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出来損ないの祝福
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問題を片付けて帰る途中に、カイに会った。
ライナを助けてくれた礼を直接言ってなかったから声を掛けたが、相手はそれどころではなかったようだ。
道の真ん中で困っていた男の前で、暗雲が道を塞いでいた。
比喩的な表現ではなく、まんまそのままの意味だ。
黒い雲のような塊は、ふわふわと浮遊しながら、カイの前に立ちふさがって、小さな稲光まで再現していた。
俺もこんな不思議なものを見たのは初めてで、好奇心から触ろうとすると、雲は嫌がるように逃げまわった。挙句、意地悪をしていたはずのカイの後ろに隠れてしまった。
おもしれぇな…
どういう仕組みのものか分からないが、なんとなく俺の《祝福》に近しいものを感じた。
スーに訊いてみたら分かるだろうか?
スーが分からなくても、《冬の王》なら何か知っているかもしれない。
とりあえず面白そうなので、カイに一緒に来るように言って、彼を連れて屋敷に戻った。
雲はカイの後ろに隠れるように、そろそろと様子を伺うような動きをしながら付いてくる。
その動きはまるで何かの生き物のようで、どことなく愛嬌があった。
「何だ?アダムの奴、忙しいのか?」
あいつは知っている相手なら、地面を通じて誰がどこにいるのかまで正確に把握できるらしい。
俺のと違って便利で役に立つ《祝福》だ。
いつも帰ってくる気配を察して迎えに出てくるのに、他の用事があるのか出てこなかった。
勝手に門を開けて中に入ると、いつの間にか前に出てきた黒い雲は、フワフワと屋敷に入って行った。
どうするのか見ていると、目線の高さくらいに浮かんだ雲は、亡霊のようにウロウロと庭を彷徨っていた。
「なあ、あれって何なんだ?」とカイに訊ねると、不意に聞こえてきた別の声が俺の質問に答えた。
「あの者は《出来損ない》だ」
低い威圧的な声に、ウロウロと庭を彷徨っていた黒い雲は、怯えるように隠れる場所を探して庭木の後ろに逃げ込んだ。
「お前なぁ…」と招かれざる客に苦言を呈した。
俺の傍らに顕現した《冬の王》はそれを無視して、庭木の影に逃げ込んだ雲を呼び出した。
「《クレメル》出て来い。我の声を聞くなり逃げるなど、無礼ではないか?」
「…ごめんなさい、《おじいさま》…」
黒い雲が逃げ込んだ庭木の後ろから、男の子の声がした。
声の感じからして幼い印象だ。
いや、それより…
「…《おじいさま》?」と《冬の王》に説明を求めると、《冬の王》は苛立たしげに蹄で地面を蹴って答えた。
「うむ。認めたくないが、こやつは我の眷属だ。
正確には、我と《春の女神》の眷属である、《薫風の姫》から生まれ落ちた存在だ」
だから《おじいさま》なのか…
そう思いながら、《冬の王》の《孫》に視線を戻すと、黒い雲はさっきより低い位置を浮遊しながらそろりそろりと庭木の影から出てきた。
まるで叱られる子供のようで、なんか肩入れしたくなる。
「ほら、《クレメル》こっち来い。意地悪な《爺さん》から守ってやるよ」と声をかけると、それ幸いとばかりに、黒い雲は俺の足元に逃げ込んだ。
俺が《クレメル》に肩入れしたのが面白くなかったのか、《冬の王》はまたイライラした様子で蹄を鳴らした。
黒い雲は《おじいさま》に怯えながら、俺に擦り寄って姿を変えた。
《クレメル》は、綿毛のような灰色の羽毛に包まれたヒヨコみたいな姿をしていた。
身体に不釣り合いな大きな嘴と、眠そうなショボショボした目はなかなか不細工だ。
だが、これはこれでなかなか不細工で可愛い。
「この不細工な鳥がさっきの雲なんっすか?」
俺の足元にすり寄るヒヨコを眺めながらカイが訊ねた。どうやら俺以外にもこの姿は見えるらしい。
「みたいだな」と応えて、足元からパヤパヤの羽毛に包まれたヒヨコを拾った。
「で?お前、なんでカイに付きまとってたんだよ?」
「だって…《おねぇちゃん》が…」と、ヒヨコは目をショボショボさせながら、チラチラとカイに視線を向けた。
「あの人と離れたくないって…
だからぼく、『つれてくる』って言ったの」
「お前の姉ちゃんって誰だよ?」
クレメルと会話していると、周りは怪訝そうな視線を俺たち向けていた。
「男爵、それと話してるんっすか?」
「そうだよ。割と話せるぞ」
「失礼ですか、閣下がヒヨコ相手に独り言を仰ってるようにしか見えませんよ」とトゥルンバルトにまで指摘された。
心外だ…いい歳したおっさんがヒヨコ相手に喋るとか、痛い奴じゃないか?
「言ったろう?そやつは《出来損ない》だ。
精霊を感じる事のできるものにしか声は届かぬ」
「ん?それって、俺の他にはスーくらいにしか聞こえないってことか?」
「左様」と頷いて、《冬の王》は言葉を続けた。
「《原初》に近しい存在のくせに、こやつはそもそも脆弱なのだ。
そやつにできることは、通り雨を降らせる事と、弱い稲妻で空気を混ぜることくらいだ。
大して役に立たぬ」
「お前なぁ…そんな言い方したら可哀想だろ?」
「我はありのままを教えたまでだ」と《冬の王》はやはりこのチビ助が気に入らない様子だ。
俺からすれば、偉そうにふんぞり返って、ヒヨコを苛めるお前の方が格好悪いぞ…
「とにかく、それは《役立たず》だ。
その《祝福》を受けた者は可哀想にな」
「…は?今なんて?」と聞き返すと、《冬の王》は大きなため息を吐き捨てて、屋敷を見るようにと頭で合図した。
「あの娘の劣等感に、こやつは惹かれたようだ。
どうやら最近何かあったようだな…《祝福》を自覚するような出来事だ」
曖昧な言葉が誰を指してるのかまでは分からなかったが、どうやら、屋敷の誰かにこいつが取り憑いたらしい。
そういや、さっき《おねぇちゃん》って…
「クレメル、お前、誰に《祝福》をやったんだ?」
「《おねぇちゃん》だよ」と綿毛が答えた。
「《おねぇちゃん》。ぼくより弱いんだァ。守ってあげるの。ぼく、《おねぇちゃん》の役になら立てる気がするんだァ」
クレメルは嬉しそうに囀って答えた。
こいつらこんなのばっかりか?お前ら揃いも揃って承認欲求強すぎないか?!
