燕の軌跡

猫絵師

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喪失

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ようやくレプシウス師の葬儀が終わり、少し気が抜けて今までの疲れが一気に押し寄せた。

寝不足の時のように頭が重くて座ってるのも億劫だ。

こんな事で音を上げていては笑われてしまうが、とにかく疲れていた…

「お疲れ様でした、アレクシス様」

「ありがとう、クラウス…何とか無事に終わってほっとしたよ」

「大仕事でしたからね。少し横になった方が良いのではありませんか?誰かが来たら私が応対いたします」

クラウスは私に休むように勧めてくれた。疲れていたからその申し出はありがたかった。

「そうだな、少し休ませてもらおう」

クラウスの言葉に頷いて、座っていたソファに身体を預けた。

完璧にしなければと気を張っていたから精神的な疲労が濃かった。頭の芯から感じる重い錆付いたような感覚を自覚すると急激に瞼が重くなった。

少し休んだら、スーに遣いを出そう…

彼がラーチシュタットの外を預かってくれたから、私も自分のすべき事に集中できた。

クラウスも交えて、また三人で話をしたい。彼らの前では私は公子の仮面で飾らなくていいのだ…

それが済んだら、何かと問題があって先延ばしになっていたが、クラウスの騎士号の叙勲もしたい。

元々家柄が弱く、侮られることもあったが、彼は私の一番近くで常に支え続けてくれた大切な存在だ。今までの働きを鑑みればこれでも足りないくらいだ。

私たちは二人で一人だ…

私が侯爵になるなら、クラウスにもそれ相応の地位を与える必要がある。

父上だってクラウスの有能さは認めて下さっているし、母上も彼を信頼している。私たちなら大丈夫なはずだ。

『今回の件でお前の地位は確固たるものになっただろう。

諸侯もお前をヴェルフェル家の後継者として認識した。これはお前の手柄だ。

兄上もお前をラーチシュタットからアインホーン城に呼び戻すつもりらしい。ようやくこの意地の悪い叔父から逃げられるな』

笑えない冗談はさておき、あの気難しい叔父が私の働きを認めてくださった事が嬉しかった。

アレイスター子爵は更にクラウスの働きに関しても高い評価をくれた。

『バルツァーは有能で良い従者だ。これからも大切にするがいい。

私からもバルツァーを騎士へ推す推薦状を用意する。リューデル伯爵にも推薦状を出すようにと手紙で依頼しておこう。これは私からの餞別だ』

その叔父上なりの不器用な愛情をありがたく受け取った。

私たちにとっては何よりも良い餞別だ。

そんなことを考えながら眠ったからか、夢の中で幼い頃の彼の姿を見た…

私の記憶には常に彼の姿があった。

乳兄弟として育った彼は常に私の隣にいた。嬉しい時も悲しい時も一緒だった。私たちは誰よりもお互いを知っていた。

言葉にしなくても考えていることが分かるくらいの絆があった。

親よりも、兄弟よりも、ずっと近くに感じていた存在だ。

君が居たから、私はこの重責に潰れずにいられた…

でもそう伝えても謙虚な彼は照れたように笑いながら、『アレクシス様が頑張ったんですよ』と自分の働きを認めないだろう。

違うよ、クラウス。私の栄光はすべて君の手柄だ。

私たちは、二人で一人なんだから…そうだろう?

✩.*˚

アレクシス様はソファで姿勢を崩すとすぐに寝息を立てて寝てしまった。

アレクシス様は繊細で寝つきが悪い方だが、疲労には勝てなかったようだ。

ここ数日、葬儀の用意で精神的に疲れている様子だったし、不安から上手く寝れて無かったのだろう。

見て分かるくらい顔色が悪かったので心配していたが、無事に大役を果たして気が抜けてしまったようだ。

静かに近づいて彼の寝顔を確認した。

幾つになっても、私に見せるこの無防備な姿は変わらない。

頑張りましたね、アレクシス様…

名実共に、彼は自分の力で次期ヴェルフェル侯爵としての評価を手に入れることに成功した。

平坦な道じゃなかった。初めから後継者として指名されていたわけじゃない。

ヴェルフェル侯爵も奥方様も、アレクシス様の実兄であるヴォルフラム様を後継者にと決めていた。それが裏目に出るとまではさすがにあの二人でも想像できなかったのだろう…

アレクシス様はそのせいで酷く苦労した。

もっと早く後継者として教育を受けて、諸侯と交流していれば…

後継者として功績を立てる場が与えられれば…

秀でた部下を与えられれば…もしかしたらこれほど苦労することは無かっただろう。

比べられることも多いが、アレクシス様は決してお兄様に劣っているなどという事はない。短所と思われるようなところも私にとっては長所にさえ思える。

真面目で一途。少し頑固にも思えるが、一度決めたら曲げたりはしない。

繊細だがそれを他人に押し付けるようなことも無い。

努力家だという事は私が一番よく知っている。

少し自信のないところはあるが、他者の意見にも耳を傾けることができる人だ。

私は彼が良いヴェルフェル侯爵になると信じている…

私なんかが居なくても、彼はこの大役を果たすことができただろう。

その想像は誇らしくも、少し寂しい感情を私に抱かせた。

私はできる限りの事をしてきたつもりだが、私という存在がアレクシス様の足を引っ張っていたのも事実だ…

私はただタイミングよくアレクシス様の乳兄弟になることができただけだ…

本来乳母になるはずだった女性が急死したため、急遽私の母が乳母に選ばれたのだ。

そんな経緯もあって、私の存在は一部の人々から疎まれていた。

それでも、アレクシス様が第二公子だったから表立って私を引きずり降ろそうとする人はいなかった。

アレクシス様が後継者一位になるまでは…

後継者教育を受けていなかったアレクシス様を補佐するために、私の代わりを立てるようとする動きもあった。

その話が出る度にアレクシス様は強く反発して、ヴェルフェル侯爵がその意見を却下してくれた。そうでなければ私はとっくにお役御免で放逐されていただろう…

二人が拒否してくれたから、私は今でもアレクシス様の隣に立っていられるのだ。努力も必要だったが、アレクシス様の隣を譲らずに済むならどんな犠牲も惜しまない。

死ぬ気で努力して死守し続けた。

笑顔で涙を飲んで、心無い言葉に耐えた。不当な評価を受けても完璧な従者であり続けた。

私は死ぬまでこの場所を誰にも譲らない。

そうなるくらいなら死んだ方がマシだ。

それが正常な感情でないとしても、私にはアレクシス様の他に大切な存在など無いのだから…

✩.*˚

そういえば、忙しさにかまけてアレクとの時間が取れていなかった…

気が付けばラーチシュタットの門限も過ぎていて、窓の外の風景は赤と紫の空から藍色に変わろうとしているところだった。

息子の働きを労って一緒に食事を、と思っていたのだが、もう帰ってしまっただろうか?

逗留先に戻る必要もないので、ロンメル男爵はバルテルの代わりに私の元に留まっていた。

行儀はさておき、彼は私の義理の息子で男爵だ。飾りとして置いておく分には申し分ない。

この機会に私への面会を求める声もあったので、それを断らずに済んで助かった。バルテルのようにはいかないが、それでも《英雄》が控えているだけで侯爵としての体面を保つのには十分だ。

訪問者の世話などの細やかな事は侍女がするし、ロンメル男爵は本当に立っているだけだった。

時々こっそりと欠伸をかみ殺していたが、それも相手の長い話を打ち切るのに役立った。

こういう使い方もあるのだな、と少し感心してしまったがあまり褒められることではないな…

アインホーン城で私の名代をしてくれているガブリエラらに出す手紙を用意して、そろそろ仕事に区切りを付けようとしていると、ノックの音がして予定していなかった客が部屋を訪れた。

「珍しいですね。兄上が真面目に仕事をしている姿は…」

皮肉を言いながら部屋に入って来たのはラーチシュタットの城代を務めている弟だ。

「お前から私を訪ねてくるのだって珍しいではないか?」と返すとコンラートは真顔で、「用事があるからです。井戸端で楽しむ女性のようにお喋りを楽しみに来たわけではありません」と皮肉っぽく返した。

相変わらずだな…人間として面白味のない男だ…

「忙しいのなら出直しますが?」

「いや。手紙ならもう書きあがる。少しだけ待っててくれ」

「バルテル卿が不在では仕事にならないのでは?」

「何故お前がそれを知ってるんだ?」

「バルテル卿が私を訪ねて来て、『兄頼みます』と言い残して言ったからですよ。ですので用事ついでに顔を見に来ました」

コンラートはそう言って粗探しするように部屋を見回した。

コンラートは居心地悪そうに壁際に寄ったロンメル男爵を見逃さなかった。

「ロンメル男爵。卿とはあまり話す機会がありませんでしたね」

「は、はぁ…そうですね…」

「バルテル卿の代わりに兄上の付き添いご苦労様です。兄の相手は大変でしょう?」

本人を前に言う事じゃないだろう?

