燕の軌跡

猫絵師

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やりなおし

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「痛ぇな…あいつら手加減っての知らねぇのかよ…」

だいぶとくたびれた姿になった花婿がぼやいた。一張羅も台無しになって、殴られた顔はなかなか男前になっていた。

カナル帰りでもこんな格好にはならないだろう。

「お前がこそこそと抜け駆けしたからだろ?」と、半ば面白がりながら、ボロボロの花婿に声をかけた。

いつの間にか、アルノーはティナと良い仲になっていたらしい。

イザークが、『ティナはディルクと良い仲だ』と吹聴していたから、それを信じてた奴らはディルクに遠慮して手を出していなかった。

それでも、それもイザークの早とちりで、実は二人は娼婦と客の関係で、それ以上のものではなかった。

その事実を確認してからのアルノーの行動は早かった。

ティナもアルノーのアプローチはまんざらでもなかったようで、二人が付き合うのに時間はかからなかった。

ディルクはティナに特別な感情を持っていなかったし、ヴィンクラーの爺さんやカミルの兄貴も問題にしなかったから、アルノーとティナは晴れて夫婦になった。

「うるせぇぞ、カイ。好きな女口説いて嫁にもらって何が悪いってんだ?俺は何も悪いことなんてしてねぇぞ!」とアルノーは悪びれずに、俺に苛立ちの矛先を向けた。

よく言うよ…

黙ってあいつらに殴られてやったのは、少しぐらい後ろめたい気持ちがあったからだろう?