半ば呆れながら、ヒヨコを手に慌てて屋敷に向かった。
屋敷に戻ると、こっちはこっちでまずいことになっていた。
どうやらこの毛玉に取り憑かれたのはライナだったようだ。
アダムの話では、カイが帰った後に、門の前で気を失って倒れたらしい。
自室のベッドに横になっているライナを見るなり、《冬の王》は「魔力切れだ」と見立てた。
「ただでさえ少ない魔力を、その《出来損ない》が使ってしまったようだな。しばらくしたら目を覚ますであろうな」
「…ぼくのせい…」と呟く綿毛は萎れて縮んでいた。
まぁ、間違いなくそうなのだが、なんかこいつを責める気にはならない。
「なぁ、《冬の王》。《祝福》は取り下げれないのか?」と訊ねると、《冬の王》は首を横に振った。
「《祝福》は魂に対する契約だ。
余程の事がない限り、失うことは無い」
「余程って?」
「《祝福》された者が現世を離れるか、《祝福》した者が消滅するかのどちらかだ。
其方らで言えば、魔法石に魔法を刻むようなものだ。書き換えは効かぬ」
ようには無理ってことか…
「しょっちゅうこんなことになったらシャレにならんぞ?」
「まぁ、《祝福》を自覚したのだ。その娘もそのうち、そやつの存在に慣れるだろう」と適当な事を吐かして、《冬の王》は用は無いとばかりに姿を眩ませた。
《冬の王》が消え、《クレメル》は俺の手から転がるように落ちると、眠っているライナの胸の辺りに座り込んだ。
「…ごめんね、おねぇちゃん」
自分のしでかした事で、反省するだけ《冬の王》より可愛いもんだ。
クレメルをライナの部屋に残して、一度部屋を出た。
「ルカは…」と心配そうにカイが訊ねた。こっちもかなり凹んでいたようだ。
「大丈夫だ。眠ってるだけだってよ」と答えると、カイはどこか浮かない顔で下を向いた。
「ルカの目が覚めるまで…待っててもいいっすか?」
「ん?心配ねぇって。そのうち…」
「外で…迷惑にならねぇように敷地の外で待ちます!ルカの目が覚めたらすぐに帰るから、それならいいっすか?」
あまりに必死に頼むので、俺も無下には出来なかった。
「分かったよ。目ぇ覚めたら教えてやるよ。
その間、うちのお姫様の髪でも綺麗にしてやってくれ」とカイに滞在を許した。
まぁ、一時は妹みたいに世話してやってたし、カイとしてもライナが心配なだけだろう。
カイは俺の依頼を引き受けて、フィーの髪を洒落た形に整えた。
「お父さま!見てぇ!」とフィーもいつもと違うお洒落な髪に満足していた。
「おー!すげぇな!」
どうなってんのかよく分からんが、上手いもんだ。
「お前、これで食って行けるんじゃねぇか?」と褒めたが、俺の世辞にカイは苦く笑った。
「無理っすよ。俺なんかじゃすぐに食いっぱぐれちまう」
「そうか?でも評判良いんだろ?」
「髪しか結べないし、俺はこの見た目っすよ。
傭兵が一番性に合ってんっすよ」と答えて、カイは寂しげに笑った。
「役になんか立たねぇんすよ、こんなの…なんにもなんねぇんす…」
カイは自前の道具を眺めながら、自嘲するように呟いた。
「ねぇ、クラーラにもしてあげて」
さっきまで嬉しそうに跳ね回っていたフィーが戻ってきて、カイに友達の髪結を強請った。
「フィーのとおそろいにして」としっかり注文までつけて、クラーラの背を押した。
クラーラはカイの容姿に少しビビっていたみたいだか、髪が出来上がる頃には目をキラキラさせて、自分から「ありがとう」とお礼を言っていた。
役に立たねぇってことは無いだろ?
あいつらあんなに嬉しそうじゃねぇかよ?
カイの顔を見て、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。俺なんかの言葉じゃ、カイの心には響かない気がした。
カイが求めているのはそんな安っぽい言葉なんかじゃないのだろう…
✩.*˚
『ルカ』
カイにその名前で呼ばれて、少しだけ嬉しかった。
あたしの悪かった頃の名前だ。良い記憶より悪い記憶の方が多かったはずなのに…
あたしは《ルカ》だった頃の記憶を忘れられない…
《ルカ》で悪い事だけじゃなかったんだ。
どうしても捨てられない大切な日々があたしに染みついて離れないから、あの名前で呼ばれる事すら嬉しくて仕方ないのだ…
やっぱりあたしはカイが好き…
魔法をかける指も、はにかむような笑顔も、荒っぽい口の悪さも、全部…
目が覚めるとベッドの上に横になっていた。
何で寝てるんだろ?
頭がすっきりしない。なんか怠い…
頭の中は靄がかかったような夢現の状態で、寝転がったまま自分の髪に手を伸ばした。髪は枕の上で広がっていた。
カイが結んでくれたのは夢だったのかもしれない。
外は明るい。今何時だろう?
