燕の軌跡

猫絵師

文字の大きさ
上 下
57 / 114

家族

しおりを挟む
『仲良くしようぜ』

夢の中で大嫌いなあの男の声がした…

忘れた頃に、あいつらは現れる…

夢は俺に、屈辱と恐怖を残して、何事も無かったように消えて行く。

『また仲良くしようぜ』と言って…

「どうした?大丈夫か、スー?」

起きる時に悲鳴でも上げたのだろうか?

心配そうなディルクの声が、灯りを落とした、暗いテントに響いた。

ディルクとイザークと酒を飲んでそのまま寝てしまったらしい。

「なんでも…ない…」

「うなされてた。明かり点けるぞ」と断って、彼はマッチの明かりでランプに火を灯した。テントの中に、ぼんやりと彼の顔が浮かんだ。

「ひっ!」ゾッとして引きつった悲鳴が漏れた。

彼の姿が《アラン》に見えた…

「…スー?」

「来んな!それ以上近づくな!」

「…何だァ…ディルク?お前スーにイタズラでもしたのかよ?」寝ぼけた様子のイザークが床から半身を起こした。

「んなわけねぇだろ?!」とイザークの頭を叩いて、ディルクが怒鳴った。

「夢見が悪かったんだろ?何か飲んで落ち着けよ」

「なんだよ、悪い夢見たのか?おまじないしてやろうか?」二人に代わる代わる心配されて、少しだけ冷静になった。

そうだ…もうあいつらは居ない…

ランプを手に外に出て行ったディルクが、飲み水を持って帰って来た。

「あんた偉ぶっててもまだわりとガキだもんな…」と言いながら、ディルクは欠伸して水を差し出した。

「こんな場所で生活してんだ。

嫌な夢だって見るさ」

「…ごめん」

「いいよ」と彼は許してくれた。俺がやった煙草を咥えて煙をテントに放った。

「で?落ち着いたか?」とボサボサの頭を掻き回しながらディルクが訊ねた。俺が頷くと、彼は、「昔の夢か?今の夢か?未来の夢か?」と夢の内容を訊ねた。

「昔」と答えると、ディルクは頷いた。

「喋るな、動くなよ」と言って、彼は俺の向かいにあぐらをかいて座った。

火のついた煙草を持つ手を振って、大きな三角形を何度も描きながら、低い声でおまじないの歌を歌った。

「《これここ、この屋根、入るなかれ。

これここ、この床、染み込むなかれ。

招かれざる客、拠るなかれ…

過去から来る亡霊よ、道が無くなるその前に、お前の帰る場所に帰れ…

梟が三回鳴いたら帰れ。

ホー、ホー、ホー…》」

歌い終えると、彼は煙草の煙を口に含んで、仕上げに吹きかけた。

「終わり」と呟いたディルクはまた煙草を咥えた。

「悪いのは追い払ったから寝ていいぞ」

「何?今の?」

「エッダのおまじないだ。子供が夜泣きした時にするやつだ」と彼はからかうようにそう言った。

「昔よくやったよ…また悪い夢見たらしてやる」

「俺もできるよ」とイザークが寝転がったまま手を挙げた。ヘラヘラしている彼のは効果がなさそうに思えた。頼むならディルクがいい。

「君のは効かなそうだ…」

「何だよ!ちゃんとできるって!俺はやる時はやる男だぜ!なぁ?ディルク?」

同意を求められたディルクは肩を竦めて、口を塞ぐ煙草を咥えた。

「エッダは意外と信心深いんだぜ」と拗ねたイザークも煙草を取り出して咥えた。

「そうなの?」意外だな…

「あのおっかねぇのが来た時はビビったな」

「お前一人で逃げただろ?」

「だって怖かったんだもん」イザークはディルクの指摘に悪びれずに答えた。《おっかねぇの》とはカーティスの事だろう。

ディルクは俺に「寝れるか?」と訊ねた。

気持ちは少し楽になっていた。彼に頷いて、茶色の毛布を手にした。

「…ありがとう」と呟いた声は彼らに届いたのだろうか?

