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先鋒
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「お爺ちゃん、何で喧嘩するの?」と、うるさい小娘は俺を叱った。
それが心配から来る言葉だということも、ライナの一生懸命の言葉だとも分かっているが、視野の狭い俺には受け入れることができないのだ。
「うるせぇぞ、ライナ。
女には分からねぇだろうがな、男には面子ってもんがあるんだ」
「面子で喧嘩するの?怪我したり死んだりするかもしれないのに?」
「あぁ、そうだ。俺たちはそういう生き方しかできねぇ性分なのさ」
我ながら不器用な生き方だと分かっている。
でも、それを貫くのが漢ってもんだ。
俺の頭の悪いガキのような回答に、賢しくなった女は納得できないらしい。俺を睨む顔は怒りとはまた別の感情を含んでいた。
そうだ。これは女の目だ…
馬鹿な男を見放す前の、女の目だ…
次に来る言葉も行動も分かっている。
「どうして…分かんないよ…」
女は泣きそうな顔で男を否定した。
ライナの腕に納まっていた変な毛玉の生き物が、きょろきょろと俺とライナの間でせわしなく顔を動かしていた。
やっぱり女は面倒くせぇ…
そんな風に思ってしまったのは、ライナが俺の嫌な記憶を刺激してしまったからだ。
あの女が最後に見せたのはそんな顔だった…
その女は俺の留守の間にどこかに消えた。もう忘れたと思っていたのに女々しい自分に腹が立った。
「もう帰れ」
拒絶する感情が言葉になって溢れた。
「別にお前の許可が欲しいわけでも、理解してほしいわけでもねぇよ。お前は俺たちとはもう関係ないだろう?邪魔だ、帰れ」
「…お爺ちゃん」
「親父さん、ちょっと言い方が…」
「うるせぇぞ、カミル。邪魔だから邪魔だって言ってんだ。巻き込まれねぇ保証はねぇぞ。さっさとワルターに回収させろ」
「お爺ちゃん!あたし…」
「うるせぇ!帰れ!俺はお前に用はねぇ!」
俺は不器用なんだ。乱暴な言葉で少女の心配を拒絶した。
八つ当たりだと分かっていても抑えられなかった。泣き出したライナを見て、罪悪感が湧いたが、考えを変える気はない。
「ライナ、ごめんな。親父さん今は機嫌が悪いんだ。
な?悪いことは言わねぇからよ、もう帰った方がいい。
今から喧嘩も始まるし、お前には見せらんねぇよ。心配かもしれねぇが、俺たちは大丈夫だからさ」
カミルがライナを宥めて帰るように勧めた。
「何で…あたし…」
「親父さん。ライナをロンメルの旦那に預けてくる」
俺に気を遣ったのか、それとも泣くライナの姿が見ていられなかったのかは分からないが、カミルはまだ何か言いたげなライナの背を押して、ワルターに預けに行った。
「ったく…ん?」
気が滅入る場所を離れようとして、足元に変なものを見つけた。
蹴とばしてしまいそうな場所に落ちていたのは、ライナが抱えていた灰色の毛玉だった。灰色の毛玉の真ん中には目つきの悪い鳥の顔があった。
その変な生き物は一丁前に俺を責めるような視線で睨んでいた。
そういえば、ワルターがライナに《祝福》が顕れたと言っていた気がする。
「何だ?ご主人様について行かねぇか?」と声を掛けると、ライナの《祝福》と思われる生き物は、梟のように首を傾げた。
「お前が《祝福》ならあの子を守ってやれ。こんなところに連れてくるな」
言葉が通じるのかは分からんが、愚痴のつもりでそう言って、軽く靴の先で蹴とばした。慌てた毛玉は跳ねるように俺から逃げて、離れたところからまた責めるように睨んでいた。
嫌われたんならそれでもいい。もう俺の所に来るな。
やさぐれた感情を抱えたまま、変な生き物に背を向けた。
✩.*˚
ゲルトの爺さんの怒鳴り声は俺たちにも届いていた。
「爺さん機嫌悪いじゃねぇかよ?」とスーに声をかけた。
ライナに当たることはねぇのに…
「いつものことだろ?ほっとけ。
それより、こっちだよ。どうすんだ、スー?」
面倒臭そうにディルクが話を元に戻した。
ロンメルの旦那が来て、決闘に条件をつけたらしい。
「5人ならいつもの《河越》のメンバーで良いだろ?」とイザークが提案した。
《河越》はスーのお気に入りだ。
カナルの河を渡ったのは、傭兵団の中ではちょっとした語り草になっている。
「順番は?」
「若い順で良くね?そしたらスーは最後だけどな」とイザークが茶化した。
「じゃあカイが先鋒だな。1人目だからって気を抜くなよ?」とスーに一番を任された。
一番ってのは何であろうと悪い気はしない。
「勝った奴は特別に金貨一枚付けてやるよ」と、スーは俺たちに賞金を約束した。
「酒はー?」
「それは負けて足引っ張った奴が出せよ」
「げー…ぜってーヤダ」
「ようには勝ちゃ良いんだろ?」
「そうだよ。簡単だろ?」
スーの言葉にみんな頷いた。負ける気なんてこれっぽっちもない。
「でもよ、あっちは《祝福持ち》が居るんだろ?何か情報ないのか?」
アルノーの問いに、元 《赤鹿》の二人は顔を見合せた。
「出てくるか分からねぇが、俺たちの知ってる限り二人いたはずだ。
一人は《バジリスク》ダミアン・ドプナー。触れた相手の感覚を奪う《麻痺の手》って《祝福》だ。
もう一人は《人でなしのマシュー》だ」
「《人でなし》?」
「あぁ。俺たちも顔は見たことねぇけどな。
いつも顔を隠す頭巾を被ってて、とんでもない膂力の持ち主だ。《祝福持ち》って触れ込みだが、誰もあいつの正体を知らねぇんだよ」
「あいつが出てきたら面倒だな…」と、イザークの言葉にディルクも頷いた。
「ヴェンデルが本気で俺たちとやるつもりなら、《バジリスク》と《人でなし》も連れてきてるだろうよ。
《人でなし》がいるから、誰もヴェンデルには逆らわねぇ。あいつには並の人間じゃ太刀打ちできねぇからな」
「じゃあ、そいつをぶっ倒しゃいいわけだ」とスーは簡単に言うが、ディルクの表情は硬かった。
「お前が当たる分には良いがな…
他の奴が当たったら、最悪死を覚悟しなきゃならんぞ」
「ふーん…それはちょっと面倒だな」
「あいつはヴェンデルの切り札だから、おそらく《人でなし》はトリだ。
でも、《バジリスク》はどこで出てくるか分からん」
「まぁ、当たったらそれまでだ。腹くくるしかねぇよ」と、楽天的なイザークの台詞がディルクの言葉を遮った。
「向こうだって条件は一緒だろ?なら俺らがここであーだこーだ言ったところで変わらねぇよ」
「だな。考えて動けなくなるのは俺たちには合わねぇよ」と、イザークの言葉にアルノーも頷いた。俺も同じ考えだ。
「《バジリスク》は触られなかったら良いんだろ?