起きて仕事しなきゃって思ったけど、動く気にはならなかった。
そのままぼんやりと天井を見ていると、頭の辺りに何かもぞもぞと動く気配があった。
「おねぇちゃん」と、どこかで聞いた覚えのある男の子の声がした。何かに怯えているような、自信の無さそうな声をあたしは無視できなかった。
「…だれ?」
「ぼくだよ。ここにいるよ」
声のした方に視線を向けると、すっきりしない頭に、やっぱり夢なのかもという考えがよぎった。
何この不細工な鳥…
ヒヨコみたいな姿だけど、その姿はあまり可愛くなかった。
黄色いはずの羽毛は、雨を降らす雲みたいな汚い灰色だ。
ぱっちり開いているはずの目も、なんかしょぼしょぼしていて、眠いフクロウを思わせる。
ヒヨコなら嘴は小さくて、オレンジとか黄色とかの可愛いもののはずだ。こんなに体に対して大きい嘴じゃまるで蛇みたいだ。なんでも丸のみにできそう…
とにかくあんまり可愛くないし、何よりもこのヒヨコは喋ってる…
こんなの現実じゃないだろう…
「ぼく《クレメル》。おねぇちゃん大丈夫?」
奇妙なヒヨコは、タンポポの綿毛のような身体を上下に揺らしながら、あたしの返事を待っていた。
「怠い…」とそのままの気分を答えると、揺れていたヒヨコは綿毛をしぼませて「…ごめんなさい」と項垂れた。
「ぼくね…おねぇちゃんの役に立ちたかったの…
だから、おねぇちゃんの代わりにあの人に『戻って来て』ってお願いしに行ったの…ぼく、おねぇちゃん困らすつもりはなかったんだよ、本当だ…」
枕元でしょげているヒヨコは良く分からないことを言っている。
でもヒヨコの話を聞いていて、少しずつ何があったのかを思い出した。
カイが黙って帰ったから、門まで追いかけて行ったんだ…
その時に、このヒヨコの声を聴いた気がする。
「あんた、カイを呼びに行ったの?カイはどこ?」
「あのおにぃちゃん?いるよ。ぼくが呼んでくるね!」
役目をもらったと思ったのか、ヒヨコは跳ねるようにベッドから飛び降りると、そのままどこかに消えてしまった。
あれ何だったんだろ?
そんなことより、カイ、戻って来たんだ…
あのへんてこな生き物に、少しだけ感謝する気持ちが湧いた。
✩.*˚
「おじいさまの眷属さん」と足元で子供の声がした。
声のした方に視線を向けると、灰色の綿毛が踏まれても文句の言えないような場所に落ちていた。
「おねぇちゃん起きたよ」と俺を見上げる汚い色のヒヨコは用事を伝えた。
ライナが目を覚ましたようだ。
「おねぇちゃん、あのおにぃちゃんに来て欲しいって」と、俺にカイに通訳を求めた。
まぁ、こいつ声はカイには聞こえないようだし、それは良いのだが…
「ライナがカイを呼んでんのか?」
「うん。だからぼく来たの」
急かすように身体を上下に揺すりながら、クレメルが答えた。
そういえば、ライナはカイを追いかけて行って気を失ったという話だったから、なんか言いたいことがあったのだろう。
カイを呼ぶと、カイはフィーの髪を編んでいるところだった。
「お父さま、じゃましないで!」とフィーに叱られた。
肩を竦めて、お姫様の髪結いが終わるのを待っていると、フィーが目敏く灰色の毛玉を見つけた。
「それ何?ねぇ、フィーに貸して!」と両手を伸ばして、汚い色のヒヨコを欲しがった。女の子はこういうフワフワしたものが好きなようだ。
「お前、この子は俺の大事な大事な愛娘だからな。絶対何があっても手を出すなよ?絶対だからな?」
一応こいつはただのヒヨコじゃない。かなり強めに念を押して、クレメルを摘まんでフィーの手のひらに乗せた。
「わぁ!かわいー…い?」
手に乗った瞬間は喜んだように見えたが、フィーはすぐにクレメルの容姿に首を傾げた。
「お父さま、この子眠いの?」
「いや、多分こういう顔…」
「変な顔だね、お口も大きいね。あんまり可愛くないかな?」
子供って思った事ぜんぶ言うよな…
クレメルはしょぼくれて綿毛が縮んでしまっていた。
「…ぼく…ぼくだけこんなのだから」とクレメルは完全にいじけて、フィーに向かっておしりを向けた。
「他の兄弟みたいに、格好よくもないし…綺麗でもないし…囀るのも下手だし…どうせ可愛くもないもん…力だって無いし…ぼくは《役立たず》の《出来損ない》なんだ…」
クレメルはブツブツと否定的な事を呟いていたが、その言葉も俺にしか聞こえない。
「フィー、こいつ傷付いたみたいだぞ。可愛くないとか言ったら可哀想だろ?」
「鳥さん、言葉分かるの?」
「そうだよ。だから《ごめん》したら機嫌直すよ。な?そうだろ、クレメル?」
「ごめんね、クレメルちゃん」
フィーが素直に謝ると、灰色の毛玉の顔の位置がゆっくりと動いた。
「ふわふわなのは可愛いよ。そうだ、おリボンつけてあげようか?」とフィーがクレメルに仲直りの提案をした。
「きっとおリボン着けたら可愛くなるよ。
ねぇ、この子何色が似合う?」
フィーが髪を結っていたカイにアドバイスを求めた。
「はっきりした色の方が合いそうっすよ。
黄色の縁の青いリボンか、赤のリボンっすかね」
「じゃあ青で結んてあげて」と、フィーはカイの勧めで青いリボンをクレメルにプレゼントした。
「ありがとう」
リボンをもらったクレメルは、フィーの膝の上で嬉しそうに身体を揺すって礼を言った。
「『ありがとう』ってさ」
「クレメルちゃん、機嫌治った?」
「治ったみたいだぜ。良かったな」
「うん。クレメルちゃん。あそぼう」
フィーは仲直りしたクレメルを遊びに誘った。
クレメルもフィーの誘いは嬉しかったようだが、自分の役目を忘れてはいなかった。
「ぼく、おねぇちゃんのところに戻らなきゃ」と言いながら、通訳を求めるように俺の顔色を窺った。
そもそも、クレメルはカイを呼びに来たのだ。ライナも待っているらしいし、あまり待たせるのも可哀そうだ。
「カイ。ライナが起きたらしい。お前に何か言いたい事あるってよ」とクレメルの通訳をしてやると、カイの表情が一瞬曇ったように見えた。
「いや…気が付いたなら、良かったっす。もう帰ります」
心配してたくせに、カイはライナの顔も見ずに帰ろうとした。
「待てよ。ライナも何か言いたい事あるんだろ?聞いてやれよ」
帰ろうとするカイを無理に引き留めて、フィーからクレメルを拾い上げた。
「フィー、ごめんな。こいつの用事が済んだらまた連れてくるよ」
「あとであそべる?」
「うん。とりあえず用事が先だからな。また後でな?」
後でと約束すると、フィーは素直に譲ってくれた。
カイとクレメルを連れて子供部屋を後にした。
手に乗せたクレメルはご機嫌そうに身体を揺らしていたが、カイはどこか浮かない顔で俺の後ろを歩いていた。
心配してたんじゃなかったのかよ?
