5 / 5
第5章 月の終わり、花のはじまり
しおりを挟む
彼の手を握ったとき、私は確かに感じた。
——あたたかい。
涼の肌はまだ微かに震えていたが、そこには“命”が、確かに息づいていた。
「……涼。聞こえる? 大丈夫……だから」
呼びかける声に応えるように、彼のまぶたがゆっくりと開いた。
月光がその瞳に反射し、まるで湖の底で揺れる光のように、美しかった。
「……真琴……?」
弱々しく名前を呼ばれた瞬間、私は涙がこぼれるのを止められなかった。
「よかった……ほんとに、よかった……」
涼はかすかに笑って、天を仰ぐ。
「……あの影は、もう消えた。祠も、しばらくは眠ったままだ」
「あなたは? その……狼に、戻らないの?」
彼はしばらく何も言わなかった。
けれど、やがて静かに口を開く。
「たぶん……もう戻れない。
君の言葉が、俺を“人”にしてしまったから」
それは、呪いの解放ではなかった。
人狼としての力を手放し、ただの人間として生きる選択だった。
「それでもいい。もう“守るべきもの”は見つけたから」
彼はそう言って、私の手を強く握った。
それから数日後、涼は正式に町に残ることを決めた。
祖母・美代はすべてを知っていたようで、何も聞かずに彼を受け入れてくれた。
「これからは“守る”んじゃなく、“共に生きる”時代なんだろうね」
そう言って縁側に座る祖母の言葉に、涼は穏やかに頷いた。
森は少しずつ静けさを取り戻し、夜喰の影はもうどこにもない。
けれど、私たちは知っている。
——あの夏が、ただの夢ではなかったことを。
夏の終わり、私は大学へ戻る日を迎えた。
朝焼けの中、涼が駅まで見送りに来てくれた。
「しばらく、離れちゃうけど……」
「待ってるよ。次に会えるときは、君の好きな“普通のカフェ”にでも行こうか」
「そんなの、都会にいっぱいあるよ?」
「でも、君と行くなら、どこでも特別だろ」
そんなセリフ、涼が言うとは思わなかった。
私は笑って、最後に彼の手を握った。
「——じゃあ、またね。人間の狩野 涼くん」
「またな。月の下で出会った、橘 真琴さん」
電車が動き出す。
窓の外で手を振る涼の姿が、少しずつ遠ざかっていく。
だけど、不思議と寂しさはなかった。
——彼はもう、ただの幻じゃない。
この夏に咲いた、本物の想いだったから。
【エピローグ】
数ヶ月後。
私は再びあの町を訪れた。紅葉が始まった山の中で、彼は変わらず静かに暮らしていた。
けれど、一つだけ違ったことがある。
祠の前に、小さな花が咲いていた。
誰も植えたはずのないその花は、月の光を浴びて、まるで笑うように揺れていた。
——あの夜、確かに命が交わった。
月夜に咲いた、一つの恋。
それは、今も確かにこの森に生きている。
—完—
——あたたかい。
涼の肌はまだ微かに震えていたが、そこには“命”が、確かに息づいていた。
「……涼。聞こえる? 大丈夫……だから」
呼びかける声に応えるように、彼のまぶたがゆっくりと開いた。
月光がその瞳に反射し、まるで湖の底で揺れる光のように、美しかった。
「……真琴……?」
弱々しく名前を呼ばれた瞬間、私は涙がこぼれるのを止められなかった。
「よかった……ほんとに、よかった……」
涼はかすかに笑って、天を仰ぐ。
「……あの影は、もう消えた。祠も、しばらくは眠ったままだ」
「あなたは? その……狼に、戻らないの?」
彼はしばらく何も言わなかった。
けれど、やがて静かに口を開く。
「たぶん……もう戻れない。
君の言葉が、俺を“人”にしてしまったから」
それは、呪いの解放ではなかった。
人狼としての力を手放し、ただの人間として生きる選択だった。
「それでもいい。もう“守るべきもの”は見つけたから」
彼はそう言って、私の手を強く握った。
それから数日後、涼は正式に町に残ることを決めた。
祖母・美代はすべてを知っていたようで、何も聞かずに彼を受け入れてくれた。
「これからは“守る”んじゃなく、“共に生きる”時代なんだろうね」
そう言って縁側に座る祖母の言葉に、涼は穏やかに頷いた。
森は少しずつ静けさを取り戻し、夜喰の影はもうどこにもない。
けれど、私たちは知っている。
——あの夏が、ただの夢ではなかったことを。
夏の終わり、私は大学へ戻る日を迎えた。
朝焼けの中、涼が駅まで見送りに来てくれた。
「しばらく、離れちゃうけど……」
「待ってるよ。次に会えるときは、君の好きな“普通のカフェ”にでも行こうか」
「そんなの、都会にいっぱいあるよ?」
「でも、君と行くなら、どこでも特別だろ」
そんなセリフ、涼が言うとは思わなかった。
私は笑って、最後に彼の手を握った。
「——じゃあ、またね。人間の狩野 涼くん」
「またな。月の下で出会った、橘 真琴さん」
電車が動き出す。
窓の外で手を振る涼の姿が、少しずつ遠ざかっていく。
だけど、不思議と寂しさはなかった。
——彼はもう、ただの幻じゃない。
この夏に咲いた、本物の想いだったから。
【エピローグ】
数ヶ月後。
私は再びあの町を訪れた。紅葉が始まった山の中で、彼は変わらず静かに暮らしていた。
けれど、一つだけ違ったことがある。
祠の前に、小さな花が咲いていた。
誰も植えたはずのないその花は、月の光を浴びて、まるで笑うように揺れていた。
——あの夜、確かに命が交わった。
月夜に咲いた、一つの恋。
それは、今も確かにこの森に生きている。
—完—
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる