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思い出
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「元気そうだな」と爺になった親友と挨拶を交わした。
「可愛い娘を貰ったんだってな」とグスタフはニヤニヤと笑っていた。
また要らんことを言いやがって…
「お前の息子に勝手に押し付けられたんだ」と不機嫌な声で返して、用意されていたソファに腰掛けた。
二人で話をしてると、ノックの音がして、ロンメル家の侍女がお茶を運んできた。
何だよ…嬉しそうな顔しやがって…
小汚かった少女は、今では上品そうな素振りで、綺麗な服を着こなしている。
仕方なくヴィンクラーの名前を分けてやった少女は、「失礼します」と断って、慣れた様子で俺とグスタフの間にお茶や菓子を並べた。
「出来た娘さんだ」とグスタフは分かりやすく俺を茶化した。
聞こえないふりをしてお茶を口に運んだ。
「美味しい?」とライナは俺に訊ねた。
「んなもん、誰が入れたって茶は茶だろうが」
「素直に『美味い』って言えばいいだろうに…」と呆れて呟くグスタフに、ライナは「いいよ」と笑った。
「お爺ちゃん天邪鬼だから、褒められたら心配になるよ」
「そうか。なるほどな…
この子は俺よりお前の扱いが上手いな」
グスタフは豪快に笑ってライナを褒めていた。
お前だってその子を気に入ってるじゃねぇか?
「ねぇ、お爺ちゃん」
「何だ?用事が済んだら下がってろ」
「もう…そんなこと言わないでよ」と頬を膨らませるライナに、グスタフも同調した。
「余裕のない奴だな。子供の話くらい聞いてやれよ、《お爺ちゃん》」
茶化すグスタフを睨み付けたが、この男にそれは通じない。余裕のある笑みを浮かべて、グスタフはライナに発言を譲った。
「お爺ちゃん、おかえり」と言ってライナは笑顔を見せた。
そんなつまらないことを言うために来たのか?
「あぁ」と無愛想に返した。
そんな返事しかできないのは、少女に見破られた通り、俺が天邪鬼だからだ…
ライナは昔のように俺の傍に来て、以前のように勝手にハグをした。
見せかけの上品な所作より、その懐っこい子供らしい行為の方が彼女らしく感じられた。
「ねぇ、みんな元気?」
「変わりねぇよ」
「そっか。良かった」と満足したように頼りないほど小さい子供の身体が離れた。
温もりを残して、少女は邪魔したことを詫びて部屋を後にした。
「良い子じゃないか?」
グスタフはそう言って紅茶を口に運んでいた。
そんなの知ってら…
無理やり不機嫌を顔に貼り付けて、誤魔化すため息を吐き出した。
あいつは良い子すぎるんだよ。俺には勿体ないだろう?
そんな言葉を飲み込んで、話さなくていいように出された菓子を口に運んだ。
甘い焼き菓子を頬張りながら、喋らないようにライナの口に放り込んでやればよかったと、つまらない考えが頭を過ぎった。
✩.*˚
お爺ちゃん元気そうだったなぁ…
厨房に戻る廊下を歩く足は軽かった。
本当はもっと話したいこともあったけど、顔見れたし、また今度でいいや。
「ミア姉、行ってきたよ!」
「おかえり。どうだった?ちゃんとできた?」
「うん!バッチリだよ!
お爺ちゃんはああだから褒めてくれないけど、ビッテンフェルトのお爺ちゃんは褒めてくれたよ!」
「良かったね」とミア姉は自分の事のように喜んでくれた。
「ねぇ、次は何したらいい?」と仕事がないか訊ねた。
「うーん、そうね…
あ、そうだ。さっき出てた洗濯物が返ってきたから、リネン室の棚に戻しておいてくれる?」
「了解!」と返事をして物置の部屋に向かった。
簡単な仕事だから後回しになってたみたいだ。
お客さんの来る時は、棚の出入りも激しい。片付けないと溜まってしまう。
部屋の中に入ると、入口の辺りに畳まれて籠に収まったリネンの山ができていた。
「よいしょっと」
持てるだけ手に抱えて、奥に持って行こうとして、部屋に誰かがいるのに気付いた。
「…ケヴィン?」
名前を呼ばれたケヴィンは、「見つかっちゃった」と恥ずかしそう目を伏せた。
ケヴィンの目は少し赤くなって、隠した袖には濡れたシミが見えた。
「どうしたの?」
珍しい…
いつもニコニコしてるケヴィンが落ち込んでるように見えた。いつもと違う彼の様子が気になって、片付けようとしていたリネンを放り出してケヴィンに駆け寄った。
「泣いてたの?」
「やだな…恥ずかしいところ見られちゃった…忘れて」とケヴィンは笑って見せたが、その顔が寂しげなのは見逃さなかった。
「どうしたのさ?何かあったの?」
ケヴィンの手を握って問い詰めた。
手を握ってなかったら逃げられちゃいそうだったから、ギュッと握った。
ケヴィンは少し驚いた顔をして、また小さく笑った。
「なんでもないよ。そんなに握ったら痛いよ」
「だって、ケヴィン…泣いてたでしょ?」
握った手の覗く袖はやっぱり湿っていた。
「君が泣いてるなら、ほっとけないよ。
あたしが寂しがってた時、世話してくれたじゃん?