矛盾するカイの考えが分からずに、腹の中で何かが引っ掛かった。
ただ、本人に確認する気にもならず、カイの代わりに、手のひらに納まった綿毛にこっそりと声を掛けた。
「クレメル。ライナなんか言ってたか?」
「おねぇちゃん?」クルリと振り返ってクレメルがカイには聞こえない声で答えた。
「おねぇちゃんね。あのおにぃちゃんの事大好きなんだよ」とクレメルはライナの秘密を囀った。
「ぼく、おねぇちゃんと繋がってるから分かるんだぁ。
おにぃちゃんと一緒にいると、おねぇちゃんすっごく嬉しいんだよ。おにぃちゃんが髪を結んでる時はすごくドキドキしてるの」
…それを俺に言うか?
それってあれだろ?つまりそういう事なんだろ?
後ろを歩くカイの顔を盗み見た。
カイはライナの好意に気付いているのだろうか?
面倒くさいものに巻き込まれたもんだ…
ゲルトの依頼が頭をよぎって、腹の中に嫌なものが宿った。
「…なぁ」と声を掛けると、カイは俺の声に反応して視線を返した。
「お前、ライナの事どう思ってんだ?」
回りくどいのは苦手だ。
「何で…そんなこと聞くんっすか?俺はルカとはもう関わらないつもりっすよ」
「そうか?」
「そうっすよ」と答えて、カイは誤魔化すように笑った。それが痛く見えたのは、俺の中で後ろめたい気持ちが生まれたからだ…
「俺だって、ルカにはマジで幸せになって欲しいっておもってんっすよ。
あいつは、もう俺たちゴロツキと関わんない方がいいっすよ」
それは自分に言い聞かせるような言い方で、どこか寂しげに聞こえた。
やっぱり、こいつも良い奴なんだよな…
俺はカイにかける言葉を見失ってしまった。
✩.*˚
優しい場所だな…
精霊界じゃ、ぼくは《落ちこぼれ》の《出来損ない》で、《役立たず》だった。
ぼくも誰かの役に立ちたかったんだ。ぼくの存在を誰か認められたかった…
でも、ぼくの《祝福》は弱すぎて、誰もぼくに気づかなかった。おねぇちゃんも、ぼくには全然気づいてくれなくて、ずっと近くで見守ってるだけだったんだ。
おねぇちゃんが辛くても、ぼくは何の助けにもなれなかった。
でも、おねぇちゃんは初めてぼくに気づいてくれたひとだ。ぼくも、おねぇちゃんの役に立ちたいって、本当に強く思ったんだ。
おじいさまに見つかって、勝手をしたと叱られたけど、追い出されなかったのは、おじいさまの眷属さんが優しかったからだ。
ぼくにちょっとだけ居場所ができた。
嬉しいなぁ…
いつも劣等感で縮んでいた、心が弾んだ。
眷属さんの手のひらに乗って、おねぇちゃんのお部屋に戻ると、おねぇちゃんはまだベッドで寝ていた。
「ライナ、大丈夫か?」
眷属さんが声をかけると、おねぇちゃんは驚いた顔でぼくたちに視線を向けた。
ちゃんと連れて来れたから、ぼくはおねぇちゃんの役に立てたはずだ!
「おねぇちゃん。ぼく役に立ったでしょ?」
おじいさまの眷属さんの手から転がり落ちて、おねぇちゃんのベッドまで跳ねて行った。
きっと褒めてくれるって期待してた。
でも、おねぇちゃんの視線は、ぼくや眷属さんを通り越して、違う人を見詰めていた。
「…カイ」
おねぇちゃんの胸の奥がじわっと熱を持った。
《祝福》を伝う、その熱が、おねぇちゃんの感情をぼくに伝えた。
「あぁ。カイな。そいつが連れて来いって言うから連れてきたんだ。
なんか言いたいことあるんだろ?」
眷属さんはおねぇちゃんにそう言って、後ろに立っていたおにぃちゃんに場所を譲った。
「ほら、話聞いてやれよ」と、背中を叩かれたおにぃちゃんは、押しだされるようにベッドの傍にやって来た。
「…悪い…勝手に帰って」
おにぃちゃんはおねぇちゃんに謝った。
「なんか、用事だったか?」
「…髪…」
おねぇちゃんは消えそうな声で答えた。
聞こえにくかったみたいで、おにぃちゃんはベッドの横に膝を突いて、おねぇちゃんに顔を寄せた。
「勝手に帰っちゃったから…お礼言いたかったのに…」
「…悪い」
「髪解けちゃったの」
「うん…また結ぶか?」
「また…今度して…」と応えるおねぇちゃんは、怠そうだった。
おにぃちゃんは少し黙り込んで、「ごめん」とおねぇちゃんに謝った。
「俺、《燕の団》の隊長になるんだ。こういうの、もう今日限りで最後にする」
「…なん…で?」
おねぇちゃんの搾り出すような声に、胸の中がきゅうっと苦しくなった。
ぼく、やっぱり《役立たず》なの?
「こんなのしてたら、下の奴らに舐められる。髪結いは終いだ。悪いな」
おにぃちゃんはぶっきらぼうにそう伝えて、カバンから櫛とリボンを出して、おねぇちゃんの枕元に置いた。
「俺が持ってても何にもならないから、もうお前にやるよ使ってくれ。もう用事もないだろ?俺もう行くよ」と言って、おにぃちゃんは立ち上がって、おねぇちゃんに背を向けた。
「待ってよ、カイ」と、おねぇちゃんは声で引き留めた。
ベッドから起き上がれなかったんだ。動けなくなったのは、ぼくのせいだ…
雷雲に姿を変えて、おにぃちゃんの前に回り込んで道を塞いだ。
でも、もうぼくの正体を知ってしまったおにぃちゃんは、ぼくを怖がらなかった。逆に怖い目で睨まれて、気が引けてしまった…
「《ライナ》、これ退けろよ」堅い声はおねぇちゃんを別人の名前で呼んだ。
「待ってよ、カイ…」
「あんまり帰るのが遅くなると、俺がカミルの兄貴に叱られるんだ」
「待ってよ…」
おねぇちゃんの声に嗚咽が混ざっても、おにぃちゃんはもう振り返ってもくれなかった。
「…き…なの…好きなの…カイの事…」
心臓を絞るような苦しい声は、おにぃちゃんに届いたはずなのに、おにぃちゃんはそれを無視して部屋を出て行った。
ぼくは、やっぱり《役立たず》なんだ…
ライナを助けてくれた礼を直接言ってなかったから声を掛けたが、相手はそれどころではなかったようだ。
道の真ん中で困っていた男の前で、暗雲が道を塞いでいた。
比喩的な表現ではなく、まんまそのままの意味だ。
黒い雲のような塊は、ふわふわと浮遊しながら、カイの前に立ちふさがって、小さな稲光まで再現していた。
俺もこんな不思議なものを見たのは初めてで、好奇心から触ろうとすると、雲は嫌がるように逃げまわった。挙句、意地悪をしていたはずのカイの後ろに隠れてしまった。
おもしれぇな…
どういう仕組みのものか分からないが、なんとなく俺の《祝福》に近しいものを感じた。
スーに訊いてみたら分かるだろうか?