アルノーは良い奴だ。ティナの事も大切にしていたし、良い旦那になるはずだ。それが分かっているから、あいつらもご祝儀代わりに拳骨で済ませて、溜飲を下げたのだろう。

「まぁ、おめでとう、って言っとくよ」と、素直に彼らの結婚を祝福した。

「あぁ。ありがとう、って言っとくよ」と、アルノーも俺の祝福する言葉を真似て返した。

「カイ、無理言って悪かったな。ティナの髪結ってくれてありがとうな。あいつも喜んでたぜ」

「…まぁ、晴れの日だしな」と、答えて苦く笑った。

もうあれから随分経つのに、まだあの日の自分を許せずにいた。女の髪を結うのはやめていたが、の俺が親友の晴れの日にできる祝いなんてこのくらいのもんだ。

ティナの黒髪を結いながら、似ても似つかない、あの柔らかい金髪を思い出していた…

「次は自分の嫁さんになる女にしてやれよ」

俺の古傷の痛みを感じ取って、アルノーはそう言って俺の肩を叩いた。

俯きそうになる俺の耳に、「アルノー!」と旦那を呼ぶティナの声が届いた。

「呼ばれてる」アルノーは幸せそうな笑顔で、俺に「またな」と言葉を残してティナの方に歩いて行った。

新婚さんが笑顔で接吻を交わすと、大きなブーイングが上がった。それでもそれは素直に祝福できないひねくれものたちの祝福だ。

「酒もってこい!」とやけっぱちな怒号が飛んだ。

「ティナ、今ならまだ間に合うぜ!」と、誰かが意地の悪い提案をしていたが、ティナは笑って「やなこった」とアルノーの腕に自分の腕を絡めた。

お似合いだよな…

笑顔で顔を見合わせるアルノーとティナがまぶしくて、目のやり場を求めて青い空を見上げた。

抜けるような青空に、二筋の滑るような軌跡が描かれた。

お前らもかよ…

そう思いながら、燕のつがいを目で追った。春は終わり加減で、もうすぐ夏の湿り気を帯びた風が吹くだろう。

ティナの髪を結ったことを後悔しながら、煙草を出して口に運んだ。

この爽やかな薫風を台無しにする、煙を空に放った。

✩.*˚

ラウラ様からお使いを頼まれた。

「ライナ。ケヴィンと一緒に雑貨屋に行って、この紙に書いてあるものを預かって来てちょうだい」という簡単なお使いだ。

何であたしに頼むか分からず、ラウラ様の気持ちを探るように視線を返した。

ラウラ様はニコニコしながら、あたしに頼んだ理由をつけ足した。

「途中で帽子屋さんにも行ってらっしゃいな。これから日差しが強くなるから、ライナの好きなお帽子買っていらっしゃい」

「いいよ。ミア姉のお下がりがあるから…」

ちゃんとした帽子ならそれなりにお金がかかる。そんなにしょっちゅう外に行くこともないから、お洒落にこだわらないならお古で十分だ。

あたしの遠慮に、ラウラ様は大袈裟に眉を寄せた。

「そんなこと言わないの。ライナがいつも頑張ってるから、奥様が好きなものをプレゼントしてくれるって言ってくださったのよ。

ケヴィンと一緒に選んでいらっしゃい」

ラウラ様はそう言って、あたしにお使いの紙を渡すと、「お帽子楽しみね」と言ってウインクした。

そう言われると、何か断るのも悪い気がする…

お使いを引き受けて、お辞儀してケヴィンを探しに部屋を後にした。

ケヴィンは裏の馬小屋で自分の馬の世話をしていた。

「ケヴィン」と声をかけると、ケヴィンはすぐにあたしに気付いて手を振ってくれた。

「何?」と、訊ねるケヴィンの顔は、あたしより高い位置にある。

彼も、出会った頃より背が伸びていた。

ケヴィンはシュミット様によく似てるのに、どことなくラウラ様の柔らかさがある。

「ラウラ様にお使い頼まれたの」と、さっき話した内容をケヴィンに伝えた。

「分かった。じゃあ一緒に行こう。

用意してくるから、門のところで待ってて」

ケヴィンはそう言って、自分の支度をするために一度部屋に戻って行った。

馬小屋を出て行くケヴィンの後ろ姿を、若い白馬が寂しそうに見送っていた。

「ごめんね、ザラ。ちょっとだけケヴィン貸してね」と、彼女に詫びて、しょんぼりと項垂れる頭を撫でた。

ケヴィンのこと大好きだもんね。好きな人が一緒にいないのは寂しいよね…

馬の鬣を触りながらそんな想いを自分に重ねた。

ロンメルのお屋敷に不満は無い。

むしろ良くしてもらってるし、あたしもだいぶ女の子らしくなれた。お給金だって、その辺で働いてる同じ年頃の子よりずっとたくさん貰ってる。

それでも、ふとした時に、あの喧騒を思い出す…

そして、大好きだった人と、酷いお別れをした事を今でも悔やんでいる…

もう会えないのかな?

毎日のように髪を結ってくれた男の人の指先を、今でも忘れられないのは、あたしが忘れたくないからだ…

でも、もう向こうは忘れてるよね…

撫でる手が止まったのを見て、ザラの大きな瞳があたしに向いた。

馬の目は優しい。彼女は顔を寄せて、あたしと寂しさを共有してくれた。

彼女の優しさに癒されて、悲しい考えを忘れることができた。

「お土産持ってくるよ」と約束して馬小屋を後にした。

あんまり長居してしまうとケヴィンを待たせてしまう。

あたしにとって、久しぶりのお出かけだ。普段お屋敷の外に出ないから、少し楽しみでもある。

誰か、会えないかな?

