森の呼び声

夕暮れ狼

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第八章: 呪いの終焉

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第八章: 呪いの終焉
夜が深まり、森の奥はますます暗くなった。空気は冷たく、辺りには不気味な静けさが広がっていた。祭壇の前に立つ綾乃の心は、今や激しく乱れていた。藤田の言葉が頭の中で響き続ける。
「犠牲が必要だ。血を捧げなければ、呪いは解けない。」
彼女の目の前には、狼に変わった村人たちの姿がちらついていた。その中には、幼なじみの直樹もいたはずだ。だが、彼の姿はもはやかつての彼とはまったく異なり、狼のような獰猛な目でこちらを見つめている。
「直樹……」
綾乃はつぶやき、祭壇に向かって一歩踏み出した。その瞬間、藤田が止めるように手を伸ばした。
「待て、綾乃。儀式には、血の捧げ物が必要だが、それを選ぶのはあなただ。犠牲を払う覚悟があるのか?」
「私は……」綾乃は一瞬、言葉を詰まらせた。「でも、私が犠牲になれば、直樹は助かるの?他の人も、元に戻るの?」
藤田は無言で頷いた。彼の目には、深い悲しみとともに、決して目を背けられない現実が映し出されていた。
「その通りだ。だが、その代償は重い。君が血を捧げれば、呪いは解け、村人たちも元の姿に戻る。しかし、君の命もまた、この儀式に消えることになるだろう。」
その言葉に、綾乃は胸が締め付けられるような感覚に襲われた。村人たち、そして直樹を救うためには、自分の命を犠牲にしなければならない――それが現実だと理解していた。だが、彼女の心には葛藤が渦巻いていた。もし自分が犠牲になれば、村は救われる。しかし、家族や村の人々を失うことになる。
「でも、私は恐れてはいけない。」綾乃は、自分自身に言い聞かせるように呟いた。心の中で、直樹の笑顔が浮かんできた。子供の頃、二人で過ごした時間が、彼女の胸を温かくした。
「私は、直樹を……救いたい。」
その言葉が口から漏れた瞬間、祭壇の周囲が一瞬で静まり返った。木々が不安定に揺れ、遠くから狼の遠吠えが聞こえてきた。それは、まるで呪いの力が集まり始めたことを告げるような音だった。
綾乃は、深呼吸をして祭壇の中央に歩み寄った。目を閉じ、心を落ち着け、そして手を祭壇の石に触れた。次の瞬間、周囲の空気が変わり、まるで何かが解き放たれるような感覚が広がった。
「直樹……これで、みんなが元に戻るんだ。」彼女は心の中で呟いた。
そのとき、突然、背後で足音が聞こえた。振り返ると、直樹が森の中から現れ、狼の姿をして立っていた。彼の目は、かつての優しさを残しているようだった。けれど、同時にその目は恐ろしさと混乱を感じさせた。
「直樹……?」
綾乃は思わず駆け寄ろうとしたが、直樹は立ち止まり、悲しげに首を振った。「綾乃、もう……お前には近づけない。俺はもう、人間じゃない。お前の手を汚させたくない。」
「そんなこと……!」
「でも、俺を助けるために、自分を犠牲にしないでくれ。」直樹の声は震えていた。「あの儀式は、俺たち全員の命を奪うことになる。でも、俺だけは、もうどうしようもない。だから、君だけは――」
その瞬間、祭壇の石が光り出し、森全体が揺れ動いた。儀式の力が解き放たれるのと同時に、直樹の姿が一瞬だけ人間のものに戻った。彼の目に、懸命に何かを訴えるような表情が浮かぶ。
「ありがとう、綾乃……」
そして、直樹の姿は再び狼へと変わり、彼はそのまま森の中へ消えていった。今度は、あの恐ろしい目を持つことなく、静かな遠吠えだけが響いた。
綾乃はその場に立ち尽くし、涙をこぼした。彼のことを救えなかった自分が悔しく、悲しく、胸が張り裂けそうだった。しかし、呪いの力は徐々に収束し、森の中に漂っていた恐ろしい気配が消えていった。
エピローグ: 新たな始まり
朝が訪れ、青桐村に新たな日が昇った。村人たちの姿は元に戻り、狼の姿をしていた者たちも、再び人間の姿を取り戻した。村は静けさを取り戻し、かつての活気を感じさせるようになった。
しかし、綾乃の心にはまだ空虚な何かが残っていた。彼女は直樹の姿を追い求めることはできなかった。それでも、彼が彼女を守るために最期の力を尽くしたことは、決して忘れないだろう。
「ありがとう、直樹。」綾乃は空を見上げながら、静かに呟いた。
村に平和が戻ったその日、綾乃は新たな決意を胸に抱いて、ゆっくりと歩き出した――その足音が、今度は力強く、前を向いて響いていた。
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