燕の軌跡

猫絵師

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戦場の妖精

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水面を渡りながら唇を噛み締めた。

オーラフ…

彼は良い人だった。

少し口は悪かったけど、優しい人だった。

一緒に買い出しに行った帰りに、彼はこっそり僕に耳打ちした。

『ヨナタンは仏頂面で人付き合いも苦手だけどさ、割と寂しがりなんだ。俺が居なかったら一緒に行ってやってくれよ』

彼はそう言って、塩気のきいた不思議な形のパンをくれた。

珍しがる僕に彼は『お前は何でも珍しいんだな』と笑っていた。

「君だって…僕を珍しがったじゃないか…」

ボソリと一人で呟いて彼を悼んだ。

水面を歩く僕を、幽霊でも見るように、兵士たちが指さした。

水面を蹴って敵の陣地の中に飛び込んだ。

「何だ!」「子供?!」

驚きの声が広がり、僕の周りに人の垣根を作った。

彼らは、僕の腕に巻いた印を見て敵と認識したようだ。

「何者だ!」と誰何されたけど、僕には名前しかないから格好よく名乗れない。

「《雷神の拳》のスー。

まだ無名なんだ、覚えてよ」と言って腕輪に魔力を集めた。

魔石が鳴いて川から水精たちを呼んだ。

川から狼の姿をした精霊たちが顕現する。彼らは凶暴な本性をむき出しに「ウロロロ…」と喉を鳴らした。

水の精霊たちは凶暴だから制御が難しい。

でも、彼らを制御する気は無かった。

「《飲み込め》」と彼らに伝わる言葉で指示を出した。

狼の姿をした水精たちは、手近にいた兵士らを次々襲って水に引きずり込むと水面に消えた。

「助けて…」

川に引きずり込まれた兵士の姿が、もがきながら溺れ、水底に沈んで沈黙する。

「精霊使いだ!」と誰かが叫んで、それを合図に人の波が引く。我先にと味方を押し倒して逃げる人もいた。

僕が前に出ると、水精たちがズルズルと川から這い上がって貪欲な牙を剥いて人を襲った。

追い払おうと、兵士が武器を振るっても、魔法を付与された特別な物でもない限り水精は傷つかない。

「術者を殺せ!」とフルプレートを着た騎士が馬上から指示を出した。

「狼狽えるな!その子供みたいな術者一人だ!射殺せ!」

少し離れた所に広がっていた弓兵が指示に応えて矢を番える姿が見えた。

「《水面の盾》」

後先なんて考えずに魔力を消費して、水で出来た盾を展開させる。

飛んできた矢はドポン、と水に飲み込まれる音を立てながら勢いを殺した。

「《返してあげて》」と水の盾に宿った水の精霊たちに伝えると、矢は水の中で向きを変えた。

息を飲む気配が辺りに満ち、矢は勢いよく水面の盾から放たれた。

狙って放った訳では無いけど、矢はその目的を果たした。

悲鳴が上がって、血の臭いが湿った風に乗る。

酷いことをしてる自覚はあったけど、罪悪感の裏で、別の感情が湧き上がった。

血が湧くような高揚感…

僕はどこかおかしくなってしまったのかもしれない…

味方が死んで、敵を殺して、僕は何故か強烈に生きてると実感している。

自分の感情に戸惑いながら、弓に《雪鷹》の矢を番えた。

矢に魔力を乗せると、風の精霊が喜んで矢に集った。

引き絞った弦は《霹靂の矢》を送り出した。

雷光を帯びた矢は、風の精霊に導かれてその勢いを増すと、鉄の鎧を纏ったの騎士の胸を貫通した。

騎士はゆっくり馬の背から落ちた。

