だから僕は魔女を娶った

春野こもも

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第四章

長い夢

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 森にルーナの悲鳴が響き渡る。
 身体が動かない。動かないといけないのに。ルーナを守らなければいけないのに……。

「動かないで!」

 渾身の力を込めて腕を動かそうとすると、ルーナが必死の形相でそれを止めた。

「大丈夫、大丈夫よレオン……っあなたを斬った人は逃げたわ……あぁ、どうしましょう……っ」

 ルーナの声が震えている。そうか、逃げたのか。ひとまずそれはよかった……。
 痛みはそれほどだった。脳内で痛みを麻痺させるような物質が分泌されているのだろう。
 だくだくと腕を伝って地面に流れる出血の量が酷い。それを視界の端に入れながらまずいな……と他人事のように思った。

 寒い。目の前が霞む。目を開けていられない。意識がどんどん遠くなっていく。
 もしかして、これが死ぬということだろうか。

 僕は死ぬんだろうか?

 それは嫌だ。ルーナを一人にしてしまう。ルーナとずっといっしょにいたいのに、守ると誓ったのに……。
 これが報いだろうか? 王女を裏切り、国に背き、女神の前で愛を誓った罰なんだろうか?

「レオン……レオン、いや、いやよ……返事をして! お願い……お願い……!」

 声だけでなくて、レオンハルトの体に触れる指先までもルーナは震えている。
 返事がしたい。ルーナにごめんと、逃げろと言いたい。なのに口が動かない。死にたくない。死にたくないけれど……。

 もしもこれがルーナを愛した罰だと言うならば、甘んじて受けるべきなんだろうな……。

 そう思ったのを最後に、レオンハルトの意識は途絶えた。

 ――――――――

 気が付いたら、何もない丘の上に立っていた。
 
 ……ここはどこだ?
  
 小高い位置にあるらしいここからは、見知らぬ小さな街が見下ろせた。

「あっ……」

 見知らぬと思っていたが、知っている建物がある。シェザーレ王国の王宮だ。
 つまり、あそこは王都だろうか……?

「それにしては、見覚えがない建物ばかりだ……知っている店もないし……王都はあんなに田舎だったか?」

 そっくりな王宮があるだけで、別の街なんだろうか。王都はもっとたくさん建物があって、家や人で街が賑わっているし、あんなにこじんまりとした規模の街ではない。

 しかしどうしても、ここはシェザーレな気がする。
 けれど決定的に何かがおかしい。じっと街を見下ろしてみて、その正体にやっと気が付いた。
 
「何世紀前の建物なんだあれは……」

 王宮の次に大きな建物は教会だった。というか、それくらいしか高い建物がない。
 しかしその教会は見たことがない建造物で、様式がかなり昔のものだった。

「ルーナが隠れていた教会に似てるな……」

 街を観察していると、後ろから誰かが駆けてくる足音が聞こえた。

「アルガー?」

 女性の声だった。アルガーとは誰だろう。レオンハルトの周りには、ほかに人間はいない。
 人を探しているようだが、ここにはその人物はいなさそうだ。

 そう思った瞬間、口が動いた。

「ここだ!」

 ……え?
 勝手に口が動いて、勝手に話した。
 どういうことだ? 僕はアルガーではないのに。

 ……あれ? 僕は、誰だ?

 ――――――

 息が苦しい。気を失ってしまいそうなほど。だけど息が吸えない。なぜ吸ってはいけないんだ? そうだ、水の中にいるからだ。

「ぷはっ……」

 水面から顔を出して、酸素をめいっぱい肺に吸い込んだ。
 無我夢中で川の中で立ち泳ぎをするが、自分の手足がやけに短く感じる。

「レオンハルト! レオン! どこにいるの?!」

 そうだ、僕はレオンハルトだ。

「お母様! ここにいるよ!」

 呼びかける母の声に、レオンハルトは水の中から返事をする。
 すると、母が大慌てで岸までやって来て「なにしてるの!」と声を上げた。

「こっちに来なさい! どうしたの?! 川に落ちたの?!」

 レオンハルトは岸へと泳ぎながら、どうして川の中にいたのか考えた。
 そうだ。母の言う通りレオンハルトは川に落ちてしまった。
 岸までくると、母が伸ばす手に掴まって引き上げてもらった。

「もう! 心配したのよ! だから川のそばでふざけないでって言ったでしょう!」

 母に抱きしめられて、怪我がないか確かめられる。
 たしかにレオンハルトは川の中に落ちてしまったが、それは自分の不注意ではない気がする。
 川のほとりを歩いていたら、誰かに後ろから押されたような……。

「早く家に帰りましょう。風邪を引いてしまうわ」
「お母様」
「なーに?」
「ブランコ乗りたい」
「服を着替えて、暗くならないうちならね!」

 わぁいと喜ぶレオンハルトの手を引いて、母は家までの道をレオンハルトといっしょに歩いた。

 冷たい服が体に張り付いて気持ち悪かったけれど、母と手を繋いで帰るのは楽しかった。
 この後、母といっしょにブランコをするのも楽しみで、いつのまにか自分がどうして川の中にいたのかなんてこと、忘れてしまった。

 母に着替えさせられて、温かいココアを飲んだ。
 早く早くと母を急かして、小さな庭に生えている木に取り付けられたブランコに飛び乗った。

 そのブランコに乗って、母に背中を押してもらって遊んでいると、何か自分が大切なものを忘れている気がした。

「……? どうしたの、レオン。急に黙り込んで」
「お母様……僕、行かなくちゃ」 
「どこに行くのよ? 不思議な子ね。あなたの行くところはあなたの家しかないでしょう」
「……そうだっけ?」

 レオンハルトがそう言うと、母はおかしそうに笑った。そしてレオンハルトを後ろからぎゅうと抱きしめてくれた。

 ……そうか。お母様がそう言うなら、そうなんだ。

「さぁ、もう暗くなってきたわよ。晩御飯を支度しなきゃ」
「僕も手伝うよ」
「優しい子ね」

 ブランコを降りて母の手に掴まる。沈む夕日を背に、レオンハルトは母と2人で暮らす家に歩き出した。

 家の中に入って、扉を閉める直前。
 反動でいまだに揺れている無人のブランコを見つめた。

 何か忘れている気がする。何か、何かを……。

「レオン! 早く扉を閉めて!」 

 母の声に、レオンハルトはハッと我に帰る。

「はーい、お母様」
「今日はシチューにしましょう」

 わぁいと歓喜の声を上げながら、レオンハルトは扉を閉めたのだった。

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