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宿泊
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窓をコツコツと鳴らす音で、本から視線を上げた。
窓枠を駒鳥のような小さな小鳥がつついていた。
僕が窓枠に近付くと、入れてくれと言うように、小鳥は小さな嘴でさらに窓枠を叩いた。
何だろう?妙に人馴れしてる。
もしかしたらビッテンフェルト家の誰かから餌を貰っているのかもしれない。
窓を開けて手を差し出すと、小鳥は懐っこく僕の手のひらに納まった。
可愛い…
小鳥を手のひらに乗せて、本を読んでいた机に戻って焼き菓子の屑を与えた。
小鳥の仕草に癒されていると、小鳥は懐っこく、僕の腕から肩、頭に居場所を変えて寛ぎ始めた。
しばらく一緒に過ごして、小鳥は帰りたくなったみたいだ。
窓辺に留まると、外に出してくれるようにとしきりに囀った。
家族がいるのかな?
そう思って窓を開けると、小鳥は最後にもう一度僕の頭に乗って、頭をつついて飛び立った。
挨拶だったのかな?
ちょっと痛かったけど、まぁ、いいや…
窓を閉めて、また机に戻った。
ヨナタンはまだ挨拶回りをしてるのだろうか?なかなか帰ってこないから退屈していた。
まだ、冬至を過ぎたばかりだから、日の落ちるのも早くて、それがさらに待たされてるように感じられる。
留守番も意外と大変だな、と一人でクスリと笑った。
部屋が暗くなってきた頃に、ノックの音がして、執事風のお爺さんが部屋を訪ねてきた。
「不自由はございませんか?」と明かりの用意を持って、様子を見に来てくれたようだ。
「ありがとうございます。特にありません」とお礼を言うと、お爺さんは机に視線を向けた。
「お下げします」と、空になったティーセットを片付けて、机にあった本を見て首を傾げていた。
「随分難しいものをお読みですね」
僕が読むには難しそうなものが並んでると思ったのかもしれない。
確かに、孤児や傭兵が好んで読むものには思えないのだろう。
「他のものを用意致しましょうか?」と言ってくれたけど、せっかくブルーノ様が用意してくれたから読んでみたい。
「このままでいいです。ありがとうございます」
「そうですか?後ほど暖かい飲み物をお持ちします。必要なものがあれば仰ってください」
部屋の灯りを整えて、お爺さんは仕事に戻って行った。
また本を開いて視線でなぞった。
あと少しだな…
残り僅かになった本をエンディングに向けて読み進めた。
ヨナタンが戻ってくるのが先か、僕が読み終わるのが先か…
ちょっとした競走だ。
また聞こえたノックの音でページを捲る手が止まった。
視線を本からドアに向けると、開いたドアの向こうにヨナタンとブルーノ様が立っていた。
どうやら競走は僕の負けだったらしい。
「おかえりなさい」と本を置いて二人に駆け寄った。
ブルーノ様に遠慮したのか、ヨナタンは「ただいま」と答えて、冷たい手で僕の頭を撫でた。
「ついでに荷物も持ってきた。
何も無かったか?」と訊ねるヨナタンの表情は硬かった。
「退屈してたくらいです」と彼に笑って見せた。その返事を聞いて安心したのか、ヨナタンの表情が少し和らいだ。
ずっと心配だったのかな?
「私はお邪魔そうですね」とブルーノ様が肩を竦めて苦笑いを見せた。
「食事の用意が出来たら呼びますね」と言い残して、ブルーノ様は部屋を後にした。
✩.*˚
新年会も終わり、王都から帰る途中でドライファッハに立ち寄った。
大ビッテンフェルト卿も高齢だ。達者にしてるか、顔を見て帰るつもりだったが、少しだけ欲が出た。
「久しぶりに温泉でゆっくりしたいな」
「あら?湯治などしてる時間はおありですの?」
ガブリエラが扇子の下でクスクスと笑いながら指摘した。
「少しくらいならいいだろう?私にだって休みは必要だ」
「ドライファッハは温泉が有名なのですか?
お義母様の扇子が有名なのかと思ってました」
可愛らしい反応でクラウディアがアレクの袖を引いた。アレクは「そうみたいだ」と不器用に幼い妻に答えていた。
ラーチシュタットに戻る息子夫婦も同じ馬車に乗り合わせていた。
私もラーチシュタットに立ち寄って、シュタインシュタットに戻る予定だ。
「温泉も色々ある。《子宝》を謳った湯もあるぞ。二人で入るといい」
《子宝》と聞いてクラウディアは目を輝かせていたが、アレクは恥ずかしそうに視線を外した。
全く…誰に似たのか、アレクは奥手だな…
「もう、パウル様。若者をからかってはいけませんよ」と、アレクの様子を見るに見兼ねたガブリエラに叱られた。
「む?そうか?」
「そうですよ。そんなにせっつかなくても、若いんですからそのうち授かりますわ。
クラウディアも気に負わないでちょうだいね?」
「ありがとうございます、お義母様」とクラウディアは明るい笑顔で答えた。
「でも、《子宝の湯》には行ってみたいですわ。私も早く子供が欲しいですもの。
ねぇ、アレクシス様、お立ち寄り致しませんか?」
「ま、まぁ…時間があれば…」
積極的な妻とは対照的に、アレクは言葉を濁した。
歯切れの悪い返事にも関わらず、クラウディアは笑顔でアレクに寄りかかって約束を取り付けていた。
さすが、ワーグナー公家の令嬢とあって強いな…
跡継ぎは彼女に任せておけは安泰だ。
ビッテンフェルト家に立ち寄ると、慌てた様子で青年が出迎えに出てきた。
若い頃の大ビッテンフェルト卿を思わせる青年は私たちを出迎えると謝罪した。
「申し訳ありません。お祖父様はブルームバルトの叔父様を訪ねておりまして不在です」
「ブルームバルト?」
ロンメル男爵のところか…
「あら?タイミングが悪かったようですわね?」とガブリエラが私の心を代弁した。
低姿勢な青年はしきりに申し訳なさそうに留守を謝罪していた。
どうやら彼の妹が結婚するとあって、一応親族になる報告に向かったらしい。
勝手に訪ねたのは私の方だ。非礼を詫びてそのまま屋敷を後にしようとした。
「ご逗留先はお決まりでしょうか?」
「いや、今から宿を取るつもりだ」
「それであれば、差し出がましいようですが、当家にお泊まり下さい。
この時期は大きな宿は湯治客も多くて落ち着かないかと思います」
「なるほど。良いのかね?」
「もちろんです。一流の宿のような完璧なおもてなしはお約束出来ませんが、できる限りのおもてなしは致します。