スーが分からなくても、《冬の王》なら何か知っているかもしれない。
とりあえず面白そうなので、カイに一緒に来るように言って、彼を連れて屋敷に戻った。
雲はカイの後ろに隠れるように、そろそろと様子を伺うような動きをしながら付いてくる。
その動きはまるで何かの生き物のようで、どことなく愛嬌があった。
「何だ?アダムの奴、忙しいのか?」
あいつは知っている相手なら、地面を通じて誰がどこにいるのかまで正確に把握できるらしい。
俺のと違って便利で役に立つ《祝福》だ。
いつも帰ってくる気配を察して迎えに出てくるのに、他の用事があるのか出てこなかった。
勝手に門を開けて中に入ると、いつの間にか前に出てきた黒い雲は、フワフワと屋敷に入って行った。
どうするのか見ていると、目線の高さくらいに浮かんだ雲は、亡霊のようにウロウロと庭を彷徨っていた。
「なあ、あれって何なんだ?」とカイに訊ねると、不意に聞こえてきた別の声が俺の質問に答えた。
「あの者は《出来損ない》だ」
低い威圧的な声に、ウロウロと庭を彷徨っていた黒い雲は、怯えるように隠れる場所を探して庭木の後ろに逃げ込んだ。
「お前なぁ…」と招かれざる客に苦言を呈した。
俺の傍らに顕現した《冬の王》はそれを無視して、庭木の影に逃げ込んだ雲を呼び出した。
「《クレメル》出て来い。我の声を聞くなり逃げるなど、無礼ではないか?」
「…ごめんなさい、《おじいさま》…」
黒い雲が逃げ込んだ庭木の後ろから、男の子の声がした。
声の感じからして幼い印象だ。
いや、それより…
「…《おじいさま》?」と《冬の王》に説明を求めると、《冬の王》は苛立たしげに蹄で地面を蹴って答えた。
「うむ。認めたくないが、こやつは我の眷属だ。
正確には、我と《春の女神》の眷属である、《薫風の姫》から生まれ落ちた存在だ」
だから《おじいさま》なのか…
そう思いながら、《冬の王》の《孫》に視線を戻すと、黒い雲はさっきより低い位置を浮遊しながらそろりそろりと庭木の影から出てきた。
まるで叱られる子供のようで、なんか肩入れしたくなる。
「ほら、《クレメル》こっち来い。意地悪な《爺さん》から守ってやるよ」と声をかけると、それ幸いとばかりに、黒い雲は俺の足元に逃げ込んだ。
俺が《クレメル》に肩入れしたのが面白くなかったのか、《冬の王》はまたイライラした様子で蹄を鳴らした。
黒い雲は《おじいさま》に怯えながら、俺に擦り寄って姿を変えた。
《クレメル》は、綿毛のような灰色の羽毛に包まれたヒヨコみたいな姿をしていた。
身体に不釣り合いな大きな嘴と、眠そうなショボショボした目はなかなか不細工だ。
だが、これはこれでなかなか不細工で可愛い。
「この不細工な鳥がさっきの雲なんっすか?」
俺の足元にすり寄るヒヨコを眺めながらカイが訊ねた。どうやら俺以外にもこの姿は見えるらしい。
「みたいだな」と応えて、足元からパヤパヤの羽毛に包まれたヒヨコを拾った。
「で?お前、なんでカイに付きまとってたんだよ?」
「だって…《おねぇちゃん》が…」と、ヒヨコは目をショボショボさせながら、チラチラとカイに視線を向けた。
「あの人と離れたくないって…
だからぼく、『つれてくる』って言ったの」
「お前の姉ちゃんって誰だよ?」
クレメルと会話していると、周りは怪訝そうな視線を俺たち向けていた。
「男爵、それと話してるんっすか?」
「そうだよ。割と話せるぞ」
「失礼ですか、閣下がヒヨコ相手に独り言を仰ってるようにしか見えませんよ」とトゥルンバルトにまで指摘された。
心外だ…いい歳したおっさんがヒヨコ相手に喋るとか、痛い奴じゃないか?
「言ったろう?そやつは《出来損ない》だ。
精霊を感じる事のできるものにしか声は届かぬ」
「ん?それって、俺の他にはスーくらいにしか聞こえないってことか?」
「左様」と頷いて、《冬の王》は言葉を続けた。
「《原初》に近しい存在のくせに、こやつはそもそも脆弱なのだ。
そやつにできることは、通り雨を降らせる事と、弱い稲妻で空気を混ぜることくらいだ。
大して役に立たぬ」
「お前なぁ…そんな言い方したら可哀想だろ?」
「我はありのままを教えたまでだ」と《冬の王》はやはりこのチビ助が気に入らない様子だ。
俺からすれば、偉そうにふんぞり返って、ヒヨコを苛めるお前の方が格好悪いぞ…
「とにかく、それは《役立たず》だ。
その《祝福》を受けた者は可哀想にな」
「…は?今なんて?」と聞き返すと、《冬の王》は大きなため息を吐き捨てて、屋敷を見るようにと頭で合図した。
「あの娘の劣等感に、こやつは惹かれたようだ。
どうやら最近何かあったようだな…《祝福》を自覚するような出来事だ」
曖昧な言葉が誰を指してるのかまでは分からなかったが、どうやら、屋敷の誰かにこいつが取り憑いたらしい。
そういや、さっき《おねぇちゃん》って…
「クレメル、お前、誰に《祝福》をやったんだ?」
「《おねぇちゃん》だよ」と綿毛が答えた。
「《おねぇちゃん》。ぼくより弱いんだァ。守ってあげるの。ぼく、《おねぇちゃん》の役になら立てる気がするんだァ」
クレメルは嬉しそうに囀って答えた。
こいつらこんなのばっかりか?お前ら揃いも揃って承認欲求強すぎないか?!
