カイルとリーシャと異世界の理

エルザ

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4話・魔力検知石が沈黙する夜

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4話・魔力検知石が沈黙する夜


翌朝、カイルは激しい頭痛とともに目を覚ましました。
隣では、猫が「いつまで寝ている」とでも言いたげに、冷たい鼻先をカイルの頬に押し当ててきます。

(……魂を『重さ』として感じろ? 練るのではなく、そこに『在る』だけで世界を規定しろだと?)

カイルは寝台の上で、猫から教わった「異世界の理」を必死に再現しようとしました。かつての彼なら、指先を動かすだけで火花を散らし、風を操れた。
しかし――。

(……ダメだ。何も掴めない)

指先に意識を集中させても、そこにあるのはただの「指」です。魔力の残滓さえ感じられない自分の体。
猫が言う「魂の質量」というやつを引き出そうとしても、まるで見えない壁を素手で殴っているような虚しさしかありません。

「カイルさん? 起きてますか?」

リーシャの声に、カイルは慌てて起き上がりました。
食堂へ行くと、彼女が少し不安げな、探るような視線を向けてきました。昨夜のゼウスとの一件は、彼女にとっても「説明のつかない恐怖」のまま残っています。

「おはよう、リーシャ。……ごめん、少し寝坊した」

「いえ、大丈夫です。……あの、お体、本当に何ともないですか? 」

リーシャは期待と不安が混ざった目でカイルを見ます。彼女は、カイルが何か奇跡のような力(魔力)を取り戻したのではないか、と心のどこかで思っているようでした。

「……ああ。なんともないよ」

カイルはお茶の入ったコップを手に取りました。
もし力が戻っているなら、今度こそこの手に何かを感じるはずだ。そう期待して、カイルは密かに、さっき教わった「理」をもう一度、全力で意識しました。

しかし、何も起きません。

コップはただのコップとしてそこにあり、カイルの手は震えるほど力を込めても、昨日までと同じ「魔力のない男の弱い手」のままでした。あまりに必死な形相でコップを凝視するカイルを、リーシャはますます心配そうに見つめます。

「カイルさん……? 手、震えてますよ。やっぱり、無理をして……」

「……いや、何でもない。ただの、筋肉痛だ」

カイルは惨めな気持ちでコップを置きました。
昨夜のあの「鉄壁の守護」は何だったのか。あれは自分の力ではなく、単に猫が気まぐれに見せた奇跡で、自分には一生触れられないものなのではないか。

そんなカイルの焦燥をあざ笑うように、猫が足元で「ふにゃあ」と欠伸をしました。
その鳴き声一つで、昨日あんなに苦労していた部屋の建付けの悪さが、一瞬だけ「カチリ」と音を立てて直り、またすぐにガタつく元の状態に戻りました。

(……こいつには出来て、俺には出来ない。コツすら掴めない)

リーシャは、黙り込んでしまったカイルを見て、確信しました。
(やっぱり、一昨日のあれは一時的なもので……カイルさんは、今も苦しんでいるんだ)

「カイルさん、無理に動かなくていいですから。今日は、ゆっくり休んでください」

リーシャの優しさが、今のカイルには痛烈な皮肉のように突き刺さります。
異世界の魔力――それは、かつて数多の禁術を修めたカイルをして、**「門を叩くことさえ許されない」**ほど、あまりにも遠い場所にある力でした。

カイルは、自分の手が信じられないほど重く、無力であることに絶望していました。

寝台から起き上がるだけで息が切れ、視界がチカチカします。昨夜のあの、世界を書き換えるような「魂の質量」など、あれは自分が見た都合の良い幻覚だったのではないか。そう思わざるを得ないほど、今の彼は空っぽでした。

「……っ、クソ……」

カイルは食堂の隅で、小さな木片を睨みつけていました。
猫に教わった通り、意識を「練る」のではなく「置く」ように試みますが、何も起きません。木片はただのゴミとして転がっているだけです。あまりに無様に顔を真っ赤にして踏ん張るカイルの姿は、失禁を堪えているかのような、あるいは熱病に浮かされているかのような、痛々しいものでした。

