だから僕は魔女を娶った

春野こもも

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第四章

魔女であること

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 レオンハルトは派手に後ろから思い切り倒れこんだ。雨でぬかるんだ地面を歩いてきたせいで、靴に付着した湿った土で滑ったのだ。

 転んだ拍子に後頭部を思い切り打ちつけて、脳が揺れる感覚に目の前にチカチカ星が飛ぶ。
 すると、燭台を投げつけた張本人のルーナが悲鳴を上げて駆け寄ってきた。

「レオン、大丈夫?!」

 そんな無茶苦茶な……。と思いつつ、頭も打ってしまったせいかうまく口を動かすことができない。
 まさか先の戦争の英雄が、自分の妻に物理でノックアウトさせられてしまうとは……。

「レオン、嫌! 死なないで!」
「死にませんよ……」

 軽い脳震盪を起こして動けないだけで。
 ルーナは慌てふためいた様子でレオンハルトを抱き起こそうとする。

「いやー! 死なないで! 死んじゃいやよぉ!」
「あの……ルーナ……今あんまり動かさないで……」
「え?! あ、ごめんなさい! そのままの方がいいのね?!」

 ルーナに再び冷たい床の上に寝かされる。
 少し経つと、だいぶ痛みも軽減されてきた。もう少し立てば動けるようになるだろう。
 ルーナを見上げると、今にも泣きそうに金色の目に涙を浮かべてレオンハルトを見ている。

「……大丈夫ですよ。僕が鈍くさいせいで、転んでしまいました。ルーナのせいじゃないです」
「私が燭台を投げたから転んだのでは……?」
「…………」

 その通りなのだが、フォローしたのになぜぶった斬られてるんだ。

「ごめんなさい……レオン……本気で投げたけど、あなたなら避けてくれると思ったの……だって、副団長様だし……」

 グサ、グサ、と心の深いところまでルーナの言葉のナイフが突き刺さる。肉体的にも精神的にも満身創痍である。

「……僕は君をとても怒らせてしまったようですね」
「…………そうよ、だって……だって、とても悲しかったの……。あなたが私に求婚してきたとき、そりゃもちろん何か目論見があるんだろうとは思っていたわ。だけど……レオンと暮らしている間に、そんなことはどうでも良くなってしまったの」

 レオンハルトは少し驚いた。
 ルーナはレオンハルトの下心が何だろうかと怪しんでいたのか。そのことにレオンハルトは全く気が付いていなかったのだ。

 思い返せば、初めて会ったとき確かに、どうして求婚したのかわからないけど……のようなことを言っていた。

 だけどルーナは、その訳を一度もレオンハルトに追及したことはなかった。だからレオンハルトも、ルーナがそういった疑問を抱えていることを忘れてしまっていたのだった。

「でもまさか……王女様の為だったなんて。王女様の為に私と結婚して……私と別れたら王女様と結婚するつもりだったなんて……そんなの、ひどいじゃない」
「…………」
「私は、王女様の……王女様のせいで、魔女になってしまったのに……」

 ルーナはぐっと唇を噛み締めていた。拳が握られて、小刻みに震えているように見える。

 言ってはいけないことを我慢できずに言ってしまって、だけどやっぱり言ってしまったことを後悔しているような……そんな顔だった。

 綺麗事だけで言うなら、「神殿の神託のせい」で勝手にルーナは魔女にされて、王女を危ぶむ存在になってしまった。

 だけどそもそも王女がいなければ、ルーナは魔女ではなかったかもしれない。

 そんなたらればを、今まで何度考えたのだろう。そして何度それを押し込んで、無理に笑ったのだろう。

 ルーナの明るさは、天性だけではない。努力の賜物だった。

 レオンハルトはそんなルーナの努力を裏切ったのだ。ルーナのことを守りたいと言いながら、慕っていると言いながら、一番ルーナを打ちのめすことをやったのだ。

 レオンハルトは腕に力を込めて、ゆっくりと身を起こした。少しふらついたが、起き上がってしまえばどうってことない。

「……僕は、君と別れるつもりはないし、王女様と結婚もしません」
「でも、」
「……正直に言います。確かに最初は、王女様の為に君に求婚しました。王女様を守る為に、長くても3年だけ、君と結婚するつもりで……」