このまま送り出せば、私がお祖父様からお叱りを受けてしまいます」
なかなか好感の持てる青年だ。
《ブルーノ》と名前を聞いて、過去にカナルで会っているのを思い出した。
確かアダリーシア嬢の婚約者の友人で、スーとも交友があったはずだ。
ガブリエラらも青年の親切を受け入れたので、逗留することにした。
ビッテンフェルトの令息は言葉通りに、できる限りのもてなしをしてくれた。
少し遅い夕餉を食べ終わって寛いでいると、ビッテンフェルト令息が、不自由がないか確認に来た。
満足だと伝えると、青年は安堵したような笑みを見せた。
「しかし、君一人ではこの屋敷は寂しすぎるな」
「はい。普段賑やかな家族がいないと寂しいものです。
しかし、幸い友人が泊まってくれているので寂しくありません」
「我々の他に泊まってる人がいたのかね?それは悪い事をした」
「いえ。お気になさらず。
ご逗留を勧めたのは私の方です。彼にも伝えたところ快く受け入れてくれました。
侯爵閣下を煩わすことはありませんので、どうかお気にになさらず」
「なるほど。その友人にも挨拶させてもらって構わないかね?
後から来て黙って泊まるのは非礼というものだからな」
挨拶くらいしておいた方がいいだろう。
後で顔を合わせて気まずくなっても良くない。
私の申し出に、ビッテンフェルト令息は「お待ちください」と言い残して友人を呼びに行った。
連れてこられたのは、ビッテンフェルト令息とは対象的な線の細い中性的な少年だった。
「お邪魔致します、閣下」と綺麗なお辞儀をして挨拶する少年は優雅で品性を感じた。
所作は一朝一夕で身に付くものでは無い。
それはロンメル男爵を指導して嫌という程分かっている。
「どちらのご令息かね?」と訊ねると少年は苦笑いして答えた。
「《雷神の拳》で会計係を手伝っているアルドと申します。会計責任者のヨナタン・トゥーマン殿に拾っていただいた孤児です」
「孤児?」
無理があると思ったが、何か訳ありなのかもしれない。訳ありだとしたら、今初めて会った私に出自を追求されれば警戒するだろう。
喉元まで出た疑問を飲み込んで、ビッテンフェルト令息にどういう友人なのか訊ねた。
「過去については記憶が無いそうで、《雷神の拳》で知り合いました。
トゥーマン殿からしばらく預かってくれと頼まれたので、当家で預かっています」
トゥーマンという男については覚えている。
あのヘルゲン子爵が感心するほどの事務能力の持ち主だ。あわよくば私だって欲しいくらいだ。
そういうことなら、きっとこの子も見所があるのだろう。
容姿も行儀も申し分ない。
「なるほど。我が家に欲しいくらいだ」とつい本音が漏れた。
私の中の悪い癖が出てしまった。
普通なら真に受けて動揺するところだろうが、この少年はなかなかしっかりしていた。
「侯爵閣下よりお褒めの言葉を頂戴し光栄に思います。閣下のお言葉を誇りと致します」
言葉だけ貰うとの事だ。
ようには私の申し出はやんわりと断られた。
ますますこの子供を気に入った。
しばらく話し相手になってもらって、楽しい時間を過ごせた。
教養のある賢い人間と話すのは年齢関係なく楽しいものだ。
途中でガブリエラも加わって、文学などの話に花を咲かせた。
この子供が何者なのか気になったが、中流以上の教育を受けてるのは間違いない。
時々出てくるパテル語に、もしかしたらウィンザーの没落した貴族の子供だったのかもしれないと勘ぐったが、会話の中でそれは分からなかった。
ガブリエラもこの可愛らしい賢い子供を引き取りたがっていたが、少年は上手に躱して頷くことは無かった。
それでも相手を不快にさせることなく応対できるのは、この子の賢さと、持って生まれた才能だろう。
アレクもこのくらいの落ち着きを持って欲しいものだ…
「息子夫婦も一緒に滞在しているんだ。明日の朝食は一緒にどうかね?」と別れ際に提案すると、少年は嬉しそうに快諾してくれた。
「可愛らしい子でしたわね」
子供を見送って、ガブリエラがアルド少年を褒めた。賢く柔らかな印象のあの子が亡くした息子に重なったのかもしれない。
「明日、あの子に服を買ってあげましょう」と彼女が提案した。
「いいな」と彼女の言葉に頷いて、明日の楽しみにした。
✩.*˚
侯爵と別れてどっと汗が吹き出した。
「僕、粗相しませんでしたか?」とブルーノ様に訊ねると、ブルーノ様は笑顔で答えた。
「私よりしっかりしてましたよ。
アルドは肝が据わってますね」と彼は僕を褒めてくれた。
「侯爵閣下のお相手をして貰って助かりました。私だけでは無作法でビッテンフェルトの名前に泥を塗ってしまうところでしたよ」
「ブルーノ様はそんなことないでしょう?」
「私は君のように上手く喋れないですよ。トゥーマン様が君を大事にするのも納得です。
私では話にならないですからね」とブルーノ様はおどけたように肩を竦めた。
「今日の挨拶回りだって、私の代わりに君が行ってくれたら良かったのにって思いましたよ」
「そのうちヨナの仕事から、僕の仕事になりそうですね」と二人で笑った。
「貸して頂いた本ありがとうございます。面白かったです」
「もう読み終わったんですか?」とブルーノ様は驚いていた。
「あと一冊残ってます。また明日新しい本を貸して貰えますか?」
「いいですよ。
でも驚いたなぁ…この調子なら私のお勧めはすぐになくなってしまいそうですね」
ブルーノ様はそう言って感心してくれた。
彼と部屋の前で別れて、宛てがわれた部屋に戻ると時計を確認した。
いつもならまだ起きてる時間だ。
ヨナタンも起きてるかな…
ふと、そんなことを思って寂しさを覚えた。
僕が人間らしい生活に戻ってから、彼とはずっと一緒にいた。寝る時もあの狭いベッドで二人で寝てた。
離れようとしたこともあったけど、それを望んでた訳じゃない。
結局僕らはお互いに寂しさを埋めあって、似た者同士で離れられずにいる。
ヨナタンが届けてくれた荷物から寝巻きを取り出して広げると、彼の煙草の匂いが染み付いていた。
あの狭い家では珍しくもない気付かない匂いだ。
でも一人だと余計にそれが寂しさを募らせた。
帰りたいな…
そんなことを口に出す事も出来ずに、寂しくため息を吐き出した。
『また明日来る』と言って、彼は不機嫌そうな顔で帰って行った。
ヨナタンも寂しかったのかな?