✩.*˚

「おう!来たぞ、叔父貴!」

「久しぶりだなワルター!」

また賑やかなのが続々と…

「苦戦してるらしいじゃねぇか!」

手を打ち合いながらフリッツが意地悪く笑った。彼の手には自慢のハルバードが握られている。

その姿に懐かしさを覚えた。

「お久しぶりです叔父様」フリッツの傍らにはブルーノの姿があった。彼とも握手して挨拶を交わした。

「いいのか?こんな所に連れて来て?」

「何言ってんだ?俺らはもっと前から出てるだろ?」とフリッツは血の繋がってない息子の肩に手を置いた。

「次の団長だ。箔をつけるにはちょうどいい戦場だろ?」

「初陣だろ?激戦区なんぞに放り込んでいいのか?」

「スーも前線で戦ってると聞きました。私も負けていられません」と真面目な青年は目を輝かせて応えた。

彼の言葉に、フリッツは嬉しそうに笑った。

「俺も初めて会ったがな、なかなかいい男じゃないか?」とヘンリックもブルーノを褒めた。こいつも相変わらず元気そうだ。

「後で《燕の団》も紹介しろよ?ところでスーはどこだ?」

「《犬》連れて散歩だ」

「《犬》?」

「跳ねっ返りばかりの《狂犬部隊》だ。スーのお気に入りさ」

「また、あいつも物好きだな…」

「まぁ、骨のありそうな奴らばかりばかりだがな」

「お前に似てきたんじゃないか?」

「あいつに比べりゃ、俺なんて常識人だよ」と笑っていると、ガラの悪い取り巻きを連れたスーが戻って来た。

俺と一緒に居るのが誰かすぐに気づいたらしい。

「フリッツ!ヘンリックも!」

「へぇ、随分洒落た格好じゃねぇか?」とヘンリックが駆け寄ってきたスーの頭を雑に撫でた。

「また背が伸びたな」

「まだ伸びるさ」と笑うスーに、ブルーノが挨拶した。

「私もいるよ。久しぶりだね、スー」

「ブルーノ、久しぶり。妹たちは元気か?」

「ジビラもエマも元気だ。みんなでエマを甘やかしてるよ」フリッツは自分の子供に妹の名前を付けていた。

「ややこしいだろ?」と俺が訊ねると、フリッツは自慢げに笑って、「今度こそ幸せにする」と誓った。こいつも今の生活が幸せなんだ。

「今度うちのお姫様にも会わせてやってくれ」と言うとフリッツもブルーノも嬉しそうに快諾した。

「まずは生きて帰らにゃならんな」と皆で約束した。

「ねぇ、そういえばヨナタンは?」

「あいつは《玩具》の用意してるよ」とフリッツが答えた。

「《玩具》?」

「あぁ。頭の良い奴の考えることは俺には分からんよ」とフリッツは肩を竦めたが、ブルーノは「いいものですよ」と養父に答えた。

「トゥーマン殿は《試作品》が試せるって喜んでましたよ」

「あいつ何する気だよ…」

「連射式のクロスボウを改良して、装填速度を高めたバリスタを作っていた…傭兵にそんなもの必要ないだろう?」

「上手く稼働したら兵器として売る気なんですよ」とブルーノが言葉を付け足した。

「射程は?」

「知らん。本人に訊けよ」とフリッツは興味なさげだ。

「使えるなら欲しいな。オークランドの奴らが持ち出しててさ、対岸から飛ばして、こっちまで余裕で届くんだよ」

「マジか?怖ぇな!」

「全くだ。

こっちは防戦一方だし、攻め手に欠けるからな」

「何だぁ?《氷鬼》様もお手上げか?

こいつはいよいよ面白い戦場じゃねぇか?」とヘンリックは嬉しそうだ。

「まだ手柄は残ってそうだな」とフリッツがハルバードを握り直した。

「やらねえよ」とゲルトがケチな事を言って笑った。

「もぎ取るさ。ウチだって商売だ。譲らねぇよ」とフリッツとヘンリックもやる気十分だ。

「競走だな」とスーもいたずらっぽく笑って、「ヘンリック、アレやってくれよ」と檄を強請った。

「やるか!」とヘンリックが応じて声を張り上げた。

「野郎共!」とよく通る声が響いた。

《雷神の拳》の団員たちがすぐに反応した。

スーの取り巻きをが何事かと身構えた。

「お前らも混ざれよ」と呼ばれて、俺たちを中心に周りに傭兵たちの人垣ができる。

ヘンリックが朗々とした声で檄を放った。

「初めましてだ!《燕の団》!