そんな期待を胸に、ケヴィンと待ち合わせた場所に早足で向かった。

✩.*˚

不貞腐れながらブルームバルトの街を歩いた。

ブルームバルトの街は、夏を前に一足早い熱を帯びていた。

ロンメル男爵家の学校が、この夏に開校するのを前に、ブルームバルトには金の臭いを嗅ぎつけた連中が集まっていた。

商人や学校の関係者の出入りがあるのは良いことだが、それと同じく、面倒な連中の出入りも目立つ。

ロンメル家はそんな奴らの相手をする余裕はないから、《燕の団》に街の警備の仕事が回って来ていた。

『クソ野郎は問答無用でシバいていいぞ。後の事はワルターに丸投げだ』と、スーは無茶苦茶な事を言っていたが、まあ、相手が堅気の人間でないなら、それが妥当だろう。

別にそれが原因でへそを曲げているわけじゃない。問題は別にあった…

昨日の夜に、スーとカミルの兄貴に俺とアルノーが呼ばれた。

『ゲルトとカミルと話し合って、アルノーとカイを《犬》から、うちの団の《隊長》にすることにした』と、唐突に伝えられた。俺たちにとっては寝耳に水だ。

『お前らは割と長いし、俺としても信頼できると思っている。ゲルトやカミルも同じ考えだ』

本当なら評価されたと喜ぶところだろう…

それでも、俺にとっては素直に喜べなかった。

アルノーは俺より年上だし、仲間からも一目置かれている。話もできるし、割と誰にでも合わせられる柔軟性もあった。嫁さんももらって、責任ってのも少しは身に付いたろう。

それに比べて、俺は《燕の団》の中でも下から数えた方が早い若造だ。それなりに腕っぷしは自信があるが、隊長になるのはまだ早い気がした。良く思わない奴らだっているだろう。