おじさんだから、子供の僕にそんなこと言えなかったのかもしれない。
灯りを落としてベッドに潜り込んだ。
いつも二人で寝てるベッドより広くて、どうしても心細い。
何回も寝返りをして、寝やすい体勢を探したが、やっぱり眠れない。
ベッドが広すぎるんだ。
そう思って、何とかベッドを狭く出来ないか考えた。
ソファに置かれてたクッションを持ってきて、着替えなどの荷物も枕元に置いた。
いい感じだ。
狭くなったベッドに潜り込んで、煙草の匂いの染みた荷物を抱えて目を閉じた。
明日は少し早く起きなきゃ…
こんなところ見られたら、子供みたいだって思われちゃうな…
煙草の匂いの染みた荷物を代わりにして、久しぶりに一人で眠った。
✩.*˚
アルドに荷物を届けに行って、屋敷を見張っていた男の話を聞いた。
『母親が探してる』と言っていたと、ビッテンフェルト家で働いている元傭兵の爺さんが教えてくれた。
あの大御所が手元に置くくらいだ。腕っ節もあるし、頭の方も申し分ない。
追い払うつもりだったが、本当なら問題になると思って、逗留先を確認して帰したらしい。
まぁ、それが最前の判断だろう。
心配したブルーノが俺にも、屋敷に泊まるか、護衛を付けるように勧めた。
まだ今のところ実害はないが、あってからでは遅い。
うるさくなくて腕の立つ奴を借りることにした。
『なら、私でしょうな』と名乗り出たのはあの爺さんだ。
多少心許ないが、この爺さんなら相手の顔も知っている。下手に若いのを付けられるより、場馴れしたこの爺さんの方が役に立つだろう。
カペルマンを連れて家に戻ると、不審者はいなかったが、大家の爺さんに呼び止められた。
「アルドはどうしたんだい?」と爺さんは珍しくアルドの名前を出した。
「ビッテンフェルトの屋敷に預けてきた。
何かあったか?」
「ちょっとね…家の前に見かけない男がいたから声をかけたのさ。そしたらあの子のことを訊かれた。
家族はいるのか、とか、いつから住んでるのか、とか訊かれたよ」
「他に何か言ってたか?」
「『母親に会わせたい』って言ってたよ。なんか不憫でね。『伝えておいてやるよ』って答えたよ。
あの子は孤児だと思ってたけど、母親がいたのかい?」
大家の爺さんも、探してる相手が《母親》と聞いて同情したようだ。
このまま放置するのは面倒だな…
引き渡したりはしないにしても、周りがアルドの出自に興味を持つようなことになれば厄介だ…
「アルドには伝えておく」と答えて、カペルマンと部屋に戻った。
「母親をだしに使うとは厄介ですな」とカペルマンが呟いた。
一体何者だろうか?
相手が一人ならいいが、仲間が他にいれば面倒だ。
「もし、その男が訪ねてきたら話をしたい」
「捕えますか?」とカペルマンは物騒に剣を握って見せた。
「怪我させるのはいいが、逃げられるのと、殺すのはまずい。できるか?」
「多少手間ですが、足の一本くらいへし折れば可能でしょう」と爺さんは恐ろしいことをサラリと言ってのけた。
「ところで、トゥーマン殿。あの少年は何者です?」
カペルマンは老人らしくズケズケと核心に触れた。
「とやかく詮索する気はありませんが、私としても、何かあれば大御所様に申し開きせねばなりませぬ。
大義を頂戴したい」
「大義なんて必要か?」彼の真面目さに辟易した。
それでもカペルマンは鋭い視線で俺を睨んで「是非」と答えを求めた。
「若様のご希望とはいえ、大御所様に顔向けできない事に加担することはできませぬ。
あの少年が無害であることは分かっておりますが、それが大御所様の不名誉になるようでしたら、見過ごすことはできませぬ」
大真面目な老人は大義とやらを確認するまで引き下がらないだろう。
この手の真面目な男は、納得出来る答えさえ用意してやれば心強い味方になる。
「大御所とはアルドについて話をしている」と小出しにして答えをチラつかせた。
「大御所は俺たちが『出て行く』と言ったのに引き止めた。アルドについても黙って受け入れてくれた。
答えはそれで十分か?」
「大御所様の望みだと?」
「まぁ、そういうことだ。不服か?帰るか?」
俺の問いかけに、カペルマンは厳つい顔を横に振った。
「大御所様がご存知ならそれで何も言いますまい」
随分物分りの良い態度に、こちらの方が勘ぐってしまいそうになる。カペルマンはそのまま言葉を続けた。
「私は長く《親衛兵》として大御所様にお仕えして参りました。屋敷仕えになっても尚、その心は変わりませぬ。
大御所様が《赤》を《黒》と言えば、間違いなく《黒》なのです。
私は大御所様を信じております」
堅苦しい爺さんだ…
それでも俺の護衛については、一応納得したらしい。
人を泊めるような家ではないが、カペルマンは黙ってソファで一夜を明かした。寝てる間は何も無かったようだ。
「おはようございます」とくそ真面目な挨拶に起こされた。
目覚めがアルドから爺さんに変わっだけで朝から最悪だ…
「朝食は如何なさいます?」と当たり前なように訊ねる姿もなんか嫌だ…
「飯はいつも外で食ってる」
身支度をしようと櫛を探して、アルドの荷物に入れてしまったのを思い出した。
あいつはどうしてるだろうか…
仕方なく手櫛で髪をすいた。
調子が乗らない…
朝から嫌な怠さを感じていた。
家を出て、いつも立ち寄る店に向かった。
「あれ?アルドはどうしたんだい?」と顔馴染みの女将さんにまでアルドの事を訊ねられた。
それがまたイラッとする。
「知り合いに預けただけだ」
「なんだい?機嫌悪いね?喧嘩かい?