俺たち《雷神の拳》も稼がせてもらうぜ!競走と行こうじゃねぇか、兄弟!」

「《兄弟》?」とディルクらが首を傾げた。

「ウチは元々 《雷神の拳》から独立したんだ。あいつはゲルトの甥っ子さ」と教えてやった。

「そんなわけだ!まぁ、仲良くしてくれ!

共闘といこうじゃねえか!」

「応!」と《雷神の拳》の連中が応えた。

「足引っ張るのは無しだ!《燕の団》!根性見せろよ!」と今度はスーの檄が飛んだ。檄に応える「応!」の声が上がる。

それを見てヘンリックが満足気にニッと笑って張り上げた。

「敵はオークランドだ!

俺らのすることは何だ?!」

「ぶっ殺す!」わぁっと物騒な声が上がる。

「邪魔する奴らは?!」

「皆殺し!」

「よぉし!その意気だ!

お貴族様からたんまりご褒美貰って帰ろうじゃねぇか!」ヘンリックの檄に、誰も予測しなかった、彼より大きな声が応えた。

「応!期待してるぞ!存分に奮うがよい!」

「は?」演説が中断した。

それもそのはずだ…

「カール…せっかくの演説を邪魔するでない」

「いやいや、兄上!なかなか熱のある良い演説でついな!」と大声で豪快に笑う弟と、それを窘める兄の姿に誰もが口を閉ざした。

「こっ!侯爵閣下?!」

「久しいな、ロンメル男爵。男爵になっても相変わらず泥臭い戦い方をしてるそうではないか?」と気さくな様子でパウル様が口を開いた。

フィーア南部で一番のお偉いさんだ。

流石にその場にいた全員が膝を折って敬礼を捧げた。

「何でパウル様が?」

「前線の視察を兼ねてな…弟への説教と、戦ってくれた卿らへの感謝を述べるために来た」とスーに答えたパウル様は俺に手を差し出した。

その手を握り返して握手を交わした。

「具合は?」

「かすり傷です」

「そうとは聞いてない。養生せよ。

卿に何かあったら私はテレーゼとガブリエラに会わす顔がない」と言いながら、パウル様は握った反対の手で俺の肩を労うように叩いた。

「テレーゼとフィリーネは元気だったぞ」と一番の朗報を伝えてくれた。

「アーサーの件は聞き及んでいる。

弟と卿を逃がしてくれた彼には感謝せねばならんな」

「俺たちはあいつを諦めてません」

「分かっている。卿はそういう男だ」とパウル様は爽やかに笑って答えた。

「弟と娘婿の恩人だ。私もできる限りの協力は約束しよう」と約束してくれた。

「しかしな…卿は男爵になっても変わらんな…

少し目を離すと傭兵に戻ってしまう」とパウル様は苦笑いした。そういえば…

「身なりを整えたまえ。義父として、娘婿がその格好では少々恥ずかしいのでな…」

…まさか…

「私の侍女たちも待たせている。着いてきたまえ」

パウル様の言葉に「…あれか」とスーがボソッと呟いた。憐れみと笑いが混ざったような声に苦い顔で睨んだ。

「スー、君も一緒においで。アレクから手紙と贈り物を預かっている」

「いっ!」微妙な声を上げたスーに、心の中で「ざまあみろ」と悪態吐いた。

こうして二人で本陣に連行され、南部侯の侍女の洗礼を受けたのは言うまでもない…

✩.*˚

「何で俺まであれしなきゃいけないのさ?」とスーは文句タラタラだった。

そのくせ、ちゃっかり新しい服は頂戴してたし、飯も食って、お土産も貰ってたろうが?

「あの《洗礼》何とかならないわけ?」

「仕方ねぇだろ?相手が相手なんだから」とスーを黙らせたが、俺もあの趣味の悪い《洗礼》はもう勘弁願いたい…

あれがテレーゼにバレたらと思うと気が気じゃない…

うぅ…浮気では無いにしろ気まずい…

「聞くけどさ…あれって浮気とは違うって事でいいよね?」とスーも同じことを思っていたらしく、俺に確認した。

「当たり前だろ…」こんな拒否権なしの厄介事がカウントされちゃたまらん…

「敵より味方が怖いよ…」とスーはボヤきながら煙草を取り出して咥えた。手を出すと一本くれた。

「…はー…」煙草を飲んで少しだけ落ち着いた。

ここに来る前に、パウル様はブルームバルトに立ち寄ったらしい。その際、テレーゼと話をして驚いたと、その時の様子を語った。

『彼女は未来を見据えているそうだ』とパウル様はテレーゼの計画について語った。

貴族の子弟用ではなく、貧しい子供たちのための学校を作る為の草案をまとめていたそうだ。

その中には学校にかかる費用や、奨学金の創設、寮の用意まであった。

『テレーゼらしいや』とスーは笑っていた。俺もそう思う。

彼女は、『こんな時だからこそ、子供たち、次の世代を育てましょう』と大胆にもパウル様を説得しにかかったらしい。パウル様も返事は一旦保留としたが、テレーゼから預かった、厚い草案と嘆願書を見せてくれた。

