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番外編 獣人学者は運命の番を許さない
51 夢の続きを
しおりを挟む『……もう……やめま……しょう……あなた……が、愛して……いる、のは…………その人……です……』
愛しい人の声が耳について離れない。
歳を取り、クロワールは段々と眠っている時間が長くなっていった。見るのはたいていあの時の夢だ。
若い頃はそれを見る度に苦しくて、つらくてつらくて、慟哭して飛び起きそうになっていたけれど、年齢を重ねて遠い年月の果てに記憶が霞んでくると、そんな悪夢ですら恋しい人と会えたと穏やかに過ごせるようになった。
『……もう……やめま……しょう……あなた……が、愛して……いる、のは…………その人……です……』
まったく同じ言葉を別の女性からも言われたクロワールは、あまりいい夫ではなかったのだろう。それでもどちらの夢を見ても、ほんのりとした苦みと共に冷静でいられるようになった。
自分が愛した女と自分を愛した女の犠牲で生まれた拒絶薬はついに完成を見なかった。
たぶん――必死になれば完成にこぎつけたのかもしれない。実際に肌を合わせる前であろうがなかろうが、全ての者に効果がある拒絶薬を作り出すつもりだったのに、結局は中途半端なものになってしまった。
開発のためにリスペットと肌を合わせてしまった今のクロワールには何の効果もないものだ。それでも――クロワールは拒絶薬を完成品にはできなかった。
望んで授かったわけではないけれど、リスペットとの息子は愚かではあったがそれでもクロワールの血を分けた愛しい息子だし、孫はいくつになってもやはり可愛い孫なのだ。
それら全てをなかったことにして、自分の人生から放り出すような薬はどうしても作ることができなかった。
そんな中途半端なクロワールを見て、愛するカリスはどう思ったのだろうか?
夢の中で聞こうと思うのだけれど、クロワールが見るのはいつもほろ苦いあの夢で、新たな答えは得られない。それどころか最近は頭がぼんやりとして、自分がどちらの夢を見ているのか曖昧なことすらあるのだ。
どちらの妻に対しても不義理なことこの上ないが、年寄りならでは大らかさでそんな悩みすらも記憶の底へと沈んでいく。
若い頃は歳をとれば様々な答えが分かると思っていたのに、逆だったとは不思議なものだ。
それでもクロワールには一つだけハッキリと変わらないことがある。
クロワールはきっと何度だってカリスに恋をするし、押し付けられた運命には抗おうとするだろう。もしも次があるのならば、作り上げた拒絶薬を迷うことなく飲むと思う。
だから、きっとこれはこれで完成品なのだ。
リスペットへの憎しみは、拒絶薬の開発に協力してくれた彼女への感謝と共にどこかへ消えた。もしかしたら、彼女が女神様のもとへと旅立つ際に、一緒に持って行ってくれたのかもしれない。
あれからのクロワールは一応の完成を見た拒絶薬ではなく、番の研究を続けていた。
『運命の番』とはいったい何なのか――
運命の番が死ぬともう片方も死ぬというけれど、クロワールは意外と長生きだ。今も心をカリスに残しているからなのか、それともどうにか運命に抗おうと、リスペットとの結婚前から拒絶薬の原材料となる薬草をいくつも摂取していた影響なのか――謎は深まるばかりだ。
人生の残り時間を考えると最後まで答えは得られそうにないけれど、なかなか興味深くはある。
愛する孫には既にクロワールお手製の拒絶薬を渡してある。
『いいか、肌身離さずこの薬を持っていなさい』
『もしもお前に愛する人ができた時、その人が運命の番じゃなかったらこの薬を飲みなさい』
『見つけた運命の番が問題ある人物だと判断したら、すぐに薬を飲みなさい』
作り上げた拒絶薬が完成品ではないことを告げ、自分の経験を言える範囲で話して口うるさく注意事項を伝えたけれど、孫の答えは実に単純明快だった。
『とりあえずは飲んでから冷静に判断をすればいいじゃないか。僕は獣人なんだから、自分の直感を信じるよ』
なるほど、その通りだと思った。
年寄りは何かと頭が固くていけないとクロワールは反省した。
クロワールにとって孫はいくつになっても可愛い孫で、年若い孫にはまだ早いと、全ての経験を伝えることはできなかった。可愛い孫に嫌われたくないからと、ずるいクロワールがあえて語らなかったこともある。
だから、孫が祖父母について知っているのは全体の一部分だけだ。
それでも賢い孫ならば、そこから自分が後悔しないような正しい答えを導き出せるだろう。ただの身内の欲目かもしれないが、そう思う。
最近のクロワールにはやわらかな光がよく見える。ふわふわと、今にも消えてしまいそうな暖かい光はいったいどちらの妻だろうか。
もしも――あれ以来、一度も顔を見せに来ない愚かなバカ息子だったりしたら、年甲斐もなく叱りつけてしまいそうだ。
ああ、ダメだ。先ほど眠ったばかりなのにもう眠い。
今日は愛しい孫が帰ってくると言っていた。きっといつもの元気な声で起こしてくれるから、今のうちに眠っておくのもいいかもしれない。
(愛しい孫は、いったいどんな人生を歩むのだろう?)
暖かな日差しとやわらかな光に誘われて――クロワールはそっと目を閉じた。
(終)
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