あの子はあたしにとって癒しなんだよ。また連れておいで」
そう言い残して、女将さんは机に置かれた金を拾って、別のテーブルを経由して厨房に帰って行った。
「全く…」苛立ちを溜め息として吐き出して、向かいに座っているカペルマンをチラッと見た。
トントンッとカペルマンが机を指先でノックした。
「何だ?」と返すと、カペルマンはまた机に置いた指先をノックして、指を斜めに動かした。
何かを伝えようとしているのは伝わった。
斜め後ろ…
「あの男です」
他の言葉は要らない。その一言で十分だ。
「おまちどうさん」と女将さんが料理を手に戻って来た。
「はい、これ」
「何だ?」女将さんがテーブルに置いた紙袋を見て訊ねた。
「アルドのお土産だよ。喧嘩したなら仲直りしな」とお節介を残して、忙しそうにまた別のテーブルに向かった。
カサカサと音を立てる袋を覗くと、鶏肉と野菜を挟んだパンが入っていた。
あいつならもっと良いもん食ってるはずだが…
そう思ったが、アルドならこの気遣いを喜んだだろう。
あいつへの善意を断る理由は無い。荷物になるが、食事を終えて、紙袋を手に店を出た。
「着いてきてるか?」
「恐らく」とカペルマンが応えた。
ビッテンフェルトの屋敷まで着いてくるつもりだろうか?
カペルマンの手は既に腰の辺りに伸びていた。
向こうが動くならこちらも動く構えだ。
歩く速度が自然と遅くなる。意識は完全に尾行する男に向けられていた。
冬の朝とはいえ、通りは人の目がある。それで少し油断していた。
「トゥーマン殿!」
いきなりカペルマンが警告を発した。
後ろとばかり思っていた…
路地から伸びた手に服を掴まれて、無理やり引きずり込まれた。
仲間がいたのか?!
下手を踏んだと思ったが遅い。
「子供をどこにやった?」と詰問する相手は俺に向かって鋭い刃物を突きつけていた。
俺の冷静な部分が、その質問に違和感を覚えた…
「トゥーマン殿!」
「動くなジジイ!こいつを殺すぞ!」
分かりやすい脅しでカペルマンを牽制すると、男はまた同じ質問をした。
逆に俺が質問したいくらいだ。見張っていたなら、なぜこいつはアルドの預け先を知らない?
「あの子供の居場所だ…
どこに隠した?答えなきゃお前が死ぬぞ?」
「…潰れた」と呟いた俺の言葉を聞き取れなかった相手は、黙って俺の顔を覗き込もうとした。
その顔面に潰れたパンの入った袋を叩き付けた。
悪いな、女将さん。アルドの口には入らなかった…
慌てて振るった刃物は外套に阻まれて失敗した。
「低く」と爺さんの声で短い指示が飛んだ。
一気に間合いを詰めたカペルマンの剣は無慈悲に相手の喉元を捉えていた。
血を撒いて倒れた相手と俺の間に立って、カペルマンは俺の無事を問うた。
「損害はアルドの飯だけだ」と答えて、相手の落とした刃物を拾おうと手を伸ばした。
「拾わないで!」といきなり後ろから声がした。
振り返ると、あの男が立っていた。
「失礼。それは特別な毒が塗られています。素手で触るのは危険です」
あまりに切羽詰まった様子で警告するから、俺もカペルマンも驚いて固まった。
「…《蜘蛛の毒》ですか?」とカペルマンが問いかけると、男は頷いた。
「トゥーマン殿。もし本当なら触らない方が良いでしょう」
「何だ?《蜘蛛の毒》って?」
「一部の暗殺者が使う毒の一種です。解毒方法がない、極めて厄介な代物です」
そう言われて触る気にはならなかった。
カペルマンも刃物を警戒するように距離をとった。
「他の人が拾ったら問題ですね」と言って、男はカバンから片方の端を縛った紐を取り出して何か呟いた。
紐は蛇に姿を変えると、落ちていた刃物を飲み込んで腹の中に隠した。
「この毒は強い酸で溶かすか、炎で焼かないと消えません。後で処理します」と言って、男は蛇を回収した。
慣れた様子から、この男が只者でないことだけは確かだ。
「あんた何者なんだ?どうしてアルドに付き纏う?」
「話を聞いてくれるなら、ある程度お話します」と男は応じる姿勢を見せた。
信用できるか分からないが、アルドが厄介に巻き込まれる事を思えば、この暴漢と目の前の男の正体は知りたいところだ。
「場所を変えよう」と提案して、男を連れて、来た道を戻った。
窓枠を駒鳥のような小さな小鳥がつついていた。
僕が窓枠に近付くと、入れてくれと言うように、小鳥は小さな嘴でさらに窓枠を叩いた。
何だろう?妙に人馴れしてる。
もしかしたらビッテンフェルト家の誰かから餌を貰っているのかもしれない。
窓を開けて手を差し出すと、小鳥は懐っこく僕の手のひらに納まった。
可愛い…
小鳥を手のひらに乗せて、本を読んでいた机に戻って焼き菓子の屑を与えた。
小鳥の仕草に癒されていると、小鳥は懐っこく、僕の腕から肩、頭に居場所を変えて寛ぎ始めた。
しばらく一緒に過ごして、小鳥は帰りたくなったみたいだ。
窓辺に留まると、外に出してくれるようにとしきりに囀った。
家族がいるのかな?