質問もそうだが、話しかけられると思ってなかったロンメル男爵は分かりやすく動揺していた。

そんな様子などお構いなしに、コンラートは私を無視してロンメル男爵に絡んでいた。

コンラートが他人に興味を持つのは珍しい。

熱心にロンメル男爵に話しかけるコンラートの姿に、お気に入りの近侍が眉を顰めていた。その顔には嫉妬のような感情が張り付いていた。

…なるほど…そういう事か…

まぁ、確かにロンメル男爵はコンラートの好きそうな顔立ちだし声も良い。興味を持つのも納得できる。

「この後、特に予定が無いようでしたら食事でもご一緒しませんか?

機会があれば、卿とはゆっくり話をしたいと思っていました」

「い、いえ…その…」

ロンメル男爵は助けを求めるように私に視線を寄越した。

「コンラート。ロンメル男爵は私と食事の予定だ。それとも私に一人で食事しろと?」

「おや?私はてっきりアレクシスと食事をするものと思っていましたが?」

「バルテルの方で少し問題があってな。しばらくはロンメル男爵が代わりに私の補佐をしてもらう。勝手に連れまわされては困るな…

それと、彼は私の娘婿だ。わきまえてくれ」

既婚者であることを強調すると、コンラートは不満そうだったが渋々ロンメル男爵を開放した。

「私に用事だったのだろう?」と話を促すと、コンラートは私の元に来て机に手紙を置いた。

「意地悪な叔父から甥っ子への餞別です。ご一読いただき、ご検討ください」

コンラートの手紙を拾い上げて中身を検めた。

手紙はアレクシスの近侍であるバルツァーを《騎士》に推薦する内容だった。

これに関しては私も同じことを考えていたので、タイミングを見てバルツァーを騎士にする用意を進めていたが、まさか弟に先を越されるとは思っていなかった。

「バルツァーはアレクシスに必要な存在です。

バルツァーが騎士になっても困らないようにヘスラー卿に指導をさせました。準備はできております」

コンラートはアレクシスだけでなくバルツァーにも騎士として指導を与えていたらしい。

なるほど…道理で会う度に行儀も所作も良くなっているわけだ。

「兄上は全部遅すぎるのです。若者の時間を無駄にして…全く見てられません」と、私を批判する弟の言葉は責めるような口調のわりに親切に響いた。

「カール兄様にも推薦状を依頼しています。私よりカール兄様の推薦を得る方が周りの反応は良いでしょう」

「相変わらず抜かりないな…」

「兄上が抜けすぎなのです。いい加減、後継ぎの問題はご自身が原因だと反省してください」

全くその通りで、ぐうの音も出ずにコンラートの叱責を苦笑いで受け入れた。

私の反応を確認してもコンラートの舌鋒は止まらなかった。

「全く…世話だけ押し付けて、使えるようになってから連れていくだなんて随分身勝手ですね。

もちろん、私の苦労に見合った謝礼はご用意下さいますね?」

「私の権限で用意してやれるものならな。好きにするがいい」

そんな常識からかけ離れた要求をする男ではないと高を括って応じると、コンラートは意外な願いを申し出た。

「暫しお暇を頂きたい」

「珍しい…お前が暇請いとはどういう気の吹き回しだ?」

「ヴォルガシュタットの学院を訪問したいのです」と、コンラートは暇請いの理由を答えた。

「お忘れかもしれませんが、私は王宮の学院で宮廷魔導師として魔法を研究しておりました。父上の求めで南部に戻りましたが、自分の研究を投げ捨てたわけではありません。

王宮を離れてからも私は研究を続けております。

その成果を学院に報告するための時間を頂戴したいのです」

初めて聞く末弟の我儘だった。

父上への恩を返すため、弟は自分の積み上げてきたものを全部投げ出して南部に戻って来た。

身勝手で我儘な兄に振り回され、やりたくもない仕事ばかりを押し付けられて、弟には随分我慢を強いてしまった。

それでもこの面倒な兄を捨てずに義理堅く残ってくれたのは父上の徳ゆえだろう…

「そうか…いいんじゃないか?」

そんな無責任な言葉が出たのは、ひとえに私自身弟に感謝していたからだ。今まで縛ってしまった。そんな罪悪感もあった…

私が我儘に生きられたのは頼れる弟たちがいたからだ。

私だけ我儘を続けているのは不公平だな…

「どのぐらい暇が欲しいんだ?」

「学院の予定も確認して、可能であれば一月は頂戴したいです。冬の間であればオークランドも仕掛けて来ないでしょう。

それでも新年会の期間は避けたいです。兄上たちまで新年会でヴォルガシュタットに呼び出されたら南部が留守になります。それまでには戻るつもりです」

そうか…《戻るつもり》か…

アレクを引き取ってくれた時といい、玉旗の件の時といい、今回といい、余程私は放っておけないようだ。

すでに『私の権限で用意してやれるものなら』と約束してしまっている。弟の暇請いを断る気にはならなかった。

「予定が立ったら教えてくれ。そういうのはお前が一番得意だろう?」

「随分簡単に受け入れてくれるのですね…」とコンラートは少し拍子抜けしたように呟いた。私が王都行きをごねると思っていたのだろうか?