それって嬉しかったんだ。
あたしがそれを返したいって思うのは変かな?」
「…ライナ」
「誰にも言わないよ。だから…一人でこんなところで泣かないでよ」
あたしに優しくしてくれたケヴィンが、何か悩みを抱えているなら、少しでも彼の役に立ちたかった。
「ありがとう」と笑ったケヴィンはあたしの手をそっと握り返した。
「…本当に…誰にも言わない?」
「うん」
「笑ったりしない?」
「しないよ」
「絶対?」
「うん。約束する」
リネンの並んだ棚の隙間で二人で小指を絡めて約束した。
リネンを片付けるのを手伝いながら、ケヴィンは泣いてた理由を教えてくれた。
「ジビラお姉さんが結婚するって…」
「旦那様の姪っ子の?」
「うん…ちょっと憧れてたんだ…」とケヴィンは言っていたが、それって片思いだったってことかな?
「どこが好きだったの?」と興味本位で訊ねた。
「え?ど、どこって…」
掘り下げられると思ってなかったのか、ケヴィンは顔を真っ赤にして動揺してた。
なんかケヴィンには悪いけど、ちょっと可愛いな…
「や、優しいところ…なんか、フワってしてて…女の子らしくて…上手く言えないけど、そんなところ…」
耳を真っ赤にしながら、ケヴィンは憧れたお姉さんへの想いを口にした。
その形の定まらない表現が、なんかリアルで、恋してるって感じがした。
「…ライナは?」と唐突にケヴィンがあたしに話を振った。
「僕だけ言うの恥ずかしいよ…
ライナも…好きな人いる?」
「あたし?好きな人?」
ケヴィンは自分の晒した秘密の代わりを欲しがった。
好きな人?
いっぱい顔が浮かんだけど、ケヴィンの欲しがってるのは多分それとは違う答えだ。
「分からない…好きな人はいっぱいいるけど、そういうのあんまり考えたことないもん」
今までそんなことを考える余裕はなかった。
「そっか…」と応えて、ケヴィンは残念そうにため息を吐きながら、あたしから棚に入れるリネンを受け取った。
「じゃあ、好きな人出来たら教えてよ」ケヴィンは代案として提案した。
「何でケヴィンに言わなきゃいけないのよ?」
「だって僕はちゃんと答えたでしょ?
ライナも教えてくれたら平等だよね?」
「だって、好きとか分からないもん」
「それはまだライナがそう感じてないからだよ。
好きな人出来たら応援してあげる」
ケヴィンはそう言って、ふふっと余裕ぶって笑った。
恋したからってお兄さん気分?
失恋して泣いてたくせに、カッコつけちゃって…
「そう?いいよ、好きな人出来たら教えてあげる。
でもちゃんと協力してよね?
あたしが先に結婚しても、『ずるい』とか文句言わないでよね?」
「言わないよ。心外だな」
ケヴィンはハシゴを使って上の棚にリネンを戻すと、ぴょんっと飛び降りてあたしの前に立った。
差し出された手は、約束を求めるように小指を突き出していた。彼の濡れた袖はもう乾いてた。
仕方ないからあたしも小指を出して、ケヴィンの小指と結んで約束した。
『ずるい』って言われるのも嫌だしね…
二人でリネン室を片付けて、部屋を出た。もうすっかりいつもの彼だ。
ケヴィンはやっぱり笑ってる方がいいよ。
✩.*˚
毛布の外に感じる冷気で目を覚ました。
まだ外は薄暗いけど、時間は朝のいつもの起床時間だ。
名残惜しい、暖かい毛布から抜け出そうとすると、僕を引き止める腕が伸びて、毛布の中に引きずり込まれた。
「…寒い」とヨナタンは僕を湯たんぽ代わりにした。
「ヨナ、暖炉用意しますね」
そう言ってヨナタンの頭を撫でた。
ヨナタンは寝起きが悪い。寒いから余計だ。なかなか離してくれないから、部屋は寒いままで、僕も凍えてまた毛布に潜り込んだ。
「もう、ヨナ。今日は挨拶に廻るんでしょう?
遅いって、ブルーノ様が迎えに来て、こんなところ見られたら恥ずかしいですよ。起きてください」
僕の説得に、ヨナタンは渋々手を離した。
「よくできました」と年上の恋人を褒めて、彼が寒くないように暖炉に火を入れた。
お湯を沸かして、彼の身支度を手伝いながら窓の外に視線を向けた。
今日も寒そうだ。曇った硝子の向こう側は、白く街を縁どっていた。
「雪、凍ってないといいですね」
「面倒くせぇな…」と彼は煙草を咥えながらボヤいて、「お前も用意しろ」と僕にも身支度するように告げた。
「え?でも僕は留守番でしょう?」
「昨日のことがあるから一人にするのは無理だ。ビッテンフェルトの屋敷で待ってろ」
「でも…」それじゃブルーノ様にも迷惑になるんじゃ…
ヨナタンはそんな僕の考えはお見通しだったみたいだ。
「お前に何かあった時の方が面倒だ。
前にもそういうゴタゴタに巻き込まれたことがあるが、必ず助けられる保証はない。
それなら多少やり過ぎだとしても、用心するに越したことはない」
ヨナタンはそう言って、僕に出かける用意を促した。
彼の言うことは尤もで、確かに僕は問題を抱えている。その問題は、僕が生きている限り、一生ついてまわるものだ。
「ヨナ、ありがとう」
心配しくれる恋人に礼を言うと、彼は黙って大人の硬い手のひらで僕の頭を撫でた。
幸せだった頃の記憶に重なって、頭を撫でられた記憶がお父様を思い出させた。
恨んだこともあったが、両親の最後の望みは、僕に《生きること》を望んでいた。