素直にそう伝えたが、二人の考えは変わらなかった。

『それが分かってんなら上等だ。お前のやり方で隊長やれよ』

『文句のある奴は俺たちの決定にケチつけてんだ。俺が雷落としてやるよ』と、カミルの兄貴もスーの奴も俺の話に耳を貸さなかった。

『まぁ、二人ともしばらく俺が指導役として面倒見てやるよ。相談なら何でも乗ってやる。その先はお前らの問題だ』

カミルの兄貴はそう約束して、俺たちに責任を押し付けた。

確かに、ゲルトの爺さんは年齢的にそろそろ限界だろう。最近は表に出てくることも少なくなっていた。

そんなんだから、カミルの兄貴も、いつまでも下の奴らが成長しないことに業を煮やしていたようだ。

『いいからやってみろ。だめならそん時だ』

そんなんでいいのか?カミルの兄貴も割と適当だな…

そんなことを思いながら、首から提げた《犬》の首飾りを触った。

俺はスーの《犬》のままが良かったんだけどな…

何も考えないで、ただの傭兵として、与えられた仕事だけする。そんなつまんねぇ人生で良かったと思っていたのに、とんだ番狂わせだ。

不貞腐れながら、街を歩いて気を紛らわしていると、屋台の親父に声をかけられた。

「カイ。ちょっといいか?」

よく立ち寄る店だから、親父さんは俺を親しげに名前で呼んだ。俺もよく知ってる親父さんを無視する気にはならなかった。

「何?」

「《燕》に相談したいことがあったんだ。お前さん、取り次いでくれんか?」

「いいけど。仕事か?」

「まぁ…ちょっと考えすぎかもしれんが…

ちょっとばかり目に余る連中がいてな」と、親父さんは話を続けた。

「流れ者のゴロツキだけどよ、あっちこっちで恐喝紛いな事してて、迷惑してんだ。

相手を見てから突っかかってくる嫌な奴らさ」

「ほーん…」よくあるクソみたいなゴロツキだ。

ブルームバルトはロンメル男爵の領地だから、問題を起こすのは、余程の無知か大馬鹿だろう。

「雑貨屋のアーレーの奴が昨日絡まれててよ。あいつは人が良いし、舐められてんだろうな…

あいつのところは、男爵様の御用達で金があると思われてんだ。誰か用心棒置いてやってくんねぇか?」

「まあ、良いけど…

とりあえず、話聞きにアーレーのおっさんの店に行ってくるよ」と、親父さんの依頼を安請け合いした。

《燕の団》もアーレーの店には世話になってる。スーだって文句は無いだろう。

「悪ぃな。駄賃だ、貰っといてくれ」と、親父さんは屋台に並んだ商品を俺に渡した。

ソーセージと炒めた野菜を挟んだパンに、マスタードを多めに付けてくれた。

悪くない駄賃だ。

駄賃のパンを食べながら、雑貨屋に足を向けた。

春と夏の間の空気は穏やかで、悩みさえなければ昼寝したいくらい気持ち良い。

雑貨屋が近くなったから、残ったパンを口に押し込んで、念のために腰に下げていた得物を確認した。

まだ真昼間だし、街の大通りには人が溢れていた。往来の多い時間帯だ。別に珍しくもない。

それでも、雑貨屋の周りにできた不自然な人だかりに嫌なものを感じた。

「何かあったのか?」と人垣に声をかけた。振り返った顔には恐怖が張り付いていた。

親父さんの依頼は一足遅かったのかもしれない…

青い顔した男が俺の質問に答えた。

「雑貨屋で強盗があったんだ…しかも、連中、居合わせた子供を人質に攫って行きやがった」

「どこの子供だ?」

「ロンメルのお屋敷の子供だよ。シュミット様の坊ちゃんは無事みたいだが、女の子が連れて行かれちまったらしい。ロンメルのお屋敷に知らせに行ったが、肝心の強盗たちはもう逃げちまった」

まずい話を聞いた。それでもなかったことにできるような内容じゃない。

「どっちに逃げた?」と確認すると、目撃者の男は、俺が来たのと反対の方向を指さした。丁度 《燕の団》とは逆方向だ。このまま街の外に逃げられると面倒だ…

何か無いかと辺りを見回して、雑貨屋の傍に繋がれた小柄な白馬を見つけた。

「こいつ借りるぞ!」と怒鳴って、勝手に馬の縄をほどいて背に乗った。

馬は驚いていたが、人を乗せると意外とすんなりということを聞いた。

まだ若い馬で身体も小さいが、逃げた強盗を追いかけるくらいなら問題ないだろう。馬の腹を蹴って、強盗が逃げたという方向に駆け出した。

もう食っちまったが、駄賃なら貰ったんだ。

食うだけ食って、ダメでしたなんて、そんなダサい事を言えるわけがねぇだろ?!

