塔の悪魔は天を仰ぐ

あやさと六花

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11話 居場所

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 朝日の降り注ぐ庭で、ジェシカは日課となる素振りをしていた。

 ジェシカは体を鍛えることが好きだ。無心で体を動かしていると、何もかもを忘れられる。どんな困難に見舞われても乗り越えられてきたのは、こうして毎朝体を動かして気持ちを切り替えてきたからだろう。

 心身を鍛えるため、他の者たちに侮られないために始めた剣は、いつしかジェシカの支えとなっていた。
 
 ふいに気配を感じてジェシカは手を止めた。振り向けば、そこには母の姿があった。

「ごめんなさい。あなたの邪魔をするつもりはなかったの」
「いえ、構いません。何か御用でしょうか」
「用というほどのことではないのだけれど……今も、剣は続けているのね」

 母はジェシカの手に握られた剣を一瞥した。その表情は曇っている。
 既に後継者の座は弟のものだ。にもかからず、まだ諦めていないと憐れんでいるのだろうか。

「時々、殿下と手合わせをすることがあるんです。腕がなまっていると、お相手してくださる殿下に申し訳ありませんから」
「まあ……そうだったの。そうね、殿下は剣がお好きだったものね」

 エリザベスも体を動かすことが好きで、幼い頃から剣を学ぶことが好きだった。
 ジェシカは領地で育てられるはずだったが、エリザベスの打ち合いの相手として最適だと王都に留まることになったのだ。

「ええ。それに、王族の方々に仕える者として、いざという時のために戦える強さはあったほうがいいですから」
「……確かに、あなたの仕事はいつ、どんな危険にさらされるかもわからないものね」

 母は頷くと、心配そうにジェシカを見やった。

「今からでも、移動はできないの? 殿下ならわかるけれど、ベネディクト様なら仕えるのはあなたでなくてもいいのでしょう?」
「お母様、以前も申しましたが、これは殿下のご命令です。私は与えられた仕事を放棄するつもりはありません」
「でも……」
「それに、私は今の仕事も気に入っております。ベネディクト様は巷で流れる噂とは違い、お優しい方です」

 本心からそう告げたが、母の表情は晴れない。
 母は辺りを見回し、声を潜めた。

「最近、ベネディクト様に関して良くない噂が流れてるでしょう? 自身の正当性を主張して王位継承権を得ようと画策してるとか」

 モーガン伯爵が新たに流した噂だろうか。それとも、以前彼が流した噂から生まれたものだろうか。

「このまま侍女を続けていたら、あなたも変なことに巻き込まれてしまうかもしれないわ」
「ご心配はいりません。その噂のようなことは起こりませんから」

 そのために、ジェシカはベネディクトに仕えているのだ。謀反の芽があれば、即座に摘むだけだ。
 それに、ベネディクトは争いごとを好むような人ではない。彼は穏やかな日々を望んでいる。

 それでもまだ渋る様子の母に、ジェシカは最終手段に出ることにした。

「なにより、私がベネディクト様にお仕えしたいのです。どうか、お認めください」
「……そう。それがあなたの望みなら、しかたないわね」

 母はため息を付いた。

 両親は令嬢として生きたかったジェシカに後継者教育を受けさせたことを後悔していた。だから、今はもうジェシカの望む人生を歩ませたいと思っている。
 そのため、多少納得のいかないことでも、ジェシカの望みだと言われると引き下がる。
 何度も進められた結婚の話も、同じように諦めてもらった。

