16 / 29
16話
しおりを挟む
今にも雨が降ってきそうな曇天の日に、アデリーナはウルフスタン邸を訪れた。
休日だったジェラルドはすぐに彼女を出迎え、応接室へと案内する。侍女はお茶を持ってくるとすぐに退室した。執事に人払いを頼んでいるので、ジェラルドが呼ばない限りは誰もここには近づかないだろう。
ジェラルドは淹れたばかりのお茶を一口飲んだ。対面のアデリーナはいつもと違って強張った表情のままうつむいて動かない。
顔を合わせるのは墓場で頼み事をして以来だったが、彼女の様子を見るに、頼み事を果たしてくれたようだ。
「ジェラルド、これ……」
おずおずとアデリーナが小さな包みを差し出す。手のひらに収まるそれの中身は小さな印章だった。
「取ってきてくれたのか。ありがとう。……保管場所を見つけるのも大変だっただろう?」
「いいえ、簡単に見つかったわ。鍵はかかってたけど、すぐに開けられた。暗証番号、お母様の誕生日だったから……」
アデリーナは膝に置いた手を握りしめると、ジェラルドを見上げた。
「ねぇ、それがあれば、お父様の不正を暴くことができるのよね?」
あの墓参りの日、ジェラルドはカールの書斎から会社の印章をこっそりと持ってきてくれないかと頼んでいた。初めは驚き拒否したアデリーナだったが、カールが汚職に手を染めており、このままでは社員もろとも共倒れになると告げると、戸惑いながらも引き受けてくれた。
「ああ。……これで会社は助かる」
アデリーナに印章を盗ませなくても、カールを殺した後に自分で探して奪い取ればいいだけだ。リスクを犯してまでアデリーナに盗らせたのは、コンラッドを利用したカールへの意趣返しに他ならない。
あの男がわざわざコンラッドに印章を盗らせたのは父への嫌がらせだろう。憎い相手の大切な息子を計画に加担させたかったのだ。
だから、ジェラルドもアデリーナに同じことをした。カールにとってアデリーナはさほど重要な存在ではない。たとえ後でアデリーナが利用されていたと知ってもショックを受けないだろう。それでも、ジェラルドはアデリーナを巻き込むことを選んだ。
「そう。……それなら、良かったわ」
微笑むアデリーナの顔には拭いきれない疑義と罪悪感の色がある。
年端も行かない無邪気なコンラッドとは違い、アデリーナは成人となる十八歳だ。ジェラルドを信じてはいても自分のしたことの意味をわかっている。他に良い道はなかったのかと、何故自分にこのようなことをさせたのかと多少の不信感を抱いている。
だが、そんなことどうでもいいことだった。彼女がジェラルドの意図に気づく前に、カールと共に始末するのだから。
「社長が捕まったとしても、横領に関わりないあなたが罪に問われることはないので安心してくれ。何かあっても、俺が対処する」
「ありがとう」
「気疲れしただろう。……久しぶりにのんびりしていかないか? ピアノも先日調律したんだ」
「ありがたいけど……あまり調子が良くないから、今日は帰るわ。最近、眠れてなくて」
「……そうか。なら、おすすめのものがある」
ジェラルドはこの日のために用意していた包をアデリーナに渡した。
中身はチョコだ。就寝前に一粒食べるとよく眠れるからと渡すと、アデリーナは素直に受け取った。
「ああ、あと社長にも以前話していたワインが手に入ったから渡しておいてほしい」
アデリーナは土産を手に、ウルフスタン家の馬車に乗り込んだ。
「本当に俺が付き添わなくて大丈夫か?」
「ええ。ちょっと疲れてるだけで体調が悪いわけじゃないし。せっかくの休日なんだし、あなたも休んで。……それじゃあ、またね」
ガラガラと音を立てながら遠ざかっていく馬車を見送る。
アデリーナは今夜、あのチョコを口にするだろう。一緒に持たせたワインはカールが喉から手が出るほど欲しがっていた年代のものだ。あの男は早速寝酒にするに違いない。
計画を実行するなら今夜だ。既に偽造した遺書も用意しているし、リントン邸の侵入経路も把握済みでいつでも動ける用意はしていた。
「今日で……すべて、終わらせる」
呟いたジェラルドの頬に、ぽつりと雫が落ちる。見上げた空から次々と雨粒が降り始めた。この様子ではきっと明日まで雨は続くだろう。人目を避けたい犯行にはありがたい天候だ。
喜ぶべき天の采配を、ジェラルドはしばらくその場に立ち尽くして見上げていた。
休日だったジェラルドはすぐに彼女を出迎え、応接室へと案内する。侍女はお茶を持ってくるとすぐに退室した。執事に人払いを頼んでいるので、ジェラルドが呼ばない限りは誰もここには近づかないだろう。
ジェラルドは淹れたばかりのお茶を一口飲んだ。対面のアデリーナはいつもと違って強張った表情のままうつむいて動かない。
顔を合わせるのは墓場で頼み事をして以来だったが、彼女の様子を見るに、頼み事を果たしてくれたようだ。
「ジェラルド、これ……」
おずおずとアデリーナが小さな包みを差し出す。手のひらに収まるそれの中身は小さな印章だった。
「取ってきてくれたのか。ありがとう。……保管場所を見つけるのも大変だっただろう?」
「いいえ、簡単に見つかったわ。鍵はかかってたけど、すぐに開けられた。暗証番号、お母様の誕生日だったから……」
