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知る者①

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「うぅっ、うっ、うっ」
 古いアパートの一室。六畳一間の部屋の真ん中で男が声を殺して泣いている。
 男の名は鬼守哲也。つい先日まで学生と呼ばれるものに分類されていた。だが、それも今は遠い昔の話。今の彼のことを人はこう呼ぶ。退学者と。

             ☆

「ちょ、ちょっと待て。今なんて言った? 俺の反則負けって言ったのかまさか?」
「はい。その通りですが」
「~~! 納得のいく説明をしてもらおうじゃねえか」
 そんなバカなことがあってたまるか! と本当なら怒気を隠そうともせず、声を荒げたかった哲也。
 それはそうだ。自分にとってこの決闘はただの決闘ではなく、退学か在学かを決める大事な一戦なのだ。だからこそ、普段はめったに使わない力まで出したというのに。
 だが今回の審判員である紅が誤審をしたとも思えないかった。なんだかんだで長い付き合いなのだ。俺とコイツは。もちろん審判員と選手としてだが。
 そんなわけで哲也はグッと怒りを抑え、紅に説明を求めた。
「わかりました。お答えしましょう。理由はひとつ、今のあなたの姿です」
「俺の?」
 哲也は今の自分の姿を見る。
 全裸だ。一糸纏わず全裸だ。しかし、それがどうしたというのか。
確かに人前で裸になることに一切の抵抗が無いのかと問われて、無いと言えば嘘になる。
だが、だからといって、こと今回のような状況で恥ずかしがって力も出さずに負ければ、そっちの方が自分は絶対に後悔する。ならば全裸だろうが何だろうが全力で戦ったほうがマシだ。
 ゆえに哲也にとって裸であることは、そこまで問題ではなかった。
「要領を得ないという顔をされてますね」
 ふっ、と小さくため息をつく紅。コイツのこういう姿は珍しい。なんだ、何が悪い。
「よろしいですか、よくお聞きください。
この度の決闘で私がルール説明をする際、最初になんといったか覚えておりますか?」
「なんてって、そりゃあ」
 正直、あいまいだ。特に変わった点は無いことぐらいしか覚えてねえ。
「大体はそうです。そして私はこうも言いました。『ルールは通常どおり、学則に基づいたものを採用する』と」
「ああ、それは言ってた気がす、る、が……!?」
 話している最中、はっとあることに気付く。気付いた途端、体からどんどんと汗がにじみ出てくる。
 まさかそんな。こんな簡単なことを俺は……!
「私的な決闘であるならば、お互いが合意すれば免れたでしょう。ですが今回は公式な決闘です。
ですので、それに従いまして学則の『決闘において全裸になることを禁ずる』を適用させていただきました」
「忘れてたあああああああああ!!」
 哲也の絶叫がアリーナ中に響き渡った。

             ☆

 いま思い出しても悪夢以外の何ものでもない。そのあと逃げるようにアリーナから出てった俺は、学園にも家にも戻る決心が付かず、外で一夜を過ごしてしまった。
 結局朝には見つかって、こうして家に連れ戻されたわけなのだが。

「すまん。本当にすまん……」
 頭を下げる俺の前方、そこには俺よりはるかに小さい少女がジッと座りながら、こちらを見つめている。
 この娘の名前はアリス。俺と同じヤサカニ学園に通う学生(と言っても初等部だが)であり、俺の同居人でもある。
 ちなみに犯罪的なものは一切ない。色々あった末に二人で暮らしているのだ。まあ、それもできなくなりそうだが。
「……」
 ジー無言のまま俺を見つめ続けるアリス。対して頭を下げたまま動かない俺。そして自ら持ってきた菓子をポリポリ食べている京士郎。京士郎?
「……なんでオメェがここにいる」
「え? いや普通に遊びに来たんだけど」
「ならその菓子だけ置いてとっとと帰れ! 今はオメェと遊んでるヒマなんぞ無えんだ!」
 なんだったら無理やりにでも放り出してやろうかとも思う。
「ふっふっふ。良いのかな哲也、オレにそんなこと言って?」
 だがそんな俺を尻目に、不敵に笑いだす京士郎。妙に自信ありげの態度に腹が立つ。
「オレが本当に、ただ遊びに来ただけだと本気で思ってるのか?」
「思ってる」
 お前はそういう奴だ。
「そうか。けど、オレがここに来たのは、アリスちゃんも関係してるんだぞ」
「なんだと?」
 本当か、と問うようにアリスへ目線を送る。だが肝心のアリスは俺に目もくれず、京士郎が持っきた菓子を口いっぱいに頬張っていた。いやいや。
「アリス! こんなやつが持ってきたものを簡単に口にするんじゃない。
まず俺が毒見をするから、それから食べなさい」
(酷い言われようだなー)
「でも……これからこういうの食べれること……少なくなりそうだから……」
「すまねええええ」
 またもや土下座する哲也。
 だが、なんでアリスは俺が退学になることを知ってんだ? まだその話しはしてないはずだし、まさか昨日の今日でもう噂が広がってるとでもいうのか。
「それにこれは昨日……京士郎が持ってきてくれたやつ……」
「オメェかあ!!」
「うおっ!?」
 避けやがったか。この野郎、余計なことべらべら喋りやがって。
「待て哲也。話しを聞いてくれ、なっ」
「弁論ならあの世でタレな」
 ジリジリと京士郎との距離が近づいていく中、小さな影が割って入る。誰であろうアリスだ。
「やめて哲也……。京士郎は悪くない……」
「アリスお前」
 やめるまで京士郎の前から動くつもりは毛頭ないといった感じのアリス。
 そのまま幾分か二人で目を合わせあう。
「……ハア、分かったやめる、やめるよ。京士郎には何もしねえよ」
 俺はそこを退け! とも言えず、ため息をつきながら降参する。
「だけどなアリス。俺はどうしてもこの事はお前に言わな、いや、言うにしても自分の口から言いたかったんだよ」
 そっとアリスの頭に手を置き一撫でする。アリスは相変わらず無表情だが、どこか嬉しそうに撫でられるのを受け入れる。ああ本当に優しい娘だよお前は。

「なあ、スキンシップ中に悪いんだけど、オレの話し聞いてくれる気になった?」
「うるせえ黙れ」
 今この時間は誰にも邪魔させんぞ。
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