なずなの日和風

青桜さら

文字の大きさ
上 下
2 / 2

押しかけ同棲新生活

しおりを挟む
 サラダとは生野菜を切り、ドレッシングをかけて食べる。ただそれだけの簡単な料理。
 だと誠二は思っていた。
 なんなら、キャベツをちぎるだけでもサラダと言えるだろう。
 たかがサラダ。
 しかし…されどサラダ。
 誠二は今までの人生の中で、いま未知との遭遇をしていた。
 サラダといえば、学生生活で調理実習の時など作ったりと……簡単な料理だろう。
 ドレッシングは簡単に作ることが出来るし、買ってきても良いと思う。
 家事の中でも、誠二が壊滅的にダメなのは料理だった。

◇◇

(キャベツをちぎる……)
 栄養が水に流れないと思えば、それも悪くはない。
 遥人は考える。
 男らしい料理といえば、そうだろう。けれど色合いも欲しい。
 一目惚れした人はかなり大雑把。それでも好きだから、恋とは手に負えない。
「誠二さん、野菜を洗ってからサラダにしましょう。レタスもお願いします」
「洗う?」
「水洗いで大丈夫ですから」
 食器洗い洗剤を誠二の手から取り上げて、にっこり笑いながら子供に教えるように丁寧に手順を説明していく。
(もしかしたら、米を洗剤で洗い出すかもしれない)
 野菜を洗えば水が滴る。料理後に掃除すれば、それは問題にならない。
 むしろいま問題なのは……。
「誠二さん、野菜の水切りをして欲しいのですが……」
「なんでだ?」
 どこから説明するべきか遥人は悩む。
 夕食をほとんど外食にしていたのは、誠二が全く料理ができないからだった。
 予想していたことだけど、これほどまでとは想定していなかった。
「見てください。皿の底に水が溜まっています。これではせっかくのドレッシングが薄まってしまいます」
「でも水だから別に平気だろう?」
 相手が誠二ではなかったら、この時点で見放すところだ。
(ん? ここまで何も知らないなら、自分好みに教え込んで行けるかも?)
 それはそれで、いろいろ美味しい立ち位置だと遥人は考える。
 遥人が何も言わなければ、誠二は教えてもらうことに感謝するだろう。
(家事をある程度、覚えてしまったらどうなるだろう)
 遥人が学生生活を終えたあと、もしかしたら誠二にまた恋人が出来るかもしれない。
 下宿という言い訳が使えなくなり、遥人はこの部屋を追い出されるだろう。
(それは……嫌だな)
 誠二の場合、創作料理なずなで常連客だったことを考えたら対策は見えてくる。
(この場合は胃袋を掴むことが先決)
 生きることと食べることは、密接で切り離せない。
 なら誠二の胃袋を掴んでしまえば、生きる上で遥人を手放したくないと思うだろう。
(正面から告白しても、断られるだろうな)
 この部屋に遥人の気配を馴染ませ、一人では生きていけないほどに甘やかしてあげたい。
 情に厚い誠二なら、後なればなるほど遥人を理解して簡単に追い出さすことは無いだろう。
(まずは胃袋。次に過ごしやすい環境。それから……)
「なぁ遥人。水切りするのが一般的なら、教えて欲しい」
「一般的といいますか、美味しいものをさらに美味しくするためですよ」
 言葉とは裏腹に、心の中では遥人の計画が立てられていく。
 
 今日は土曜日。遥人も誠二も休みの朝。
 今朝は一緒に朝ごはんを作ることにしていた。
 休みの日はゆっくり寝たいという誠二は、ここ数日の期間に朝ごはんを用意したためか、休みの日でも早く起きてくるようになった。
(はじめて作ったサラダを喜んでいたし、毎朝のだし巻き卵を嬉しそうに頬張っていた。味の好みは把握している。基本的に薄味派)
 手帳に誠二が好むものを心にメモして、ため息をつく。
 悩ましいのは昨夜のこと。

 金曜日の夜に、誠二はお酒を呑む。
 休みの前日だからか、とても気分が良さそうに過ごしていた。
 同性同士だからこそ、身の危険さえ感じないのだろう。
 そのままリビングで寝てしまい、遥人は誠二を抱き上げベッドへ運んだ。
 酔っているせいで頬は赤く、愛情に飢えているせいか無意識に甘える。

(自制心が壊れるかと……)
 そんな昨夜のことを思い出していると、ダイニングの扉が開く。
「おはよう。遥人は起きるの早いね」
「そんなことないですよ」
 朝の挨拶をしながら、目の前の男のせいで眠れなかったとは絶対に言えない。
「さて、何を作りますか?」
「だし巻き卵」
「難しいのでは?」
 悔しそうに誠二は黙る。
(食べたいってことかな?)
「でしたら、だし巻き卵を僕が作ります。誠二さんは味噌汁を作りましょう」
 ご飯は昨夜のうちに用意して予約で炊き上がっている。
 味噌汁は食事の中でも簡単なほうだろう。
「……わかった」
 そう答える誠二を見て、だし巻き卵が気に入ったことを確信した。
(胃袋を掴むのは、難しくないかも)
 遥人の脳内では着々と、誠二を落とす計画を練り上げていく。

 本人には言っていないけれど、昨夜の寝入った誠二は歳の割には童顔で、無防備で可愛かった。
(さすがに、イタズラしたのは言えないなぁ……)
 無防備な誠二を見て、悠斗はまたため息をこっそりついた。

◇◇

 数日後。
「今日こそは、だし巻き卵を教えて欲しい」
 誠二は遥人にはっきりリクエストする。
 それほどまで、気に入ってもらえたと遥人は内心にやりとした。
「誠二さんがそこまでいうなら、いいですよ」
「本当か?」
 誠二がそう喜ぶくらいには、教えてくるのを渋ってきた。
(まぁ、教えたところでそれを作れるかどうかは……別なんだけど。それは黙っておこう)
 数分後。
「だし巻き卵なのに、だし巻けない卵……」
 キッチンテーブルのところには、その「だし巻けない卵」が乗ったお皿が数皿並んでいる。
 がっくりとする誠二に遥人はにっこりする。
「卵料理というのは基本で、なかなか奥深いものですよ。だれでも最初からうまくはいかないですから」
(そう。簡単に作れないからこそ、毎朝食べさせてきた。そして基本的なみそ汁もまた味噌やだしの調整で味が変わる)
 
 時間のない平日は、誠二の朝ごはんは遥人がさっと作ってしまう。
 もちろん隠し味もしてあるから、同じように作ろうとしても無理があるだろう。
(普通の料理なら簡単にできる。だけど人の作った料理というのは、なによりも美味しい)
 仮に遥人がここを出ることになっても、誠二は遥人の作る料理の味が忘れられないだろう。
 さて、次はなんの料理で捕まえるかな……と顔に出さないように計画を立てていく。
「誠二さん、もう卵がないです。ご飯とみそ汁は用意しましたので、朝ごはんを食べましょう」
「わかった」
 遥人はさわやかな笑顔で、誠二を諦めさせた。

 二人向かい合わせではなく、ダイニングテーブルの角を挟み食事をはじめる。
 この角の席が大切なところ。
(パーソナルスペースは全面と背面は広いけれど、横は割と狭い。腕が触れそうなほど近くても誠二さんが気が付かないのは、そのせい)
 好きな人の近くにいたいというのは、仕方ないことだろう。
「ところで誠二さんは、よく眠っているようですけど……」
「そうだな、外食も減ったしその分リラックスできて、朝までよく眠れるようになったよ」
「それは良かったです。体が資本ですから……でもたまには『なずな』に来てくださいね。オーナーの叔父が心配しています」
「?」
「ほら、毎日のように来店していましたから」
 誠二は納得したように頷いた。
(本当はそんなことないけど、叔父の売り上げを奪っているようで……)
 逆に言えば、ここまで遥人の手料理を気に入ってくれたということだ。
(それにしても、どれだけイタズラしたら……夜に目が覚めるのかな?)