現場の指揮官を失った兵士たちに動揺が走る。

落馬した騎士を兵士が慌てて助け起こすが、彼もオーラフと同様、物言わぬ人となった。

「アシュリー隊長!」

「アシュリー卿!」あちこちから彼を呼ぶ声が飛んだ。

隊長か…

何だか少し皮肉っぽくて笑えた。

あんなに倒すのが目標だった隊長も、結局は一人の人間だった…

妙に頭だけが冴えていて、それでいて他人の目を通して景色を見ているような気分だ。

兵隊も隊長も、一人目の喉を掻き切った時に比べれば、同情も罪悪感も驚くほど薄く、目の前の命は平等に見えた。

「《集え》」と風の精霊を腕輪に呼んだ。

辺りに空気を切り裂くような音が不気味に満ちた。

透明な風刃の避けようのない攻撃が兵士を襲う。血の臭いが一層濃くなって鼻腔に届いた。

人間は弱い…

そうか…アーケイイックの森に住んでる魔獣たちの方が、彼らなんかよりずっと強かったもんな…

そう思った僕の口元には、いつの間にか皮肉っぽい笑みが張り付いていた。

✩.*˚

スーは逃げきれたか?オーラフはどうなった?

確認しようがない。

目の前の気狂い相手に手を焼いていた。

「顔に逃げられた!」と気狂いがずっと喚いてる。

「あの子供の顔ォ!あれ!あれだよォ!ずっと欲しかったのは!」

笑ったり嘆いたり忙しい奴だ。

「アンタの顔なんてどうでもいい!早くあの顔!あの顔剥がさなきゃ!手に入れなきゃァ!!」

スーに狙いを定めた《顔剥ぎ》は俺を抜こうと剣を振るった。

オーラフを倒しただけある。奴の剣は鋭く重い。

体格差、膂力、持久力、全部奴の方が上だろう。経験と技術で補うのも限界がある。

正面から受けるのは得策じゃない。長引くのも厄介だ。

「ヤダよォ!逃げられちゃうじゃん?アンタさっさと死んでよ」

「お前が死ね」

「あの顔剥ぐんだ!アンタは邪魔だ!」

虫でも見つけて追いかけようとする子供みたいだ。

純粋な悪意に気味の悪さを感じる。

頬あての下で呼吸が乱れそうなるのを必死に堪えた。

俺はまだ死ねない。

『自分が最強だと思ってるのかね?』

奢り昂っていた若者の間違いを質し、老人は旅に出る事を勧めた。

『世界は広い』

爺様、あんたは正しかった…

俺より強い奴は沢山いた。

井の中の蛙は自分が蛙だと知った。そしてまた少しだけ強くなれた。あんたのおかげだ。

頬あてを渡し、俺を外の世界に送り出した老人は、もうとうに亡くなったろう。

国だって随分その姿を変えたろう。

主君の血統も変わったかもしれない。

それでも、帰ると決めた。

ワルターには悪いが、時間は有限だ。生きてるうちに帰らなければならない。

『あんた、子供みたいななりなのに随分強いんだな』

あの人のいい男は、子供が悪漢に絡まれてると思っていたらしい。

『行くあてないなら面倒見てやるよ』と言われてワルターと行動を共にするようになった。

あいつはやたらと人を拾ってくる。

挙げ句の果てには、人じゃないものまで拾ってきた。

面白い男だ…

自分で主君を決めれるなら、あいつを主君と仰ぎたかった。

「あの子供はお前にはやれん」

エドガーの剣を打ち返しながら答えた。

「あれはワルターに残す土産だ」

「違う!俺んだ!アルフィーへの《贈り物》にするんだ!」

喚き立てる気狂いとの攻防は苛烈さを増す。

いつどちらが倒れてもおかしくない。

決着なら一瞬で着く。

一瞬の判断を違えた方が死ぬ。

今はまだ折れてくれるなよ?