半ば呆れながら、ヒヨコを手に慌てて屋敷に向かった。
屋敷に戻ると、こっちはこっちでまずいことになっていた。
どうやらこの毛玉に取り憑かれたのはライナだったようだ。
アダムの話では、カイが帰った後に、門の前で気を失って倒れたらしい。
自室のベッドに横になっているライナを見るなり、《冬の王》は「魔力切れだ」と見立てた。
「ただでさえ少ない魔力を、その《出来損ない》が使ってしまったようだな。しばらくしたら目を覚ますであろうな」
「…ぼくのせい…」と呟く綿毛は萎れて縮んでいた。
まぁ、間違いなくそうなのだが、なんかこいつを責める気にはならない。
「なぁ、《冬の王》。《祝福》は取り下げれないのか?」と訊ねると、《冬の王》は首を横に振った。
「《祝福》は魂に対する契約だ。
余程の事がない限り、失うことは無い」
「余程って?」
「《祝福》された者が現世を離れるか、《祝福》した者が消滅するかのどちらかだ。
其方らで言えば、魔法石に魔法を刻むようなものだ。書き換えは効かぬ」
ようには無理ってことか…
「しょっちゅうこんなことになったらシャレにならんぞ?」
「まぁ、《祝福》を自覚したのだ。その娘もそのうち、そやつの存在に慣れるだろう」と適当な事を吐かして、《冬の王》は用は無いとばかりに姿を眩ませた。
《冬の王》が消え、《クレメル》は俺の手から転がるように落ちると、眠っているライナの胸の辺りに座り込んだ。
「…ごめんね、おねぇちゃん」
自分のしでかした事で、反省するだけ《冬の王》より可愛いもんだ。
クレメルをライナの部屋に残して、一度部屋を出た。
「ルカは…」と心配そうにカイが訊ねた。こっちもかなり凹んでいたようだ。
「大丈夫だ。眠ってるだけだってよ」と答えると、カイはどこか浮かない顔で下を向いた。
「ルカの目が覚めるまで…待っててもいいっすか?」
「ん?心配ねぇって。そのうち…」
「外で…迷惑にならねぇように敷地の外で待ちます!ルカの目が覚めたらすぐに帰るから、それならいいっすか?」
あまりに必死に頼むので、俺も無下には出来なかった。
「分かったよ。目ぇ覚めたら教えてやるよ。
その間、うちのお姫様の髪でも綺麗にしてやってくれ」とカイに滞在を許した。
まぁ、一時は妹みたいに世話してやってたし、カイとしてもライナが心配なだけだろう。
カイは俺の依頼を引き受けて、フィーの髪を洒落た形に整えた。
「お父さま!見てぇ!」とフィーもいつもと違うお洒落な髪に満足していた。
「おー!すげぇな!」
どうなってんのかよく分からんが、上手いもんだ。
「お前、これで食って行けるんじゃねぇか?」と褒めたが、俺の世辞にカイは苦く笑った。
「無理っすよ。俺なんかじゃすぐに食いっぱぐれちまう」
「そうか?でも評判良いんだろ?」
「髪しか結べないし、俺はこの見た目っすよ。
傭兵が一番性に合ってんっすよ」と答えて、カイは寂しげに笑った。
「役になんか立たねぇんすよ、こんなの…なんにもなんねぇんす…」
カイは自前の道具を眺めながら、自嘲するように呟いた。
「ねぇ、クラーラにもしてあげて」
さっきまで嬉しそうに跳ね回っていたフィーが戻ってきて、カイに友達の髪結を強請った。
「フィーのとおそろいにして」としっかり注文までつけて、クラーラの背を押した。
クラーラはカイの容姿に少しビビっていたみたいだか、髪が出来上がる頃には目をキラキラさせて、自分から「ありがとう」とお礼を言っていた。
役に立たねぇってことは無いだろ?
あいつらあんなに嬉しそうじゃねぇかよ?
カイの顔を見て、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。俺なんかの言葉じゃ、カイの心には響かない気がした。
カイが求めているのはそんな安っぽい言葉なんかじゃないのだろう…
✩.*˚
『ルカ』
カイにその名前で呼ばれて、少しだけ嬉しかった。
あたしの悪かった頃の名前だ。良い記憶より悪い記憶の方が多かったはずなのに…
あたしは《ルカ》だった頃の記憶を忘れられない…
《ルカ》で悪い事だけじゃなかったんだ。
どうしても捨てられない大切な日々があたしに染みついて離れないから、あの名前で呼ばれる事すら嬉しくて仕方ないのだ…
やっぱりあたしはカイが好き…
魔法をかける指も、はにかむような笑顔も、荒っぽい口の悪さも、全部…
目が覚めるとベッドの上に横になっていた。
何で寝てるんだろ?
頭がすっきりしない。なんか怠い…
頭の中は靄がかかったような夢現の状態で、寝転がったまま自分の髪に手を伸ばした。髪は枕の上で広がっていた。
カイが結んでくれたのは夢だったのかもしれない。
外は明るい。今何時だろう?