そこへ、リーシャが朝食のトレイを持って入ってきました。

「カイルさん、あの……そんなに顔を詰めて、何を……」

リーシャの目は、明らかに「憐れみ」の色を帯びていました。
彼女にとって、昨夜のカイルは命を賭して自分を守ってくれた英雄です。しかし、その代償として、彼は精神を病んでしまったのではないか。そんな不安が、彼女の表情を曇らせています。

「リーシャ……いや、これは……その、体の調子を確かめていただけだ」

「無理しないでください。カイルさんの魔力が……もう戻らないことは、私が一番分かっていますから。だから、そんなに自分を追い詰めないで……」

「違うんだ、リーシャ。俺は、そういうことをしてるんじゃなくて……」

言いかけて、カイルは口を閉じました。
「異世界の猫に魂の重さを教わっている」などと言ったところで、狂人のたわ言にしか聞こえません。かつて一国を滅ぼすほどの魔力を持っていた男が、今や小さな木片一つ動かせず、少女に「もう魔法は諦めて」となだめられている。

これほど情けないことが、他にあるでしょうか。

「……ごめん。少し、一人にしてくれ」

カイルは逃げるように裏庭へ。

カイルは裏庭の土を握りしめ、かつて魔法を練り上げた時と同じように、必死に「内なる力」を探っていました。しかし、心臓の鼓動が早まるだけで、指先には何の兆しも現れません。

「……何も、感じない。魔力を失う前と同じように意識を集中しているのに、なぜだ」

カイルの焦燥を見透かしたように、猫は退屈そうに前足をなめ、それから黄金の瞳をカイルに向けました。脳内に響く声は、落ち着いた女性のものでしたが、どこか未知のものを観察するような、淡々とした響きがありました。

『ねえ、カイル。あなたが見ているその「魔力」というもの……私には、とても不自由で、騒がしいノイズに見えるわ。』

「……ノイズだと?」

『ええ。あなたの世界の理屈(魔力)は、何かを燃やして、その余波で世界を動かそうとするでしょう? でも、私たちが扱っているのは、そんなエネルギーのやり取りじゃないの。』

猫はしなやかに立ち上がり、カイルの目の前の空間を前足で軽く叩きました。そこには何の魔力も生じていないはずなのに、カイルには一瞬、空間が「凪いだ」ように見えました。

『どう、異世界の魔力――いいえ、私たちの理を習ってみる気はあるかしら? もしその気があるなら……まず、その「魔力」っていう概念、一度きれいに捨ててみたらどう?』

カイルは言葉を失いました。
幼少期から研鑽し、頂点まで極めた魔導。それを「捨てろ」という。燃料を燃やして出力を得るという概念そのものが、猫の理(ことわり)においては門を閉ざす鍵になっている。

「捨てろ、だと……? これを捨てて、俺に何が残るというんだ」

『何もないわね。でも、その「何もない」状態にならない限り、こっちの重みは感じられないのよ。……あら、お出迎えが来たわ。まずはその健気な彼女に、これ以上不気味な顔を見せないことから始めたらどうかしら?』

「カイルさん! またそんなところで……!」

食堂の窓から、リーシャが飛び出してきました。
泥まみれで猫と見つめ合い、苦悶の表情を浮かべるカイル。リーシャの目には、かつての英雄が、失った魔力への未練から、ついには精神を病んでしまった姿にしか見えていません。

「ごめんなさい、猫さん。この人、まだ少し体調が……。さあ、カイルさん、戻りましょう。そんなに自分を責めないでください……魔法が使えなくても、カイルさんはカイルさんなんですから」

リーシャは泣きそうな顔でカイルの手を引き、壊れ物を扱うように促します。カイルは、彼女の憐れみに満ちた優しさが、今の自分の「無力さ」をこれ以上なく際立たせているのを感じ、惨めで情けない思いで肩を落としました。

(魔力という概念を捨てろ、か。……そんなことが、今の俺にできるのか?)

今の彼は、かつての栄光も、今のプライドも、そして新たな力の入り口さえも掴めないまま、ただ少女に支えられて泥の中を歩くことしかできない「情けない病人」でした。
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