✩.*˚

太く強い腕に首を掴まれて、何もできずに攫われた。

ケヴィンは『帽子を買ってから雑貨屋に行こう』とあたしに言った。

『帽子屋の方が遠いから、荷物を抱えて行くのはじゃまだろう?』と言われて、あたしも『そうだね』と納得しての事だった。

だってまさか、雑貨屋に行くのを後回しにしたから、こんなことに巻き込まれるなんて、誰も思ってなかったはずだ。運が悪かったという他ない。

店に入って、荷物を用意してもらっている間に、輩のような数人の男たちが店に入って来た。

ケヴィンは守ってくれようとしたけど、相手が悪かった…

『その子たちはロンメル男爵のお屋敷の子供たちだ。手を出したらただじゃすまんぞ!』と雑貨屋のおじさんは男たちを牽制したが、それが悪い方に転がってしまった。

男たちはブルームバルトに来て間もないからか、買ったばかりの帽子を見て、ケヴィンがお伴で、あたしをフィリーネお嬢様と勘違いしたようだ。

「お前の父ちゃんは羽振りがよさそうだな。楽しみだ」と勝手なことを言っていた。

男たちは待たせていた荷馬車にあたしを連れて乗り込むと、待っていた仲間の乱暴な操縦で走り出した。

逃げたくても首を掴まれてるから逃げられない。

どうしたら良いのか分からず、身体を丸めて震えているしか無かった。

目の前で殴られたケヴィンの姿が鮮明に目に焼き付いている。

どうしようもない暴力を見せつけられて怖かった…

あたしはケヴィンに何もしてあげられなかった…

男たちは暴走するような馬車を走らせて、街の外に向かっていた。

この馬車から逃げるのは多分無理だ。運良く馬車から逃げれる状況だとしても、この悪党たちが見逃してはくれないだろう…

殴られる、と思うと、身体は全く動かない…

僅かに動いただけでも理不尽に殴られるかもしれない。

「もうすぐ門だ。こっちにはお嬢ちゃんがいるんだ。気にせず駆け抜けろ」とあたしの首を掴んでいた男が仲間に指示した。

最初っから逃げるつもりで、下見もしていたのだろう。頭の悪そうな奴らなのに小狡い。

無精髭の男は、あたしの首を掴んだまま、ジロジロと舐めるような目であたしを見ていた。

「身体はガキだが可愛い顔だ。親父さんもさぞ心配だろうよ」

「用が済んだら、俺たちが遊んでやるよ」

男たちは口々に気持ち悪い言葉をあたしに浴びせた。その意味が分からないほどガキじゃなかった…

最悪だ…

泣きそうになるあたしを見て、男たちはゲラゲラと面白そうに笑っていた。

誰か…助けてよ…

あたしの脳裏に、ヘラヘラ笑う男の姿が過ぎった。

前には危ないところを助けてくれた。

それでも今回は難しいだろう…

お爺ちゃん…カミル…

助けてくれる人を求めていた。でも、そんなに都合よく助けてもらえる訳が無い。

馬車は勢いをそのままに、ブルームバルトの街を駆け抜けて行く。

暴走する馬車を止めようとする人なんて誰もいないだろう。むしろ、馬車の周りからは悲鳴が上がって逃げ惑う人の声ばかりが聞こえてくる。

もうダメだ…

恐怖と絶望で胸がいっぱいになった…

あたしってやっぱり幸せになってはいけない人間なのかもしれない…

✩.*˚

倒れた人や混乱の喧騒が、強盗たちの逃げた足跡になった。

拝借した馬は小柄な割になかなかの駿馬だった。スタミナはなさそうだが、馬車に追いつけるなら問題ない。

これだけの騒ぎになれば、ロンメル男爵なり《燕の団》なりの耳には届くだろう。俺は追いついて足止めできればいい…

喧騒の向こう側に、大通りを駆け抜けていく馬車の後ろ姿が見えた。

「チビ助!がんばれ!」

白馬に檄を飛ばして、馬車に追いすがった。

最悪なことに、人の通りが多い時間で、街道と街をつなぐ門扉は開いたままだ。街の外に逃げ切られたら面倒だ。

チビ助は俺の声に応えて、頑張って馬車に並んだ。

馬車を追い抜いて、走る馬に並んで剣を抜いた。

かわいそうだが、頭の悪い俺にはこれ以外の方法が思い浮かばない。

むき出しの馬の首に刃を突き立てて、強引に馬車を止めた。勢いよく走っていた馬車は制御を失って盛大にひっくり返った。

馬車は止まったが、やり方がまずかったか?

馬車から投げ出された男たちは怒号と罵声を上げて立ち上がった。

その中で一人、手に荷物を抱えている奴がいた。

奴らが馬車から放り出されても手放さなかったのは、戦利品の少女だ。子猫みたいに首を掴まれた少女は、乱暴に引きずられても悲鳴も上げなかった。

「このがどうなってもいいのか?!」と、お決まりのような脅し文句に、腹の底から湧くような不快感を覚えた。

目の前の茶番はこの街には似合わない光景だ…

こんなの許せねぇだろうがよ…

胸糞の悪い奴なんてのは五万といる。俺だって、他人に言えないようなことを少なからずやってきた人間だ。こいつらと同じ人間になる可能性だってあったし、これからなる可能性だってある。