ドプナーが出てきたら教えてくれよ。警戒はするさ」
「《祝福持ち》を倒したら箔が付く。こんなチャンス滅多にねぇよ」
俺たちの頭の悪い返事にディルクは頭を抱えたが、スーは満足そうに笑った。
ご機嫌そうなスーが俺たちに拳を差し出した。
「お前ら最高にイカれてるよ。俺たちが最強だって教えてやれ!」
「応!!」
突き出された拳に拳で返した。お互いの武運を祈って拳を打ち合わせた。
✩.*˚
「あいつら馬鹿なんすか?」と、ドプナーが俺に訊ねた。
「良いじゃねぇか?傭兵ってのはあのぐらい馬鹿じゃねぇとやってらんねぇよ。あの小僧、馬鹿だが良い駒もってやがる」
まったく、舐められたもんだが、久しぶりに血が湧くような高揚感を感じていた。
頭の悪い奴は嫌いじゃねぇ。俺が嫌いなのは、無駄に賢しい口だけの使えねぇ奴と自分の実力を見極められない奴だ。
「マジであんな小さい団とやりあうんっすか?吸収したところで、使えるとは思えませんぜ?」
「旦那がやるってんだ。文句ねぇだろ?」
「そうだぜ、ダミアン。ディルクが戻るだけでもデカいぜ。なんだかんだ言って、あいつは《剃刀ヴォルフ》のお気に入りだったんだ」
「一度は抜けた奴じゃねぇかよ?そんなにこだわるほどの野郎じゃねぇだろ?」
俺たちがディルクに拘るから、ドプナーの奴は不服そうだった。
《祝福》こそないが、ディルクは良い傭兵だった。新しい隊長として、《赤鹿》の看板になるはずだった。
確かに、歳をとった《剃刀ヴォルフ》を追い出したのは俺だ。
歳をとって、持ち味のキレを失った傭兵にリーダーは務まらない。変な気を使ってまで置いておく気はなかった。俺たちの世界はそんなに甘くは無い。
俺の判断は間違ってなかったはずだ。
それなりの金を渡して、丁寧に見送ってやったはずだった。
だが、あいつらは、俺がヴォルフを送り出したことが気に入らなかったらしい。
結局、俺には団長としての度量が無いのだと言われた気がした。それが俺の意地につながっているのだろう。
「出てった奴でも有能なら受け入れる。器のデカいところを見せなきゃ団長は務まらんからな」と嘯いた。
まぁ、今は決闘が一番の優先事項だ。向こうも用意ができたようだ。
「そろそろ始まるな…
おい、そろそろマシューを連れて来い」と指示して、切り札を用意した。
呼ばれたマシューは、引っ込んでいた幌馬車を降りて俺の所に来た。
「だ、だ、団長…オデの出番か?」
どもるような濁った野太い声が、頭巾の下から唸り声のように響いた。
厳つい姿を隠すような黒服の上に、獣の皮を巻き付けた姿は野獣を連想させる。
頭巾の隙間から唯一覗いている目元は、凶暴な濁った目で辺りを睥睨していた。
「おう。仕事だ、マシュー」
「だ、誰を、ぶ、ぶっ殺しゃええんだ?」
「殺すのはまずいな。ただ、腕や足の一本二本へし折ってくれりゃそれでいいんだ」と注文をつけると、頭巾の頭は不思議そうに傾いた。
こいつは難しい話は無理だ。その代わり簡単に教えてやると、必ずその通りの結果を持ってくる。
シンプルで、俺としてはそれが可愛くすら思えていた。
「まぁ、聞け。
ここの偉い人がな、死人は困るってんだ。
だから殺しは無しだ。相手に《参った》って言わせりゃそれでいい。5人で交代で戦って、先に3勝した方が勝ちだ。
お前は大トリだから、絶対に負けてもらっちゃ困るんだ。やってくれるだろ?」
「わ、わ、分かった…お、オデ…だ、旦那、言う通り、す、する」
「おう。頼んだぞ」
素直に頷いたマシューに大役を任せて、《燕の団》の方に視線を向けた。
さぁて、面白い夜になりそうだ。
✩.*˚
両陣営の口汚く罵る野次で決闘が幕を開けた。
「負けんなよ!カイ!」「初っ端から負けたら許さねぇぞ!」「やっちまえ!」
仲間のうるさい野次を背中を押されて、地面を抉るように引いた線の舞台に足を踏み入れた。
お互いに一発目は小手調べってところだろう。そういう役っていうのはあまり嬉しくないが、一番は悪くない。
「若いの、名前は?」と同じ舞台に立った相手が訊ねた。容姿から俺より年上であるのは間違いなさそうだ。
「カイだよ」
「カイか?俺は《縄かけフーゴ》ってんだ。よろしくな」と気さくに話す相手は自分の二つ名を名乗った。
「ちょいダセェ二つ名だけどよ、俺は気に入ってんだ」とフーゴは二つ名を自慢した。
二つ名が無い俺からしてもあまり羨ましいとは思えないが、本人が気に入っているならそれもいいのだろう。
「フーゴな。覚えとくよ」
「あぁ。お互い仕事だ。恨みっこなしだぜ」
「分かってるよ。あんたも恨むなよ?」
気さくな相手の態度に毒気を抜かれてしまった。気が進まないまま剣を手に取った。
ふざけた相手だが、それでも二つ名持ちで、団長の親衛兵を務めるほどだ。半端な強さではないだろう。
俺が構えると、相手は自分の右側を隠すように左手で剣を構えた。見たことのない構えに違和感を覚えた。
「始めろ!」とロンメルの旦那の合図で喧嘩が始まった。
切り込もうと前に出た瞬間、離れた場所に突っ立っていたフーゴの隠していた右手が閃いた。何か分からないが飛び道具だ。
「っち!」勢いをそがれて地面に転がって躱した。とっさのことで体勢が崩れた。
「へぇ、これを初見で躱すかい?いい目してるよ、あんた」
口では褒めながら、フーゴは間合いを詰めて剣を振るった。飛んできたものが何だったか確認する間もない。
体勢を崩したまま振り下ろされる刃を剣で防いだが、体勢を崩していた俺には重い一撃だ。
「なんでもありだ。わりぃな」ふざけた台詞に続いて顔面に衝撃が走った。
この野郎!足癖も悪いのかよ!