そう思って窓を開けると、小鳥は最後にもう一度僕の頭に乗って、頭をつついて飛び立った。
挨拶だったのかな?
ちょっと痛かったけど、まぁ、いいや…
窓を閉めて、また机に戻った。
ヨナタンはまだ挨拶回りをしてるのだろうか?なかなか帰ってこないから退屈していた。
まだ、冬至を過ぎたばかりだから、日の落ちるのも早くて、それがさらに待たされてるように感じられる。
留守番も意外と大変だな、と一人でクスリと笑った。
部屋が暗くなってきた頃に、ノックの音がして、執事風のお爺さんが部屋を訪ねてきた。
「不自由はございませんか?」と明かりの用意を持って、様子を見に来てくれたようだ。
「ありがとうございます。特にありません」とお礼を言うと、お爺さんは机に視線を向けた。
「お下げします」と、空になったティーセットを片付けて、机にあった本を見て首を傾げていた。
「随分難しいものをお読みですね」
僕が読むには難しそうなものが並んでると思ったのかもしれない。
確かに、孤児や傭兵が好んで読むものには思えないのだろう。
「他のものを用意致しましょうか?」と言ってくれたけど、せっかくブルーノ様が用意してくれたから読んでみたい。
「このままでいいです。ありがとうございます」
「そうですか?後ほど暖かい飲み物をお持ちします。必要なものがあれば仰ってください」
部屋の灯りを整えて、お爺さんは仕事に戻って行った。
また本を開いて視線でなぞった。
あと少しだな…
残り僅かになった本をエンディングに向けて読み進めた。
ヨナタンが戻ってくるのが先か、僕が読み終わるのが先か…
ちょっとした競走だ。
また聞こえたノックの音でページを捲る手が止まった。
視線を本からドアに向けると、開いたドアの向こうにヨナタンとブルーノ様が立っていた。
どうやら競走は僕の負けだったらしい。
「おかえりなさい」と本を置いて二人に駆け寄った。
ブルーノ様に遠慮したのか、ヨナタンは「ただいま」と答えて、冷たい手で僕の頭を撫でた。
「ついでに荷物も持ってきた。
何も無かったか?」と訊ねるヨナタンの表情は硬かった。
「退屈してたくらいです」と彼に笑って見せた。その返事を聞いて安心したのか、ヨナタンの表情が少し和らいだ。
ずっと心配だったのかな?
「私はお邪魔そうですね」とブルーノ様が肩を竦めて苦笑いを見せた。
「食事の用意が出来たら呼びますね」と言い残して、ブルーノ様は部屋を後にした。
✩.*˚
新年会も終わり、王都から帰る途中でドライファッハに立ち寄った。
大ビッテンフェルト卿も高齢だ。達者にしてるか、顔を見て帰るつもりだったが、少しだけ欲が出た。
「久しぶりに温泉でゆっくりしたいな」
「あら?湯治などしてる時間はおありですの?」
ガブリエラが扇子の下でクスクスと笑いながら指摘した。
「少しくらいならいいだろう?私にだって休みは必要だ」
「ドライファッハは温泉が有名なのですか?
お義母様の扇子が有名なのかと思ってました」
可愛らしい反応でクラウディアがアレクの袖を引いた。アレクは「そうみたいだ」と不器用に幼い妻に答えていた。
ラーチシュタットに戻る息子夫婦も同じ馬車に乗り合わせていた。
私もラーチシュタットに立ち寄って、シュタインシュタットに戻る予定だ。
「温泉も色々ある。《子宝》を謳った湯もあるぞ。二人で入るといい」
《子宝》と聞いてクラウディアは目を輝かせていたが、アレクは恥ずかしそうに視線を外した。
全く…誰に似たのか、アレクは奥手だな…
「もう、パウル様。若者をからかってはいけませんよ」と、アレクの様子を見るに見兼ねたガブリエラに叱られた。
「む?そうか?」
「そうですよ。そんなにせっつかなくても、若いんですからそのうち授かりますわ。
クラウディアも気に負わないでちょうだいね?」
「ありがとうございます、お義母様」とクラウディアは明るい笑顔で答えた。
「でも、《子宝の湯》には行ってみたいですわ。私も早く子供が欲しいですもの。
ねぇ、アレクシス様、お立ち寄り致しませんか?」
「ま、まぁ…時間があれば…」
積極的な妻とは対照的に、アレクは言葉を濁した。
歯切れの悪い返事にも関わらず、クラウディアは笑顔でアレクに寄りかかって約束を取り付けていた。
さすが、ワーグナー公家の令嬢とあって強いな…
跡継ぎは彼女に任せておけは安泰だ。
ビッテンフェルト家に立ち寄ると、慌てた様子で青年が出迎えに出てきた。
若い頃の大ビッテンフェルト卿を思わせる青年は私たちを出迎えると謝罪した。
「申し訳ありません。お祖父様はブルームバルトの叔父様を訪ねておりまして不在です」
「ブルームバルト?」
ロンメル男爵のところか…
「あら?タイミングが悪かったようですわね?」とガブリエラが私の心を代弁した。
低姿勢な青年はしきりに申し訳なさそうに留守を謝罪していた。
どうやら彼の妹が結婚するとあって、一応親族になる報告に向かったらしい。
勝手に訪ねたのは私の方だ。非礼を詫びてそのまま屋敷を後にしようとした。
「ご逗留先はお決まりでしょうか?」
「いや、今から宿を取るつもりだ」
「それであれば、差し出がましいようですが、当家にお泊まり下さい。
この時期は大きな宿は湯治客も多くて落ち着かないかと思います」
「なるほど。良いのかね?」
「もちろんです。一流の宿のような完璧なおもてなしはお約束出来ませんが、できる限りのおもてなしは致します。
このまま送り出せば、私がお祖父様からお叱りを受けてしまいます」
なかなか好感の持てる青年だ。
《ブルーノ》と名前を聞いて、過去にカナルで会っているのを思い出した。
確かアダリーシア嬢の婚約者の友人で、スーとも交友があったはずだ。
ガブリエラらも青年の親切を受け入れたので、逗留することにした。
ビッテンフェルトの令息は言葉通りに、できる限りのもてなしをしてくれた。