だからこそ目の前の光景が反吐が出るほど胸糞悪い…

「チビ助。お前は逃げろ」と馬から降りて尻を叩いて開放した。あいつらに奪われるくらいなら逃がしてやった方がいい。

馬の血で汚れた剣を握りなおして、もう一本も抜いた。

四人か…うち一人は人質を掴んでいるから数に入れなくていいだろう…

逃走を邪魔された焦りで、男たちは怒号を上げながら得物を手に俺に迫った。

突き出された焦った剣先をいなして、刃を滑らせた。

所詮チンピラだ。この程度の連中相手に負ける気はしない。

俺はカナル最前線帰りで、鬼団長の自慢の《犬》だ。

一瞬で仲間がやられたのを見て、中途半端の覚悟しかない男たちの目に宿っていた怒りは恐怖に変わった。

「あぁあぁぁ!」

獣の悲鳴みたいな声を上げて振り下ろされた剣は、石畳にたたきつけられて火花を散らした。

無茶苦茶に振り回される剣が目の前をかすめたが、脅しには弱すぎる。

こんなのカナルじゃ日常だ。この程度で手を焼いていたら、後でスーに殴られるな…

そんなことを考える余裕すらある。もちろんもう一人の動きだって分かっている。

隙を突いたつもりだったのだろう。

背後に忍び寄って振るわれた棍棒を姿勢を低くして避けた。

獲物を失った棍棒は、そのままの勢いで仲間の顔面に叩き込まれた。

へたくそ、と未熟な攻撃の結果を腹の中で笑った。

仲間を殴って動揺する男の脛に刃を滑り込ませて、容赦なく肉を抉った。

「ひぃぃ!」といかにも小者らしい悲鳴をあげて、足を抱えた男は血を撒きながらのたうち回った。

「クソォ!よくも!よくも邪魔しやがって!!」

あっという間に仲間も逃げる手段も失ったチンピラは、女の子を盾にして吠えた。

目の前に突き出された少女は、人形みたいにされるがままだ。

俯いて顔が見えないが、振り乱れた金髪の下から覗く唇は震えていた。

その姿に胸が痛んだのは、俺に嫌な過去があったからだ。

守ってやれなかった、大切だった女の子…あの子も同じ金髪だった…

女の子の姿を見て俺の思考が鈍ったのを、チンピラは自分の都合のいいように考えたようだ。

「てめぇ!手ぇ出したらこのガキの首をへし折るぞ!

この子はご領主様のガキだろう?お前だってただじゃ済まねぇぞ!」

「…は?」何の話だ?と一瞬意味が分からなかった。

ロンメル男爵の子供は二人しかないはずだ。しかも上の子供がたしか5歳か6歳で、目の前の少女はどう見てもそれより大きい。

男は俺の疑問すら、自分の都合の良い方に解釈して勝った気になって吠えた。

「手も足も出ねぇだろうがよ!さっさと道を空けろ!

変な真似したら、このガキぶっ殺すぞ!」

男の暴言に、首を掴まれた少女はビクッと身体を震わせた。

白い頬に雫が滑り落ちて、俯いていた顔が少しだけ持ち上がると可哀そうな少女の顔が見えた。

その顔を見て感情が抑えられなくなった。

何でこんなところで…

涙でぬれた顔には、俺が守れなかった彼女の面影があった…

…ルカ…?

「お、おい!何動いてんだ!このガキがどうなっても…」

怒りで濁った頭に、目の前の悪漢の声は届いたがまるで響かなかった。

今まで感じていた怒りとは明らかに違う、制御できない感情に操られるように勝手に足が前に出た。自分の要求と反対の行動に、男は慌てて剣を抜いてさらなる脅しを加えた。

「動くなって言ってるだろうが!本当にぶっ殺すぞ!」

「…殺す」ボソッと俺の口から溢れた言葉に、相手の顔が青ざめた。

俺の腹の奥から湧き上がる殺意に当てられて、男は彼女を抱えたまま後退った。

「うぅ…」

威勢を失った男は、汚ぇ髭面に汗を滲ませて呻いた。相手を侮って剣を抜いたことを後悔したはずだ。

それは正解だが、俺がこいつを殺すって決めたのはそれじゃない…

これは個人的な俺の怒りだ…

睨み合いに負けた男は狂ったような悲鳴を上げて、彼女を突き飛ばすと脱兎のように逃げ出した。仲間なんかにも目をくれずに、男は醜態を晒して人混みの方に逃げ込んだ。

あのクソ野郎の背中に一太刀入れたかったが、投げ出された彼女の方に駆け寄った。

「ルカ!」

彼女の名前を呼んで手を貸した。俺の呼びかけに反応して、埃と涙で汚れた少女は顔を上げた。

「…カイ」

彼女は俺を覚えていた…

柔らかそうな金髪は乱れて涙の痕に張り付いている。

男に投げ出されたときに汚れた服や顔には《ルカ》の面影があった。

最後に見たのも…泣いてる顔だった…

また逃げられる気がして、彼女を抱き寄せた。今度は逃げられないように強く抱きしめた。

細くて華奢な少女の身体は、俺の知らない間に大きくなっていた…

「もう大丈夫だ…大丈夫だから…」

泣きじゃくる彼女を抱きながら何度もそう言い聞かせた。俺がそう思いたいだけだ。そんな月並みの安っぽい言葉でどうこうなるもんじゃないだろう。

彼女からすれば、殺されるかもしれないという恐怖でいっぱいだったはずだ。

俺にできるのは震えてる女の子の身体を抱えていることくらいだ…

「…ごめん…怖かったな?