 いつもいつも和食で誠二の胃袋を攻めているわけではない。
 リクエストのできない平日の朝は、和食と洋食でいろいろ試している。

(料理が趣味でよかった)
 普通に料理をこなす人は多いだろう。
 むしろ誠二のような家庭環境で、家事が一切できないというほうが今では珍しい。
 それでも、男女問わずに料理や家事が好きで仕方ない人は少ないと遥人は考える。
 誠二が少しずつ家事を覚えていくけど、洗濯物をやるときは眉間にしわが寄っていた。
 できるけど、やりたいわけじゃない。
 それは一般的に多数だろう。
(さて、今朝はベーコンとスクランブルエッグ。あとは昨日の残りもの)
 体力を使う仕事なら、栄養もエネルギーも大切。
 とはいえ毎日手をかけて作るわけにもいかない。
 平日の朝とはそんなものだろうと、遥人は思う。
(ご飯は炊けている)
 平日の朝だからこそ、炊き立てのご飯。
 一人暮らしだと作り置きして冷凍してしまうところだけど、遥人はあえて毎朝炊き立てを用意している。
(胃袋を掴むのに手は抜けない)
 昨夜の残った根菜の煮つけを温め、その間に簡単なサラダを作る。
 水切りは欠かせない。
 ドレッシングは手作りのものを用意する。これにも隠し味がしてあり、市販品では得られない味わいになっている。
 
 加熱したフライパンにバターをのせ、ほどよく溶けたところでベーコンを入れる。
 硬くならない程度に焦げ目をつけ、取り出してお皿にうつす。
 それから、溶き卵に塩コショウで味付けをしておき、手早くフライパンに流す。
 遥人好みの方法だから、これが正しい調理方法ではない。
 とはいえ、料理人ではないからそれでもいいと考える。
 三秒くらいそのままにしてから、ざっくりと混ぜる。
 すぐに火を止めて、お皿に盛りつけた。
 出来たスクランブルエッグからは、先に焼いたベーコンの香りがほんのりしている。
(あとは簡単にワカメと豆腐の味噌汁)
 みそ汁だけは誠二のリクエスト。
 毎朝これだけは外せないらしい。遥人はにんまりと笑む。

 料理が出来上がるころに、誠二は着替えを終えてダイニングに来た。
「おはよう。すごくいい匂いだ」
 嬉しそうに笑う誠二に、遥人もまた嬉しく思う。
「おはようございます。卵とベーコンを焼いただけですよ」
 二人テーブルの角を挟み手を合わせ、食事をする。
「このスクランブルエッグ美味しい」
「溶き卵を焼きながら混ぜるだけの、簡単な料理です」
 誠二はそうか、と呟く。
「今度、教えて欲しい」
「わかりました」
 また一つの料理が誠二の胃袋を射止めた。
(心を射止めるまでの道のりは長いな)
 遥人は心の中だけで、ため息をついた。 

 最初に誠二のマンションを訪れたとき、寝室にあったとても広いベッドを見て遥人は決めていた。
(必ず一緒に寝ようと考えていたんだよね)
 布団がないとか、新しい寝具が届かないとか、駄目なら段ボールで寝るとか。
 正直に言えば……嘘ではないけれど、真実でもない。
 本気で嫌がるならと、密かに寝袋くらいは用意していた。
 親しくもないのだから、同じベッドで寝る必要は全くないし、断られることも覚悟していた。
(押しに弱いのは少し心配だけど)
 同居したものの、恋愛対象として見てもらうことは難しい。
 深いため息を吐き出す。それでも諦められないのなら……。
 遥人はそっと目を閉じた。

(さて次はどうするべきかな……)

 毎日抱きしめるだけの夜。欲望を必死に押さえつつも、眠りが深い誠二に気づかれない程度に、素肌を愛でている。
 密かに妄想するのは、艶やかな裸体をくねらす誠二のこと。
 無理に抱いてもその心は、手に入らないと確信している。 
 若い遥人に我慢は、とても厳しい。でも心が離れてしまっては意味がない。
 遥人の人生全てを誠二と共に生きると、決めている。
 先を焦って失敗してはいけない。
 逃げられないように、逃がさないように……周りを固めて閉じ込めていく。
(そのうちオレのことだけしか、見えないようにするために)
 手段はいくらでもある。押しに弱い誠二に押し続けても駄目なときは、引くことも必要だろう。

 人生のパートナーは絶対に逃がさない。
(ねぇ誠二さん。もう、オレから離れられないでしょう?)

【End】
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...