『あの子は先代のヘルゲン子爵と考え方が似てるな…』と苦笑いしていたが、嫌そうな感じでは無かった。

『シュミットが手を貸したにせよ、この草案は非常に良く出来ている。私が感心するほどの出来栄えだ。

他の者と相談の上返事をしたい』と前向きな返答をくれた。

「パウル様乗り気じゃないか?」

「あの人は優秀な人材が欲しいんだよ。

それこそ、優秀なら貴族でも平民でも亡命者でも何でもいいのさ」

全く、懐が大きいのか、ケチなのか分からない人だ…

「テレーゼも頑張ってんだ。

俺たちも結果出さねぇとな…」

「だな」とスーが煙草を咥えながら笑った。

「その学校はルドも入れるんだろ?だったら俺も応援するよ」

「先生はケヴィンか?」

「かもね」と二人で冗談を言い合った。

「カナルのこっち側は守りきるぞ」

「あぁ、子供たちのためだ…渡す気はないさ」

頼もしく答えた相棒と拳と拳を合わせて、未来を守ると誓った。

✩.*˚

「ふははは!兄上も意地の悪い!」

身体も声も大きな弟はそう言って、巨躯を揺らしながら笑った。

「抜き打ちの視察とは卑怯ではありませんか?

あの婿殿の驚いた顔!なかなか面白い見世物でしたな!」

「どこから情報が漏れるか分からん。それに視察は抜き打ちでなければ現場の様子を見ることができぬのでな」

「現場泣かせな侯爵様だ」とカールがボヤいた。

「お前こそ、無茶をしおって…随分羽を伸ばしているようではないか?」

「ハッハッハ!つい!前に出過ぎましたな!」と彼はあまり反省した様子はない。

ため息を吐いて、椅子の背もたれに背を預けた。

「お前はコンラートと違って目が離せないな…」

「次男とはそういうものですな」と答えながら彼は傍らに行儀よく控えてる愛犬の頭を撫でた。

「で?三男は元気ですか?」

「うむ。相変わらず静かな男だが、あやつもヴェルフェルだ。口では冷たいが、熱い男よ。

アレクの指導にも熱が入っているようだ」

「ふふ、昔から素直じゃない奴だ」とカールはコンラートの事を笑ったが、お前もさして変わっておらんだろう?と思う。

兄弟で一番活発で、叱られても、失敗しても全く懲りない男だ。それが彼の短所でもあり、長所でもある。

三男のコンラートは彼を見て育ったので、寡黙で冷静に状況を分析する慎重な男に育った。

カールに振り回されてよく泣かされていたな…

今でも少し根に持ってるようだが、カールは全く気にしてないので、 コンラートの一人相撲だ。あいつも可哀想にな…

父上からラーチシュタットを任された折にも、『カール兄様に、城の管理など出来るわけないではありませんか?堪え性がないから、すぐに守備を放り出して打って出てしまいますよ』とすぐ上の兄を酷評していた。

