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紫陽花の咲く頃に 転1-2
しおりを挟むスミレが目をあけると、見たことのない場所に突っ立っていた。
「どこだろ、ここ…」
火事でも起きているのか、足元にはもくもくと煙が立ち込める。その割に匂いはしないが…。
他に見える何かがなく、延々とグレーの世界に煙、煙、煙。
しばらく歩いてみると、と急に視界に何かが見えた。
ーー頭部と右腕のないユーレイだ。
「ちょ、こ、来ないで、来ないでよ…っ」
ゆらゆらと大きく体を揺らしながらこちらへ向かってくる。
なぜユーレイが見えるのかもわからないし、そもそもここがどこかもわからない。
でも、逃げなきゃ。
一歩、後ろへ右足を向けた時だった。足元に何かがいることに気づく。
「…あーちゃん?」
黒猫が、のっそりと座っていた。
紛れもない、春に21歳で亡くなった飼い猫の紫陽花だ!
「あーちゃん! なんでここに…」
「にゃお…」
力なく紫陽花が鳴く。
ツヤのなくなったボサボサの毛並み、骨張った背はさらに丸く小さく…亡くなったときの姿のままである。
「とりあえず逃げなきゃ! 逃げるよ、あーちゃん!」
ひょいと抱き上げると、こんなにも軽くなってしまってという寂しさと、再びこの姿を抱きしめることができる喜びに目に涙がたまる。
「にゃー…」
「なに!? どうしたのあーちゃん!」
何か伝えたいのかもぞもぞ動かれる。立ち止まって確認したいものの、後ろからユーレイが追ってくる。
どんどんと煙が濃くなる。
腰まで煙が上がってきて、体に触れた部分が、きゅ、と痛みを覚えた。
煙を吸っちゃいけないと紫陽花を抱きしめるも、ごほごほと咳き込んでしまう。
吸った煙が肺を痛めつけた。
ーー苦しい。
伸びたユーレイの右腕が、スミレの首に巻き付く。ギリギリと締め付けられ再び意識を失いそうになりながらも、それでも紫陽花を離すことはなかった。
視界が霞み始めた時だった。
乾いた風が、スミレの頬を撫でる。
ハッと目を見開くと見慣れたポニーテールの後ろ姿が…葵が立っていた。
「まだ手を出していないのに勝手に連れて行くな」
謎のセリフと共にスミレの首を締める腕を蹴り上げた。長い髪の毛が優雅に揺れ、ユーレイがたじろぐように数歩、後ずさりした。
「大丈夫か、スミレ」
「げほっ、げほっ…だいじょ、う、ぶ…」
「この子が紫陽花か。初めまして」
「にゃあ」
お互いに悠長に挨拶している場合じゃない!
「ここどこ!」
「この世とあの世の境目。お前、走りながら倒れたんだよ。お前に憑いてたユーレイが連れて行ったのは明白だったから、ジジイのとこ連れてったらここにいるってことで連れてきてもらった」
「ど、どうやって…」
「ジジイに木刀で頭殴られた。目から星が出るかと思った」
「そんな冗談言えたんだね…」
「今、俺たちは寺で仮死状態だ。ジジイが見守ってるとはいうが、さっさと帰らないとな。…大丈夫か?」
頬に手を添えられる。
めずらしく葵の目には心配の色が映っていた。
葵の目が潤んだ。
「仮死状態になってまでなんで来たの…」
「お前を助けるために決まってんだろ」
紫陽花ごと抱きしめられた。
「俺がどれだけ心配したか…目の前で倒れられてみろ。生きた心地がしなかった。あ、仮死状態だな。」
「余裕だね…」
「まさか。ジジイに言われたんだよ。今の俺にユーレイを祓う力はまだないってな。…さあ、どうするか」
ふたりと一匹の目線の先には、ユーレイ。
アレをなんとかしなければここからは出られそうにない。
にゃ、と紫陽花がひと鳴きする。
見ると、葵の長い髪先が当たる紫陽花の毛が、キラキラと輝いていた。
「だめだよあーちゃん!」
スミレの腕の中から紫陽花が飛び出て、骨ばった細い体とよろよろの足元でふたりを守るようにユーレイに立ちはだかる。
