 判定は香り、見た目、味、盛りつけの四つ。最低がゼロ、最高が10で点数が分布される。

 アイがつくったビーフステーキの判定は、香り、10点、見た目、8点、味、9点の計27点。流石、というか判定者の先生の好物がお肉ということで、その好物を狙ってつくったと思う。

 次にスタンリーのつくったピッザ。香り、9点、見た目、5点、味、7点の計21点。この点数にスタンリーは納得いかなく、Aクラスを贔屓している、だのドス声で抗議する。ざわざわと空気が乱れ、他の班たちが何事かと顔がこちらに向く。
 好奇と嫌悪の眼差しが突き刺さるように痛い。それは、職員室のときと同じ。Dクラスにだけ向けられる圧倒的な差別な目。
 この目だけは何年経っても慣れない。アカネもルイも、慣れないって言ってたけ。

 不穏な空気を察してか、スノー先生は落ち着いた態度で接してくる。まるで、悟りを開いたお坊さんのように。
「君は食べてみたのかね? これを」
「食べてねぇよ」
 食べてみるがいい、とかじってない部分をフォークとナイフで切った。スタンリーは恐れ無で、一口サイズに切ってくれたピッザを頬張った。
 途端、眉をひそめるも口にいれたものはそのまま、モグモグと頬張り、ゴクンと飲み込んだ。食べ終わったスタンリーは、美味しいやっぱり贔屓している、とスノー先生にさらにいちゃもんつける。
 スノー先生は、非常に残念そうに顔を伏せ新乳児みたいな指を顔の前で絡み合わせた。
「そうですか。では、判定の結論を言います。まず香り、これは良い。しっかりと焼いたことが分かります。このチーズのとろけさは美味。次に見た目、トマト、チーズにこれは……」
「パイナップル」
 スノー先生の表情が若干、引いたきがする。大丈夫。スノー先生だけじゃない。ここにいる俺たちも引いたから。どうしてピッザにパイナップルいれたんだ、しかも食べたよな。それで美味しいとかあいつの舌は大丈夫なのか。
 迷える人を救う神父のようにスノー先生は温かな笑みでこう言った。
「ピッザにパイナップル……考えもつかなかったです」
 ニコニコ笑っているが、その笑みはどう見ても怖い。感心をしているのかもしくは、あざ笑なのか、わからない。
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