膝蹴りを顔面に食らいながらも、気合だけで剣を振るった。
相手は既に勝ったつもりで、俺の反撃は想定してなかったらしい。
振り回した剣を避けてフーゴは距離を取って後ろに下がった。
「あっぶねぇな…若ぇのにいい根性だ」
フーゴは勝利を確信しているようで、剣で遊ぶ余裕まで見せた。
「悪いな、カイ。若者はおっさんに勝ち譲ってくれや」
「ふざっけんな…」と強がって鼻血を拭った。口の中にも血の味が広がっている。顔面に入ったダメージで脳が揺れるような気持ち悪さが残っていた。
俺がすでに負けに傾いているのを見て、仲間から汚ぇ怒声の野次が飛んだ。
うるせぇわ!俺はまだ負けてねぇよ!
腹の中に湧き上がる怒りをバネにして奮い立った。
罵声や怒号の中に混ざった、悲鳴みたいな女の声が俺の名前を呼んでいた。
「カイ!負けるな!!」
届いたのはなんのひねりもない、安っぽい応援の言葉だ。
負けねえよ…
好きな女の前で、格好悪いのは御免だ。
しかし、相手も簡単に勝ちを譲っちゃくれないだろう。
年季の入ってる分、傭兵としての場数を踏んでいる経験が違う。若造の俺とはまるで比べ物にならないのだろう。
フーゴは勝った気でお喋りを続けていた。
「お前さ、若いのになかなか肝座ってるじゃねぇか?
普通なら、顔面食らったら戦意喪失なり、多少なりともやる気削がれるもんだぜ?
逆に燃えるそのガッツは褒めてやるぜ。旦那には俺の部下にしてくれって頼んでやるよ」
「…旦那?」
「おうよ。お前も負けたらうちの傘下になるって知ってんだろ?
お前は見どころあるからよ、俺の下に来いよ。世話してやるさ」
「…舐めてんのか」
俺の腹の奥から湧いた怒りが、強い熱で腹を焦がした。《犬》は俺の誇りだ!
「俺はスーの《犬》だ!あいつはお前らの下なんかに付く男じゃねぇ!俺も他の奴らも、《赤鹿》なんかに飼われる気はねぇ!」
「何だよ?俺は親切で言ってやってんだぜ?」
フーゴは人の良さそうな顔で苦く笑って肩を竦めた。
緩い口調や人の良さそうな印象が、彼の凶悪さを上手く隠していた。
「餌なんて、誰から貰っても一緒だ。お前も傭兵なら分かるだろ?
まぁ、いいや…お前が《うん》と言うまで俺が口説きゃいいだけだ」
相変わらずヘラヘラしながら、フーゴは腰に手をやって何かを引っ張り出した。
両手を広げたくらいの長さのロープの両端には錘が付いている。獣を捕まえる狩猟道具だ。上手い奴が使えば強力な武器になる。剣なんかよりずっと危ない代物だ。
「初見で避けられたから俺も本気でやるわ。傭兵の話し合いは《暴力》だもんな?言葉よりこっちの方が口説くにはいいだろ?」
緩い態度とは対照的な凶暴な台詞を吐いて、今度はフーゴの方から仕掛けてきた。
上から振り下ろされる剣を右で受け止めた。目の前に誘うようなガラ空きの胴が晒されている。
「っち!」危うく誘導されかけた。
首を狙う錘の付いたロープが左側から襲ってきた。慌てて腕を上げて首は守ったが、ロープはそのまま体に纏わりついて左腕の自由を奪った。
「くっそ!」
「ほら、がんばれ、がんばれ!《ボーラ》ならまだまだあるぜ!」
俺の振り回す剣を避けて、フーゴは新しいロープを取り出して錘の付いた先をぶん回して見せた。
「小さい錘でも油断すんなよ?当たったら骨折まではいかなくてもヒビくらいは覚悟しな」
相変わらず良く喋る野郎だ!
防戦一方で、苛立ちが溜まっていく。
腹の中だけで留まることのできない怒りが、頭のてっぺんまで満ちていく…
勝ち負けとかどうでもよくなっていた。
この野郎だけは許さねぇ!その余裕な顔を引っぺがして、絶対に吠え面かかせてやる!右一本でやったるわ!!
左に持っていた役に立たなくなった剣を捨て、右手に構えてた剣を鞘に納めた。
相手はそれを見て、俺がやけっぱちになったと思ったようだ。
「おいおい?諦めんの早いだろ?もう降参か?」
「言ってろよ…手加減しねぇからな」
柄を握ったまま腰を落として構えた。
俺のは未完成だけど、スーからこれを教わって、ものにしたのは俺だけだ。
俺の《犬》としての意地を見せてやる!
✩.*˚
…なんだ?
カイの目は腐っていない。むしろ狼のように獰猛に光る目には、隠しようのない闘争心が刻まれていた。
だからこそ、カイの行動が理解できなかった。
カイに降参の意思はないはずなのに、使えなくなった左手の剣を捨て、右手に残った剣を鞘に納めた。
何考えてやがる?
拳でやるんなら、剣の柄から手を離して構えるはずだし、腰を落とした独特な構えはあまり見たことのないものだ。
まぁ…俺から仕掛けるっきゃねぇか…
私情を挟むのは良くないが、俺は割とこの若い傭兵を気に入っていた。なかなか気合も入ってるし、根性もありそうだ。
生意気なガキは立ち上がれなくなるくらい痛めつけてもいいと思ってたが、この単純なのが可愛くさえある。
あー、やだやだ…適当にふん縛って持ち帰るか?最初はあれでも、手をかけりゃそのうち懐くだろう…
手にしていたボーラをカイの足に向けて放った。
空を切る音を纏って迫るボーラは、動かない相手を容易く絡めとるように思えた。
俺の手から離れたボーラは、カイに届く直前に、バツンッ!と音を立てて二つに分かれて後方に飛んだ。
良い席で見ようとしていた観客から悲鳴と大きな野次が上がった。
そんなのはどうでもいい…それより何があった?
傭兵の武器は命だ。得物の手入れは欠かさない。
俺のボーラは特別製で、紐は牛の皮と馬の尾の毛を自分で編んで作っている。念入りに強度も確認しているし、古くなったらこまめに取り換えている。ちぎれるなんてあるはずない。
なら、理由は一つだ…
「…切りやがった…マジかよ?」
背筋に寒いものを感じた。
いつ抜きやがったんだ?
カイの右手にはいつ抜いたのか分からない剣が握られていた。
あんな状態で、目に留まらないほどの速さで剣を抜いて、その勢いで飛んできたボーラのロープを斬ったってのか?マジかよ?!そんな話、聞いた事ねぇぞ?
「何だよ?お喋りやめたのか?感想は無いのか?褒めてくれよ?」
俺の動揺を悟って、若い傭兵は満足気に口を開いた。
カイはゆっくりと剣を鞘に戻して次の用意を済ませた。さっきの妙技を見せられて、腰が引けた。
くっそっ!こいつ猫かぶってやがった!
距離をとっても、取らなくてもこいつはやばい…
剣を戻して、代わりにボーラを両手に取った。
さすがに、同時に二本は無理だろ?
そんな俺の甘い期待を込めてボーラを放ったが、結果は苦いもんだ。
投げた凶器はカイに抱擁することなく、幽霊のように掴み損ねて素通りした。
「なっ?!」
早い!
カイの剣は一瞬で、届かない位置から届く位置に肉薄していた。
やばいと思って、慌てて剣に手をかけたが間に合わない。《死》を覚悟した俺の耳に、警告が届いた。
「歯ぁ食いしばれ」
言葉に続いたのは下からの衝撃だった。
顎の激痛と脳が揺れるような衝撃が、俺の負けを教えた。
✩.*˚
「やりやがった!いいぞカイ!!」
ガッツポーズをとりながら、興奮した声でアルノーが叫んだ。
《犬》たちの間で遠吠えのような雄たけびが上がり、一つ目の勝ちを祝福した。
「まずは一つ目だな」と、俺の隣で呟いたディルクの声もどこか浮ついているように聞こえた。
「上出来だ。あいつ、《時止め》と《縮地》を自分のものにしてる。あれなら実戦でも使えるな」
カイはセンスがある。あいつは器用で呑み込みが良いから、俺がソーリューから教わった《時止め》と《縮地》を教えてやった。
難しいと苦戦していたが、何とか自分のものにしたようだ。
戻って来たカイの顔には乾いた血が張り付いていた。絡まったロープで左手も塞がったままだ。
それでもカイはやり切ったみたいな生意気な顔をしていた。
「どうよ?」と、褒めてほしそうに、若い《犬》は胸を張って訊ねた。
「いいんじゃないか?
よく片手で《時止め》を放てたもんだよ。《縮地》はまだ改善の余地がありそうだけどな」
「ちぇ、厳しいの…」
「いいじゃねぇかよ?ちゃんと褒めてやれよ」
「お前ら直ぐに調子乗るから、褒めんのも気ぃ使うんだよ」
会話に割り込んだアルノーを軽くあしらって、治癒の指輪を嵌めた手を、カイの目の前に差し出した。
「まあ、よくやったよ。ご苦労さん」
一応褒めてから、カイの男前になった傷を癒してやった。
「じゃぁ、次だな。アルノーの番だ」
「ねー、ちょっと…これ何とかしてくれよ」
カイが左腕と首を繋いでいるロープを外してくれと頼んできたが、それはわざわざ俺のすることじゃない。
「甘えんな。それは自分で何とかしろよ」と、笑って意地悪く突き放した。
まだ後がつかえてる。
「じゃあ、行ってくる」と、アルノーは愛用の鎚矛を手に挨拶した。
「俺の勝ちを無駄にすんなよ?」
「分かってるよ。でも気持ちちょい余裕あるわ」
「でもさー、負け一人くらいないと面白くないから適当に降参していいぜ」と、余裕ぶってるアルノーをイザークが意地悪く茶化した。
「やだね。俺はカミさん養わなきゃなんねぇんだ、金一封逃してなるかよ?お前こそ、俺の次負けていいぜ」
「やだよ。俺ちゃんも金一封欲しいもん。
でもタダ酒も飲みたいんだよなー」
「分かった分かった。頭の3人で終わったら俺が出してやる」
「マジで?!スー大好き!」
浮かれて俺に抱きつこうとしてくるイザークの首を、ディルクの太い腕が締め上げた。
ディルクは勝利に酔って緩んだ男たちを一喝した。
「おい!お前ら気ぃ抜くな!向こうだって簡単には勝ち譲っちゃくれねぇぞ!