もうあの頃に戻ることはできないけれど、両親の最後の望みを無駄にしないためにも、僕は生きなければならない。
身支度を済ませて、肩から提げたカバンに暇つぶしの本を入れて家を出た。
「寒っ…」と文句を言いながら、ヨナタンは背中を丸めた。心做しか、歩く速度も遅い気がする。
寒いから人の姿はまばらだ。それでも物売りはいつもの場所でお客を待っていた。
顔見知りの新聞を売ってるおじさんが「買うかい?」とヨナタンに声をかけた。
「アルド、買っといてくれ」
ヨナタンは寒いからポケットから手を出すのを嫌がった。横着な彼に笑顔で頷いて、財布から銅貨を出しておじさんに渡した。
「まいど」とおじさんから新聞を預かって振り向くと、後ろに知らない男の人が立っていた。
新聞を買うために並んでいたのかと思って場所を譲った。
「…」男の人は僕に小声で何か呟いたようだったが、聞き取れなかった。
男の人は僕の顔をじっと見ていた。その男性の視線に居心地の悪さを覚えた。
「お先にすみません」と会釈して離れようとした。
「あ!待ってくれ、少年!」
急に呼び止められて肩を掴まれた。
急だったから驚いて悲鳴を上げた。通りでそれなりに人目もある。男の人はそれで少し怯んだ。
「俺の連れに何する!」
すぐに異変に気付いたヨナタンが、僕と男の人の間に割って入った。
ヨナタンは相手を睨むと、怖い声で男を威嚇した。
「いきなり何のつもりだ?人のもんに手ぇ出すってんなら、それ相応の覚悟があるんだろうな?」
その言葉に空気がヒリついた。
ヨナタンの背に隠れていると、男の困ったような声が聞こえてきた。
「すまない、驚かすつもりは無かったんだ…
ただ、ちょっと顔を確認させて欲しかっただけで…」
「断る。なんのつもりか知らんが、こいつは見世物じゃない」
「そうじゃなくて、私が探してる子供に似てたんだ」
男はそう言って、懐からガサガサと紙を取り出してヨナタンに見せた。
「この絵は誰だ?」とヨナタンの方から男に訊ねた。
男は「それは言えない」と答えて、隠れていた僕にも絵を見せようとした。
一瞬見えた似顔絵をヨナタンの手が乱暴に払った。
「人違いだ」短い苛立つ返事を残して、ヨナタンは僕の肩を抱いて歩き出した。
「ヨナ…」
呼びかけたが、彼は僕と視線を合わせようともしなかった。ヨナタンは怖い顔で黙って早足で歩いた。
半ば引きずられるように彼の隣を歩いた。
歩きながら、一瞬見えた絵を思い出して震えた。
あれは、僕だった…
多分、10歳頃の僕だろう。オークランドにはまだランチェスター家の絵が残っているはずだ。それを模写したものみたいだった。
「大丈夫か?」と硬い声でヨナタンが訊ねた。
「昨日の奴みたいだ。気づかなくて悪かった。
何かされたか?」
「呼び止められるときに肩を掴まれて驚いただけです。何も無いです」
僕の返事にヨナタンは苦い表情で舌打ちした。
「アルド。しばらくビッテンフェルトの屋敷に預かってもらえ。俺からブルーノに話してやる。
あの家じゃ心許ない」
「でも…」
「あいつ一人とは限らないし、俺も四六時中お前を守ってやれない。
しばらくは用心した方がいい」
「ヨナは?どうするんです?」
僕を匿っているヨナタンだって危険だ。彼はこの街じゃ顔が知られているけど、相手が彼を見逃す保証はなかった。
場合によっては、僕を匿っている彼の方が危ないかもしれない…
「フリッツや大御所が戻ったら相談する。
お前は自分の心配してろ」
僕を子供扱いする手のひらが頭に重なった。
僕は相変わらず、守られるだけの無力な子供だ…
ヨナタンは人通りの多い道を選んで、ビッテンフェルトのお屋敷に向かった。
お屋敷に着くまで、ヨナタンは僕と手を繋いでいた。いつもならポケットに隠れてるはずの彼の手は、僕の手より冷たかった。
お屋敷に到着すると、待っていたブルーノ様が僕たちを出迎えた。
「遅かったですね。道中何かありましたか?」と心配してくれたブルーノ様に、ヨナタンが事情を説明して、僕を預かってくれるように頼んだ。
「そうですか。承知しました。お預かりします」とブルーノ様はヨナタンのお願いを快諾して、僕のために部屋を用意してくれた。
「ご迷惑をおかけします」と巻き込んでしまったブルーノ様に詫びた。
「迷惑じゃないですよ。実は私もこの屋敷に一人で留守番していて退屈してたんです。
アルドがいてくれたら寂しくないですよ」とブルーノ様は嬉しそうに言ってくれた。
「戻ったら一緒に食事しましょう。トゥーマン殿も召し上がって行ってください」
「それより、何でもいいから今摘めるものないか?
道中食べてくるつもりだったんだが、予定が狂った」
「そうですか。何か簡単なものを用意させますね」
ブルーノ様が世話を焼いてくれて、ようやく朝食にありつけた。
ヨナタンとブルーノ様は用意を済ますと、僕を置いて挨拶回りに出かけた。
ブルーノ様は部屋の用意と一緒に、本も貸してくれた。しばらくは退屈で死にそうになるということは無さそうだ。
大人しく本を読んでいると、ビッテンフェルト家のメイドがお茶とお菓子を用意してくれた。
お礼を伝えて紅茶をいただくと、彼女は意外そうな顔をした。
「何か?」
「あ、いえ。とてもお行儀よくでいらしたので…」と彼女は僕の違和感を指摘した。
孤児や傭兵らしくなかったかな?