故郷から行動を共にしている相棒を気にかけた。

俺なりに大事にしてたつもりだが、これだけの打ち合いをすればいつ折れてもおかしくなかった。

なかなか決着が着かずに呼吸が乱れ始めた。足の運びも悪くなる。

「おっさんじゃ若者には着いて来れないかい?」と気狂いが嗤う。

全く、歳は取りたくないもんだ。

刀を握る腕が鈍く重くなる。

逃げろと叫ぶ本能の声を無視して、《顔剥ぎ》に立ちはだかった。

本来なら絶対に戦わない相手だ。

俺も変わったな…

そう思って口元が皮肉っぽく笑った。

変えてくれたのは、俺を仲間と呼んでくれたはみ出し者たちだ。

スーはワルターに残してやる。

あいつは必ず強くなる、俺なんかよりずっと強くなるし、役にも立つはずだ。

スーは、まだ自分が鷹だと気付いてない雛鳥だ。

この手で立派な戦士に育てたかった…

「邪魔だ!年寄りはすっこんでろ!」

凶暴さを増したエドガーの力に押され、刃を受け止めきれずに押し切られた。

「くっ!」抗えない程の力が加わり、切り結んだまま押し倒された。

不気味な薄ら笑いを浮かべた狂人が、馬乗りになって刃をゆっくり押し込んでくる。

この押し合いに負けたら死ぬ…

必死で抗うが、上になってる相手の方が有利だ。

こんなつまらん死に方か!と毒づいたがどうにもならない。

じわじわと圧に負けて腕が下がり、相手の剣が首筋を捉えた。

死を間近にした時、不気味な獣の鳴き声を近くで聞いた。

「ウロロロ…」溺れるような水を含んだ獣の唸り声。

「…何だァ!?」

流石の気狂いも驚きを隠せず、獣の姿に目を奪われた。

半透明の狼の姿をした生き物は、いきなり牙を剥くと目の前のエドガーを襲った。

「うぉ!」慌てて飛び退いたエドガーを追って獣が駆けた。

エドガーが剣を振るって獣を切り裂いたが、水で出来た身体は刃を受け流して、形を損なうことは無かった。

気が付くと透けた水の狼はあちこちに散らばって、兵士や傭兵を咥えると水の中に引き摺りこんでいた。

刀を拾って体を低くして身構えた。

この場所は妖精か魔獣の巣だったのだろうか?

戦闘で刺激されて現れたのか?

剣が通じないとなると厄介な生き物だ。

「…ウロロ」目の前に現れた狼は、俺の方を見たが、目の前を素通りした。そして別の傭兵を見つけると食らいついて水に引きずり込んだ。

見逃されたのは気のせいかと思ったが、他の狼も俺を一瞬見て素通りする。

「…一体何が…」

見逃されてる奴とそうでない奴の違いが分からない。それでも俺は見逃される側の人間らしい。

あの気狂いの相手をしなくて済むなら好都合だ。

フリッツと合流しなくては…

乱れた呼吸を整えて前を向いた。

「動けるやつは着いてこい」と仲間を拾いながら走った。

霧の晴れた先でも、あの水でできた獣が騒ぎを起こしていた。

「フリッツ!」

壁のようにでかい赤毛の男を見つけて駆け寄った。フリッツも下手に動くことが出来ずに、仲間と足止めをくらっていた。

「ソーリュー!無事か?」

「一応な」死にかけたとは言えずに曖昧な返事をした。酷い格好なのはお互い様だ。

「スーは?」とフリッツは俺の傍にスーの姿を探した。

「オーラフが《顔剥ぎ》と戦って負傷したから対岸に運ばせた」と伝えると、フリッツもオーラフの離脱が信じられないようだった。

「まあ、離脱してるなら」と言って彼は周りに視線をやった。

「一体どうなってやがる」とフリッツが苛立たしげに呟いた。霧は晴れたが、状況がまるで分からない。

「とにかく進むしかない」と言うと「分かってる」と彼はハルバードを構えて応えた。

敵の旗と《見せしめ》まではまだ距離がある。あの不気味な《見せしめ》だけでも回収しなければ今後に関わる。

「俺は陣地を取る。お前はあの悪趣味な《飾り》を何とかしろ」とフリッツが隊長らしく俺に命令した。

✩.*˚

「何やってる…」

無様に逃げ回る兵士をかき分けて前に出た。

エドガーは何処で何してる!