カイもなんだかんだギリ勝ちだ。舐めてると痛い目見るぞ!」
「ディルクの言う通りだ。まだ始まったばかりだもんな」
あと2勝するのが最低条件だ。
《燕の団》の命運がかかってる。そう簡単には負けられない。
「アルノー、《取ってこい》はできるよな?」
「応!」と吠えて、アルノーは俺の差し出した拳に自分の拳を合わせた。
力強く押し返す拳を信じて、仲間を送り出した。
それが心配から来る言葉だということも、ライナの一生懸命の言葉だとも分かっているが、視野の狭い俺には受け入れることができないのだ。
「うるせぇぞ、ライナ。
女には分からねぇだろうがな、男には面子ってもんがあるんだ」
「面子で喧嘩するの?怪我したり死んだりするかもしれないのに?」
「あぁ、そうだ。俺たちはそういう生き方しかできねぇ性分なのさ」
我ながら不器用な生き方だと分かっている。
でも、それを貫くのが漢ってもんだ。
俺の頭の悪いガキのような回答に、賢しくなった女は納得できないらしい。俺を睨む顔は怒りとはまた別の感情を含んでいた。
そうだ。これは女の目だ…
馬鹿な男を見放す前の、女の目だ…
次に来る言葉も行動も分かっている。
「どうして…分かんないよ…」
女は泣きそうな顔で男を否定した。
ライナの腕に納まっていた変な毛玉の生き物が、きょろきょろと俺とライナの間でせわしなく顔を動かしていた。
やっぱり女は面倒くせぇ…
そんな風に思ってしまったのは、ライナが俺の嫌な記憶を刺激してしまったからだ。
あの女が最後に見せたのはそんな顔だった…
その女は俺の留守の間にどこかに消えた。もう忘れたと思っていたのに女々しい自分に腹が立った。
「もう帰れ」
拒絶する感情が言葉になって溢れた。
「別にお前の許可が欲しいわけでも、理解してほしいわけでもねぇよ。お前は俺たちとはもう関係ないだろう?邪魔だ、帰れ」
「…お爺ちゃん」
「親父さん、ちょっと言い方が…」
「うるせぇぞ、カミル。邪魔だから邪魔だって言ってんだ。巻き込まれねぇ保証はねぇぞ。さっさとワルターに回収させろ」
「お爺ちゃん!あたし…」
「うるせぇ!帰れ!俺はお前に用はねぇ!」
俺は不器用なんだ。乱暴な言葉で少女の心配を拒絶した。
八つ当たりだと分かっていても抑えられなかった。泣き出したライナを見て、罪悪感が湧いたが、考えを変える気はない。
「ライナ、ごめんな。親父さん今は機嫌が悪いんだ。
な?悪いことは言わねぇからよ、もう帰った方がいい。
今から喧嘩も始まるし、お前には見せらんねぇよ。心配かもしれねぇが、俺たちは大丈夫だからさ」
カミルがライナを宥めて帰るように勧めた。
「何で…あたし…」
「親父さん。ライナをロンメルの旦那に預けてくる」
俺に気を遣ったのか、それとも泣くライナの姿が見ていられなかったのかは分からないが、カミルはまだ何か言いたげなライナの背を押して、ワルターに預けに行った。
「ったく…ん?」
気が滅入る場所を離れようとして、足元に変なものを見つけた。
蹴とばしてしまいそうな場所に落ちていたのは、ライナが抱えていた灰色の毛玉だった。灰色の毛玉の真ん中には目つきの悪い鳥の顔があった。
その変な生き物は一丁前に俺を責めるような視線で睨んでいた。
そういえば、ワルターがライナに《祝福》が顕れたと言っていた気がする。
「何だ?ご主人様について行かねぇか?」と声を掛けると、ライナの《祝福》と思われる生き物は、梟のように首を傾げた。
「お前が《祝福》ならあの子を守ってやれ。こんなところに連れてくるな」
言葉が通じるのかは分からんが、愚痴のつもりでそう言って、軽く靴の先で蹴とばした。慌てた毛玉は跳ねるように俺から逃げて、離れたところからまた責めるように睨んでいた。
嫌われたんならそれでもいい。もう俺の所に来るな。
やさぐれた感情を抱えたまま、変な生き物に背を向けた。
✩.*˚
ゲルトの爺さんの怒鳴り声は俺たちにも届いていた。
「爺さん機嫌悪いじゃねぇかよ?」とスーに声をかけた。
ライナに当たることはねぇのに…
「いつものことだろ?ほっとけ。
それより、こっちだよ。どうすんだ、スー?」
面倒臭そうにディルクが話を元に戻した。
ロンメルの旦那が来て、決闘に条件をつけたらしい。
「5人ならいつもの《河越》のメンバーで良いだろ?」とイザークが提案した。
《河越》はスーのお気に入りだ。
カナルの河を渡ったのは、傭兵団の中ではちょっとした語り草になっている。
「順番は?」
「若い順で良くね?そしたらスーは最後だけどな」とイザークが茶化した。
「じゃあカイが先鋒だな。1人目だからって気を抜くなよ?」とスーに一番を任された。
一番ってのは何であろうと悪い気はしない。
「勝った奴は特別に金貨一枚付けてやるよ」と、スーは俺たちに賞金を約束した。
「酒はー?」
「それは負けて足引っ張った奴が出せよ」
「げー…ぜってーヤダ」
「ようには勝ちゃ良いんだろ?」
「そうだよ。簡単だろ?」
スーの言葉にみんな頷いた。負ける気なんてこれっぽっちもない。
「でもよ、あっちは《祝福持ち》が居るんだろ?何か情報ないのか?」
アルノーの問いに、元 《赤鹿》の二人は顔を見合せた。
「出てくるか分からねぇが、俺たちの知ってる限り二人いたはずだ。
一人は《バジリスク》ダミアン・ドプナー。触れた相手の感覚を奪う《麻痺の手》って《祝福》だ。
もう一人は《人でなしのマシュー》だ」
「《人でなし》?」
「あぁ。俺たちも顔は見たことねぇけどな。
いつも顔を隠す頭巾を被ってて、とんでもない膂力の持ち主だ。《祝福持ち》って触れ込みだが、誰もあいつの正体を知らねぇんだよ」
「あいつが出てきたら面倒だな…」と、イザークの言葉にディルクも頷いた。
「ヴェンデルが本気で俺たちとやるつもりなら、《バジリスク》と《人でなし》も連れてきてるだろうよ。
《人でなし》がいるから、誰もヴェンデルには逆らわねぇ。あいつには並の人間じゃ太刀打ちできねぇからな」
「じゃあ、そいつをぶっ倒しゃいいわけだ」とスーは簡単に言うが、ディルクの表情は硬かった。
「お前が当たる分には良いがな…
他の奴が当たったら、最悪死を覚悟しなきゃならんぞ」
「ふーん…それはちょっと面倒だな」
「あいつはヴェンデルの切り札だから、おそらく《人でなし》はトリだ。
でも、《バジリスク》はどこで出てくるか分からん」
「まぁ、当たったらそれまでだ。腹くくるしかねぇよ」と、楽天的なイザークの台詞がディルクの言葉を遮った。
「向こうだって条件は一緒だろ?なら俺らがここであーだこーだ言ったところで変わらねぇよ」
「だな。考えて動けなくなるのは俺たちには合わねぇよ」と、イザークの言葉にアルノーも頷いた。俺も同じ考えだ。
「《バジリスク》は触られなかったら良いんだろ?
ドプナーが出てきたら教えてくれよ。警戒はするさ」
「《祝福持ち》を倒したら箔が付く。こんなチャンス滅多にねぇよ」
俺たちの頭の悪い返事にディルクは頭を抱えたが、スーは満足そうに笑った。
ご機嫌そうなスーが俺たちに拳を差し出した。
「お前ら最高にイカれてるよ。俺たちが最強だって教えてやれ!」
「応!!」
突き出された拳に拳で返した。お互いの武運を祈って拳を打ち合わせた。
✩.*˚
「あいつら馬鹿なんすか?」と、ドプナーが俺に訊ねた。
「良いじゃねぇか?傭兵ってのはあのぐらい馬鹿じゃねぇとやってらんねぇよ。あの小僧、馬鹿だが良い駒もってやがる」
まったく、舐められたもんだが、久しぶりに血が湧くような高揚感を感じていた。
頭の悪い奴は嫌いじゃねぇ。俺が嫌いなのは、無駄に賢しい口だけの使えねぇ奴と自分の実力を見極められない奴だ。
「マジであんな小さい団とやりあうんっすか?吸収したところで、使えるとは思えませんぜ?」
「旦那がやるってんだ。文句ねぇだろ?」
「そうだぜ、ダミアン。ディルクが戻るだけでもデカいぜ。なんだかんだ言って、あいつは《剃刀ヴォルフ》のお気に入りだったんだ」
「一度は抜けた奴じゃねぇかよ?そんなにこだわるほどの野郎じゃねぇだろ?」
俺たちがディルクに拘るから、ドプナーの奴は不服そうだった。
《祝福》こそないが、ディルクは良い傭兵だった。新しい隊長として、《赤鹿》の看板になるはずだった。
確かに、歳をとった《剃刀ヴォルフ》を追い出したのは俺だ。
歳をとって、持ち味のキレを失った傭兵にリーダーは務まらない。変な気を使ってまで置いておく気はなかった。俺たちの世界はそんなに甘くは無い。
俺の判断は間違ってなかったはずだ。
それなりの金を渡して、丁寧に見送ってやったはずだった。
だが、あいつらは、俺がヴォルフを送り出したことが気に入らなかったらしい。
結局、俺には団長としての度量が無いのだと言われた気がした。それが俺の意地につながっているのだろう。
「出てった奴でも有能なら受け入れる。器のデカいところを見せなきゃ団長は務まらんからな」と嘯いた。
まぁ、今は決闘が一番の優先事項だ。向こうも用意ができたようだ。
「そろそろ始まるな…
おい、そろそろマシューを連れて来い」と指示して、切り札を用意した。
呼ばれたマシューは、引っ込んでいた幌馬車を降りて俺の所に来た。
「だ、だ、団長…オデの出番か?」
どもるような濁った野太い声が、頭巾の下から唸り声のように響いた。
厳つい姿を隠すような黒服の上に、獣の皮を巻き付けた姿は野獣を連想させる。
頭巾の隙間から唯一覗いている目元は、凶暴な濁った目で辺りを睥睨していた。
「おう。仕事だ、マシュー」
「だ、誰を、ぶ、ぶっ殺しゃええんだ?」
「殺すのはまずいな。ただ、腕や足の一本二本へし折ってくれりゃそれでいいんだ」と注文をつけると、頭巾の頭は不思議そうに傾いた。
こいつは難しい話は無理だ。その代わり簡単に教えてやると、必ずその通りの結果を持ってくる。
シンプルで、俺としてはそれが可愛くすら思えていた。
「まぁ、聞け。
ここの偉い人がな、死人は困るってんだ。
だから殺しは無しだ。相手に《参った》って言わせりゃそれでいい。5人で交代で戦って、先に3勝した方が勝ちだ。
お前は大トリだから、絶対に負けてもらっちゃ困るんだ。やってくれるだろ?」
「わ、わ、分かった…お、オデ…だ、旦那、言う通り、す、する」
「おう。頼んだぞ」
素直に頷いたマシューに大役を任せて、《燕の団》の方に視線を向けた。
さぁて、面白い夜になりそうだ。
✩.*˚
両陣営の口汚く罵る野次で決闘が幕を開けた。
「負けんなよ!カイ!」「初っ端から負けたら許さねぇぞ!」「やっちまえ!」
仲間のうるさい野次を背中を押されて、地面を抉るように引いた線の舞台に足を踏み入れた。
お互いに一発目は小手調べってところだろう。そういう役っていうのはあまり嬉しくないが、一番は悪くない。
「若いの、名前は?」と同じ舞台に立った相手が訊ねた。容姿から俺より年上であるのは間違いなさそうだ。
「カイだよ」
「カイか?俺は《縄かけフーゴ》ってんだ。よろしくな」と気さくに話す相手は自分の二つ名を名乗った。
「ちょいダセェ二つ名だけどよ、俺は気に入ってんだ」とフーゴは二つ名を自慢した。
二つ名が無い俺からしてもあまり羨ましいとは思えないが、本人が気に入っているならそれもいいのだろう。
「フーゴな。覚えとくよ」
「あぁ。お互い仕事だ。恨みっこなしだぜ」
「分かってるよ。あんたも恨むなよ?」
気さくな相手の態度に毒気を抜かれてしまった。気が進まないまま剣を手に取った。
ふざけた相手だが、それでも二つ名持ちで、団長の親衛兵を務めるほどだ。半端な強さではないだろう。
俺が構えると、相手は自分の右側を隠すように左手で剣を構えた。見たことのない構えに違和感を覚えた。
「始めろ!」とロンメルの旦那の合図で喧嘩が始まった。
切り込もうと前に出た瞬間、離れた場所に突っ立っていたフーゴの隠していた右手が閃いた。何か分からないが飛び道具だ。
「っち!」勢いをそがれて地面に転がって躱した。とっさのことで体勢が崩れた。
「へぇ、これを初見で躱すかい?いい目してるよ、あんた」
口では褒めながら、フーゴは間合いを詰めて剣を振るった。飛んできたものが何だったか確認する間もない。
体勢を崩したまま振り下ろされる刃を剣で防いだが、体勢を崩していた俺には重い一撃だ。
「なんでもありだ。わりぃな」ふざけた台詞に続いて顔面に衝撃が走った。
この野郎!足癖も悪いのかよ!
