カイルとリーシャと異世界の理

エルザ

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12話・潤滑油(リーシャ)のせいで、理が滑る

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12話・潤滑油(リーシャ)のせいで、理が滑る


カイルが静かに一歩踏み出し、腰の剣に手をかけようとしたその時です。

「カイルさん、待ってください!」

リーシャが鋭い声でそれを制しました。カイルの動きが止まります。

「カイルさんは手を出さないでください。……ここは、アルヴィンさんのパーティと私だけでやれます。私、自分の力をちゃんと証明したいんです」

彼女の瞳には、いつものおっとりした様子ではなく、一人の「表現者」としての強い意志が宿っていました。自分が積み上げてきた「理(ことわり)」のアレンジが、この世界の困難にどこまで通用するのか。それを見極めたいという純粋な渇望です。

「……分かった。手は出さない」

カイルが引き下がると同時に、リーシャは再び前を向きました。

「アルヴィンさん! 指導員(カイル)さんは動かないって約束してくれました。だから、あとは私たちでやるしかないんです! ほら、格好いいところ見せてください!」

「えっ、あ、ああ……! クソッ、やるしかないのか!」

リーシャの叱咤に、アルヴィンは震える手で剣を握り直しました。指輪が壊れ、退路を断たれたという絶望が、逆に彼ら「黄金の風」の生存本能に火をつけます。

「野郎ども、魔法が効かなくても物理で削るぞ! 前衛、突っ込め!」

アルヴィンたちの必死の猛攻が始まりました。ジェネラル・ゴブリンの圧倒的な筋力に対し、彼らは持てる技術のすべてを注ぎ込みます。しかし、やはり「突然変異」の皮膚は硬く、決定打には至りません。

そこへ、リーシャが「理」を添えました。

「……ちょっとだけ、**『邪魔なもの』**をどかしますね」

彼女が指先を向けたのは、ゴブリン本体ではなく、アルヴィンの剣が振るわれる**「軌道上の空気」**でした。

――シュンッ。

アルヴィンが剣を振り下ろした瞬間、その軌道上にあった空気抵抗、摩擦、そしてゴブリンが纏っていた威圧感(魔力障壁)の一部が、リーシャによってピンポイントで「否定」されました。

「……!? 軽い!?」

アルヴィンの剣が、まるでもともとそこには何もなかったかのように、加速を増してゴブリンの肩口に吸い込まれました。本来なら弾かれるはずの一撃が、リーシャの「抵抗の否定」によって、バターを切るナイフのように深く、深く肉を裂いたのです。

「今です! みんな、一斉に!」

リーシャの声に合わせ、パーティー全員が攻撃を畳み掛けます。彼らが攻撃を繰り出すたび、リーシャはその瞬間の「不都合な法則」を片っ端から消していきました。

重力を否定して跳躍を助け、衝撃を否定して反動を殺す。
アルヴィンたちからすれば、まるで**「世界そのものが自分たちの味方をしている」**ような全能感。

ついにジェネラル・ゴブリンの巨躯が、無数の傷口から光の粒子を漏らしながら膝をつきました。

「……はぁ、はぁ……。た、倒した……のか?」

アルヴィンは勝利の喜びに浸るどころか、自分の手の中にある剣を、まるで得体の知れない毒蛇でも見るかのような目で見つめていました。

「……おかしい。今の感触はなんだ? 手応えが……なかった。まるで、最初からそこに肉も骨もなかったみたいに……」

他のメンバーも同様でした。放った矢は不自然なほど失速せず、魔法は本来の威力を超えてゴブリンの皮膚を「融解」させていた。自分たちが強くなった喜びではなく、**「世界が自分たちの知る理屈で動いていない」**ことへの根源的な恐怖。彼らは、リーシャの方を振り返ることすらできず、ガチガチと歯を鳴らして震えていました。

「ほら、できました! カイルさん、私、ちゃんと皆さんのサポートできましたよね?」

そんな重苦しい空気などどこ吹く風で、リーシャは満足げにパンパンと手を払いました。

カイルは、ぐちゃぐちゃに書き換えられた戦場の物理法則の残骸と、恐怖に支配された冒険者たちを見て、こめかみを押さえました。

『……最悪ね。あの子たち、もう二分の一も正気じゃないわよ。……カイル、あなたが「否定」を鋭い剣にしたのに対し、この子は「否定」を世界の潤滑油(ルール破り)に使っちゃった。……あの子たちからすれば、自分たちの技が「自分たちの意図しない何か」に書き換えられた恐怖でいっぱいでしょうね』

猫は、黄金の瞳を細めて、震えるアルヴィンたちを憐れむように眺めました。

『……「魔法」という共通言語で生きてきた彼らにとって、今のリーシャは救世主どころか、世界のバグそのものよ』

「……カイルさん? 皆さん、どうしたんでしょう。急に黙り込んじゃって」

「……リーシャ。お前のやったことは、彼らにとっては『親切』じゃなく、『怪奇現象』だったんだ。……これ以上の説明は、ギルドに戻ってからにするぞ」

カイルは、いまだに自分の剣を直視できずにいるアルヴィンの肩を叩き、現実へ引き戻そうと努めました。
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