少し遅い夕餉を食べ終わって寛いでいると、ビッテンフェルト令息が、不自由がないか確認に来た。
満足だと伝えると、青年は安堵したような笑みを見せた。
「しかし、君一人ではこの屋敷は寂しすぎるな」
「はい。普段賑やかな家族がいないと寂しいものです。
しかし、幸い友人が泊まってくれているので寂しくありません」
「我々の他に泊まってる人がいたのかね?それは悪い事をした」
「いえ。お気になさらず。
ご逗留を勧めたのは私の方です。彼にも伝えたところ快く受け入れてくれました。
侯爵閣下を煩わすことはありませんので、どうかお気にになさらず」
「なるほど。その友人にも挨拶させてもらって構わないかね?
後から来て黙って泊まるのは非礼というものだからな」
挨拶くらいしておいた方がいいだろう。
後で顔を合わせて気まずくなっても良くない。
私の申し出に、ビッテンフェルト令息は「お待ちください」と言い残して友人を呼びに行った。
連れてこられたのは、ビッテンフェルト令息とは対象的な線の細い中性的な少年だった。
「お邪魔致します、閣下」と綺麗なお辞儀をして挨拶する少年は優雅で品性を感じた。
所作は一朝一夕で身に付くものでは無い。
それはロンメル男爵を指導して嫌という程分かっている。
「どちらのご令息かね?」と訊ねると少年は苦笑いして答えた。
「《雷神の拳》で会計係を手伝っているアルドと申します。会計責任者のヨナタン・トゥーマン殿に拾っていただいた孤児です」
「孤児?」
無理があると思ったが、何か訳ありなのかもしれない。訳ありだとしたら、今初めて会った私に出自を追求されれば警戒するだろう。
喉元まで出た疑問を飲み込んで、ビッテンフェルト令息にどういう友人なのか訊ねた。
「過去については記憶が無いそうで、《雷神の拳》で知り合いました。
トゥーマン殿からしばらく預かってくれと頼まれたので、当家で預かっています」
トゥーマンという男については覚えている。
あのヘルゲン子爵が感心するほどの事務能力の持ち主だ。あわよくば私だって欲しいくらいだ。
そういうことなら、きっとこの子も見所があるのだろう。
容姿も行儀も申し分ない。
「なるほど。我が家に欲しいくらいだ」とつい本音が漏れた。
私の中の悪い癖が出てしまった。
普通なら真に受けて動揺するところだろうが、この少年はなかなかしっかりしていた。
「侯爵閣下よりお褒めの言葉を頂戴し光栄に思います。閣下のお言葉を誇りと致します」
言葉だけ貰うとの事だ。
ようには私の申し出はやんわりと断られた。
ますますこの子供を気に入った。
しばらく話し相手になってもらって、楽しい時間を過ごせた。
教養のある賢い人間と話すのは年齢関係なく楽しいものだ。
途中でガブリエラも加わって、文学などの話に花を咲かせた。
この子供が何者なのか気になったが、中流以上の教育を受けてるのは間違いない。
時々出てくるパテル語に、もしかしたらウィンザーの没落した貴族の子供だったのかもしれないと勘ぐったが、会話の中でそれは分からなかった。
ガブリエラもこの可愛らしい賢い子供を引き取りたがっていたが、少年は上手に躱して頷くことは無かった。
それでも相手を不快にさせることなく応対できるのは、この子の賢さと、持って生まれた才能だろう。
アレクもこのくらいの落ち着きを持って欲しいものだ…
「息子夫婦も一緒に滞在しているんだ。明日の朝食は一緒にどうかね?」と別れ際に提案すると、少年は嬉しそうに快諾してくれた。
「可愛らしい子でしたわね」
子供を見送って、ガブリエラがアルド少年を褒めた。賢く柔らかな印象のあの子が亡くした息子に重なったのかもしれない。
「明日、あの子に服を買ってあげましょう」と彼女が提案した。
「いいな」と彼女の言葉に頷いて、明日の楽しみにした。
✩.*˚
侯爵と別れてどっと汗が吹き出した。
「僕、粗相しませんでしたか?」とブルーノ様に訊ねると、ブルーノ様は笑顔で答えた。
「私よりしっかりしてましたよ。
アルドは肝が据わってますね」と彼は僕を褒めてくれた。
「侯爵閣下のお相手をして貰って助かりました。私だけでは無作法でビッテンフェルトの名前に泥を塗ってしまうところでしたよ」
「ブルーノ様はそんなことないでしょう?」
「私は君のように上手く喋れないですよ。トゥーマン様が君を大事にするのも納得です。
私では話にならないですからね」とブルーノ様はおどけたように肩を竦めた。
「今日の挨拶回りだって、私の代わりに君が行ってくれたら良かったのにって思いましたよ」
「そのうちヨナの仕事から、僕の仕事になりそうですね」と二人で笑った。
「貸して頂いた本ありがとうございます。面白かったです」
「もう読み終わったんですか?」とブルーノ様は驚いていた。
「あと一冊残ってます。また明日新しい本を貸して貰えますか?」
「いいですよ。
でも驚いたなぁ…この調子なら私のお勧めはすぐになくなってしまいそうですね」
ブルーノ様はそう言って感心してくれた。
彼と部屋の前で別れて、宛てがわれた部屋に戻ると時計を確認した。
いつもならまだ起きてる時間だ。
ヨナタンも起きてるかな…
ふと、そんなことを思って寂しさを覚えた。
僕が人間らしい生活に戻ってから、彼とはずっと一緒にいた。寝る時もあの狭いベッドで二人で寝てた。
離れようとしたこともあったけど、それを望んでた訳じゃない。
結局僕らはお互いに寂しさを埋めあって、似た者同士で離れられずにいる。
ヨナタンが届けてくれた荷物から寝巻きを取り出して広げると、彼の煙草の匂いが染み付いていた。
あの狭い家では珍しくもない気付かない匂いだ。
でも一人だと余計にそれが寂しさを募らせた。
帰りたいな…
そんなことを口に出す事も出来ずに、寂しくため息を吐き出した。
『また明日来る』と言って、彼は不機嫌そうな顔で帰って行った。
ヨナタンも寂しかったのかな?