イライラして拳が熱を持った。

目の前を過ぎった半透明な狼が牙を向いて、飛びかかってきた。

他の奴ら同様、簡単に水中に沈められると思ったのだろう。小者として扱われた事に腹が立つ。

「ナメるな、下級精霊が!」

狼の大きく開けた口に拳をねじ込んで熱を加えた。

「バオ!」と奇妙な悲鳴をあげて水精は一瞬で蒸発し、辺りに湯煙を残して獣は跡形もなく爆散した。

「イエィツ隊長!」

「水精の巣でも刺激したか?巣の場所くらい確認しておけ!」と手近な兵士を叱咤して前に出た。

《氷鬼》が出てきてないのに、戦場に引きずり出されるのは癪だが仕方ない。

「俺が水精を追い払う!お前らはスペンサー殿を守りつつ、手筈通り後退を始めろ!」

後退して陣を下げつつ相手を誘い、相手の本陣が前進したところを騎獣隊で後方から削る手筈だ。

少し早いが、やむを得まい。

予定が大幅に狂ったのは、相手の動きが予想外に早かった事と、想定外だった水精の群れが現れたせいだ。

「エドガーめ!」

上手くいかないのを変態のせいにした。

全く!どこで遊んでる!

苛立ちを炎に変えて、透き通った精霊を襲った。

《烈火》を食らった水の獣は形を保てずに、その場に湯を撒いて消えた。

「アルフィー!」

役立たずの声が俺を呼んだ。

「あー!助かったァ!」と現れたエドガーは全身ずぶ濡れだった。ずぶ濡れということは、あの水精から逃げてきたってことか?

前衛はどうなってる?!

「てめぇ!こんなところで何遊んでる!持ち場に戻れ!」

「え?!俺の心配して来てくれたの?優しい?」

嬉しそうな顔するな、気色悪い…本当に殺したい…

「さっさと持ち場に戻れ!後退を開始しろ!」とバカを蹴って前衛に追い返した。あいつはバカだが、傭兵としての能力は折り紙付きだ。不愉快だが、使わざるを得ない。

エドガーを追い払って、まだ残っている水精を追い払おうと水辺に向きを変えた。

水精たちはまだ貪欲に人間を襲って水の中に引きずり込もうとしている。

「…獣が」と忌々しく呟いて、水精を追い払おうと手を翳した。

「?!」炎を纏った腕にいきなり痛みが走った。気付けば白い矢が腕に突き刺さって止まった。

腕に刺さった矢はすぐに俺の炎に焦がされ、燃え尽きて灰になった。残った鏃だけが地面に落ち、音を立てて転がった。

「僕の精霊を殺すな!」と場にそぐわぬ幼い声がした。

矢の飛んできた方に視線を向ける。

白い弓を手にした敵の姿は、青年と言うには幼く、少年と呼ぶには少しはみ出していた。

「精霊使いか?」

人のなりで珍しい。

アーケイイックのエルフじゃあるまいし、精霊を操るとなれば《祝福持ち》か?

矢を番える腕に飾られた腕輪からは、魔法の気配が漏れている。

この敵は、この場で始末をつけるべき相手と、本能的に認識した。

精霊使いが弓を構えた。

精霊と弓を使うとは、ますますエルフみたいだが、エルフとは決定的に違うことが一つだけある。

黒髪のエルフは存在しない。

古今東西、エルフの髪の色は、必ず金、銀、白金、赤銅などの色に分類される。漆黒は存在しないのだ。

じゃあ、目の前のこの小僧は何者なのか?