膝蹴りを顔面に食らいながらも、気合だけで剣を振るった。
相手は既に勝ったつもりで、俺の反撃は想定してなかったらしい。
振り回した剣を避けてフーゴは距離を取って後ろに下がった。
「あっぶねぇな…若ぇのにいい根性だ」
フーゴは勝利を確信しているようで、剣で遊ぶ余裕まで見せた。
「悪いな、カイ。若者はおっさんに勝ち譲ってくれや」
「ふざっけんな…」と強がって鼻血を拭った。口の中にも血の味が広がっている。顔面に入ったダメージで脳が揺れるような気持ち悪さが残っていた。
俺がすでに負けに傾いているのを見て、仲間から汚ぇ怒声の野次が飛んだ。
うるせぇわ!俺はまだ負けてねぇよ!
腹の中に湧き上がる怒りをバネにして奮い立った。
罵声や怒号の中に混ざった、悲鳴みたいな女の声が俺の名前を呼んでいた。
「カイ!負けるな!!」
届いたのはなんのひねりもない、安っぽい応援の言葉だ。
負けねえよ…
好きな女の前で、格好悪いのは御免だ。
しかし、相手も簡単に勝ちを譲っちゃくれないだろう。
年季の入ってる分、傭兵としての場数を踏んでいる経験が違う。若造の俺とはまるで比べ物にならないのだろう。
フーゴは勝った気でお喋りを続けていた。
「お前さ、若いのになかなか肝座ってるじゃねぇか?
普通なら、顔面食らったら戦意喪失なり、多少なりともやる気削がれるもんだぜ?
逆に燃えるそのガッツは褒めてやるぜ。旦那には俺の部下にしてくれって頼んでやるよ」
「…旦那?」
「おうよ。お前も負けたらうちの傘下になるって知ってんだろ?
お前は見どころあるからよ、俺の下に来いよ。世話してやるさ」
「…舐めてんのか」
俺の腹の奥から湧いた怒りが、強い熱で腹を焦がした。《犬》は俺の誇りだ!
「俺はスーの《犬》だ!あいつはお前らの下なんかに付く男じゃねぇ!俺も他の奴らも、《赤鹿》なんかに飼われる気はねぇ!」
「何だよ?俺は親切で言ってやってんだぜ?」
フーゴは人の良さそうな顔で苦く笑って肩を竦めた。
緩い口調や人の良さそうな印象が、彼の凶悪さを上手く隠していた。
「餌なんて、誰から貰っても一緒だ。お前も傭兵なら分かるだろ?
まぁ、いいや…お前が《うん》と言うまで俺が口説きゃいいだけだ」
相変わらずヘラヘラしながら、フーゴは腰に手をやって何かを引っ張り出した。
両手を広げたくらいの長さのロープの両端には錘が付いている。獣を捕まえる狩猟道具だ。上手い奴が使えば強力な武器になる。剣なんかよりずっと危ない代物だ。
「初見で避けられたから俺も本気でやるわ。傭兵の話し合いは《暴力》だもんな?言葉よりこっちの方が口説くにはいいだろ?」
緩い態度とは対照的な凶暴な台詞を吐いて、今度はフーゴの方から仕掛けてきた。
上から振り下ろされる剣を右で受け止めた。目の前に誘うようなガラ空きの胴が晒されている。
「っち!」危うく誘導されかけた。
首を狙う錘の付いたロープが左側から襲ってきた。慌てて腕を上げて首は守ったが、ロープはそのまま体に纏わりついて左腕の自由を奪った。
「くっそ!」
「ほら、がんばれ、がんばれ!《ボーラ》ならまだまだあるぜ!」
俺の振り回す剣を避けて、フーゴは新しいロープを取り出して錘の付いた先をぶん回して見せた。
「小さい錘でも油断すんなよ?当たったら骨折まではいかなくてもヒビくらいは覚悟しな」
相変わらず良く喋る野郎だ!
防戦一方で、苛立ちが溜まっていく。
腹の中だけで留まることのできない怒りが、頭のてっぺんまで満ちていく…
勝ち負けとかどうでもよくなっていた。
この野郎だけは許さねぇ!その余裕な顔を引っぺがして、絶対に吠え面かかせてやる!右一本でやったるわ!!
左に持っていた役に立たなくなった剣を捨て、右手に構えてた剣を鞘に納めた。
相手はそれを見て、俺がやけっぱちになったと思ったようだ。
「おいおい?諦めんの早いだろ?もう降参か?」
「言ってろよ…手加減しねぇからな」
柄を握ったまま腰を落として構えた。
俺のは未完成だけど、スーからこれを教わって、ものにしたのは俺だけだ。
俺の《犬》としての意地を見せてやる!
✩.*˚
…なんだ?
カイの目は腐っていない。むしろ狼のように獰猛に光る目には、隠しようのない闘争心が刻まれていた。
だからこそ、カイの行動が理解できなかった。
カイに降参の意思はないはずなのに、使えなくなった左手の剣を捨て、右手に残った剣を鞘に納めた。
何考えてやがる?
拳でやるんなら、剣の柄から手を離して構えるはずだし、腰を落とした独特な構えはあまり見たことのないものだ。
まぁ…俺から仕掛けるっきゃねぇか…
私情を挟むのは良くないが、俺は割とこの若い傭兵を気に入っていた。なかなか気合も入ってるし、根性もありそうだ。
生意気なガキは立ち上がれなくなるくらい痛めつけてもいいと思ってたが、この単純なのが可愛くさえある。
あー、やだやだ…適当にふん縛って持ち帰るか?最初はあれでも、手をかけりゃそのうち懐くだろう…
手にしていたボーラをカイの足に向けて放った。
空を切る音を纏って迫るボーラは、動かない相手を容易く絡めとるように思えた。
俺の手から離れたボーラは、カイに届く直前に、バツンッ!と音を立てて二つに分かれて後方に飛んだ。
良い席で見ようとしていた観客から悲鳴と大きな野次が上がった。
そんなのはどうでもいい…それより何があった?
傭兵の武器は命だ。得物の手入れは欠かさない。
俺のボーラは特別製で、紐は牛の皮と馬の尾の毛を自分で編んで作っている。念入りに強度も確認しているし、古くなったらこまめに取り換えている。ちぎれるなんてあるはずない。
なら、理由は一つだ…
「…切りやがった…マジかよ?」
背筋に寒いものを感じた。
いつ抜きやがったんだ?
カイの右手にはいつ抜いたのか分からない剣が握られていた。
あんな状態で、目に留まらないほどの速さで剣を抜いて、その勢いで飛んできたボーラのロープを斬ったってのか?マジかよ?!そんな話、聞いた事ねぇぞ?
「何だよ?お喋りやめたのか?感想は無いのか?褒めてくれよ?」
俺の動揺を悟って、若い傭兵は満足気に口を開いた。
カイはゆっくりと剣を鞘に戻して次の用意を済ませた。さっきの妙技を見せられて、腰が引けた。
くっそっ!こいつ猫かぶってやがった!
距離をとっても、取らなくてもこいつはやばい…
剣を戻して、代わりにボーラを両手に取った。
さすがに、同時に二本は無理だろ?
そんな俺の甘い期待を込めてボーラを放ったが、結果は苦いもんだ。
投げた凶器はカイに抱擁することなく、幽霊のように掴み損ねて素通りした。
「なっ?!」
早い!
カイの剣は一瞬で、届かない位置から届く位置に肉薄していた。
やばいと思って、慌てて剣に手をかけたが間に合わない。《死》を覚悟した俺の耳に、警告が届いた。
「歯ぁ食いしばれ」
言葉に続いたのは下からの衝撃だった。
顎の激痛と脳が揺れるような衝撃が、俺の負けを教えた。
✩.*˚
「やりやがった!いいぞカイ!!」
ガッツポーズをとりながら、興奮した声でアルノーが叫んだ。
《犬》たちの間で遠吠えのような雄たけびが上がり、一つ目の勝ちを祝福した。
「まずは一つ目だな」と、俺の隣で呟いたディルクの声もどこか浮ついているように聞こえた。
「上出来だ。あいつ、《時止め》と《縮地》を自分のものにしてる。あれなら実戦でも使えるな」
カイはセンスがある。あいつは器用で呑み込みが良いから、俺がソーリューから教わった《時止め》と《縮地》を教えてやった。
難しいと苦戦していたが、何とか自分のものにしたようだ。
戻って来たカイの顔には乾いた血が張り付いていた。絡まったロープで左手も塞がったままだ。
それでもカイはやり切ったみたいな生意気な顔をしていた。
「どうよ?」と、褒めてほしそうに、若い《犬》は胸を張って訊ねた。
「いいんじゃないか?
よく片手で《時止め》を放てたもんだよ。《縮地》はまだ改善の余地がありそうだけどな」
「ちぇ、厳しいの…」
「いいじゃねぇかよ?ちゃんと褒めてやれよ」
「お前ら直ぐに調子乗るから、褒めんのも気ぃ使うんだよ」
会話に割り込んだアルノーを軽くあしらって、治癒の指輪を嵌めた手を、カイの目の前に差し出した。
「まあ、よくやったよ。ご苦労さん」
一応褒めてから、カイの男前になった傷を癒してやった。
「じゃぁ、次だな。アルノーの番だ」
「ねー、ちょっと…これ何とかしてくれよ」
カイが左腕と首を繋いでいるロープを外してくれと頼んできたが、それはわざわざ俺のすることじゃない。
「甘えんな。それは自分で何とかしろよ」と、笑って意地悪く突き放した。
まだ後がつかえてる。
「じゃあ、行ってくる」と、アルノーは愛用の鎚矛を手に挨拶した。
「俺の勝ちを無駄にすんなよ?」
「分かってるよ。でも気持ちちょい余裕あるわ」
「でもさー、負け一人くらいないと面白くないから適当に降参していいぜ」と、余裕ぶってるアルノーをイザークが意地悪く茶化した。
「やだね。俺はカミさん養わなきゃなんねぇんだ、金一封逃してなるかよ?お前こそ、俺の次負けていいぜ」
「やだよ。俺ちゃんも金一封欲しいもん。
でもタダ酒も飲みたいんだよなー」
「分かった分かった。頭の3人で終わったら俺が出してやる」
「マジで?!スー大好き!」
浮かれて俺に抱きつこうとしてくるイザークの首を、ディルクの太い腕が締め上げた。
ディルクは勝利に酔って緩んだ男たちを一喝した。
「おい!お前ら気ぃ抜くな!向こうだって簡単には勝ち譲っちゃくれねぇぞ!
カイもなんだかんだギリ勝ちだ。舐めてると痛い目見るぞ!」
「ディルクの言う通りだ。まだ始まったばかりだもんな」
あと2勝するのが最低条件だ。
《燕の団》の命運がかかってる。そう簡単には負けられない。
「アルノー、《取ってこい》はできるよな?」
「応!」と吠えて、アルノーは俺の差し出した拳に自分の拳を合わせた。
力強く押し返す拳を信じて、仲間を送り出した。
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