おじさんだから、子供の僕にそんなこと言えなかったのかもしれない。
灯りを落としてベッドに潜り込んだ。
いつも二人で寝てるベッドより広くて、どうしても心細い。
何回も寝返りをして、寝やすい体勢を探したが、やっぱり眠れない。
ベッドが広すぎるんだ。
そう思って、何とかベッドを狭く出来ないか考えた。
ソファに置かれてたクッションを持ってきて、着替えなどの荷物も枕元に置いた。
いい感じだ。
狭くなったベッドに潜り込んで、煙草の匂いの染みた荷物を抱えて目を閉じた。
明日は少し早く起きなきゃ…
こんなところ見られたら、子供みたいだって思われちゃうな…
煙草の匂いの染みた荷物を代わりにして、久しぶりに一人で眠った。
✩.*˚
アルドに荷物を届けに行って、屋敷を見張っていた男の話を聞いた。
『母親が探してる』と言っていたと、ビッテンフェルト家で働いている元傭兵の爺さんが教えてくれた。
あの大御所が手元に置くくらいだ。腕っ節もあるし、頭の方も申し分ない。
追い払うつもりだったが、本当なら問題になると思って、逗留先を確認して帰したらしい。
まぁ、それが最前の判断だろう。
心配したブルーノが俺にも、屋敷に泊まるか、護衛を付けるように勧めた。
まだ今のところ実害はないが、あってからでは遅い。
うるさくなくて腕の立つ奴を借りることにした。
『なら、私でしょうな』と名乗り出たのはあの爺さんだ。
多少心許ないが、この爺さんなら相手の顔も知っている。下手に若いのを付けられるより、場馴れしたこの爺さんの方が役に立つだろう。
カペルマンを連れて家に戻ると、不審者はいなかったが、大家の爺さんに呼び止められた。
「アルドはどうしたんだい?」と爺さんは珍しくアルドの名前を出した。
「ビッテンフェルトの屋敷に預けてきた。
何かあったか?」
「ちょっとね…家の前に見かけない男がいたから声をかけたのさ。そしたらあの子のことを訊かれた。
家族はいるのか、とか、いつから住んでるのか、とか訊かれたよ」
「他に何か言ってたか?」
「『母親に会わせたい』って言ってたよ。なんか不憫でね。『伝えておいてやるよ』って答えたよ。
あの子は孤児だと思ってたけど、母親がいたのかい?」
大家の爺さんも、探してる相手が《母親》と聞いて同情したようだ。
このまま放置するのは面倒だな…
引き渡したりはしないにしても、周りがアルドの出自に興味を持つようなことになれば厄介だ…
「アルドには伝えておく」と答えて、カペルマンと部屋に戻った。
「母親をだしに使うとは厄介ですな」とカペルマンが呟いた。
一体何者だろうか?
相手が一人ならいいが、仲間が他にいれば面倒だ。
「もし、その男が訪ねてきたら話をしたい」
「捕えますか?」とカペルマンは物騒に剣を握って見せた。
「怪我させるのはいいが、逃げられるのと、殺すのはまずい。できるか?」
「多少手間ですが、足の一本くらいへし折れば可能でしょう」と爺さんは恐ろしいことをサラリと言ってのけた。
「ところで、トゥーマン殿。あの少年は何者です?」
カペルマンは老人らしくズケズケと核心に触れた。
「とやかく詮索する気はありませんが、私としても、何かあれば大御所様に申し開きせねばなりませぬ。
大義を頂戴したい」
「大義なんて必要か?」彼の真面目さに辟易した。
それでもカペルマンは鋭い視線で俺を睨んで「是非」と答えを求めた。
「若様のご希望とはいえ、大御所様に顔向けできない事に加担することはできませぬ。
あの少年が無害であることは分かっておりますが、それが大御所様の不名誉になるようでしたら、見過ごすことはできませぬ」
大真面目な老人は大義とやらを確認するまで引き下がらないだろう。
この手の真面目な男は、納得出来る答えさえ用意してやれば心強い味方になる。
「大御所とはアルドについて話をしている」と小出しにして答えをチラつかせた。
「大御所は俺たちが『出て行く』と言ったのに引き止めた。アルドについても黙って受け入れてくれた。
答えはそれで十分か?」
「大御所様の望みだと?」
「まぁ、そういうことだ。不服か?帰るか?」
俺の問いかけに、カペルマンは厳つい顔を横に振った。
「大御所様がご存知ならそれで何も言いますまい」
随分物分りの良い態度に、こちらの方が勘ぐってしまいそうになる。カペルマンはそのまま言葉を続けた。
「私は長く《親衛兵》として大御所様にお仕えして参りました。屋敷仕えになっても尚、その心は変わりませぬ。
大御所様が《赤》を《黒》と言えば、間違いなく《黒》なのです。
私は大御所様を信じております」
堅苦しい爺さんだ…
それでも俺の護衛については、一応納得したらしい。
人を泊めるような家ではないが、カペルマンは黙ってソファで一夜を明かした。寝てる間は何も無かったようだ。
「おはようございます」とくそ真面目な挨拶に起こされた。
目覚めがアルドから爺さんに変わっだけで朝から最悪だ…
「朝食は如何なさいます?」と当たり前なように訊ねる姿もなんか嫌だ…
「飯はいつも外で食ってる」
身支度をしようと櫛を探して、アルドの荷物に入れてしまったのを思い出した。
あいつはどうしてるだろうか…
仕方なく手櫛で髪をすいた。
調子が乗らない…
朝から嫌な怠さを感じていた。
家を出て、いつも立ち寄る店に向かった。
「あれ?アルドはどうしたんだい?」と顔馴染みの女将さんにまでアルドの事を訊ねられた。
それがまたイラッとする。
「知り合いに預けただけだ」
「なんだい?機嫌悪いね?喧嘩かい?