 両親の弱みを利用するようなやり方にジェシカは罪悪感を覚えるが、こうでもしないと母は引き下がらなかっただろう。
 他に手はなかった。そう自分に言い聞かせる。

「ああ、そうだわ。家の図書室を改装するの。置いている本などは処分する予定だから、いるのがあれば、持っていってちょうだい」
「わかりました」

 母は会話を終えると、その場を立ち去った。
 ジェシカは胸にくすぶる後味の悪さを振り払うように、剣を握った。
 


「姉上、もう帰られるのですか? もう少しいてくださっても……」

 馬車に乗ろうとしたジェシカの服を、ユージーンがそっと掴んだ。
 先ほど別れの言葉を交わした時は平気そうだったのに、いざ別れるとなると耐えきれなくなったようだ。

「ユージーン。ジェシカだって仕事があるんだ。わがままを言ってはいけないよ」

 父にやんわりと窘められ、ユージーンは手を離す。
 ジェシカは肩を落とす弟の頭を撫でた。

「泊まるまでは難しいけれど、あなたが領地に戻る前にまた会いに来るわ」

 ユージーンはジェシカの言葉に目を輝かせ、頷いた。

 ジェシカは馬車に乗り、窓を開けた。
 両親とユージーンが去っていくジェシカを見送る。ジェシカは彼らに微笑み、帰路についた。




「おかえり、ジェシカ」

 翌日、ジェシカはすぐに職場に復帰した。ベネディクトの部屋を訪れた時にかけられた声に、ジェシカはようやく一息つけた心地になった。

「只今戻りました」
「……かなり、疲れたみたいだね」

 じっとジェシカの顔を見て、ベネディクトは労るように告げた。
 ジェシカは驚き、ベネディクトを見返した。

「そのように見えますか?」
「ああ。いつもより元気がない」

 厳しい後継者教育を受けたジェシカは、感情を隠すのが得意だ。怒りや不安、困惑、そうした負の感情を相手に悟らせない自信がある。
 現に、朝食を取りに行く時に顔を合わせた侍女達も、塔の門番も誰ひとりジェシカの落ち込んでいることに気がつかなかった。久しぶりに家族と会えて良かったね、と家族との再会を喜んでくれた者もいた。

 例外はエリザベスくらいだろう。彼女は人の感情の機微に聡い。なにより、長年苦楽をともにした幼馴染だ。隠したところで、ジェシカの感情などひと目で見抜く。

 エリザベス以外の人間には取り繕えていると自負していた。
 だから、まさか出会って数ヶ月のベネディクトが気づくとは思わなかったのだ。

「そうですね……。少し、気疲れしてしまったのかもしれません」
「……まあ、久しく会ってない家族との再会が気まずいのはわかるよ。君の家庭も、複雑なようだし」

 彼はジェシカの家系図を把握している。年老いた両親と行き遅れの姉、姉と一回り以上年が離れた弟。何故そんな関係になったのか、そんな家族がどういう関係になってしまうのか、推測できるのだろう。

「あまり気が乗らないようだったら、今日は休んでも大丈夫だ。君は僕付きになってからまともに休んだことないだろう?」

 通常は数人侍女がつくが、エリザベスの密命のこともあり、現在ベネディクトにはジェシカしかついていなかった。
 
「いえ。休むほどのことではありません。毎年のことですし、昔から休みはあまりとらない方でしたので、休みのほうが落ち着かないんです」
「そうか。それならいいけど……君は本当に仕事熱心だな。それで一度も病気などにもなったことがないんだろう? 周りが流行り風邪で倒れる中でもひとりピンピンしてたとか」
「ステイプルズ家は体が丈夫なんです。……私、そこまで話してましたか?」

 ベネディクトと雑談をする仲になり、様々なことを話すようになった。自分のことも話題にすることはあったが、無難なことしか話していないと記憶している。

「アネットがいろいろ教えてくれたんだよ。彼女、結構話好きなんだな。君は僕の侍女になるまでは給仕をしたこともなくお茶を淹れるのも一苦労で、特訓したんだとか。だから、ここに来た当初、あれだけ僕に茶を勧めたんだな」

 からかうような口調のベネディクトに、ジェシカは微笑んだ。

「ええ。アネット仕込みのものなので、多少自信があるんです。彼女は王宮でも美味しいお茶を淹れることで有名なので」
「確かに、美味かったな」
「お気に召したのであれば、給仕をアネットに変えることも可能ですが」

 エリザベスはジェシカに休みを与えるために、別の侍女もつけることを検討していた。
 今回のベネディクトの様子次第とのことだったが、おそらく問題ないだろう。雑談で盛り上がれるほど、アネットと打ち解けたようだ。

「いや、いいよ。彼女の茶も美味しかったが、僕は君の淹れる茶が気に入ってるから」
「……そうですか」

 口元がほころぶ。ベネディクトから茶の感想を聞いたのは初めてだった。

「でしたら、朝食後、お淹れしましょうか。……あと、以前ベネディクト様が興味を示されていた本が実家にあったので持ってきました」

 ジェシカは一冊の本を取り出した。
 この国の各地方の祭りなどが詳細に記された本だ。後継者教育を受けていた頃、ジェシカはこの本を父から譲り受けた。

 表紙を見た途端、ベネディクトは目を輝かせた。

「いいのか? これ、貴重な本だと聞いたけど」
「父が幼い頃私に買ってくれた本なので構いません」
「そうなんだ。嬉しいよ、ありがとう、ジェシカ」
「……いえ」

 ベネディクトの笑顔に、ジェシカは気恥ずかしさを感じ、咄嗟に目を伏せた。
 造形が似ているからか、彼の笑顔はエリザベスの笑顔に似ている。けれど、ベネディクトに向けられる笑みは、何故だかジェシカを落ち着かない気持ちにさせた。

「少し傷んでいるのが申し訳ないのですが……」
「いや、綺麗だよ。僕の持ってる本のほうがよほどボロボロだから。大切に読むよ、ありがとう」

 ベネディクトと雑談をしながら、ジェシカははりきって給仕をする。
 いつの間にか、憂鬱な気持ちはどこかに消えていた。
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