起きて仕事しなきゃって思ったけど、動く気にはならなかった。
そのままぼんやりと天井を見ていると、頭の辺りに何かもぞもぞと動く気配があった。
「おねぇちゃん」と、どこかで聞いた覚えのある男の子の声がした。何かに怯えているような、自信の無さそうな声をあたしは無視できなかった。
「…だれ?」
「ぼくだよ。ここにいるよ」
声のした方に視線を向けると、すっきりしない頭に、やっぱり夢なのかもという考えがよぎった。
何この不細工な鳥…
ヒヨコみたいな姿だけど、その姿はあまり可愛くなかった。
黄色いはずの羽毛は、雨を降らす雲みたいな汚い灰色だ。
ぱっちり開いているはずの目も、なんかしょぼしょぼしていて、眠いフクロウを思わせる。
ヒヨコなら嘴は小さくて、オレンジとか黄色とかの可愛いもののはずだ。こんなに体に対して大きい嘴じゃまるで蛇みたいだ。なんでも丸のみにできそう…
とにかくあんまり可愛くないし、何よりもこのヒヨコは喋ってる…
こんなの現実じゃないだろう…
「ぼく《クレメル》。おねぇちゃん大丈夫?」
奇妙なヒヨコは、タンポポの綿毛のような身体を上下に揺らしながら、あたしの返事を待っていた。
「怠い…」とそのままの気分を答えると、揺れていたヒヨコは綿毛をしぼませて「…ごめんなさい」と項垂れた。
「ぼくね…おねぇちゃんの役に立ちたかったの…
だから、おねぇちゃんの代わりにあの人に『戻って来て』ってお願いしに行ったの…ぼく、おねぇちゃん困らすつもりはなかったんだよ、本当だ…」
枕元でしょげているヒヨコは良く分からないことを言っている。
でもヒヨコの話を聞いていて、少しずつ何があったのかを思い出した。
カイが黙って帰ったから、門まで追いかけて行ったんだ…
その時に、このヒヨコの声を聴いた気がする。
「あんた、カイを呼びに行ったの?カイはどこ?」
「あのおにぃちゃん?いるよ。ぼくが呼んでくるね!」
役目をもらったと思ったのか、ヒヨコは跳ねるようにベッドから飛び降りると、そのままどこかに消えてしまった。
あれ何だったんだろ?
そんなことより、カイ、戻って来たんだ…
あのへんてこな生き物に、少しだけ感謝する気持ちが湧いた。
✩.*˚
「おじいさまの眷属さん」と足元で子供の声がした。
声のした方に視線を向けると、灰色の綿毛が踏まれても文句の言えないような場所に落ちていた。
「おねぇちゃん起きたよ」と俺を見上げる汚い色のヒヨコは用事を伝えた。
ライナが目を覚ましたようだ。
「おねぇちゃん、あのおにぃちゃんに来て欲しいって」と、俺にカイに通訳を求めた。
まぁ、こいつ声はカイには聞こえないようだし、それは良いのだが…
「ライナがカイを呼んでんのか?」
「うん。だからぼく来たの」
急かすように身体を上下に揺すりながら、クレメルが答えた。
そういえば、ライナはカイを追いかけて行って気を失ったという話だったから、なんか言いたいことがあったのだろう。
カイを呼ぶと、カイはフィーの髪を編んでいるところだった。
「お父さま、じゃましないで!」とフィーに叱られた。
肩を竦めて、お姫様の髪結いが終わるのを待っていると、フィーが目敏く灰色の毛玉を見つけた。
「それ何?ねぇ、フィーに貸して!」と両手を伸ばして、汚い色のヒヨコを欲しがった。女の子はこういうフワフワしたものが好きなようだ。
「お前、この子は俺の大事な大事な愛娘だからな。絶対何があっても手を出すなよ?絶対だからな?」
一応こいつはただのヒヨコじゃない。かなり強めに念を押して、クレメルを摘まんでフィーの手のひらに乗せた。
「わぁ!かわいー…い?」
手に乗った瞬間は喜んだように見えたが、フィーはすぐにクレメルの容姿に首を傾げた。
「お父さま、この子眠いの?」
「いや、多分こういう顔…」
「変な顔だね、お口も大きいね。あんまり可愛くないかな?」
子供って思った事ぜんぶ言うよな…
クレメルはしょぼくれて綿毛が縮んでしまっていた。
「…ぼく…ぼくだけこんなのだから」とクレメルは完全にいじけて、フィーに向かっておしりを向けた。
「他の兄弟みたいに、格好よくもないし…綺麗でもないし…囀るのも下手だし…どうせ可愛くもないもん…力だって無いし…ぼくは《役立たず》の《出来損ない》なんだ…」
クレメルはブツブツと否定的な事を呟いていたが、その言葉も俺にしか聞こえない。
「フィー、こいつ傷付いたみたいだぞ。可愛くないとか言ったら可哀想だろ?」
「鳥さん、言葉分かるの?」
「そうだよ。だから《ごめん》したら機嫌直すよ。な?そうだろ、クレメル?」
「ごめんね、クレメルちゃん」
フィーが素直に謝ると、灰色の毛玉の顔の位置がゆっくりと動いた。
「ふわふわなのは可愛いよ。そうだ、おリボンつけてあげようか?」とフィーがクレメルに仲直りの提案をした。
「きっとおリボン着けたら可愛くなるよ。
ねぇ、この子何色が似合う?」
フィーが髪を結っていたカイにアドバイスを求めた。
「はっきりした色の方が合いそうっすよ。
黄色の縁の青いリボンか、赤のリボンっすかね」
「じゃあ青で結んてあげて」と、フィーはカイの勧めで青いリボンをクレメルにプレゼントした。
「ありがとう」
リボンをもらったクレメルは、フィーの膝の上で嬉しそうに身体を揺すって礼を言った。
「『ありがとう』ってさ」
「クレメルちゃん、機嫌治った?」
「治ったみたいだぜ。良かったな」
「うん。クレメルちゃん。あそぼう」
フィーは仲直りしたクレメルを遊びに誘った。
クレメルもフィーの誘いは嬉しかったようだが、自分の役目を忘れてはいなかった。
「ぼく、おねぇちゃんのところに戻らなきゃ」と言いながら、通訳を求めるように俺の顔色を窺った。
そもそも、クレメルはカイを呼びに来たのだ。ライナも待っているらしいし、あまり待たせるのも可哀そうだ。
「カイ。ライナが起きたらしい。お前に何か言いたい事あるってよ」とクレメルの通訳をしてやると、カイの表情が一瞬曇ったように見えた。
「いや…気が付いたなら、良かったっす。もう帰ります」
心配してたくせに、カイはライナの顔も見ずに帰ろうとした。
「待てよ。ライナも何か言いたい事あるんだろ?聞いてやれよ」
帰ろうとするカイを無理に引き留めて、フィーからクレメルを拾い上げた。
「フィー、ごめんな。こいつの用事が済んだらまた連れてくるよ」
「あとであそべる?」
「うん。とりあえず用事が先だからな。また後でな?」
後でと約束すると、フィーは素直に譲ってくれた。
カイとクレメルを連れて子供部屋を後にした。
手に乗せたクレメルはご機嫌そうに身体を揺らしていたが、カイはどこか浮かない顔で俺の後ろを歩いていた。
心配してたんじゃなかったのかよ?