「私はお前の計画書に無責任にサインをして判を押すだけさ。せいぜい後で自分が困らないような計画書をだすことだ」

「まったく…そんなのだから、私の気苦労ばかりが増えるのですよ…いい加減侯爵としての自覚をお持ちください」

ひねくれた弟は適当な兄に皮肉で返した。

それはいつもの兄弟の会話で、私の耳にはその容赦ない言葉に懐かしささえ覚えた。

✩.*˚

兄上はあっさりと私の暇請いを受け入れた。

少しぐらい引き留められるものだと思っていたが、兄は私が拍子抜けするほど簡単に暇を取ることを許した。

バルツァーの件も前向きに検討するようだし、用事は終わったのでもう帰ろうした私を兄上が呼び止めた。

「コンラート。私から一つ頼みがある。

ローゼンハイム卿と面談を用意してもらいたい」

「ローゼンハイム卿とですか?」

今その名が出るとは思っていなかったので、少し驚いた。それはパウル兄様にも伝わっていたようだ。

「リュディガーについても少し気になっていたのでな。

私が呼び出すのは具合が悪い。お前から呼び出してくれないか?」

「それは構いませんが、何か訳ありですか?」

ローゼンハイム卿はヴェルフェル家に叛意ありとしてその籍を失ったが、妾の息子たちの中でも目立つほど優秀で兄のお気に入りだった。

私とて彼が惜しいと思ったからラーチシュタットで引き取ったのだ。

危うい存在である彼を下手に放逐してしまうより、現実を見せつけた方がローゼンハイム卿の為になると思って手元に置くことに決めた。

それでも、万が一にでもローゼンハイム卿がアレクシスを害そうとするなら、私は甥を自ら粛清する覚悟でいた。本人にもそれは告げていたし、アレクシスにも異母兄の発言は隠さずに報告するように伝えていた。

ローゼンハイム卿は『アレクシスは私の弟です』と答え、アレクシスは『リュディガー兄様は尊敬できる兄上です』と答えた。

その二人の言葉を信じて見守って来たつもりだ。

「…訳ありと言えば訳ありかもしれんな…」と、パウル兄様は私の問いかけに苦い表情を滲ませた。それは触れられたくないものを隠そうとしているようにみえた。

「少し確認したいことがあってな。大事にする気は無い。私が確認したいだけだ」

「それこそ無視できませんね。まさか私に隠したまま都合の良いように話を進めるつもりですか?

私も随分見くびられたものですね」

「そう言うな。リュディガーに確認して私の杞憂であればそれでいい。父として息子と話がしたいのだ」

「益々怪しいですね。兄上は随分嘘が下手くそになったのではありませんか?」

私の追及にパウル兄様は「そうかもしれんな」と誤魔化すように力なく笑った。弱っている兄の姿に苛立ちを覚えている自分がいた。

貴方はそんな弱い人間じゃなかったはずだ。

健康的で溌溂としていて、青空で輝く太陽のように眩しい人だった。侯爵になって兄の眩しさは霧に霞む太陽のように少しぼやけてしまったように思えた。

我々の敬愛した父上の跡はそんなにも苦しいものだったのだろうか…

実の兄弟に頼れぬほどの事なのだろうか?私にはその程度の信頼しかないのか?

「私は貴方の弟です」と、柄にもなく熱くなっていた。

都合の良い時だけ頼って、本当の問題は隠したままにするなんて虫が良すぎる。

「身内の恥だと思って隠しているのなら、私に隠しても無駄です。私はその身内です。

リュディガーの叔父として、貴方の弟として知らなければいけない事であれば話してください」

こじつけのような頭の悪い無茶苦茶な暴論だ。それでも頼られなかったことがどうにも許せなかった。

私の暴論に、あっけにとられたような顔をしたパウル兄様だったが、苦く笑った顔は少し明るい表情に変わっていた。

「…そうだな…二人を預けてお前を巻き込んだのは私だ」と、自分に言い聞かすように呟いて、兄は少しだけ視線を外すと部屋の隅に立っていたロンメル男爵に目配せした。二人の間ではそれで通じたようだ。