悪口を言われた当の本人は『その通り!』と大きな声で笑っていたな…

「おや?何か面白いことでも?」と過去を笑った私にカールが訊ねた。

「いや…少し父上の居た頃をを思い出してな…」

「兄上も感傷的になるのですな。歳のせいですか?」

「お前もさして変わらんだろう?」

「私はいつまでも気持ちは若いつもりです。

後ろなど振り返る暇などありませんよ」

「少しは気にして欲しいものだ…」

「ふははは!」と彼は私の小言を笑って誤魔化した。

「兄上はいつも美女に囲まれて羨ましい限りですな!義姉上の選ぶ侍女は粒ぞろいで目の保養になります!」

「私が侯爵として、粗相なく公務をこなしているかのお目付け役だ」と答えると弟は私をからかった。

「良いではありませんか!美女には変わりないでしょう?なぁ、ロロー?」

「ヴォン!」

全く飼い犬までふざけた奴らだ…

「…全くお前は変わらんな…」

「兄上は少し変わりましたな」とロローを撫でながら弟は笑った。

「なんというか、少しお優しくなられたと思いますよ。父上に似てきたのではありませんか?」

「煽てても甘やかさんぞ」

「ハハッ!これは手厳しい!」とご機嫌取りに失敗した弟はまた笑って誤魔化そうとした。

「今回は補填したが、毎度毎度こうとはいかんぞ。

お前はもう少し考えて行動するようにしなさい」

「おや?父上と同じ事を仰る」と彼は驚いていたようだった。

「やっぱり似てきたのでは?」と言って、弟はニヤリと笑った。

話を真面目に聞かない弟にため息を吐いた。こいつを改心させるのは骨が折れる…

その一方で、内心では、偉大な父に近付けたことを喜んでいた。

✩.*˚

お父様に会うのが怖かった…

こんな身体の僕の事を、愛してくださるお父様が、『お前などもう必要ない』と言われるのではないかと思うと恐ろしくて身がすくんだ。

足の付け根から内側に曲がった右足…

「ダニエル様、到着致しました。失礼致します」と従者のベンが僕を抱き上げて馬車から降ろした。

「うっ…」振動が腰の骨に響いて小さく悲鳴が漏れた。

「申し訳ございません。痛みますか?」

「大丈夫…」

「このままお運びしてよろしいでしょうか?