矛盾するカイの考えが分からずに、腹の中で何かが引っ掛かった。
ただ、本人に確認する気にもならず、カイの代わりに、手のひらに納まった綿毛にこっそりと声を掛けた。
「クレメル。ライナなんか言ってたか?」
「おねぇちゃん?」クルリと振り返ってクレメルがカイには聞こえない声で答えた。
「おねぇちゃんね。あのおにぃちゃんの事大好きなんだよ」とクレメルはライナの秘密を囀った。
「ぼく、おねぇちゃんと繋がってるから分かるんだぁ。
おにぃちゃんと一緒にいると、おねぇちゃんすっごく嬉しいんだよ。おにぃちゃんが髪を結んでる時はすごくドキドキしてるの」
…それを俺に言うか?
それってあれだろ?つまりそういう事なんだろ?
後ろを歩くカイの顔を盗み見た。
カイはライナの好意に気付いているのだろうか?
面倒くさいものに巻き込まれたもんだ…
ゲルトの依頼が頭をよぎって、腹の中に嫌なものが宿った。
「…なぁ」と声を掛けると、カイは俺の声に反応して視線を返した。
「お前、ライナの事どう思ってんだ?」
回りくどいのは苦手だ。
「何で…そんなこと聞くんっすか?俺はルカとはもう関わらないつもりっすよ」
「そうか?」
「そうっすよ」と答えて、カイは誤魔化すように笑った。それが痛く見えたのは、俺の中で後ろめたい気持ちが生まれたからだ…
「俺だって、ルカにはマジで幸せになって欲しいっておもってんっすよ。
あいつは、もう俺たちゴロツキと関わんない方がいいっすよ」
それは自分に言い聞かせるような言い方で、どこか寂しげに聞こえた。
やっぱり、こいつも良い奴なんだよな…
俺はカイにかける言葉を見失ってしまった。
✩.*˚
優しい場所だな…
精霊界じゃ、ぼくは《落ちこぼれ》の《出来損ない》で、《役立たず》だった。
ぼくも誰かの役に立ちたかったんだ。ぼくの存在を誰か認められたかった…
でも、ぼくの《祝福》は弱すぎて、誰もぼくに気づかなかった。おねぇちゃんも、ぼくには全然気づいてくれなくて、ずっと近くで見守ってるだけだったんだ。
おねぇちゃんが辛くても、ぼくは何の助けにもなれなかった。
でも、おねぇちゃんは初めてぼくに気づいてくれたひとだ。ぼくも、おねぇちゃんの役に立ちたいって、本当に強く思ったんだ。
おじいさまに見つかって、勝手をしたと叱られたけど、追い出されなかったのは、おじいさまの眷属さんが優しかったからだ。
ぼくにちょっとだけ居場所ができた。
嬉しいなぁ…
いつも劣等感で縮んでいた、心が弾んだ。
眷属さんの手のひらに乗って、おねぇちゃんのお部屋に戻ると、おねぇちゃんはまだベッドで寝ていた。
「ライナ、大丈夫か?」
眷属さんが声をかけると、おねぇちゃんは驚いた顔でぼくたちに視線を向けた。
ちゃんと連れて来れたから、ぼくはおねぇちゃんの役に立てたはずだ!
「おねぇちゃん。ぼく役に立ったでしょ?」
おじいさまの眷属さんの手から転がり落ちて、おねぇちゃんのベッドまで跳ねて行った。
きっと褒めてくれるって期待してた。
でも、おねぇちゃんの視線は、ぼくや眷属さんを通り越して、違う人を見詰めていた。
「…カイ」
おねぇちゃんの胸の奥がじわっと熱を持った。
《祝福》を伝う、その熱が、おねぇちゃんの感情をぼくに伝えた。
「あぁ。カイな。そいつが連れて来いって言うから連れてきたんだ。
なんか言いたいことあるんだろ?」
眷属さんはおねぇちゃんにそう言って、後ろに立っていたおにぃちゃんに場所を譲った。
「ほら、話聞いてやれよ」と、背中を叩かれたおにぃちゃんは、押しだされるようにベッドの傍にやって来た。
「…悪い…勝手に帰って」
おにぃちゃんはおねぇちゃんに謝った。
「なんか、用事だったか?」
「…髪…」
おねぇちゃんは消えそうな声で答えた。
聞こえにくかったみたいで、おにぃちゃんはベッドの横に膝を突いて、おねぇちゃんに顔を寄せた。
「勝手に帰っちゃったから…お礼言いたかったのに…」
「…悪い」
「髪解けちゃったの」
「うん…また結ぶか?」
「また…今度して…」と応えるおねぇちゃんは、怠そうだった。
おにぃちゃんは少し黙り込んで、「ごめん」とおねぇちゃんに謝った。
「俺、《燕の団》の隊長になるんだ。こういうの、もう今日限りで最後にする」
「…なん…で?」
おねぇちゃんの搾り出すような声に、胸の中がきゅうっと苦しくなった。
ぼく、やっぱり《役立たず》なの?
「こんなのしてたら、下の奴らに舐められる。髪結いは終いだ。悪いな」
おにぃちゃんはぶっきらぼうにそう伝えて、カバンから櫛とリボンを出して、おねぇちゃんの枕元に置いた。
「俺が持ってても何にもならないから、もうお前にやるよ使ってくれ。もう用事もないだろ?俺もう行くよ」と言って、おにぃちゃんは立ち上がって、おねぇちゃんに背を向けた。
「待ってよ、カイ」と、おねぇちゃんは声で引き留めた。
ベッドから起き上がれなかったんだ。動けなくなったのは、ぼくのせいだ…
雷雲に姿を変えて、おにぃちゃんの前に回り込んで道を塞いだ。
でも、もうぼくの正体を知ってしまったおにぃちゃんは、ぼくを怖がらなかった。逆に怖い目で睨まれて、気が引けてしまった…
「《ライナ》、これ退けろよ」堅い声はおねぇちゃんを別人の名前で呼んだ。
「待ってよ、カイ…」
「あんまり帰るのが遅くなると、俺がカミルの兄貴に叱られるんだ」
「待ってよ…」
おねぇちゃんの声に嗚咽が混ざっても、おにぃちゃんはもう振り返ってもくれなかった。
「…き…なの…好きなの…カイの事…」
心臓を絞るような苦しい声は、おにぃちゃんに届いたはずなのに、おにぃちゃんはそれを無視して部屋を出て行った。
ぼくは、やっぱり《役立たず》なんだ…
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