行儀悪く振る舞う方法が分からなかった。
笑って誤魔化したけど、少し行儀悪くなった方がいいかもしれない。
そんなことを思いながら、用意された親切を頂戴して、また読書に戻った。
昼までに一冊読み終えて、次の本に手を伸ばした。
深い緑色の装丁の本を手にして、おや?と首を傾げた。
《カレンデュラの庭》
ライン語に翻訳されていたが、同じ題名のパテル語の本を読んだことがある。
手に取って、やはり自分の知ってるものだと確信する。
お母様のお気に入りだった本だ…
『いらっしゃい、ヴィヴィ』と僕を呼んでお膝に乗せて読んでくれた。子供の僕には難しい恋物語だ。
本を読んでいる時のお母様は可愛らしかった。
『またそれかい?』とお父様が本を覗き込むと、お母様は少女のような笑顔で『だって好きなんですもの』と答えていた。
主人公たちの再会のシーンには特に熱が入っていたな…
お母様を思い出して目頭が熱くなった。
今はどうしてるだろう?
本から視線を外して、白く曇る窓に視線を向けた。
貿易大国として知られるイザード王国の貴族に嫁いだと聞いているが、どんな生活を送っているのかまでは知らない。
知りたいとも思わなかった…
そんな余裕もなかった…
命さえ危うい生活から脱したといっても、毎日が忙しくて思い出す機会もなかったし、幸せだった頃を思い出すのは彼に悪い気がした。
今だって僕は幸せだ…
そう言い聞かせて、深い緑色の装丁の本を机に戻した。
この本はやめておこう…
代わりに対象的な赤紫色で装丁された本を手に取ってページを捲った。
思い出をくすぐらない、知らない物語に安堵した。
✩.*˚
しくじったな…
本当は新聞を買いに出ただけだった。
そこでたまたま、昨日酒場で見た灰色の長髪の男を見つけた。
煙草を咥えた男はまだ私に気づいてなかった。
声をかけるか、しばらく様子を見るか迷っていると、先に新聞を買った背の低い先客が新聞を手に振り返った。
外套のフードの下で、少し驚いたような顔で私を見上げて、『どうぞ』と場所を譲った。
フードの下ではっきりとは見えなかったが、その顔は探していた少年と酷似していた。
半年以上探して、やっと目の前に現れた少年を前に、らしくもなく焦りが出てしまった。
驚いて声を上げた少年に気付いて、あの男が間に入って私から少年を遠ざけた。
無駄に警戒されてしまった。
らしくない失敗を後悔したが遅い。
ようやく見つけたのだ。完全に他人だと確認できるまで引き下がれない。
それに、あの少年を庇っていた男の反応が、私にさらに確信を与えた。
あの男ともう一度直接話す必要がある。
少し聞き込みをすると、男の情報は簡単に手に入った。
この街の名士として知られる、ビッテンフェルト家で雇われている男らしい。
とりあえず、すぐにどこかに逃げられる心配は無さそうだ。
腰に提げた雑嚢から木を削って作った小鳥を取り出した。
「《宿れ》」と命じると、木彫りの小鳥は私の魔力を吸って生きた鳥に変わった。
小鳥に依頼主から預かった髪の毛を与えて《探す》ように命じた。
小鳥は飛び立つと、頭上をクルクルと回って、どこかに飛び去った。
私の魔力を与えられた小鳥の居場所はだいたいで分かる。
傀儡は燃料である魔力が切れると、木彫りの人形に戻る。
そんなことを繰り返しながら、ようやくこの街にたどり着いたのだ。
小鳥の気配を追って、大きな屋敷に辿り着いた。
貴族か金持ちの家であることは間違いなさそうだ。ここにいるのか?
背の高い塀に拒まれて、中は確認できそうにない。それでも小鳥の気配はその屋敷に吸い込まれるように消えていた。
裏口に回るのも一苦労だ。
裏口らしい場所を見張って、使用人や商人の出入りを待った。
数人の使用人に似顔絵を確認させたが、答えてくれなかった。どうやら使用人の指導は行き届いているようだ。
益々厄介だ…
今日は無理か、と諦めかけていた時に、裏口から執事のような佇まいの男が出てきて、私に声をかけた。
「当家に御用ですか?」
物腰の柔らかい印象とは対照的に、言葉は棘を含んでいた。
他の使用人たちから聞いて、不審者を排除しに来たのだろう。
「人を探しておりまして」と伝えて、似顔絵を出して見せた。
「この子の母親から探してくれと依頼を受けています。この近くで目撃されているようなので、もしご存知なら教えて頂きたい」
執事は黙ってその似顔絵を確認して、「人探しご苦労様です」と絵を返した。
「残念ならが、申し上げる事は何もございません。
当家の旦那様は今不在です。どちらにご滞在ですか?」
宿を訊かれて、「まだ決めていない」と答えた。
相手が敵か味方か分からない以上、答えるのは危険だ。寝込みを襲われるのは避けたい。
執事風の使用人は、私に幾つかの宿の名前を教えて、そのどれかに滞在するように勧めた。
「お伝えできることがあれば、《ビッテンフェルト家》から使いを送ります。とりあえず今日はお引き取り下さい」
彼としても最大の譲歩だろう。ここでゴネても答えてくれそうにはないし、腕っ節のある用心棒を呼ばれても困る。
「よろしくお願いします」と頭を下げて、その場は引き下がった。
寒くなってきたし、潮時だろう。
身体は冷えきってるし、腹も減った。
小鳥を呼び寄せて、戻って来た傀儡をポケットに仕舞うと、昨日食事した近くの酒場に足を向けた。
「可愛い娘を貰ったんだってな」とグスタフはニヤニヤと笑っていた。
また要らんことを言いやがって…
「お前の息子に勝手に押し付けられたんだ」と不機嫌な声で返して、用意されていたソファに腰掛けた。
二人で話をしてると、ノックの音がして、ロンメル家の侍女がお茶を運んできた。
何だよ…嬉しそうな顔しやがって…
小汚かった少女は、今では上品そうな素振りで、綺麗な服を着こなしている。
仕方なくヴィンクラーの名前を分けてやった少女は、「失礼します」と断って、慣れた様子で俺とグスタフの間にお茶や菓子を並べた。
「出来た娘さんだ」とグスタフは分かりやすく俺を茶化した。
聞こえないふりをしてお茶を口に運んだ。
「美味しい?」とライナは俺に訊ねた。
「んなもん、誰が入れたって茶は茶だろうが」
「素直に『美味い』って言えばいいだろうに…」と呆れて呟くグスタフに、ライナは「いいよ」と笑った。
「お爺ちゃん天邪鬼だから、褒められたら心配になるよ」
「そうか。なるほどな…
この子は俺よりお前の扱いが上手いな」
グスタフは豪快に笑ってライナを褒めていた。
お前だってその子を気に入ってるじゃねぇか?
