また逢えるときまで生きよう

青桜さら

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前編

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 強い日差しを避けるように、河原冬也は木陰の入りベンチに座る。
 木々に囲まれた公園は、気持ちが良いくらい濃い緑の葉に覆われていた。
 せっかくの日陰でも、吹き込む風は生暖かくて首筋から汗が流れおちいく。
 蝉が一斉に鳴き続け、さらにこの季節をつよく意識させられる。

『生きて』

 半年前に聞いた声をふいに思い出す。
 肌寒い黄昏時に恋人が目の前に現れた。
 そしてたった一言そう言い残すと、恋人は消えた。
 後で恋人が息を引き取ったと、知り合いから連絡をもらったことをよく覚えている。

 特別だと思ったことがない恋人。
 葉月孝晴はいつだって冬也に素っ気なかった。
 ただ同性というだけで、彼の死に際に会うことは叶わなくて、それを思うととても悔しく、葬儀すら友人として参列するだけになった。
 誰も彼と自分の関係を知るものはいない。
 孝晴は冬也に、周りに気づかれないようにと言っていたから。

 あのときから半年がたつ。
 あとどのくらい、生き続けないといけないのだろう。
 失ってから初めて気づく。
 彼の大切さを胸をかきむしりたい衝動に駆られる。

 もしこの世に神様がいるのなら、どうか彼にもう一度会わせて欲しい。
 彼にひとこと謝りたい。今まで大切にできなかった事を。
 孝晴がどう想っていても、冬也自身が彼を大切にすれば良いだけだった。
 何もかもが手遅れで、切ない気持ちになる。

 そんなうなだれる孝晴に、黒い子猫が甘く鳴いた。

  ◆◆

 冬也は仕事場でパソコンの画面をにらみ、ひたすらコードを打ち込む作業を繰り返す。
 一人きりの自宅にいるのも気が滅入るので、寝る以外は会社でパソコンをにらむ生活をしている。
「河原は帰らないのか?」
 そう背後から声をかけてきたのは、この会社の社長であり孝晴の父親だった。
「そんなに急ぐ仕事もなかったと思うが?」
 会社と言ってもそんなに大きな会社ではなく、システム開発と構築を請け負う会社。
 依頼主とシステムエンジニアともに、優秀な人材がそろっているため、プログラミングをする冬也としては、この会社での仕事がしやすかった。
 突然の変更などもさほどないように、最初の依頼内容をしっかりと相手にイメージしやすく提案してくれているからだろうと思う。
 少人数の社員でも優秀な人がいれば、仕事はすんなり進む。
 冬也は社長に軽く頭を下げる。
「確かに急ぐものはないです。けれど、進めておいて悪いものでもないでしょう?」
「そうだけど……河原、何かあったのか? ここ半年こんな状態だろう?」
 そう問いかける社長から冬也は目をそらす。
 言えるわけがない。冬也はこの会社にいた社長の息子と交際をしていた。
 孝晴は幼い子供をかばい、低体温で命を落としたらしい。詳しい事はなにも教えてもらえず、共通の友人を通して知った。
「冬也?」
「いえ何でもないです。孝晴さんがいなくなって、さみしくなったなと」
「そうだな、孝晴は大切な社員で自慢の息子だった。優しくて、心が強い。依頼主の信用も厚い男だったな」
 社長は目を伏せると、小さくため息をついた。
「だけど河原も大切な社員だ。無理をしないで欲しい」
「はい」
 冬也の肩を励ますように軽くたたいて、社長は事務所を出て行った。
 一人になった冬也は社長に心配をかけたくなくて、パソコンに打ち込んだデーターを保存をしてから電源を落とし会社をあとにする。

      ◆◆

 会社の外に出ると、うだるような暑さは少し収まり、日が沈みかけていた。
 会社に来たときは、まだ日が昇る前だったというのに。
 薄暗くなっていく景色は、この世とあの世の境目を曖昧にするかのように感じる。『逢魔が時』あるいは『黄昏時』といわれる時間帯なのだろう。
 不意に視界が歪み幻聴が聞こえた。
『彼は誰?』
 いつの間にか黒い子猫が足元にいた。この子から声がしたのは気のせいだろうか。
 子猫は冬也ではなく、前を見ていた。
 つられて前を見ると揺らめく影が、目に映る。
『彼は誰?』
 黒い子猫はもう一度、冬也にそう訊いた。
 誰って……?
 見覚えのある姿に冬也は眉をひそめる。
 現実味の薄いまま子猫に答えた。
「いま逢いたい人」
『本当に?』
 時間帯的にもしかしたら、魔物に遭遇してしまったのかもしれない。そんな妄想みたいな事を考え……それでも懐かしいその姿に心を震わせた。
 魔物でもいい、孝晴に逢いたい。
 子猫は甘く鳴く。
『今は逢魔が時。道を間違えないで、帰れなくなるから』
 その言葉に冬也は子猫を見た。
 黒い子猫は、まっすぐこちらの目を見つめる。この違和感は何だろうか。
 冬也が視線を見覚えのある姿に戻すと、すでに黒い影は消えていた。
『気をつけて。お盆に逢いにいくから、それまで待っていて』
 子猫は言い終わるとさっと体をひるがえしてしまう。