あの子はあたしにとって癒しなんだよ。また連れておいで」
そう言い残して、女将さんは机に置かれた金を拾って、別のテーブルを経由して厨房に帰って行った。
「全く…」苛立ちを溜め息として吐き出して、向かいに座っているカペルマンをチラッと見た。
トントンッとカペルマンが机を指先でノックした。
「何だ?」と返すと、カペルマンはまた机に置いた指先をノックして、指を斜めに動かした。
何かを伝えようとしているのは伝わった。
斜め後ろ…
「あの男です」
他の言葉は要らない。その一言で十分だ。
「おまちどうさん」と女将さんが料理を手に戻って来た。
「はい、これ」
「何だ?」女将さんがテーブルに置いた紙袋を見て訊ねた。
「アルドのお土産だよ。喧嘩したなら仲直りしな」とお節介を残して、忙しそうにまた別のテーブルに向かった。
カサカサと音を立てる袋を覗くと、鶏肉と野菜を挟んだパンが入っていた。
あいつならもっと良いもん食ってるはずだが…
そう思ったが、アルドならこの気遣いを喜んだだろう。
あいつへの善意を断る理由は無い。荷物になるが、食事を終えて、紙袋を手に店を出た。
「着いてきてるか?」
「恐らく」とカペルマンが応えた。
ビッテンフェルトの屋敷まで着いてくるつもりだろうか?
カペルマンの手は既に腰の辺りに伸びていた。
向こうが動くならこちらも動く構えだ。
歩く速度が自然と遅くなる。意識は完全に尾行する男に向けられていた。
冬の朝とはいえ、通りは人の目がある。それで少し油断していた。
「トゥーマン殿!」
いきなりカペルマンが警告を発した。
後ろとばかり思っていた…
路地から伸びた手に服を掴まれて、無理やり引きずり込まれた。
仲間がいたのか?!
下手を踏んだと思ったが遅い。
「子供をどこにやった?」と詰問する相手は俺に向かって鋭い刃物を突きつけていた。
俺の冷静な部分が、その質問に違和感を覚えた…
「トゥーマン殿!」
「動くなジジイ!こいつを殺すぞ!」
分かりやすい脅しでカペルマンを牽制すると、男はまた同じ質問をした。
逆に俺が質問したいくらいだ。見張っていたなら、なぜこいつはアルドの預け先を知らない?
「あの子供の居場所だ…
どこに隠した?答えなきゃお前が死ぬぞ?」
「…潰れた」と呟いた俺の言葉を聞き取れなかった相手は、黙って俺の顔を覗き込もうとした。
その顔面に潰れたパンの入った袋を叩き付けた。
悪いな、女将さん。アルドの口には入らなかった…
慌てて振るった刃物は外套に阻まれて失敗した。
「低く」と爺さんの声で短い指示が飛んだ。
一気に間合いを詰めたカペルマンの剣は無慈悲に相手の喉元を捉えていた。
血を撒いて倒れた相手と俺の間に立って、カペルマンは俺の無事を問うた。
「損害はアルドの飯だけだ」と答えて、相手の落とした刃物を拾おうと手を伸ばした。
「拾わないで!」といきなり後ろから声がした。
振り返ると、あの男が立っていた。
「失礼。それは特別な毒が塗られています。素手で触るのは危険です」
あまりに切羽詰まった様子で警告するから、俺もカペルマンも驚いて固まった。
「…《蜘蛛の毒》ですか?」とカペルマンが問いかけると、男は頷いた。
「トゥーマン殿。もし本当なら触らない方が良いでしょう」
「何だ?《蜘蛛の毒》って?」
「一部の暗殺者が使う毒の一種です。解毒方法がない、極めて厄介な代物です」
そう言われて触る気にはならなかった。
カペルマンも刃物を警戒するように距離をとった。
「他の人が拾ったら問題ですね」と言って、男はカバンから片方の端を縛った紐を取り出して何か呟いた。
紐は蛇に姿を変えると、落ちていた刃物を飲み込んで腹の中に隠した。
「この毒は強い酸で溶かすか、炎で焼かないと消えません。後で処理します」と言って、男は蛇を回収した。
慣れた様子から、この男が只者でないことだけは確かだ。
「あんた何者なんだ?どうしてアルドに付き纏う?」
「話を聞いてくれるなら、ある程度お話します」と男は応じる姿勢を見せた。
信用できるか分からないが、アルドが厄介に巻き込まれる事を思えば、この暴漢と目の前の男の正体は知りたいところだ。
「場所を変えよう」と提案して、男を連れて、来た道を戻った。
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