「ねぇ、お爺ちゃん」
「何だ?用事が済んだら下がってろ」
「もう…そんなこと言わないでよ」と頬を膨らませるライナに、グスタフも同調した。
「余裕のない奴だな。子供の話くらい聞いてやれよ、《お爺ちゃん》」
茶化すグスタフを睨み付けたが、この男にそれは通じない。余裕のある笑みを浮かべて、グスタフはライナに発言を譲った。
「お爺ちゃん、おかえり」と言ってライナは笑顔を見せた。
そんなつまらないことを言うために来たのか?
「あぁ」と無愛想に返した。
そんな返事しかできないのは、少女に見破られた通り、俺が天邪鬼だからだ…
ライナは昔のように俺の傍に来て、以前のように勝手にハグをした。
見せかけの上品な所作より、その懐っこい子供らしい行為の方が彼女らしく感じられた。
「ねぇ、みんな元気?」
「変わりねぇよ」
「そっか。良かった」と満足したように頼りないほど小さい子供の身体が離れた。
温もりを残して、少女は邪魔したことを詫びて部屋を後にした。
「良い子じゃないか?」
グスタフはそう言って紅茶を口に運んでいた。
そんなの知ってら…
無理やり不機嫌を顔に貼り付けて、誤魔化すため息を吐き出した。
あいつは良い子すぎるんだよ。俺には勿体ないだろう?
そんな言葉を飲み込んで、話さなくていいように出された菓子を口に運んだ。
甘い焼き菓子を頬張りながら、喋らないようにライナの口に放り込んでやればよかったと、つまらない考えが頭を過ぎった。
✩.*˚
お爺ちゃん元気そうだったなぁ…
厨房に戻る廊下を歩く足は軽かった。
本当はもっと話したいこともあったけど、顔見れたし、また今度でいいや。
「ミア姉、行ってきたよ!」
「おかえり。どうだった?ちゃんとできた?」
「うん!バッチリだよ!
お爺ちゃんはああだから褒めてくれないけど、ビッテンフェルトのお爺ちゃんは褒めてくれたよ!」
「良かったね」とミア姉は自分の事のように喜んでくれた。
「ねぇ、次は何したらいい?」と仕事がないか訊ねた。
「うーん、そうね…
あ、そうだ。さっき出てた洗濯物が返ってきたから、リネン室の棚に戻しておいてくれる?」
「了解!」と返事をして物置の部屋に向かった。
簡単な仕事だから後回しになってたみたいだ。
お客さんの来る時は、棚の出入りも激しい。片付けないと溜まってしまう。
部屋の中に入ると、入口の辺りに畳まれて籠に収まったリネンの山ができていた。
「よいしょっと」
持てるだけ手に抱えて、奥に持って行こうとして、部屋に誰かがいるのに気付いた。
「…ケヴィン?」
名前を呼ばれたケヴィンは、「見つかっちゃった」と恥ずかしそう目を伏せた。
ケヴィンの目は少し赤くなって、隠した袖には濡れたシミが見えた。
「どうしたの?」
珍しい…
いつもニコニコしてるケヴィンが落ち込んでるように見えた。いつもと違う彼の様子が気になって、片付けようとしていたリネンを放り出してケヴィンに駆け寄った。
「泣いてたの?」
「やだな…恥ずかしいところ見られちゃった…忘れて」とケヴィンは笑って見せたが、その顔が寂しげなのは見逃さなかった。
「どうしたのさ?何かあったの?」
ケヴィンの手を握って問い詰めた。
手を握ってなかったら逃げられちゃいそうだったから、ギュッと握った。
ケヴィンは少し驚いた顔をして、また小さく笑った。
「なんでもないよ。そんなに握ったら痛いよ」
「だって、ケヴィン…泣いてたでしょ?」
握った手の覗く袖はやっぱり湿っていた。
「君が泣いてるなら、ほっとけないよ。
あたしが寂しがってた時、世話してくれたじゃん?