 これは、現実ではないだろう。
 子猫が話すとか、逢いたい人の影を見るとか……そんな事があるはずがないのだから。
 幻を見たに違いない。

      ◆◆

「河原、お盆は実家に帰るんだろう?」
 パソコンの画面から目を上げると、社長が休憩スペースでテレビを見ながら訊いてくる。
 冬也の席からテレビ自体はみえないけど、夏の高校野球特有の音が流れている。
 声援と応援歌と解説者の声。ときおりバットが鳴る。
 いつもなら冬也も毎年一緒に見ていたけれど、そんな時期になっていたこと自体を忘れていた。
 そして毎年、お盆には実家に帰り親戚とやりとりをしていた。今年も帰るのが普通だろう。
「今年は……静かに自宅で過ごしたいです」
 そう伝えると社長は心配そうにこちらを見る。
「最近ずっとふさぎ込んでいるな?」
「…………」
「気晴らしという気分にも、ならないのなら仕方ない。お盆のときはこの事務所を閉めるから。少しは体を休ませてやれ」
「はい」
 河原らしくないとつぶやき、社長はテレビに目を戻した。
 自分らしくないことは、冬也自身も自覚している。

 孝晴を生涯の伴侶だとは思っていなかった。
 それは孝晴も同じ事を言っていて、互いにそれを分かったうえで軽い付き合いをしていた。
 なのにどうして、こんな気持ちになるのだろう。胸が苦しい。


 もうお盆が近い。あの幻が本当なら孝晴がくるのだろうか。
『逢いに行くから』
 その言葉はどうしてか耳から離れない。
「幻でもいいから、逢いたいな」
 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて、打ち込みの作業に戻る。
 胸の中にできた空虚は、どうにもできなくて結局こうして、気を紛らわせコードを打ち込み、現実から遠く離れることしかできなかった。



 盆が来て孝晴のお墓に行こうか少し悩む。
 月命日すら人目を避け日暮れから日没くらいにいくのに。しかも冬也がいた形跡をすべて持ち帰る。
 線香の灰も、備えた花も。誰にも悟られないように。