その答えは持ち合わせていなかったが、することは一つだけだ。

ひりつく様な炎を纏って構えた。

「俺の前に立ったことを後悔して死ね」

相手が子供だろうと敵であれば容赦しない。地面を蹴って前に出た。

小僧が矢を放ち、肉薄する俺を牽制する。

相手は矢を放って、空になった手を掲げた。右腕の腕輪が青く光を放った。

「《水面の盾》!」

小僧の前に、どこからか分厚い水の層が出現した。

「《劫火》」

拳から放った炎が、目の前の邪魔な壁を一瞬で取り除いた。湯けむりが立ち込め、視界が悪くなる。

「《集まれ》!」と子供の声が湯気の中から響いた。

湯けむりが一瞬にして一頭の狼に姿を変えた。

水精は牙を剥いて噛み付こうとしたが、その牙が俺に届くことはなかった。

「何度やっても同じことだ」

「強いね」と小僧は素直に賞賛の声を上げた。

「でもその《祝福》は人間が扱えるものじゃない。君、死ぬよ」

「大きなお世話だ」と苛立たしく言葉を返した。

そんな事、誰よりも分かっている。

最後には俺がこの炎で骨まで灰になる運命だと知っている。

最初はこうではなかった…

『暖かいわね、アルフィー』

母はそう言って俺を抱きしめてくれた。

隙間風の訪問が耐えない小さな小屋に、二人で身を寄せあって過ごした。

冬の寒い日でも、薄い毛布一枚が極上の寝床だった。

寒い路地で客を待って、冷え切った母の身体を温める事が何より幸せで、それだけの《祝福》で満足だったのに…

ほんの少しの手持ちの金のために、母は命を落とした。冷たくなった母を温めても、体温は戻らなかった。

温めて、温めて…遂には焦げるほどの炎を帯びて、あの小さな小屋と母の遺体は黒焦げになった…

心が冷たくなればなるほど炎は強くなるのだ。

満たされないことが燃料になる。

負の感情が強ければ強いほど、炎は勢いを増した。

俺に人として生きる道は残っていなかった…

「お前のようなガキに哀れんでもらうほど、俺は落ちぶれちゃいない」

「ガキって言うな!僕の名前はスペースだ!」

「そうか」聞いたことも無い名に、心底どうでもいいと思いながら返事だけ返した。

「消し炭に名前が要るなら覚えておいてやろう」

時間もあまりない。

さっさとこの面倒な子供を始末して、作戦を続行したかった。

まだ《氷鬼》も居るのだ。こんなところで、無駄に消耗するのは愚行だ。

「死ね」

たった一言呟いて、炎を纏って相手との距離を縮めた。

「熱っ!」と悲鳴を上げて、相手は少しだけ下がったが、すぐに魔法で反撃してきた。

この子供、なかなか肝が座っている。

「逃げないのか?」とからかった。

「逃げたりするもんか!」と小僧が一丁前に吠えた。

「僕は!みんなとの約束を守る!」

紫の瞳が力強く輝き、腕輪に魔力が注がれる。

「《ネーレーイス》!」と水を呼ぶと、川から大量の水が女の姿になって押し寄せ、纏わりついた。

俺を抱こうと手を伸ばすが、女の腕は音を立てて形を失った。

「《ああぁぁ!》」と悲鳴のような耳障りな声が精霊の口から漏れる。女の細い腕はすぐに再生して、また俺を向かって伸びた。

さっきの水精より上位の精霊なのだろう。これは厄介だ。水を相殺した炎が勢いを緩めてしまった。

「《霹靂の矢》」

いつの間にか引き絞った弓弦が魔法の矢を放って俺に届いた。

「ぐぅぅ…」

炎の勢いが削がれたことで、矢は姿を保ったまま腹に鏃を穿った。

痺れるような痛みが傷を中心に身体に走ったが、それでも立っていられたのは、纏ってた炎が矢の勢いを削いだのと、相手も消耗してたからだ。

俺と戦う前にも、精霊を使ったのだろう。

あの霧もこいつの仕業だったのかもしれない。

乱暴に矢を引き抜こうとしたが、矢は鏃だけを残して灰になって崩れた。

焼けるような痛みが腹に残ったが、同時にはらわたを焼き切るような怒りが炎に変換された。

纏う炎が色を変えた。

赤から黄、白と温度を上げながら彩を変えた。

ジリジリと肌が痛む。でもそれ以上に。目の前のガキの存在が許せなかった。

「こんなにガキに!ガキなんぞに! 」

火柱が上がり、目の前の精霊が爆ぜるように跡形もなく蒸発した。

周りなんぞ知ったことか!

巻き込まれた奴も居たかもしれんが、そこまで面倒見てやるつもりは無い。

敵も味方も、誰も彼も分からないほど黒焦げになって死ねばいい…

また胸の中が黒く塗りつぶされるような感覚を覚え、左目で目の前のガキを睨んだ。

よく見れば綺麗な顔をしていた。

幼さを残した顔に、驚きと恐怖が張り付いているのかと目を凝らしたが、その顔は引きつっても泣いてもいなかった。

陽炎の向こうの顔は真っ直ぐに俺を睨み返していた。その顔もまた癪に障る。

精霊使いは炎を恐れずに右手を突き出し、何が呟いた。

俺の意思とは関係なく、炎が揺らいだ。

「《帰って》」と呟く声が届くと、異変が起きた。

「…何?」

炎が揺らめいて火柱が削られた。

削られた炎はすぐには再生しなかった。

「《帰って》」と精霊使いは、子供の声で諭すように炎を削った。

何が起きてる?

「俺の《祝福》が!」

この声は俺の声か?なんて無様な声だ!

歯軋りが漏れ、怒りが思考を黒く塗りつぶした。

この子供!絶対に許さない!

「《烈火》を!この俺をバカにしやがって!

汚ぇ屍晒して死ね!全身焼けただれて死ね!息も出来ずに苦しんで死ね!生まれたことを後悔して死ね!」

毒が口から溢れた。ドロドロした感情が熱を上げる。

自分の身体が焦げる臭いがした。

肉が焦げる、母の身体と同じ臭いがした…

✩.*˚

『お前にも見えるのかい?』

僕が、精霊の存在を尋ねると、父さんは驚いたようにそう言った。僕に色々尋ねて、父さんは嬉しそうに微笑んだ。

『すごいね、スー。お前は本当に私たちの《希望スペース》だね』

父さんはそう言って、幼い僕に腕輪をくれた。父さんの腕輪は大きくて、細い僕の腕からすぐに滑り落ちてしまった。

『おやおや…これを譲るのはまだ早いかな?

この腕輪は魔法と精霊を扱うためのものだ。お前を守ってくれる。

精霊たちはこの腕輪でお前を私の血縁と知り、力を貸してくれるだろう』

微笑みながら腕輪を拾って僕に履かせる手は優しかった。

『どうしても、制御出来ない精霊には私の名を伝えなさい。見逃してくれるはずだ』

『でも、それじゃ僕の力じゃないよ!』父さんに頼るなんて格好悪いと思う。男なら自分の力で何とかする!

『お前は本当に気が強いね』と父さんは穏やかな口調で、困ったように眉を寄せた。

『多少ズルしても、私はお前に生きていて欲しいよ。

スー、お前は私の《希望》なんだ』

父さん、ごめん…

父さんのことが嫌いだなんて嘘だ、ごめんなさい…

でも、僕はやっぱり、あの結界の中だけでは窮屈だったんだ…

外の世界を知りたい!あのまま、何も無く、ただ平坦な生を消化するだけの日々には耐えられない!