それって嬉しかったんだ。
あたしがそれを返したいって思うのは変かな?」
「…ライナ」
「誰にも言わないよ。だから…一人でこんなところで泣かないでよ」
あたしに優しくしてくれたケヴィンが、何か悩みを抱えているなら、少しでも彼の役に立ちたかった。
「ありがとう」と笑ったケヴィンはあたしの手をそっと握り返した。
「…本当に…誰にも言わない?」
「うん」
「笑ったりしない?」
「しないよ」
「絶対?」
「うん。約束する」
リネンの並んだ棚の隙間で二人で小指を絡めて約束した。
リネンを片付けるのを手伝いながら、ケヴィンは泣いてた理由を教えてくれた。
「ジビラお姉さんが結婚するって…」
「旦那様の姪っ子の?」
「うん…ちょっと憧れてたんだ…」とケヴィンは言っていたが、それって片思いだったってことかな?
「どこが好きだったの?」と興味本位で訊ねた。
「え?ど、どこって…」
掘り下げられると思ってなかったのか、ケヴィンは顔を真っ赤にして動揺してた。
なんかケヴィンには悪いけど、ちょっと可愛いな…
「や、優しいところ…なんか、フワってしてて…女の子らしくて…上手く言えないけど、そんなところ…」
耳を真っ赤にしながら、ケヴィンは憧れたお姉さんへの想いを口にした。
その形の定まらない表現が、なんかリアルで、恋してるって感じがした。
「…ライナは?」と唐突にケヴィンがあたしに話を振った。
「僕だけ言うの恥ずかしいよ…
ライナも…好きな人いる?」
「あたし?好きな人?」
ケヴィンは自分の晒した秘密の代わりを欲しがった。
好きな人?
いっぱい顔が浮かんだけど、ケヴィンの欲しがってるのは多分それとは違う答えだ。
「分からない…好きな人はいっぱいいるけど、そういうのあんまり考えたことないもん」
今までそんなことを考える余裕はなかった。
「そっか…」と応えて、ケヴィンは残念そうにため息を吐きながら、あたしから棚に入れるリネンを受け取った。
「じゃあ、好きな人出来たら教えてよ」ケヴィンは代案として提案した。
「何でケヴィンに言わなきゃいけないのよ?」
「だって僕はちゃんと答えたでしょ?
ライナも教えてくれたら平等だよね?」
「だって、好きとか分からないもん」
「それはまだライナがそう感じてないからだよ。
好きな人出来たら応援してあげる」
ケヴィンはそう言って、ふふっと余裕ぶって笑った。
恋したからってお兄さん気分?
失恋して泣いてたくせに、カッコつけちゃって…
「そう?いいよ、好きな人出来たら教えてあげる。
でもちゃんと協力してよね?
あたしが先に結婚しても、『ずるい』とか文句言わないでよね?」
「言わないよ。心外だな」
ケヴィンはハシゴを使って上の棚にリネンを戻すと、ぴょんっと飛び降りてあたしの前に立った。
差し出された手は、約束を求めるように小指を突き出していた。彼の濡れた袖はもう乾いてた。
仕方ないからあたしも小指を出して、ケヴィンの小指と結んで約束した。
『ずるい』って言われるのも嫌だしね…
二人でリネン室を片付けて、部屋を出た。もうすっかりいつもの彼だ。
ケヴィンはやっぱり笑ってる方がいいよ。
✩.*˚
毛布の外に感じる冷気で目を覚ました。
まだ外は薄暗いけど、時間は朝のいつもの起床時間だ。
名残惜しい、暖かい毛布から抜け出そうとすると、僕を引き止める腕が伸びて、毛布の中に引きずり込まれた。
「…寒い」とヨナタンは僕を湯たんぽ代わりにした。
「ヨナ、暖炉用意しますね」
そう言ってヨナタンの頭を撫でた。
ヨナタンは寝起きが悪い。寒いから余計だ。なかなか離してくれないから、部屋は寒いままで、僕も凍えてまた毛布に潜り込んだ。
「もう、ヨナ。今日は挨拶に廻るんでしょう?
遅いって、ブルーノ様が迎えに来て、こんなところ見られたら恥ずかしいですよ。起きてください」
僕の説得に、ヨナタンは渋々手を離した。
「よくできました」と年上の恋人を褒めて、彼が寒くないように暖炉に火を入れた。
お湯を沸かして、彼の身支度を手伝いながら窓の外に視線を向けた。
今日も寒そうだ。曇った硝子の向こう側は、白く街を縁どっていた。
「雪、凍ってないといいですね」
「面倒くせぇな…」と彼は煙草を咥えながらボヤいて、「お前も用意しろ」と僕にも身支度するように告げた。
「え?でも僕は留守番でしょう?」
「昨日のことがあるから一人にするのは無理だ。ビッテンフェルトの屋敷で待ってろ」
「でも…」それじゃブルーノ様にも迷惑になるんじゃ…
ヨナタンはそんな僕の考えはお見通しだったみたいだ。
「お前に何かあった時の方が面倒だ。
前にもそういうゴタゴタに巻き込まれたことがあるが、必ず助けられる保証はない。
それなら多少やり過ぎだとしても、用心するに越したことはない」
ヨナタンはそう言って、僕に出かける用意を促した。
彼の言うことは尤もで、確かに僕は問題を抱えている。その問題は、僕が生きている限り、一生ついてまわるものだ。
「ヨナ、ありがとう」
心配しくれる恋人に礼を言うと、彼は黙って大人の硬い手のひらで僕の頭を撫でた。
幸せだった頃の記憶に重なって、頭を撫でられた記憶がお父様を思い出させた。
恨んだこともあったが、両親の最後の望みは、僕に《生きること》を望んでいた。
もうあの頃に戻ることはできないけれど、両親の最後の望みを無駄にしないためにも、僕は生きなければならない。
身支度を済ませて、肩から提げたカバンに暇つぶしの本を入れて家を出た。
「寒っ…」と文句を言いながら、ヨナタンは背中を丸めた。心做しか、歩く速度も遅い気がする。
寒いから人の姿はまばらだ。それでも物売りはいつもの場所でお客を待っていた。
顔見知りの新聞を売ってるおじさんが「買うかい?」とヨナタンに声をかけた。
「アルド、買っといてくれ」
ヨナタンは寒いからポケットから手を出すのを嫌がった。横着な彼に笑顔で頷いて、財布から銅貨を出しておじさんに渡した。
「まいど」とおじさんから新聞を預かって振り向くと、後ろに知らない男の人が立っていた。
新聞を買うために並んでいたのかと思って場所を譲った。
「…」男の人は僕に小声で何か呟いたようだったが、聞き取れなかった。
男の人は僕の顔をじっと見ていた。その男性の視線に居心地の悪さを覚えた。
「お先にすみません」と会釈して離れようとした。
「あ!待ってくれ、少年!」
急に呼び止められて肩を掴まれた。
急だったから驚いて悲鳴を上げた。通りでそれなりに人目もある。男の人はそれで少し怯んだ。
「俺の連れに何する!」
すぐに異変に気付いたヨナタンが、僕と男の人の間に割って入った。
ヨナタンは相手を睨むと、怖い声で男を威嚇した。
「いきなり何のつもりだ?人のもんに手ぇ出すってんなら、それ相応の覚悟があるんだろうな?」
その言葉に空気がヒリついた。
ヨナタンの背に隠れていると、男の困ったような声が聞こえてきた。
「すまない、驚かすつもりは無かったんだ…
ただ、ちょっと顔を確認させて欲しかっただけで…」
「断る。なんのつもりか知らんが、こいつは見世物じゃない」
「そうじゃなくて、私が探してる子供に似てたんだ」
男はそう言って、懐からガサガサと紙を取り出してヨナタンに見せた。
「この絵は誰だ?」とヨナタンの方から男に訊ねた。
男は「それは言えない」と答えて、隠れていた僕にも絵を見せようとした。
一瞬見えた似顔絵をヨナタンの手が乱暴に払った。
「人違いだ」短い苛立つ返事を残して、ヨナタンは僕の肩を抱いて歩き出した。
「ヨナ…」
呼びかけたが、彼は僕と視線を合わせようともしなかった。ヨナタンは怖い顔で黙って早足で歩いた。
半ば引きずられるように彼の隣を歩いた。
歩きながら、一瞬見えた絵を思い出して震えた。
あれは、僕だった…
多分、10歳頃の僕だろう。オークランドにはまだランチェスター家の絵が残っているはずだ。それを模写したものみたいだった。
「大丈夫か?」と硬い声でヨナタンが訊ねた。
「昨日の奴みたいだ。気づかなくて悪かった。
何かされたか?」
「呼び止められるときに肩を掴まれて驚いただけです。何も無いです」
僕の返事にヨナタンは苦い表情で舌打ちした。
「アルド。しばらくビッテンフェルトの屋敷に預かってもらえ。俺からブルーノに話してやる。
あの家じゃ心許ない」
「でも…」
「あいつ一人とは限らないし、俺も四六時中お前を守ってやれない。
しばらくは用心した方がいい」
「ヨナは?どうするんです?」
僕を匿っているヨナタンだって危険だ。彼はこの街じゃ顔が知られているけど、相手が彼を見逃す保証はなかった。
場合によっては、僕を匿っている彼の方が危ないかもしれない…
「フリッツや大御所が戻ったら相談する。
お前は自分の心配してろ」
僕を子供扱いする手のひらが頭に重なった。
僕は相変わらず、守られるだけの無力な子供だ…
ヨナタンは人通りの多い道を選んで、ビッテンフェルトのお屋敷に向かった。
お屋敷に着くまで、ヨナタンは僕と手を繋いでいた。いつもならポケットに隠れてるはずの彼の手は、僕の手より冷たかった。
お屋敷に到着すると、待っていたブルーノ様が僕たちを出迎えた。
「遅かったですね。道中何かありましたか?」と心配してくれたブルーノ様に、ヨナタンが事情を説明して、僕を預かってくれるように頼んだ。
「そうですか。承知しました。お預かりします」とブルーノ様はヨナタンのお願いを快諾して、僕のために部屋を用意してくれた。
「ご迷惑をおかけします」と巻き込んでしまったブルーノ様に詫びた。
「迷惑じゃないですよ。実は私もこの屋敷に一人で留守番していて退屈してたんです。
アルドがいてくれたら寂しくないですよ」とブルーノ様は嬉しそうに言ってくれた。
「戻ったら一緒に食事しましょう。トゥーマン殿も召し上がって行ってください」
「それより、何でもいいから今摘めるものないか?
道中食べてくるつもりだったんだが、予定が狂った」
「そうですか。何か簡単なものを用意させますね」
ブルーノ様が世話を焼いてくれて、ようやく朝食にありつけた。
ヨナタンとブルーノ様は用意を済ますと、僕を置いて挨拶回りに出かけた。
ブルーノ様は部屋の用意と一緒に、本も貸してくれた。しばらくは退屈で死にそうになるということは無さそうだ。
大人しく本を読んでいると、ビッテンフェルト家のメイドがお茶とお菓子を用意してくれた。
お礼を伝えて紅茶をいただくと、彼女は意外そうな顔をした。
「何か?」
「あ、いえ。とてもお行儀よくでいらしたので…」と彼女は僕の違和感を指摘した。
孤児や傭兵らしくなかったかな?