 盆には孝晴の親族が集まるだろう。
 結局、自宅に帰ることしかできなかった。


 お盆の休み中に、何をして過ごせばいいのか。
 何か夕食を買っていくかなと思うけれど、それも面倒だなとやめることにした。
 いやな事は大抵、寝て忘れたい。
 忘れたことはないけれど。
 日が暮れ夜が迫り、この世とあの世を曖昧にするかのような錯覚に陥る。
 ふとマンションの部屋の前に、人影をみて足を止めた。目を懲らすとその人影はこちらを見て、こちらにやってきた。
 誰だろう?
 そう思うと同時にその人影は、片手を上げて声を上げた。
「冬也、やっと逢えた」
「……孝晴? いや、まさか……」
 すぐ目の前にやってくると、その人影の顔がよく見える。
 見た目は間違いなく、懐かしい孝晴の顔だった。
「逢いにいくって、言っただろう?」
 これもまた幻なのだろうか。
 それでも逢いたいと願ったのは、冬也自身。なら幻だとしても良いじゃないかと思う。
 そんな冬也に孝晴は、手を伸ばしてくる。
「信じられないって顔してる」
「…………」
 彼は伸ばした手を冬也の頬を包み、笑みを浮かべた。
「冬也に逢いたかった」
 そう言い、手のひらを頬から顎へと這わせる。
 懐かしい体温が冬也の理性を崩していく。
「孝晴が、逢いたかったのか?」
「そうだよ、俺が逢いたかった。君は信じないかもしれないけれどね」
「僕たち……そんな付き合いじゃなかったよな?」
 呆然とする冬也に彼は、苦笑いする。
 でもしっかりと目線を合わせてきた。
「確かに、軽い付き合いって決めていたけど。でもさ、最期に逢いたいって願ったのは、冬也だけなんだ」
 だから、気がついたら最期の瞬間に冬也の元に、意識が行ったという。
「あのさ『生きて』って何?」
「うん、本当はきちんと伝えたかったんだけどね。『俺を忘れて、これからも生きて』って言いたかった」
 孝晴を忘れて? そんな言葉に冬也は目を見開く。
「だってそうだろう? 人は死んだら終わりだ。でも君はこれからも生き続ける。俺は邪魔でしかないだろう? 軽い付き合いとはえ……死に別れってやつになるんだし」
 それは忘れなくては、いけないことなのか。
 文句を言おうとして、やめた。
 孝晴に伝えたい言葉があった。それを伝えたいから、冬也もまた彼に逢いたいと願った。
 もしかしたら、この時が本当の別れになるのかもしれない。
 なら、伝えなくちゃいけない。
「孝晴にずっと言いたいことがあった」
「なに?」
 彼は怪訝そうに首を傾げる。
 そんな孝晴を見つめた。
「ずっと謝りたかった。孝晴との付き合いをもっと大切にすればよかったと後悔ばかりしていた。ごめん、難しいこと何も考えないで悪かった」
 自分の目頭が熱くなる。
 頬に添えたままだった、孝晴の手は冬也の髪の毛を撫でる。
「うん。俺もごめんね。本当に大切なことは失ってから知るっていうけれど……本当だった。大好きだよ冬也」
 彼は切なそうな声でそう呟くと、両腕で冬也を抱きしめた。
 生きているはずがないのに、どうして温かいのだろう。熱かった冬也の目頭から水滴がこぼれた。


 部屋の前に男二人が抱きしめ合っている、そんな状況にやっと気づいた冬也は、孝晴を部屋に招き入れた。
「冬也の部屋に来たの、初めてだね」
「僕だって、孝晴の部屋に行ったことないよ」
 その程度の付き合いしかなかった、ということだろう。
 ホテルさえあれば、ことが済んでしまう。一晩一緒に朝まで過ごしたことさえなかった。
「ごめんね」
「お互い様だろう」
 これはきっと一晩の奇跡というものだろう。そうでなければ、幻か夢か。いずれにしてもこの瞬間を無駄にしたくない。
 冬也は孝晴に抱きつく。
「冬也?」
「孝晴、一緒にお風呂入ろう?」
「冬也、それは」
「いいだろう? 恋人に髪を洗ってもらうのが夢だったんだ」
 孝晴は眉を下げて、困った表情を浮かべる。
「だから冬也、それはもう俺の役目じゃあないんだよ?」
「今夜で最後にするから。忘れるように努力するから。お願い今夜だけそばにいて欲しい」
 それでも彼は動かない。抱きしめ返してもくれない。
 孝晴は本当に逢いに来ただけ、なのだろう。
 もうこの世に属さない存在だからか。『忘れて欲しい』から触れあうことはできない、と言われているみたいだ。
 胸が苦しい。悔しさと悲しさで、冬也は目を伏せた。
「もし孝晴が髪を洗ってくれないなら、僕はこの先ずっと一人で生きていく」
「何を言っているんだよ?」
「別に……独り言だから気にしないで。孝晴を一生想い続けるし、もう誰も恋人にしない。孤独のまま死ぬのを待つから」
 これは、孝晴にとって脅しに近いだろう。
 それでも、言わずにはいられなかった。
「それにもし何もするつもりがなかったなら、実体を持たずに来たら良かったじゃないか。下手に期待させて、孝晴は僕をそんなに苦しめて楽しいの?」
 彼は冬也の本音に気づいているかのように、苦笑して髪の毛をすいてくれる。
「冬也のわがまま初めて聞いたな。いいよ、髪を洗ってあげる。でも後悔しないでね。それから冬也だけが、悲しいとか苦しいとか思わないで」
 そう言って彼は冬也の手を引き、浴室の方へ歩いて行く。
「なんでうちの、間取り知っているんだ?」
「建物の作りっていうのは、基本だいたい似たり寄ったりだよ。特殊なものじゃない限りはね。でも……まあ、そうだね。冬也、浴室に連れて行ってくれる?」
 嬉しそうにそう言って彼は待つ。
「孝晴に甘えられるの、初めてかも」
「そうだよ。俺は大抵は何でも出来てしまうからね」
「言わなきゃよかった」
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