だから僕は魔女を娶った

春野こもも

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第四章

雨と涙

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 どうしてここにルーナが……?

 そう思ったのも束の間、レオンハルトと目が合ったルーナは落としたものを拾い上げもせず、弾かれたように走り出した。

「ルーナ……っ!」 

 後を追おうとするレオンハルトの腕がぐんっと引かれた。
 レオンハルトは焦る気持ちを堪えてナディアを振り返る。

「ナディア様……っ、僕は行かなくては……」
「魔女を追いかけるの?」
「そうです……早く行かないと、」

 窓の外を見る。雨は止んでいた。しかし、空にはまだ厚い雲がかかり、いつまた雨が降り出してもおかしくない。

 早く追いかけないと、ルーナが転んだりしては大変だ。それに、ナディアとのことを見られてしまったし、説明しないと……。

「そうよね……私の為に、これからもレオは魔女と暮らさなければいけないから……魔女のことを気遣うのよね」
「……っ」

 レオンハルトは唇を噛み締めることしかできなかった。ルーナを追いかけるのはナディアの為ではない。ルーナが心配だからだ。

 だけど、ナディアの思い込みはレオンハルトにとってはありがたいものだ。ナディアがそう思っている限りは、レオンハルトとルーナは2人で暮らして居られる。

「分かったわ、行ってきて」
「ありがとうございます……」
「待っているわね」

 有無を言わさぬような圧が、ぐっ、と握られた腕に込められているような気がした。

――――――――

「ルーナ! ルーナ! どこにいるんですか! ルーナ!」

 ぬかるんだ地面に足を取られ、泥が裾に跳ねる。

 兵舎の外にいた部下に聞けば、ルーナは馬車に乗ってやって来たが、その馬車は出ていないという。
 ならばまだこの辺りにいるはずだと屯所を飛び出して、ただひたすらに走った。

 ドレスにヒールじゃ、そんなに速く動けないはずだ。そう思って兵舎から続く一本道の林道を走っていると、前方にうずくまる人影を見た。

「ルーナ!」

 うずくまっていたのはルーナで、ヒールが泥に取られて転んだらしく、ドレスは泥に塗れていた。

「大丈夫ですか?!」

 慌てて駆け寄って、ルーナの目線に合わせてしゃがみ込む。ルーナの顔を覗き込もうとすれば、腕で勢いよく体を突っぱねられた。

「っルーナ……」
「……泥で、レオンが汚れてしまうわ」
「そんなこと……僕も似たような格好ですから。ルーナ、大丈夫ですか? 怪我していませんか。立てますか? 僕の腕に掴まってください」
「…………」
「ルーナ?」

 ルーナは俯いたまま、返事をしなくなってしまった。レオンハルトが差し出した腕にも掴まる様子はない。

「ルーナ、大丈夫ですか? どこか痛むんですか?」

 ルーナはふるふると首を横に振る。

「じゃあ、顔を上げられますか? 俯いていたら立ち上がる時に危ないので……」
「……上げられないわ」
「どうしてです?」

 レオンハルトは困惑した。どこも痛くないのに、ルーナは立ち上がりたくなさそうだ。地面に座っている方が冷たくて不快だろうに、どうして立ちたくないんだろうか。

「……ここは馬車が通る可能性もあって危ないので、とりあえず立って脇に逸れませんか。僕が抱えるので……」
「……嫌よ」
「嫌って……じゃあずっとここにいるんですか?」
「いますわ」
「ここにずっといて良いわけがないでしょう。ほら、立ってくださ……」

 レオンハルトはルーナの対応に困り果てて、無理矢理にルーナを起こそうとルーナの腕を掴んだ。
 すると、ルーナが思い切り腕を振って、レオンハルトの手を振り解いた。

 ルーナの明らかな拒絶に、レオンハルトは一瞬驚いたが、その後に感じたのは苛立ちだった。

「ルーナ、いい加減に……っ」
「あなたの顔が見たくないのよ!」
「見っ……え……っ?」

 それまで感じていた苛立ちは一瞬で消えた。

 予想の範疇を遥かに超えたルーナの言葉に硬度に頭を殴られ、足元がぐらりと崩れ落ちそうになる。

「他の女性とキスをした夫の顔なんて誰が見たいと思うの?!」
「……っ!」

 レオンハルトは「あっ」と声が出そうになるのをすんでのところで堪えた。
 そうだあの時、ナディア王女といたのをルーナに見られていたのだ。

 最初はキスの誤解を解く為にルーナを追いかけたはずだったが、ルーナを探しているうちに、ルーナが転んでいるのを見たうちに、すっかり忘れてしまっていた。

「ルーナ、違うんです」
「違う……? 何が違うの?」
「僕は……」
「あなたが、王女様の為に私と結婚したこと?」

 ドクン、と大きく心臓が脈打った。

 ナディア王女がキスをして来たのを見られただけだと思っていた。しかし、それよりももっとまずいことをルーナに知られてしまった。

 ルーナがレオンハルトの手を借りず、ゆらりと立ち上がる。
 俯き加減だった顔がようやく上げられて、ぐしゃぐしゃになった髪の中から、綺麗な顔が現れた。

「それとも、あなたがいつか私と離婚して、王女様の元へ帰っていくこと?」
「……あ、」

 焦りが喉に突っかえて、うまく言葉が出ない。早く何か言わないといけないのに、何を言っていいのかわからない。頭が上手く働かなくて、嫌な汗ばかりが吹き出してくる。

 どうしよう、どうしよう――。

 大切にしようと決めたのに。ルーナのことを守ろうと思ったのに。
 傷付けてしまった。どうしようもなく深い傷を、心に負わせてしまった。

 一番知られてはいけないことだった。ルーナにだけは、絶対に知られてはいけないことだったのに。

「……あなたって最低よ」 

 レオンハルトを睨みつけていたルーナの眉がぎゅっと寄せられて、堪えようとして堪えきれなかった涙がぽろりと瞳の端から落ちた。

 それは見ただけで毒薬のようにレオンハルトの全身を痛めつけ、心臓には特に切り刻まれるような痛みが走る。

 ぽつ、ぽつ、と雨粒が頬に触れた。かと思えば、ザァと音を立てて雨が激しく降り出した。

 ルーナの涙を雨粒が攫ってしまって見えなくなる。
 しかしルーナの頬を濡らす雨が、髪を伝う水滴が、そのすべてが、堰を切ったように溢れ出すルーナの涙のように見えた。



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