 ルーナが傷付いた顔をする。こんなことを言う資格はないと分かってはいるけれど、レオンハルトの心も痛かった。

「でも、君と過ごしているうちに……ルーナが僕が勝手に抱いていた人物像とはかけ離れていることがわかりました。君は魔女ではなくて、ただの人間でした」

 おしゃべりで、おてんばで、泣いたり笑ったり、気まぐれを言ったり、時にはこんな風に怒ったり。
 口下手で無愛想なレオンハルトよりもよっぽど人間らしくて、明るくて、でも本当は繊細で。

「魔女じゃない。君はただの人間です。普通の、18歳の女の子です。……そうでしょう?」 

 ルーナの頬を伝って、涙がぽとりと落ちた。それを指先で拭っても、今度は振り払われない。

「そんな普通の女の子を、僕は好きになりました。君が好きです。だから君とは離婚したくありません」
「……今更そんなことを言うなんてひどいわ……」
「……傷付けてすみません。僕は、君の言う通り最低な男です。王女様を守ると誓って、心変わりして、更には君のことを守ると言ったくせに、結局守れませんでした」

 ルーナのことを想うのなら、真相を何が何でも隠し通すべきだった。墓場まで持って行けるよう、どうにかして努力するべきだったのに。

「僕のことを信用できないのも無理はないですし……嫌われてもしようがないことです。……ルーナが望むなら、別れも受け入れます」

 本当は、嫌だと叫んで駄々を捏ねたいくらいだけれど。

 王女も裏切って、ルーナのことも傷付けた。ルーナの言う通り最低だ。こんな男には別れたくないと言う資格もないだろう。

 ルーナはぽたぽたと涙を落としながら、ぽつりと一言呟いた。

「……私が魔女だと、騎士団の方々に知られてしまったわ」
「……すみません…………」
「上官の妻が魔女だなんて、格好がつかないわね」
「格好なんてどうでもいいことです」
「嘘を言わないでよ」 

 ピシャリとした口調で返されて、レオンハルトは思わず口を噤んだ。
 部下に信用されない上官は、上官とは言えない。まともに任務も遂行できなくなるかも知れない。ルーナはそれを分かっている。

 ルーナは俯いたまま、ぽつぽつと言葉を紡ぎ始める。

「お母さまは私を生んで死んだの。噂と同じよ」
「でも……」

 噂では、ルーナの母はルーナを産んだ際に、ルーナが纏った炎で焼かれて死んだと言われている。
 ルーナは魔女ではないのだから、そんなことはあり得ない。

「私のせいで死んだの。きっと炎に焼かれるような苦しみだったわ。だから、噂は本当よ」
「っそれは違うじゃないですか!」
「いっしょじゃない!」

 ルーナがほとんど金切り声で叫んで、わぁと床にうつ伏せた。

「もう嫌なの! 全部嫌! 何もかもが嫌よ! 私が何をしたって言うのよ! 何もしてないじゃない! 大人しく人目に触れず、屋敷に閉じこもってひっそり生きてきたじゃない!」
「ルーナ……」

 言葉が見つからない。
 何と言えばいい? 何を言えば、ルーナの心が晴れるだろうか?

「生まれて来なければよかった……っ」

 いや、そんな言葉は存在しない。
 レオンハルトから何を言われても、ルーナが魔女と呼ばれる現実は変えられないからだ。

 ルーナ・ツェーリンゲン。
 名門公爵家の令嬢として生まれ、生まれた際に母を殺し、王女殺しの神託を受けた魔女。

 その容姿は老婆のようにシワシワで干からびた顔だとか、とんでもない大女だとも言われる。

 しかし実際にその姿を目にした者はほとんどいない。魔女が20歳になる頃、王女に重篤な危害をもたらすと言われているが、その方法は不明。

 何一つ本当のことなどないのに。

 レオンハルトは教会の真ん中にある、大きな女神像を見上げた。

 女神様――。
 あなたを祀る神殿で、あなたの神託が、この少女を魔女だと言います。
 でもその魔女は、魔法も呪いも何も知りません。

 神託とはなんですか。
 一体どうして、ルーナが魔女になったのでしょうか。
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