そのときだ。目の前に銀色の何かが落ちてきた。
葵が拾い上げるとそれはハサミだった。
「…なるほど。ジジイの見解はそういうことか」
ハサミを手にした葵はもう片方の手でポニーテールを根本から掴んだ。
「今の俺にはまだユーレイを祓える力はない。でもな」
ジョキジョキと心地よい音と共に葵の手に髪の毛の束が握られた。
「どうやら俺には、祓える者の力を増幅させる力があるらしいな」
切られたポニーテールの束を、そっと紫陽花の背中に乗せる。
カッと紫陽花の体が光に包まれ、その光が消えた瞬間、紫陽花の姿は若返っていた。
艶々でハリのある毛並み、少しふっくらしたその体はどっしりと地に足をつけている。
紫陽花が、口を開いた。
「あたしの弟に何してんのよ! この低級霊が!」
勢いよく走り出し、右腕に噛み付いたかと思いきや、引きちぎって投げ捨てた。
べしゃっと落ちた右腕は、すぐに消える。
残る胴体のユーレイに紫陽花が唸り声を上げるのを、スミレはぽかんと口を開けて見ていた。
「お前のお姉さんな、恐らくだけど、幽霊を祓えるんだ」
「え?」
「お前はずっと、守られていたのかもしれないな」
紫陽花が大きく咆哮する。高い鳴き声と共に空から雷が落ちてきてユーレイに直撃した。
白い煙が巻き起こる中、ユーレイは完全に姿を消し、そして誇らしげな顔で紫陽花が悠然と歩いてくる。
「あーちゃん…あーちゃんっ」
紫陽花がスミレの腕の中に飛び込んだ。
「もう、相変わらず泣き虫なんだから」
「だって…」
「あたしはもういないんだから、しっかりしなさいよね」
「やっぱり死んだんだよね…」
「そうよ。あんたのことが心配でしばらく成仏できずにいるとあんな低級霊に引っかかってるなんて! んもー! だからあんたは心配なのよ!」
「痛い痛い」
がぶがぶと腕を甘噛みされる。
機嫌が悪くなると噛まれたので、懐かしい気持ちでいっぱいだった。
「紫陽花」
葵の手が伸び、紫陽花の頭にちょんと触れた。恐らく、動物に慣れていないのだろう。
「お前がずっとスミレを守っていたのか?」
「そうよ!」
えっへん、と偉そうに頷いた。
「この子ったら生まれつき憑きやすい体質なのよ。だからあたしがずっとこの子に取り憑いたユーレイを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げってしてたのよ! おかげで狩り上手だったわ!」
よく巨大な虫を捕まえてきてはいたが…。
「でもね、あたしも衰えるの。さすがにここ何年かは大変だったわぁ。…死んでも死にきれないから、成仏できないままでいたんだけど、まさかすぐに取り憑かれるとは」
「ユーレイの頭と左腕がなかったのは、お前の仕業か?」
「そうよ! 頭ちぎるのに一ヶ月かかったわよ! 左腕はまだラクだったわね」
「…僕を守ってくれてたんだね…」
ぼろぼろと涙を流していると、それを拭うように紫陽花からすり寄られた。
「なに言ってんの。お姉ちゃんなんだから当たり前でしょ」
ぺろりと紫陽花が涙を舐めとる。ついでと言わんばかりに葵にも目元を舐められた。
「もうっ、あーちゃんの前じゃ怒れないじゃん」
「そうだろうと思ってな」
「もう大丈夫そうね」
ふわりと紫陽花の体が浮かび上がり、スミレは咄嗟に手を伸ばしかけるもやめた。
引き止めてはいけない。
自分のせいでずっとこの世に留めてしまっていたのだから、ちゃんと成仏させないと。
伸ばしかけいた手に、葵の手が重なった。
それでいいと言わんばかりに優しく、そっと、握られる。
ごしごしと葵は目を擦った。
そして、にこっ、と満面の笑顔を見せた。
「いってらしゃい」
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