月夜に咲く

夕暮れ狼

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第1章 白い狼

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祖母の家に着いたのは、午後も傾きかけた頃だった。
 夏の終わりの陽射しはまだ強く、遠くで鳴くヒグラシの声が風に乗って届いてくる。
「久しぶりだね、真琴。都会の空気に疲れたかい?」

 祖母・美代は昔と変わらず元気そうで、庭の朝顔の手入れをしていた。
 私はスーツケースを玄関に置き、深呼吸する。どこか懐かしい木と土の匂いが肺に満ちた。

「うん。少しだけ、静かなところに来たくなって」

 美代はにっこり笑い、縁側に座ってお茶を勧めてくれた。
 そのまま私は夕方までうたた寝をしてしまい、目を覚ましたのは日が落ちてからだった。

 夜になって、私は一人で外に出た。
 祖母の家の裏手には広い森があり、小さな祠や山道が昔から残っている。子どもの頃、夏休みに遊びに来ては、よく探検した場所だ。
 懐中電灯を持たずに歩いていたことに気づいたのは、かなり森の奥へ入ってからだった。
 月明かりだけが道を照らしている。

(なんでこんな時間に散歩なんか……)

 戻ろうとしたそのときだった。

 低い唸り声が、木々の隙間から聞こえた。

「……誰かいるの?」

 冗談半分で声をかけた私は、次の瞬間、言葉を失った。

 ——白い狼がいた。

 月光を受けて銀に輝く毛並み。
 その狼は、肩で息をしながらじっとこちらを見ていた。
 前足のあたりが赤く染まり、血が流れている。

「……ケガ、してるの?」

 近づくのは危険かもしれない。それでも、目が合った瞬間、私は不思議と恐怖を感じなかった。

 ——その目が、人間のように見えたから。

 ゆっくりと私はしゃがみ込み、バッグの中からハンカチを取り出す。
 そっと差し出すと、狼は一瞬、警戒したように首を引いた。だが、すぐにまた私を見つめてきた。

「……大丈夫。噛まないでよ」

 小さく笑ってそう言うと、狼は……どこか寂しげに、目を細めた。

 翌朝。私は縁側で麦茶を飲んでいた。
 昨夜の出来事は、夢だったのかもしれない。
 けれど、ハンカチがなくなっていたし、靴の裏には確かに森の泥がついていた。

 そのとき——

「昨夜は、助けてくれてありがとう」

 声がして、私は驚いて顔を上げた。

 そこにいたのは、見知らぬ青年だった。

 白いシャツに、濃紺のジーンズ。裸足の足元は少し泥がついている。
 まるで月明かりがそのまま人間になったような、透き通るような雰囲気を持っていた。

「え……ど、どちら様ですか……?」

「君が差し出したハンカチ、返さなきゃと思って」

 そう言って彼が差し出したのは——私の、あのハンカチだった。
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