生贄の救世主

咲乃いろは

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第三章 夢の続き

偉業の後

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「あーあ、やられちゃった」

暗い闇の中で寝そべってゴロゴロしながら、つまらなそうにザギは呟いた。

「あの子があんなことするなんて意外だったなぁ」

まるで見ていたかのような独り言で、身を起こし、小さな机の上にある水晶に短剣を投げつけた。
寸分の狂いもなくその真ん中に突き刺さった短剣は、割れて飛び散った破片をくぐって向こう側の壁にまで到達する。

「本当、殿下まで動かすような存在なんて、末恐ろしいね」

くくく、と喉の奥で笑う声が、暗闇の中で小さく響いた。































柚葉の身体は野獣が切り倒されたのと同時に宙へ投げ出された。

「ユズハ!」
「っ!」

幸い、地面は柔らかい砂だったので、ビーチフラッグ後の姿になっただけで、怪我はせずに済んだ。ただ痛いは痛い。

「うえっ、口の中砂入った!ぺっぺっ!」
「ユズハちゃん、無事!?」

アリスとグレンが駆けつけてくれる。アリスが背を持ち上げてくれ、グレンが手を取ってくれる。イケメン二人にこんな贅沢なことしてもらうだけで痛みは吹っ飛びそうだ。

「ありがとうございます。えー・・と、倒せた?」
「御覧の通り」

アリスの視線を辿ると、横になってピクリともしない野獣が無残な姿になっていた。
倒したことでアリスとグレンも見えるようになったらしく、アグラの種類の中でも特別気性の荒いタイプだと聞いた時は肝が冷えた。

「今回は本当、ユズハちゃんのお手柄だね」
「いやいや、私しがみついてただけだし」

誰のお手柄でもいいからお風呂に入りたい。砂と血まみれでとても一介の女子高生の姿ではない。野獣にしがみついた時点でただの女子高生を名乗るには難しくなったが。
とにかく疲れた。
ずっと毛を握りしめていた手はプルプル震え、今更恐怖を感じた足は膝が笑っている。少しでいい。腰を下ろして、水を飲みたい。

「少し休むか?」

柚葉の様子に気が付いたのか、アリスがそう訊ねてくる。このままでは歩けそうもないし、お言葉に甘えることにした。

「はい。じゃあ少しだけ」
「あと2日も歩けばここを抜けられると思うから、頑張ろうね、ユズハちゃん」
「そうですね」

そんなつまらない返事しか返せないほど、今は頭が回っていない。それも、無意識に野獣が斬られた瞬間を脳内でリピート再生してしまうのだ。いや、実際は目を閉じていたからその映像が正しいものかは分からない。ただ想像だけで一連の流れが出来上がってしまうのだ。











少しだけ距離があったが、狭いけど木陰があった。そこで一旦足を休めることにした。

「─────ちゃん、──・・・ズハちゃん、ユズハちゃん!」
「───っ!あっ、・・・はい!」
「はい、水。少しだけど・・・・どうかした?ぼーっとして」

目を擦って、惚けていた頭を起こす。グレンが水を差し出してくれていた。お礼を言って受け取り、口を潤した。ほんの少しだけなのに、乾燥わかめのように全身が水を吸っていく。

「げほっごほっごほっ!」
「あーあー、ユズハちゃん落ち着いて飲みなよ。だれも取らないから」

一気に流し込んだからか、盛大に噎せたが、意地でも水は吐き出さない。もったいない。

「ユズハ、お前───・・・」
「一滴残らず飲んだから大丈夫で・・・ん?アリスさん何か言いました?」

何か言いかけたアリスだったが、少しの間の後、やっぱりいいと黙ってしまった。なんだったのだろう。

水を飲んだことでいくらか疲れが取れた気がする。身体は昨日から重いままだが、まだまだ歩けそうだ。疲労くらいだったら少し無理をしてでも、早くこの砂漠を抜けてお風呂に入りたいのだ。

「よし。行きましょう!」
「もういいのか?」
「?なんでですか?大丈夫ですけど」
「さっき震えていただろう」

気付かれていたのか。
だが、その震えは恐怖というよりも、運動不足による筋肉疲労のためだ。そんなダサい理由は言えやしないけど。

「武者震いですよ!」
「戦った後にか?」
「よ、余韻・・・?」
「そうかよ。それと・・・、」

ふと目の前のアリスの瞳が眇められた。

手がこちらへ伸ばされる。

「!」
「・・・この熱はなんだよ?」
「・・・・・・え、っと・・・あはっ」

可愛く笑ってみたが、アリスの怒ったような表情は緩むことはなかった。それどころか逆効果だったかもしれない。眉間の皺が一本増えた。

「人間熱ないと死んじゃいますよ?」
「いつから調子悪かった?」
「話を聞いてください。今は生物学のお勉強中ですよ」
「昨日か一昨日辺りだな?雨に濡れて悪化したか」
「もしもーし」

全く取り合ってくれない。何も無視することないだろうに。
誤魔化すつもりはなかったが、ここまで言われては逃れようがない。柚葉は頬を膨らませる勢いで拗ねた子どものように小さく呟いた。

「・・・大丈夫ですよ。そんな高くないですし」
「でも身体は怠いんだろ」
「ただの風邪です。大袈裟ですよ」
「病気はするなって言っておいただろ」

そんなこと言われても。
眠れない日が続いて免疫力が低下した状態で、極度の身体への負担や雨に濡れてしまったこと、精神状態。熱を出すいろいろな条件が揃ってしまったのだろう。風邪をひくのなんてどのくらいぶりだろうと振り返ってみるが、柚葉自身思い出せない。

「とにかく大丈夫ですよ。アリスさん意外と心配性ですよね」
「前科があるやつのことは信じられんからな」
「夢のこと言ってます?だってそれは、話せるようなこと覚えてなかったから仕方な──・・・っ」


あ、やばい。


そう気が付いたときには身体が傾いていた。
油断して大きな声を出しながら立ち上がったりなんかすると、こうなることは分かっていたのに。


脳が一瞬ふわりと宙に浮いたような感覚に襲われ、足が自分の体重を支えきれない。


地面がスポンジになったように足元が踏みしめても踏みしめても力が入らなかったが、その代わりに、頼れる壁あった。



「アリスさ・・・」



大丈夫だよ。
野獣に飛びついた女子高生なんて、その辺探したって出てこないよ?
そのくらいのことはできるんだから。

だから、そんな顔しないで。


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