足元がぬかるんでおりますので、ダニエル様には歩きにくいかと…」

「うん、お願い」

杖無しでは歩けない。ぬかるんでいたらその杖さえも滑るから、すぐに足を取られて転んでしまう。

ベンには悪いが、運んでもらった。

ベンと世話係のマリーを伴って、父上の待つ本陣をお訪ねした。

来訪を伝えると、中に通されるより前に、テントの入口をはね上げて、笑顔のお父様が出迎えてくれた。

「ダニエル!来てくれたのだな!」

お父様は喜んでベンから僕を受け取って抱いた。

「軽いな。ちゃんと食べているか?」とお父様は僕の身体を心配した。

「はい」とお答えするとお父様は「そうか」と言って破顔した。僕の心配は杞憂に終わった。

「疲れたか?」

「少し、疲れました」

「そうか。慣れない場所に呼び出して悪かった。お前にどうしても会わせたかったのでな…」とお父様はすぐに本題を口にした。

「まだ仕事が残っているから、少し待ってくれ。切りがついたら一緒に《アーサー》に会いに行こう」

その言葉に心がざわついたが、お父様を落胆させないように、「はい」と笑顔で応えた。

僕と違う、お父様の自慢のお兄様…

死んだと聞いていたが、生きて、フィーアで捕虜になっていたと手紙で伝えられた時は驚いた…

朗報のはずなのに、その報せに恐怖した。

お父様は自分が要らなくなるのでは、と…

この足は生まれつき曲がって不自由だった。

同じ年頃の子供たちに出来ることが、僕には出来なかった…

お父様がガッカリしているのは知っていた。僕のこの足に失望しているのを子供ながらに感じ取っていた…

お兄様はそんなこと無かった…

何もかも揃っていて、健康で、賢くて、神様から《祝福》まで授かっていた。

一度もお会いしたことがないのは、僕の事がお嫌いなのだからと思っていた。

お兄様はこんな見苦しい弟を見たくないのだ…

自分が醜いのは、よく分かっている…

こんな足では、歩くことすらままならない。介助してくれる人間が居なければ、用を足しに行くことすら出来ない。

こんな僕が、フェルトン家の当主になんてなれるわけが無い…

「終わったぞ、行こう」とお父様に呼ばれた。

ベンの手を借りて、両手に握った杖で身体を支えた。

「お前たちはここで待て」とお父様に言われ、ベンとマリーは一緒に来れなかった。

世話をしてくれる彼らが居なくて、少し心細くなった。

お父様と一緒に、少し離れた場所にあるテントに向かうと、テントの周りには数人の兵士の姿があった。

お父様の手が僕を支えてくれた。

「大丈夫だ」とお父様は僕の不安を見透かしたように呟いた。

テントに向かって「入るぞ」と断ると、僕の背を押して中に入った。

テントの中には男女の姿があった。

僕が二人の姿に驚いていると、お父様は僕の背を押して、テントの中心にいた男性に歩み寄った。

「《弟》を連れて来た」とお父様は彼には声をかけた。

《弟》の訪問に、《兄》は少しだけ顔を動かした。お兄様は何故か顔を隠すように兜を被っていた。

「自分に《弟》などおりません」と硬い声が兜の下に響いた。彼の声に困惑した。

彼の声は少しお父様に似ていた…

「そんな意地悪を言うな」とお父様は苦く笑って彼に歩み寄ると、兜に手を伸ばした。

お兄様はその手を嫌がって身体を引いた。

「顔を見せてやってくれ」とお父様はお願いしたけれど、お兄様は兜を取るのを拒否した。

「お断りします」とお父様を拒む硬い声が返ってくる。

お父様はそれを咎めなかった。

「そうか」と残念そうに呟いて、お父様は僕に振り返った。

「ダニエル。彼がお前の異母兄のアーサーだ」とお父様は僕に目の前の男性を紹介した。

杖に頼りながらお父様に歩み寄った。

お兄様の動きに合わせて、金属の擦れる音が低い位置から聞こえた。視線を落とすと、お兄様の足元には鎖が巻きついていた。

鎖に気付いた視線をさえぎるように、お父様が僕の隣に立って肩を抱いた。

顔を上げると、すぐ目の前の兜と視線が合った気がした。お兄様の息遣いが耳に届いた。

その兜の下から、微かに何かを呟く声がした。

「…え?」

「いや、何でもない…」

「似てるか?」とお父様がお兄様に訊ねた。

お兄様の手が兜に触れたが、それは脱ぐためではなく、僅かに覗く目元を手のひらで覆うためだったようだ。

見たくないものから目を背けるように…お兄様は僕から目を逸らした。

拒否された理由は容易に想像できた…

僕がこんな身体だから?

こんな弟…恥ずかしいに決まってる…

お父様も、可哀想だから…僕を愛してくれてるんだ…

「…ダニエル・フェルトンです」と震える小さな声で名乗った。

《弟の》と名乗ることは怖くて出来なかった…

「…《ブルームバルトのアーサー》です」と彼は名乗った。

「捕虜の身で、フェルトン公子様にお会いできて光栄です」と彼は他人のような挨拶をした。その姿に違和感を覚えた。

「何を言っているアーサー!」とお父様が声を荒らげた。怒りと悲しみが混ざった声がテントに響いた。

「私を《父》と呼んだでは無いか?!お前は私の息子だ!」

「…言葉のあやです」とお兄様は苦しい言い訳をした。

「まだそんな事を…

よいか?お前は私の息子で、このダニエルの異母兄だ。異論は認めぬ!二度と《ブルームバルトのアーサー》と名乗るな!」

「承服致しかねます、フェルトン伯爵」

「止めろアーサー!全く、つまらん意地ばかり張りよって…頑固な奴だ…」

これはどういう事なのだろう?

困惑する僕に、異母兄は席を立つと椅子を譲ってくれた。

「気が利かず申し訳ございません、公子様。

椅子はこれしかございませんので、どうぞお使いください」

異母兄の優しい声には蔑むような響きはなかった。

むしろ気遣う声は柔らかく耳に優しかった。

手を借りて、座った椅子は温もりが残っていて心地よかった。

「…ありがとうございます、お兄様…」と礼を述べると、お兄様は何も言わずに深く綺麗なお辞儀して、その場に膝を着いた。

「アーサーとお呼びください、公子様」

「でも…それでは…」お父様の顔を盗み見ると、厳しいお顔をしていた。握られた拳は怒りで震えていた。

「今日はもうよい。顔を見せに来ただけだ。

ダニエル、戻るぞ」と告げてお父様は有無を言わさずに僕を抱き上げた。

杖が手を離れて床に転がる。それでもお父様は知らん顔でテントを出ていこうとした。

「お父様…」杖を拾いたくて声をかけたが、今まで見たことの無いお父様の顔に口を噤んだ。

強く厳格なお父様の目には深い悲しみの色があった…
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

超器用貧乏人の孤独なレシピ

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:26

月が導く異世界道中

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:51,240pt お気に入り:53,716

【晩年】太宰治…第一話【葉、してそのパロディー】

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

人魚姫の微笑み~真実は断罪の後に~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:120pt お気に入り:1,999

モース10

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:20

【完結】高嶺の花がいなくなった日。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:5,046

処理中です...