僕はエルフじゃないから…

人の血が僕を外の世界に誘うんだ…

熱風に煽られながら顔を上げた。剥き出しの肌がジリジリと焼けるような痛みを感じた。

「《《炎の精霊》に告ぐ》」

目の前の火柱に話しかけた。僕はまだ死ねない…

謝らないと…

父さんを傷付けた事を謝って、もう一度出直さないと…僕は…

「《僕は《世界を見守る者スペクタートル》|の息子、スペース》」

無数の蛇の姿をした炎の精霊が父さんの名に少しだけ怯んだ。

呼吸もしにくいほど強かった熱が緩み、僕は一歩前に進んだ。

「《帰って》」と精霊にお願いした。

一部の炎の蛇が、抗えずに炎の柱からボトボトと剥がれ落ち、行方をくらました。

「俺の《祝福》が!」と男が悲鳴をあげたが、構わない。蛇を彼らのあるべき場所に帰した。

ゲルトに啖呵を切って出てきたけど、そろそろ限界だった。疲れた…眠い…

でも、この人だけは何とかしなきゃ…

ワルターに《祝福》を使わせたくなかった。

誰がこれを《祝福》と呼び出したのかはしらないけど、こんなの《祝福》なんかじゃない…

ワルターも、目の前の彼も呪われてる。

炎の柱を削られた彼は何度も僕を罵って熱を上げた。

まるで癇癪を起こした子供のようだが、こんな凶悪な子供はいないだろう。

青い炎が彼自身を焦がし、肉の焼ける臭いがした。

狂気にゾッとする…

憎しみを毒として吐く姿はまるで毒蛇のようだ。

彼を中心に、蛇たちが集まり始める。巨大な一匹の大蛇になった炎がとぐろを巻いて鎌首をもたげた。

狂気を宿した左目が炎の中から僕を射抜いた。

「《祝福》は奪えない!てめぇがどんなに優秀な精霊使いでも、この力は掠め取ることはできまい!

ざまぁみろ!絶望して無力のうちに死ね!」

彼が手を振るうと大蛇は炎を纏った姿で口を大きく開いて襲いかかってきた。

地面を転がって直撃は避けたが、炎は意志を持っているように追撃してくる。

「死に晒せ!誰でも同じだ!黒焦げの死体になってしまえば、王様だろうが乞食だろうが、同じ屍だ!」

全てを飲み込む炎を使う男はそんなことを言っていた。

いつの間にか周りから生きてる人の気配が消えた。

誰もこんな修羅場に入って来れないだろう。

助けは期待できない。傭兵の中では僕しか魔法も使えないし、精霊の力も借りられない。

残り少ない矢を手にしたが、精霊を呼ぶ魔力もほとんど残っていない。

僕が倒れるか、彼が先に燃え尽きるかのどちらかしかない。

足が重い。

足だけじゃなく、頭も腕も重い…

「スー!」どこからか僕を呼ぶ声がした。

エルマーの声に似てた…

「どこだ!返事しろ!」やっぱり彼の声だ。こんな時まで僕を探してる。

「…嫌だ」来ないで、君まで死んだら困るよ…

「仲間か?」と炎の中で嫌な声がした。心臓を掴まれたような感覚で血の気後引いた。

「精霊使いでも、《祝福》もないくせに何が出来る」と彼は僕の大切な人を嘲った。

青い炎の蛇が鎌首をもたげる向きを変えた。

「や!止め…」

「死ね」無慈悲な声に応じるように、炎が僕を追うのを止めて向きを変え、別の誰かに襲いかかった。

悲しいかな、僕にあの炎を消すほどの力は残ってない。

絶望しかけた僕の耳に、届いたのは悲鳴ではなく炎を阻む声だった。

「《氷塊の盾》」

どこからか現れたのか分からない氷の塊が、暴れる炎の前に立ちはだかった。

「別に、格好つけるために遅れたわけじゃねえからな」と不機嫌そうな声が僕に届いた。

現れたのは、大剣を担いだもう一人の《祝福》を持った傭兵の姿だ。

「《烈火》相手に大健闘だ、削ってくれてありがとよ」

「…ワルター」

彼の大きな背が《烈火》から僕の前に守るように立ちはだかった。

彼の周りに《冬の王》の眷属が忙しなく飛び交っている。

「もうすぐでフリッツたちの方も片付く。

あとは俺の仕事だ、下がってな」

彼はそう言って僕を仲間に預け、《烈火》に向き直った。
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