どっか痛むか?怪我してないか?」

少しだけ震えの収まった彼女に声をかけた。

腕の中で、ルカは首を横に振った。それに少しだけ安心した。

「…カイ」とルカは聞き漏らしそうな小さな声で俺を呼んだ。

やっぱりルカだ…

ぼさぼさになって顔に張り付いた髪を撫でようとして、自分の手を見て躊躇した。手は乾いた血で汚れていた。

周りだってひどい有様だ。

いつの間にか、騒ぎを聞きつけた団員が到着したようだ。逃げた男も速攻で捕まったらしい。

「よぉ!お手柄じゃん!」と一番面倒くさい男がへらへらしながら現れた。イザークはルカを抱いている俺の姿を見て、早速茶化しにかかった。

「あっらー!俺ちゃんったらお邪魔だった?彼女、運命の出会いだった?」

「…イザークのバカ」腕の中でルカが呟いた。

彼女はあのうるさい男も覚えていたようだ。腕の中で顔を伏せているルカの耳が真っ赤になっていた。

この状態が気まずいのだろうか?無理もない…

「立てるか?」と訊ねると、彼女は嫌がるように首を横に振った。

靴はどこかで落としてきたのか、片っぽが行方不明になっていた。

仕方なく彼女を抱えて立ち上がった。

「ロンメルの屋敷まで送ってくる」と、イザークに伝えると、イザークは驚いた顔で固まった。

「え?誰って?」相変わらずうるさいイザークをルカが睨んだ。

彼女の顔を見て、俺の腕に納まっているのが誰か理解したようだ。

「いっ?!も、もしかして…ルカ?!」

「イザークのバカ、うるさい」声は力が無かったが、懐かしいやり取りに少し安心した。イザークに悪態吐くのはやっぱりルカだ…

驚いているイザークを残して、ルカを抱いて歩き始めた。

俺の姿を見て、人混みの方が避けるように道を譲った。まぁ、これだけ派手にやらかしたら、堅気に避けられても何も言えねぇな…

「…カイ」と呼ばれて、視線を下げると、ルカの顔がすぐ近くにあった。

近くで見ると、最後に見た頃とはまるで別人だ。

やっぱり彼女は美人になっていた…

当然だ。傭兵団の拠点で荒くれ者と過ごしてた頃と、ご領主様の御屋敷でメイドとして働いている今とでは、待遇がまるで違う。

彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。長いまつ毛が赤くなった頬に影を落とした。

「…あたし…重くない?」と、ルカは女の子らしい心配を口にした。

「軽いよ。ちゃんと食ってたのか?」

「うん。毎日ちゃんと食べてるよ…カイは?」

「食ってるよ。筋肉だって、前より付いたんだぜ。お前なんて軽いさ」

そんなふうに嘯いておどけて見せた。

彼女を怖がらせたくなくて、できる限り明るい声で話した。

このまま手離したくないくらいだ…

今更、俺はルカを特別に見ていたんだと気付いた。

「…なぁ、ルカ」今度は俺が彼女の名前を呼んだ。俺は、あの日の失態をまだ謝っていない。

「お祭りの…あの日守ってやれなくてごめんな」

「…カイ?」

「一番近くにいたのに、お前の事守ってやれなかった…ずっと謝りたかったけど…こんな遅くなってごめん…」

なんとか言いたかったことを口にして、俺がずっと胸に抱えていた罪悪感を手離した。

ルカがどう受け取るのか不安だったが、彼女はそれを受け止めてくれた。

「あたしも、カイの手を離しちゃってごめんね」

華奢な腕が伸びて、ルカはぶら下がるように俺の首に腕を搦めた。時間が経って、長くなった金髪か目の前に広がった。

「カイ。またあたしの髪の毛結んで…

すごく可愛いいのがいいな」

彼女の言葉で、ずっと引き摺っていた感情から自由になれた気がした…
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