行儀悪く振る舞う方法が分からなかった。
笑って誤魔化したけど、少し行儀悪くなった方がいいかもしれない。
そんなことを思いながら、用意された親切を頂戴して、また読書に戻った。
昼までに一冊読み終えて、次の本に手を伸ばした。
深い緑色の装丁の本を手にして、おや?と首を傾げた。
《カレンデュラの庭》
ライン語に翻訳されていたが、同じ題名のパテル語の本を読んだことがある。
手に取って、やはり自分の知ってるものだと確信する。
お母様のお気に入りだった本だ…
『いらっしゃい、ヴィヴィ』と僕を呼んでお膝に乗せて読んでくれた。子供の僕には難しい恋物語だ。
本を読んでいる時のお母様は可愛らしかった。
『またそれかい?』とお父様が本を覗き込むと、お母様は少女のような笑顔で『だって好きなんですもの』と答えていた。
主人公たちの再会のシーンには特に熱が入っていたな…
お母様を思い出して目頭が熱くなった。
今はどうしてるだろう?
本から視線を外して、白く曇る窓に視線を向けた。
貿易大国として知られるイザード王国の貴族に嫁いだと聞いているが、どんな生活を送っているのかまでは知らない。
知りたいとも思わなかった…
そんな余裕もなかった…
命さえ危うい生活から脱したといっても、毎日が忙しくて思い出す機会もなかったし、幸せだった頃を思い出すのは彼に悪い気がした。
今だって僕は幸せだ…
そう言い聞かせて、深い緑色の装丁の本を机に戻した。
この本はやめておこう…
代わりに対象的な赤紫色で装丁された本を手に取ってページを捲った。
思い出をくすぐらない、知らない物語に安堵した。
✩.*˚
しくじったな…
本当は新聞を買いに出ただけだった。
そこでたまたま、昨日酒場で見た灰色の長髪の男を見つけた。
煙草を咥えた男はまだ私に気づいてなかった。
声をかけるか、しばらく様子を見るか迷っていると、先に新聞を買った背の低い先客が新聞を手に振り返った。
外套のフードの下で、少し驚いたような顔で私を見上げて、『どうぞ』と場所を譲った。
フードの下ではっきりとは見えなかったが、その顔は探していた少年と酷似していた。
半年以上探して、やっと目の前に現れた少年を前に、らしくもなく焦りが出てしまった。
驚いて声を上げた少年に気付いて、あの男が間に入って私から少年を遠ざけた。
無駄に警戒されてしまった。
らしくない失敗を後悔したが遅い。
ようやく見つけたのだ。完全に他人だと確認できるまで引き下がれない。
それに、あの少年を庇っていた男の反応が、私にさらに確信を与えた。
あの男ともう一度直接話す必要がある。
少し聞き込みをすると、男の情報は簡単に手に入った。
この街の名士として知られる、ビッテンフェルト家で雇われている男らしい。
とりあえず、すぐにどこかに逃げられる心配は無さそうだ。
腰に提げた雑嚢から木を削って作った小鳥を取り出した。
「《宿れ》」と命じると、木彫りの小鳥は私の魔力を吸って生きた鳥に変わった。
小鳥に依頼主から預かった髪の毛を与えて《探す》ように命じた。
小鳥は飛び立つと、頭上をクルクルと回って、どこかに飛び去った。
私の魔力を与えられた小鳥の居場所はだいたいで分かる。
傀儡は燃料である魔力が切れると、木彫りの人形に戻る。
そんなことを繰り返しながら、ようやくこの街にたどり着いたのだ。
小鳥の気配を追って、大きな屋敷に辿り着いた。
貴族か金持ちの家であることは間違いなさそうだ。ここにいるのか?
背の高い塀に拒まれて、中は確認できそうにない。それでも小鳥の気配はその屋敷に吸い込まれるように消えていた。
裏口に回るのも一苦労だ。
裏口らしい場所を見張って、使用人や商人の出入りを待った。
数人の使用人に似顔絵を確認させたが、答えてくれなかった。どうやら使用人の指導は行き届いているようだ。
益々厄介だ…
今日は無理か、と諦めかけていた時に、裏口から執事のような佇まいの男が出てきて、私に声をかけた。
「当家に御用ですか?」
物腰の柔らかい印象とは対照的に、言葉は棘を含んでいた。
他の使用人たちから聞いて、不審者を排除しに来たのだろう。
「人を探しておりまして」と伝えて、似顔絵を出して見せた。
「この子の母親から探してくれと依頼を受けています。この近くで目撃されているようなので、もしご存知なら教えて頂きたい」
執事は黙ってその似顔絵を確認して、「人探しご苦労様です」と絵を返した。
「残念ならが、申し上げる事は何もございません。
当家の旦那様は今不在です。どちらにご滞在ですか?」
宿を訊かれて、「まだ決めていない」と答えた。
相手が敵か味方か分からない以上、答えるのは危険だ。寝込みを襲われるのは避けたい。
執事風の使用人は、私に幾つかの宿の名前を教えて、そのどれかに滞在するように勧めた。
「お伝えできることがあれば、《ビッテンフェルト家》から使いを送ります。とりあえず今日はお引き取り下さい」
彼としても最大の譲歩だろう。ここでゴネても答えてくれそうにはないし、腕っ節のある用心棒を呼ばれても困る。
「よろしくお願いします」と頭を下げて、その場は引き下がった。
寒くなってきたし、潮時だろう。
身体は冷えきってるし、腹も減った。
小鳥を呼び寄せて、戻って来た傀儡をポケットに仕舞うと、昨日食事した近くの酒場に足を向けた。
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