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去る者⑤

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 勝負は一瞬であった。
 アリーナの中央にある闘技台のさらに中央。そこには今、巨大な氷柱が鎮座していた。もちろん最初からあったわけではない。今まさに作られたのだ。他ならぬ美陰の手によって。


 紅の「始め」という合図とともに、哲也が前へと飛び出す。美陰との間合いを一気につめ、自分の得意な接近戦に持ち込むためだ。そのための突進だった。
「!?」
 だが突如、哲也は体が冷気に襲われる。精神的なものではない。全身が凍えるほどの冷気。まずいと感じた時にはもうもう遅かった。次に来たのは足を刺すような痛み。氷だ。氷が哲也の足を地面に縛り付けているのだ。そして哲也は見た。目の前にいる美陰。その手にいつの間にか握られている、青白く輝く刀剣を。
「霜柱」
 美陰が何事か囁いた次の瞬間、哲也の視界は氷に埋め尽くされた。


「思ったよりあっけなかったな」
美陰が感情も込めずそう呟く。無論、この呟きが聞こえた者は居ない。だがアリーナ内のほとんどの人間は同じように思っただろう。片や学年首席、片や退学予定者。そもそも肩書にも実力にも差がありすぎたのだ。目の前の光景は当然の結果。それ以外の感想を持つ者はいない。それでもシンとが静まり返っているのは、今なおそびえ立つ氷柱の美しさに目を奪われたゆえか。
 チラリ、と紅の方へと目線を流す美陰。さあ、さっさと試合終了の宣告をしてくれと言いたげだ。だが、それに反して一向に終了を告げようとしない紅。なぜだ? と怪訝に思う美陰。そのとき。
ピキッと、何か割れたような音がアリーナに響く。
観客席からではない。まさか、そう思った美陰は哲也が閉じ込められる氷柱へと目をやる。その途端、バキャーンと大きな音とともに砕かれる氷。そのまま飛び散る破片とともに、大量の水蒸気が闘技台を包みこむ。
「そうか。そう簡単には終わらないみたいだね」
 氷柱が破壊されたといのに全く動じていない美陰。この程度、今までにも何度か経験したことがあるからだ。意外ではある。だが驚愕には値しない。何事もなかったように、再度、自分の武器である剣を構えなおす。
 水蒸気による霧がモアモアと立ち込める。その中で動く大きな人影が一つ。哲也だ。霧に紛れて奇襲をかけようとしたのだろう。しかし見つかってしまっては意味が無い。美陰も次こそはと剣を握りしめ、待ち構える。瞬間。動く哲也。だが先ほどとは大きく違う。
(速い……!)
 そう速いのだ。しかも段違いで。だが、だからどうしたと、いくら速かろうが自分の間合いに入れば同じこと。結果は変わらないと、すぐさま心を鎮める。そう思った矢先、哲也の影が消える。哲也は跳んだのだ。美陰をかく乱させるに加え、足を止められることを避けるために。だが
(捉えているぞ、鬼守哲也)
 美陰には何の意味もなかった。慎重に狙いをさだめる。次に哲也の姿が見えたとき、今度こそは指先ひとつ動かせぬようにしたやろうと。シュバッと霧を払いながら哲也が姿を表す。
「そこ……!!!??!?!?」
 動きが止まる。止まったのは美陰。なんならアリーナ中が一部を除いて静止した。なぜなら霧から現れた哲也は、何も着ていなかったからだ。つまり――

――全裸だ。

(な、なぜ裸!?)
 美陰の心がぶれる。流石に戦闘中に全裸になった奴と戦った経験なんてないからだ。そりゃそうだ。
そしてそれを見逃す哲也ではない。
「し、しまっ……!?」
「ウォオオオオオオ!!」
 雄叫びとともに美陰に肉薄する哲也。勢いそのまま、鉄塊の如く硬く握りしめられた拳が美陰の顔めがけ、吸い込まれるように放たれる!

「そこまで!」

 だが、叩き込まれることは無かった。顔面へと到達する直前でピタリと止まる哲也の拳。
 審判員である紅が試合終了の宣言をしたのだ。
 ドッドッドと心臓が波打つ美陰を尻目に哲也は渋い顔をする。
「ちっ、もう少し遅めに言ってくれりゃあ良いのによ」
 拳をしぶしぶと引く哲也。その顔は心底残念そうだ。だがこのままでは収まりがつかなかったのか、コホンとワザとらしく咳ばらいした後、美陰に向かって一言。
「人気と強さは関係ねえ。それを憶えておきな」
 ドヤアと今度は得意げな顔をする哲也。言われた本人である美陰は、まだ負けたことを受け止められないのか呆然としている。哲也はそれで満足したのか、クルリと美陰に背中を向けると、勝ち名乗りを受けるため、紅のもとへ向かう。
歩みを進める中、周りを見てみると観客たちも目の前で起こったことが信じられないのかポカーンとしているのが見て取れた。いい気味だと思う哲也。そんな中、闘技台サイドの京士郎だけ、なにやらうーんと唸っていたが、どうでもいいやと放っておいた。

「おい紅、時間が勿体ねえ。さっさとと進めちゃってくれ」
 早く帰りたいのか口を開くなり急かす哲也。ちなみにまだ全裸である。
「わかりました」
 その全裸の男を前にしても変わらず淡々と対応する紅。審判員はこれぐらいのことでは動揺しないのだ。
「それでは、この度の決闘の結果を発表いたします」
 コクコクとそれで良いとでも言いたげに頷く哲也。
 そして高らかに勝者の名が告げられる。

「勝者は――

――鬼守哲也の反則負けにより、美陰凍治の勝ちとします」



 哲也の退学が決定した。
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