魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

文字の大きさ
上 下
19 / 35

一線

しおりを挟む
「出来た出来た」

フラスコのガラスを覗くマリーは嬉しそうに手を叩いた。

薬作りは順調に進んでいるのだろうかと覗きに来たが、彼女は別のものを作っていた。

まるでケーキが上手に焼けたかのように喜んでいる彼女だったが、「何かね?」と私が中を覗き込むと、たくさんのフラスコの中に動くものがあった。

「治験用のホムンクルスよ」と彼女は答えた。

それを聞いてちょっとだけ我が子ながら引いた…

「…つかぬ事を聞くが、マリー…」

「何よ?ちゃんとヘイリーも納得して必要なものを差し出してくれたのよ」

私の言いたいことが分かってると言わんばかりに、この小さな不死者は答えた。

「血液、精液、糞尿は本人の許可を得て採取してるわ。

薬の治験用で彼のコピーを作ったのよ。

いきなり薬を投与して本人が死んだら困るものね」

「…彼には心底彼に同情するよ…」

よく言うことを聞いてくれたなと思う。

そしてそれを平気で要求するマリーが怖い…

「これで薬を選べるわね」とマリーは喜んでるが、正気の沙汰じゃない。

とりあえず「おめでとう」と言っておいた。

「お父様、頼んでた魔石は頂戴できるのかしら?」

「君の役に立つならいくらでもあげるよ。

どれがいいかね?」

皮袋から取り出した魔石を机に並べた。

「原石に近いので大きいのがいいわ。

柔らかくて砕きやすくて、できるだけ魔力の強いのが欲しいわ」

「む?なかなか要求するレベルが高いな…」

魔石は魔力の強いものほど硬くなるものだ。

丁度いいバランスのものは選ぶのが難しい。

「手持ちには良いのがないな…

私の宝物庫から好きなのを持っていくといい」

「あのむちゃくちゃな蔵の中からどうやって探すのよ?

宝物庫じゃなくて魔窟の間違いじゃないの?」

マリーは手厳しいな…

「さっきイールが魔石が欲しいと言って入ったばかりだから、多分整頓までしてくれてるはずだよ」

イールは几帳面だから、嫌な顔しても掃除を手伝ってくれる。

ペトラもどちらかと言うと、探すのに夢中になって散らかす方だから、いつも片付けるのはイールの仕事だ。

「何で魔石を?」とマリーが首を傾げた。

「いつもの装飾品アクセサリー作りの材料だと言っていた。

中央が緑で縁に向かって黄色になる《木漏れ日ビームス》の魔石を探していたから、自分で探して持っていったはずだ」

イールは手先が器用だから色々な装飾品を作っている。

彼の一族の男性は皆、装飾品を作ってその腕を競う。

器用な男ほどモテて良い妻を娶れるそうだ。

ドワーフも驚くほど精巧な作りで、長寿なエルフならではの時間と手間がかかっている。

私もミツルも、エルフに生まれなくてよかったな…

「じゃあ、イールお兄様に探して貰って」

マリーは図々しくそう言って、私に魔石の条件を書いたメモを手渡した。

「じゃ!私忙しいからお父様お願いね!」

「父親を伝書鳩のように使うのはどうかと思うぞ」

私が苦言を呈したが、彼女はどこ吹く風だ。

「あぁ!忙しい!」と言いながら色々な薬草が入った棚を探っている。

どうやら私はお邪魔なようだ。

父親であり王である私をこんなにこき使うのはこの子くらいだ。

まあ、これはこれで面白いがね…

「伝えておくよ」と言葉を残して彼女の部屋を後にした。

マリーの部屋を出て、同じ階のウィオラの部屋に立ち寄った。

出迎えてくれた娘に「ルキアに会いに来たよ」と伝えると喜んで部屋に入れてくれた。

揺り籠の中の小さなエルフに挨拶する。

血は繋がってないが、可愛い孫娘だ。

まだ人見知りすら知らない幼子に癒されて、私は自分の仕事に戻った。

✩.*˚

「王子の部屋って感じじゃないね」

私の部屋を見回して、彼女はそう言って笑った。

どういう部屋を想像していたのかは分からないが、私の部屋はミツルの部屋などに比べれば殺風景だろう。

自室ですることなんてたかが知れてる。

華美に飾り立てるのは好きじゃない。

「色々置くと散らかるからな。

必要なものはたかが知れてる」

黒いローブを脱いで部屋の壁にかけた。

私の姿を見て彼女が面白そうに笑った。

「初めて会った時はあんなに着飾ってたのに、その格好は普段着かい?

随分質素なんだな」

中に着てた白いシャツと茶色のベスト、黒いズボンを見て言ったのだろう。

確かに着古してはいるが、そこまで変では無いはずだ。

「別に…誰かに見せる訳でもないし、これで十分だ」

「爺さんみたいな色の服だ。

あたしの親父殿の方の方がずっと若い色を着てる」

「確かに」

ヴェストファーレンは洒落た格好が良く似合う。

私に群青や朱色は似合わない。

アーケイイックは流行に疎い国だ。

「あんたは緑が良く似合うよ、くすんだ水色と明るい緑を混ぜた色…

レナエストブラウ、だったかな?」

「残念ながら、そんな洒落た色の服はここにはないな」

「レナ川の水面の色だ、北の大きな川の名前」

彼女は「綺麗な色だよ」と教えてくれた。

少し興味が湧いた…

作業台の引き出しから、約束してた煙草入れを出して彼女に渡した。

彼女は短く礼を言ってマッチと煙草を一本ずつ取り出すと残りを返してきた。

「父上は帰られたのだから持って帰ったらどうだ?」

私の問いに彼女は首を横に振った。

「侯爵の前では吸えないからさ、持ってたら吸っちまうだろ?」

そう言ってバニラの匂いの煙草に火をつける。

彼女の指先に馴染んだ黄色い煙草からは、甘い匂いがした。

「あー…生き返るー…」

「まるで死んでたみたいな言い方だ」

「フィーア人は煙草と麦酒がなかったら皆死んじまうんだよ」と彼女は大袈裟に言った。

その言葉が面白くて私の笑いを誘う。

「笑い事じゃねぇや」と彼女は煙草を形の良い唇に乗せた。

「ところで、何で王子様があんな格好で廊下をウロウロしてたんだい?」

彼女の質問に「掃除だ」と返答した。

「そんなの使用人の仕事だろ?」と驚くヒルダに答えた。

「陛下に魔石を譲ってもらう代わりに、魔窟みたいな宝物庫の整理を頼まれた。

お目当ての物が見つかったから、失くす前に一旦引き上げてきた」

ベストのポケットから、ハンカチに包んで持ち帰った魔石を取り出して見せる。

「珍しい色の石で、加工すると緑と黄色のグラデーションの美しい装飾品に変わる。

木漏れ日ビームス》という」

「自分で加工してるのか?器用だな」

「そのための作業台だ」

「どうりで時計屋みたいな机がある訳だ」納得して頷く彼女に、自分の作ったものを見るかと訊ねた。

ブローチや首飾り、腕輪、指輪、耳飾りをしまった収納を見せると彼女は驚いてくれた。

「全部自分で作ったのか?」

「そうだ。

でもこの煙草入れみたいな象嵌は出来ない。

これは良い品だ」

「これを作った人に褒められるってのは、一級の鑑定士に鑑定された気分だ」

嬉しそうにヒルダが笑う。

「さっきの石は何に使うんだい?」

「耳飾りだ」

「へぇ…出来たら見せてくれよ」

「貴殿に見せるなら下手なのは作れないな」

「こんな丁寧な仕事する奴がそんなヘマしないだろ?」と彼女は笑った。

褒められて悪い気はしない。

彼女になら尚更だ。

「煙草入れの礼だ、好きなのを贈ろう」と言うと彼女は驚いた顔をした。

「いいよ、あたしは」と遠慮した。

受け取ってもらいたくてさらに彼女に勧めた。

「全部魔石を使用してる。

貴殿の役に立つはずだ」

「あたしにこんな綺麗で繊細なものは似合わないよ。

せっかく貰っても壊してしまうのが関の山さ」

「そうか…残念だ…」

ちょっと期待してた…

「ヒルダ殿の白い肌に良く似合うと思った」

彼女は色が白いから、色の強い首飾りや耳飾りが似合うと思った。

「あんた結構ヤバいこと言うね…」

「…すまない」

肌に似合うなどと言うのは卑猥だったかもしれない。

言ったことを少し恥じた。

それでも彼女は笑っていた。

「こういうのって疎くてね。

自分で選べないから見繕ってくれないか?」

そう言って襟のボタンを二つほど緩めた。

男の服の下から白い女の肌が覗いてハッとする。

戦士なのに傷一つない、滑らかで綺麗な肌をしている。

「首飾りなら服の下に着けれる。

あんまり他の人に見られなくて済むからね。

殿下のおすすめは?」と彼女は首飾りを希望したので、私が選ぶことになった。

いくつか手にして彼女と見比べた。

金のプレートに淡い光を放つ赤紫の魔石を嵌め込んだ、華奢なチェーンの首飾りを選んだ。

魔力を溜め込むと色の変わる《アールトス》という魔石だ。

先日のように魔力切れになった時に役立つと思った。

長い首飾りではないから邪魔にならずに首元に収まる。

「魔力を補ってくれる魔石だ。

魔力切れになったら石を解放して魔力を引き出すといい」

「着け方が分からないから着けてくれよ」と彼女は言った。

どこにでもある作りの首飾りだが、人間の使う物は少し勝手が違うのだろうか?

「簡単だ、後ろの留め具を…」

「あたしはあんたに着けて欲しいんだ」

彼女は悪戯っぽく笑った。

オリーブ色の瞳がカットされた宝石みたいに光を含んだ。

「首飾りを贈るなら、着けるまでが男の仕事だ」

「そういうものなのか?」

「そうさ。

親父殿はそう言ってたよ」と彼女は笑った。

からかわれているようにも感じたが、嫌ではない。

作業用の椅子を勧めて、後ろから首飾りをかけた。

切りそろえた短い髪のおかげで、首飾りはすんなりと彼女の首をかかった。

彼女の首は意外と細かった。

長さが足らなかったら鎖を足そうと思っていたが、普通の女性の華奢な首と変わらなかった。

ありがとうダンケ

照れたような声で礼を言ったのは綺麗な女性だった。

長い指先で首飾りを撫でる彼女は嬉しそうだ。

「鏡はあるかい?」と彼女が求めたので、近くの壁に掛かった鏡を指さす。

彼女は鏡を覗いて首元を確認していた。

「あんたやっぱりいい男だね」

「《贈るなら一番良いものを》、だ」

「前にも似たことを聞いた。

それは陛下のお言葉かい?」

「違う、実父の口癖だ」そう答えて、またやってしまったと後悔した。

ステファノ同様、父も母も人間の略奪者のせいで命を落としたのだ。

私の様子を見て彼女は何となく察したらしい。

「…また人間のせいかな?」と彼女は暗い声で言った。

隠せば余計に気を使わせるだろうと、正直に答えた。

「そうだ、でも貴殿とは関係の無いことだ」

「あるよ」と彼女は目を細めて答えた。

「あんたのこと好きだから、もっと知りたい」

どういう意味か分からなかった…

友人として?

それともそれ以上の意味で?

鏡を離れて彼女は私の前に立った。

私より高い位置から注ぐ落ち着いた緑の視線に釘付けになる。

「人間嫌いなんだろ?」

「…そうだな、正直に言うと今でも嫌いだ」

過去は変えれない。

嫌うだけの理由が私の過去にはある。

でもあのバカでお気楽な勇者に関わって、私も少しだけ変わった。

「あたしは?」と彼女は問うた。

「残念ながら、あんたの嫌いな人間だよ」

「そうだな」歯に衣着せぬ物言いが何とも彼女らしい。

彼女は最短距離で私から答えを引き出そうとしている。

遠回りするような変な駆け引きをしようとしない潔さが好きだ。

「私は貴殿を好いている」

「惜しい、もう一声欲しいな」と彼女は笑った。

彼女が言わせたいのはもっと先の深い言葉だ。

それを口にしていいものかと少し悩んだ。

躊躇っていると彼女の手が伸びて包み込むように抱き締められた。

女性の柔らかい匂いとバニラの匂いが私を包んだ…

「やっぱり言わないんだな…

あんたはエルフで…王子様だもんな…当然だ…」

尻込みした私に、落胆した彼女の寂しそうな言葉が刺さった。

腕の中で彼女の顔を盗み見ることはできなかったが、首元で手製の首飾りが鈍く光っていた。

「あんまり期待させるなよ。

あたしだって一応女なんだから…」

「…すまない」

「謝るのはあたしの方だよ、つまらない話は忘れてくれ」

彼女は私より男らしく潔良い…

恥ずかしい…女々しいのは私の方だ…

これじゃまるでだ。

彼女は私から離れると、首飾りをシャツの下に隠して服を整えた。

「部屋まで送ってくれよ」男装を整えた彼女の声が、いつもの明るい調子に戻る。

その変わり様が、また私の女々しさを刺激した。

「そうだったな」と答えて、彼女と一緒に、気まずい空気の部屋を後にした。

✩.*˚

宛てがわれた部屋に戻るとヘイリーの姿はなかった。

まだ戻ってないのが気になったが、どこに行ったのかも分からないのでそのまま部屋で待つことにした。

すぐ戻ってくるだろうし、戻ってないところを見ると誰かは一緒だろう。

探し回ってまた誰かの世話になるのは気が引けた。

つまらん恥をかいたばかりだ…

豪華で大きなソファに身を投げ出して、首元のボタンを外し襟を緩めた。

金属に指先が触れる。

魔石は少しだけ熱を持っていて、指先に触れる温もりは、体温より少しだけ高いように感じた。

子猫でも抱いてるような心地だ…

「…ズルいよな」

あの王子様の顔が頭を過ぎった。

結局、あたしが好きになった男は、誰もあたしを抱いてくれない。

別にアプローチが無いわけじゃない。

意外と物好きっていう奴は沢山いる。

選ばなければ、我慢さえすれば、それなりの地位の家にも嫁げるが、そんな妥協をする気はサラサラなかった。

妥協ならもう十分味わった…

もう、そういうの止めたんだ…

あの日、珍しく、自分で選んだ男に声を掛けた。

黒い長い髪はカラスの羽のような艶があって、長いまつ毛に縁取られた強い紫の瞳がなんとも言えない光を放っていた。

煙草を咥えて佇んでいる姿は、まるで絵画の人のようで、目が離せなくなった。

追い払われるだろうと思ったが、その姿を見て見なかったことにすることが出来なかった。

ミスターヘル、あたしを買っておくれよ』

そう声をかけるとその男は驚いた顔をしたが、割と紳士的に応じてくれた。

彼は嘘か本当か分からない理由で私の申し出を断ったが、抱かないのに金をくれた。

子供扱いされたのが恥ずかしかったが、優しくされて少しだけホッとしたのを覚えてる。

それからしばらくしてあたしはその男の娘になった。

嬉しいのが半分、ガッカリしたのが半分…

娘にした女を抱くような人じゃない。

分かってた…

あたしの初恋は思わぬ形で崩れ去った。

『今までの事は忘れろ』そう言って親父殿は勿体ないような名前をくれた。

ヒルデガルトだなんて高貴な不似合いな名前は少し重く感じた。

魔法を使う素質があったから、トリスタンと名前を変えた幼馴染と一緒に親父殿から学んだ。

トリスタンは剣を、あたしは盾を手に入れた。

誰にも傷付けられない、嫌な奴には触れさせもしない魔法の盾。

もっと早く気が付いていたら、私はキレイな身体のままあの人に出会えたのだろうか?

そんな事を思って泣いたこともある…

いつの間にか伸びすぎた背は、好いた男の背を超えた…

自分の体にさえ諦めろと諭された気がした。

想いを振り払うように、長かった髪を男みたいに刈り上げて、煙草を覚えた。

親父殿から叱られて、トリスタンとは喧嘩をした。

かなりの大喧嘩…

それからしばらく口もきかなかった。

あいつ、あたしの事好きだったんだって、後になって知った。

でもさ、あたしが愛したのはあんたじゃないんだ…

悪いね、トリスタン…

指先で首元をなぞる。

イール王子はどういうつもりでこれをくれたのだろう?

友情としてならガッカリだが、あたしを女として見てくれなんて図々しく言うのも無理がある。

あたしより背が低くて、華奢で綺麗な男は、守ってやりたくなるような繊細な姿をしてた。

背伸びするような強がる喋り方が可愛い。

時々見せる悲しい影が彼に寄り添っていた。

最初は気まぐれで声をかけたのに、あたしの方がハマってしまった。

あの時、興味本位で声を掛けたことを後悔したがもう遅い。

あたしは男運がないんだろうな…

手の届かない高い男にばかり惹かれてしまう。

声を掛けて後悔するのは今も昔も変わらない…

ヒルダ、あんた本当にバカな女だね…

✩.*˚

ミツルは部屋まで送ってくれた。

世話をしてくれる侍女も居るのに、わざわざ勇者自ら世話を焼いてくれる。

彼はとてもいい子だ。

「いろいろ話せて楽しかったよ、ありがとう」

「また明日も会うのに、大袈裟だな」とミツルは当たり前のように言った。

彼はだいぶ打ち解けてくれた。

言葉も距離を作るような敬語から、友人のような言葉にいつの間にか変わっていた。

「明日も遊んでくれるのかい?」

「僕は割と暇だからね。

アンバーから用事でも言われない限り暇なんだよ」

「王女様のお相手は?」

「ペトラの事?

いつも夕食だけは一緒に食べるようにしてるよ。

ペトラは僕と違って忙しいからね。

一緒に過ごせる時は一緒に過ごすよ」

「いいね、幸せそうだ」

「僕と彼女の時間は同じじゃないって気付いたからね。

まだ手探りだけど、一緒に生きるって約束したから…」

ミツルはそう言って照れくさそうに小さく笑った。

その姿が何ともくすぐったい。

彼は優しいし、王女にとって良い夫になるのだろう…

「そうか…私もウィルに会いたくなるよ」

そう言って恋人の事を思った。

カッパーと上手くやってるといいが…

彼は時々自分を抑えられなくなるから、少しだけ心配してる。

「また会えるよ」とミツルは言ってくれた。

彼は私の病気のことは多分ほとんど知らない。

知ってたら、彼は優しすぎるから悩んでしまうだろう。

友のように普通に話が出来なくなるのが辛いので、こうやって知らずに話す事を選んだ。

部屋の前で「また明日」と別れた。

侍女の世話になるのは慣れている。

ドアを開ける必要もなく、自分で上着を脱ぐ必要も無い。

私は彼女らの世話になるのが仕事だ。

「侯爵様」

侍女の一人が私に呼びかけた。

「お連れ様がソファでお休みになられているのですが…

いかが致しましょうか?」

大きなソファの端から軍靴が覗いている。

どうやら待ちくたびれて休んでいたようだ。

「あぁ、そっとしておいてくれ。

彼女は寝起きが悪いのでね」

「暖炉のそばにもう一脚ご用意致しましょうか?」

そのうち起きるはずだ。

用意させても無駄になるかもしれない。

「いや、結構だ。

私も少し横になりたい。

夕餉まで寝室で休ませてくれ」

「かしこまりました、お召し換えと寝室の用意を…」

侍女達はよく働く。

「…何だ、戻ったのか?」

人の動く気配を感じてヒルダが目を覚ました。

ソファから長い足を下ろして立ち上がった。

彼女が上に向かって伸びをするとその背の高さに驚く。

侍女達も驚いた顔で見上げている。

「休んでていい、彼女らが世話を焼いてくれる」

「もう起きちまったよ。

それよりどこ行ってたんだい?」

「ミツルの部屋にお邪魔してた。

一緒に時間を潰してくれたし、面白い話も聞けた」

「なるほど」と答えながらヒルダは肩を回した。

首を回すと凝り固まった音がボキボキと鳴った。

「右手が使えなかった間になまっちまったな…」

「マリーが治療してくれたのか?」

自由になった右半身を念入りに伸ばしながら彼女は「おう」と答えた。

相変わらず男みたいだ。

彼女の様子が私の笑いを誘う。

「親父殿に任されたが、ヘイリーの世話は必要なさそうだな…」

「また必要な時は頼むよ」

「分かったよ」と彼女は軽く応じて短い髪を掻き上げた。

「なぁ、お姉さん方。

湯を浴びたいんだが、ここには浴場はあるかい?」

「ございます。

案内致しますが…その、お召し物の換えが…」

侍女は言葉を濁したが、彼女の着れる婦人服がないのだろう。

ヒルダは「いらない」と言ったがそういう訳にもいかない。

「いいよそんなの、またこれ着るよ」

「探しますので…少々お時間頂戴してもおよろしいでしょうか?」

「たかが服だろ?そこまで気を使ってもらわなくてもいいよ」

二日も三日も同じ服で過ごす気か?

ここは他国の王城だぞ…

「それは聞き捨てならないな…

すまないが、男の物でいいから貸してやってくれ」

「か、かしこまりました」返事をした侍女が若い別の者に用意を頼んだ。

当の本人は何故か困り顔だ。

「どうせまた親父殿が近いうちに着替えを届けてくれるから、あたしは構わないけどな」

「不衛生だ。

あと、私が恥をかくから必ず着替えるように。

師匠が聞いたら卒倒するぞ」

「お?一丁前にあたしに命令すんのか、ヘイリー?」

「あぁ、そうさせてもらう」

「ふぅん…仕方ないな…」不承不承といった様子で彼女は面白くなさそうに応じた。

どっちが世話役が分からない…

しばらくして戻ってきた侍女に案内されてヒルダは部屋を出て行った。

どうしたんだろう?子供みたいなことを言う…

少し機嫌が悪そうだったのは、私の気のせいだったのだろうか?
しおりを挟む

処理中です...