「お前も南部の男だな…」

「なんの話ですか?」意図が分からない発言につい問い返してしまったが、兄はまともに答える気など無いようだ。

「いや、なに…以前カールと話してな。お前は意外と熱い男だと…全くその通りだったと思ってな」

「二人で私の知らないところで陰口をたたいていたのですか?」

「そうか?南部の男にとっては最高の誉め言葉だと思うぞ?」

「からかわないでください。そんなことを言っても誤魔化されませんよ?」

「そうだな」と頷いて、パウル兄様は重いため息を吐き出して覚悟を決めたようだった。

兄は私の知らないリュディガーの話をした。

私の目を盗んでそんな勝手をしていたとは…

「お前の監督責任を問うつもりはない。リュディガーの言う通り、本当に警邏のつもりで足を延ばしていた可能性捨てきれない」

「甘いのでは?」と苛立ちを含んだ声で兄を責めたが、本当に責めたいのは無能な自分自身だ。

アレクシスとの事は気にしていたが、最近のローゼンハイム卿のプライベートまでは把握していなかった。

ラーチシュタットに預かったばかりの頃は気にかけていたが、ローゼンハイム卿は用心深い狐のように巧妙にその腹の中を隠していたようだ。

今思えばあまりにも大人しすぎたのだ…

理想的な仕事ぶり、理想的な受け答え、理想的な人格は私を油断させるための演技だったようにすら思える。すべてが疑わしい。

「私が確認します。預かった以上、これは私の責任です」

汚名をそそぐ機会を求めたが、パウル兄様はそれを拒んだ。

「いや。私が望むのは面談の場を用意してもらう事だけだ。

お前は今まで通り、ローゼンハイム卿に接してほしい。疑いがかかっていると悟られないように上手くやってくれ」

「それこそ私には難しい役です」

「お前なら上手くやるさ。私やカールより適任だ」

パウル兄様は無理やり私を持ち上げてそんな役を押し付けた。

全く…難しい、嫌な事ばかり押し付ける…兄たちはいつもそうだ…

いっそ私も兄たちのように馬鹿みたいな武辺者だったらよかったのに、その役はヴェルフェル家にはもう足りていた。賢い有能な弟なんて損だ…

「分かりました…明日、ローゼンハイム卿との面談の時間をご用意いたします」

「すまんな。助かる」

本当にそう思っているのか?全く、いつも簡単に言ってくれる…

私の顔に不機嫌が張り付いているのを見て取って、兄は小さく笑って私の機嫌を取ろうと口を開いた。

「ロンメル男爵を口説いていたくらいだ。特に約束も無いのだろう?

兄と同席ならロンメル男爵も食事の誘いを断らないだろうよ」

「アレクシスはどうするのですか?」

「ん?アレクも誘ってくれるのか?なかなか気が利くじゃないか?」

兄は私の機嫌を取るのかと思えば自分の都合の良いように話を持って行った。

何て人だ…

こういう人たらしの部分はどうやっても兄には敵いそうにない。

渋々の体で納得したふりをした。

「ヘスラー卿。アレクシスの執務室を覗いて来てくれ。まだ残っているようなら侯爵の招待を伝えて来てくれ。あと、侯爵も召し上がると料理長にも伝言を頼む」

今までのやり取りを聞いていたヘスラー卿は「畏まりました」と頷いて席を外した。

ヘスラー卿が戻ってくるまでここで待つことにしたが、いつまで待っても彼が戻ってくる様子は無かった。

「随分時間がかかるのだな?」とパウル兄様も怪しみ出した頃に、慌ただしい甲冑と軍靴の音、下知を飛ばす怒鳴り声が部屋の外から聞こえてきた。

何事かと椅子から腰を浮かせた時に勢いよくドアが開いて、血相を変えたヘスラー卿が部屋に飛び込んできた。

彼は血の気の引いた顔で震える声で我々に凶報を告げた。

「両閣下、一大事でございます!

公子様が…公子様が何者かに襲撃されました!」

あまりの事に兄と共に言葉を失った。凶報はそれで終わらなかった。

「公子様は辛うじて無事でしたが…バルツァーが…

騒ぎを聞いて私が部屋に着いた時には既に息絶えておりました」

「バルツァーが…」なんてことだ…

全てが上手くいくはずだった…私の心血を注いで育てた有能な若者が失われてしまった…

全てが狂ってしまった…

身体は動かず、思考は錆びたように考える事を拒絶した。
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