アデリーナは膝に置いた手を握りしめると、ジェラルドを見上げた。
「ねぇ、それがあれば、お父様の不正を暴くことができるのよね?」
あの墓参りの日、ジェラルドはカールの書斎から会社の印章をこっそりと持ってきてくれないかと頼んでいた。初めは驚き拒否したアデリーナだったが、カールが汚職に手を染めており、このままでは社員もろとも共倒れになると告げると、戸惑いながらも引き受けてくれた。
「ああ。……これで会社は助かる」
アデリーナに印章を盗ませなくても、カールを殺した後に自分で探して奪い取ればいいだけだ。リスクを犯してまでアデリーナに盗らせたのは、コンラッドを利用したカールへの意趣返しに他ならない。
あの男がわざわざコンラッドに印章を盗らせたのは父への嫌がらせだろう。憎い相手の大切な息子を計画に加担させたかったのだ。
だから、ジェラルドもアデリーナに同じことをした。カールにとってアデリーナはさほど重要な存在ではない。たとえ後でアデリーナが利用されていたと知ってもショックを受けないだろう。それでも、ジェラルドはアデリーナを巻き込むことを選んだ。
「そう。……それなら、良かったわ」
微笑むアデリーナの顔には拭いきれない疑義と罪悪感の色がある。
年端も行かない無邪気なコンラッドとは違い、アデリーナは成人となる十八歳だ。ジェラルドを信じてはいても自分のしたことの意味をわかっている。他に良い道はなかったのかと、何故自分にこのようなことをさせたのかと多少の不信感を抱いている。
だが、そんなことどうでもいいことだった。彼女がジェラルドの意図に気づく前に、カールと共に始末するのだから。
「社長が捕まったとしても、横領に関わりないあなたが罪に問われることはないので安心してくれ。何かあっても、俺が対処する」
「ありがとう」
「気疲れしただろう。……久しぶりにのんびりしていかないか? ピアノも先日調律したんだ」
「ありがたいけど……あまり調子が良くないから、今日は帰るわ。最近、眠れてなくて」
「……そうか。なら、おすすめのものがある」
ジェラルドはこの日のために用意していた包をアデリーナに渡した。
中身はチョコだ。就寝前に一粒食べるとよく眠れるからと渡すと、アデリーナは素直に受け取った。
「ああ、あと社長にも以前話していたワインが手に入ったから渡しておいてほしい」
アデリーナは土産を手に、ウルフスタン家の馬車に乗り込んだ。
「本当に俺が付き添わなくて大丈夫か?」
「ええ。ちょっと疲れてるだけで体調が悪いわけじゃないし。せっかくの休日なんだし、あなたも休んで。……それじゃあ、またね」
ガラガラと音を立てながら遠ざかっていく馬車を見送る。
アデリーナは今夜、あのチョコを口にするだろう。一緒に持たせたワインはカールが喉から手が出るほど欲しがっていた年代のものだ。あの男は早速寝酒にするに違いない。
計画を実行するなら今夜だ。既に偽造した遺書も用意しているし、リントン邸の侵入経路も把握済みでいつでも動ける用意はしていた。
「今日で……すべて、終わらせる」
呟いたジェラルドの頬に、ぽつりと雫が落ちる。見上げた空から次々と雨粒が降り始めた。この様子ではきっと明日まで雨は続くだろう。人目を避けたい犯行にはありがたい天候だ。
喜ぶべき天の采配を、ジェラルドはしばらくその場に立ち尽くして見上げていた。
11
あなたにおすすめの小説
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
真実の愛は水晶の中に
立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。
しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。
※AIイラスト使用
※「なろう」にも重複投稿しています。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
伝える前に振られてしまった私の恋
喜楽直人
恋愛
第一部:アーリーンの恋
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
第二部:ジュディスの恋
王女がふたりいるフリーゼグリーン王国へ、十年ほど前に友好国となったコベット国から見合いの申し入れがあった。
周囲は皆、美しく愛らしい妹姫リリアーヌへのものだと思ったが、しかしそれは賢しらにも女性だてらに議会へ提案を申し入れるような姉姫ジュディスへのものであった。
「何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」
誰よりもジュディスが一番、この求婚を訝しんでいた。
第三章:王太子の想い
友好国の王子からの求婚を受け入れ、そのまま攫われるようにしてコベット国へ移り住んで一年。
ジュディスはその手を取った選択は正しかったのか、揺れていた。
すれ違う婚約者同士の心が重なる日は来るのか。
コベット国のふたりの王子たちの恋模様
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる