塔の悪魔は天を仰ぐ

あやさと六花

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10話 家族との時間

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 ジェシカは眼前の屋敷を見上げる。
 ステイプルズ家が所有するタウンハウスは家の格に相応しい程よい大きさだ。数年ぶりに訪れる屋敷を前に、ジェシカは気後れしていた。

「どうなさいましたか、お嬢さま」

 迎えに来た執事が、不思議そうにジェシカを見る。

「いえ、なんでもないわ。ただ、久しぶりだなと思って」
「去年は皆様、王都に来られませんでしたからね。……皆様、お嬢さまにお会いするのを楽しみにされていますよ」

 執事がそう微笑みかける。彼は長年ステイプルズ家に仕えており、内情をよく知っている。室内に入ることを躊躇するジェシカを気遣ってくれているのだろう。
 ジェシカも笑みを返し、屋敷に向かった。

「姉上! おかえりなさい!」

 玄関に足を踏み入れた瞬間、そんな明るい声がジェシカを出迎えた。顔を上げると、階段から勢いよく少年が駆け下りてくるのが目に飛び込んだ。

「ユージーン! 走っては危ないわ!」

 ジェシカの注意に、ユージーンははっとした顔をして足を止めた。背筋を伸ばし、ジェシカに頭を下げる。

「申し訳ありません、姉上。久しぶりにお会いできたので、つい嬉しくなってしまって……ステイプルズ家の者として、ふさわしくない行いをしてしまいました」

 ジェシカは微笑んだ。まだ十歳なのに、大人びた言動をしようとする弟がかわいらしかった。

「あなたが怪我しないかが心配なの。気をつけてね」

 ユージーンは顔をほころばせて頷く。

「姉上、談話室に行きましょう! 父上も母上も姉上をお待ちしていますよ!」

 ジェシカの手を引きながら、ユージーンは談話室へと向かう。年頃の弟は素っ気なくなることもあると聞くが、ユージーンは二年前と変わらない。

「姉上が戻られました!」

 ユージーンの言葉に、談話室のソファに座っていた父と母が顔を上げる。

「ジェシカ……おかえりなさい」
「ニ年ぶりだが、元気そうで良かったよ」

 両親は穏やかな笑顔でジェシカを迎え入れた。
 とうに五十を越えている彼らの頭髪はチラホラと白髪が目立ち、目元のシワも以前より深くなっている。

「お久しぶりです。おふたりも、お元気そうで安心しました」

 挨拶を交わし、ジェシカもソファに座る。

「今日のために、お菓子を用意したんです。それ食べながら、お話しましょう。姉上に直接話したいこと、たくさんあるんです! 手紙だと書ききれなくて」

 ユージーンとは時折手紙でやりとりをしていた。後継者教育が始まったユージーンは忙しいようで、頻度は高くないが、必ず手紙を出してくれる。

 お茶をしながら、それぞれの近況報告をした。話したいことがたくさんあると言うだけあって、ユージーンは饒舌だった。
 彼を中心に、話は弾んだ。
 父も母も楽しそうに顔をほころばせていた。ジェシカも終始笑顔が耐えなかった。

 幸せな一家の団らん。はたから見たらそう見えるに違いない。
 ユージーンもきっとそう信じて疑ってないだろう。

 両親は穏やかに笑っている。だが、ジェシカと目が合うと、ほんのわずかにその顔がこわばる。

 ジェシカと両親はけっして仲が悪いわけではない。両親はジェシカを愛してくれているし、ジェシカも両親を敬愛している。
 彼らがジェシカに見せるぎこちなさは、引け目からくるものだ。

「後継者教育って、思っていた以上に難しいんですね。成し遂げられるか心配です」

 両親が気まずそうに目を伏せた。ユージーンが気づかないくらいの極わずかな間の仕草だったが、ジェシカは居た堪れない気持ちになる。

 ジェシカは自身の気持ちを見て見ぬふりをして、ユージーンに微笑みかける。

「大丈夫よ、あなたなら立派な後継者になれるわ。私の弟だもの」
「はい! 僕も姉上のように立派な大人になります!」

 しばらく談話室で家族団らんの時間を過ごした後、ジェシカは自室へと向かった。
 
 ジェシカの自室は無機質なものだった。
 調度品は飾り気のないシンプルなもので統一しており、絵画なども飾られていない。
 
 両親は部屋の内装を変えるように提案してくれたが、一年に数回使うか使わないかなので、断った。それに、この部屋を変えてしまうのはこれまでの自分を消してしまうようで嫌だった。

「九年、頑張ってきたものね」

 使いこまれた机にふれる。物心付いた頃から、かじりつくように勉学に励んできた。令嬢らしい遊びも学びもすべて諦めて、ひたすら努力してきた。
 ステイプルズ家の後継者となるために。


 両親には長年子どもができなかった。周囲は離婚を勧めたが、ふたりはけっして別れなかった。

 実子が無理なら、親戚から養子をもらえばいい。
 そう思っていた時、子どもができた。結婚から十二年目のことだった。

 生まれたのは女児だった。後継者は男が優先されるが、女でも家を継ぐことはできる。
 待望の第一子を両親は大事に育て、五才になる頃には早すぎる後継者教育を始めた。

 女の当主は軽んじられやすい。ささいな言動すら重箱の隅をつつくように責められることも多く、ジェシカが将来苦労しないようにと早めに教育を施したのだ。

 ジェシカは他の令嬢たちのようにお茶会をしたり綺麗なドレスをまとったりしたかった。
 けれど、自分のわがままで両親たちを困らせたくはない気持ちのほうが勝った。ステイプルズ家の直系は自分しかいなかったから。

 そうやって自分を律しながらステイプルズ家の後継者として認められ始めた十四歳の頃、弟のユージーンが生まれた。
 

 

「姉上! 夕食まで時間がありますし、よければチェスをしませんか?」

 ジェシカが部屋でくつろいでいると、ユージーンが遊び道具を抱えてジェシカの部屋を訪れた。

「あら。さっき勉強を頑張ると部屋に戻ったんじゃなかったかしら?」
「う……そ、それはまた後日頑張ります! 今日は久しぶりに姉上とお会いできたので、遊びたくて」
「ふふ。冗談よ。たまには息抜きも必要だし、私も暇をしていたの。いいわ、遊びましょう」
「やった! 姉上、僕かなり腕を磨いたんです。今日は手加減なしでお願いします」

 ユージーンが五歳の頃からチェスやカードゲームで遊んでいた。どれもギリギリ彼が勝つようにと調整していたのだが、本人にはバレていたらしい。
 それならとジェシカは全力で相手をすることにした。この年頃は子供扱いをされるのが嫌になり始める時期だ。
 
「――チェックメイト」
「……うう、途中までは勝てると思ったのに」
 
 悔しそうに盤上を見つめ、ユージーンはつぶやいた。    
 手を抜くなとジェシカに頼むだけあって、ユージーンは以前よりもかなり強くなっていた。この成長速度だと、後数年も経たないうちにジェシカを打ち負かすのではないだろうか。
 
 チェスだけではない。ユージーンは勉学でも頭角を発揮し始めていると聞いている。かつてジェシカも学びを受けていた家庭教師が太鼓判を押すくらいだ、ユージーンはやがて優れたステイプルズ家当主になるだろう。
 
「……姉上? どうなさいましたか?」
 
 ユージーンの声に、ジェシカはハッとする。
 心配そうにこちらを見ているユージーンに、ジェシカは微笑みかけた。
 
「いえ。なんでもないのよ。強くなったわね。びっくりしちゃったわ」
「本当ですか!? もう一戦しましょう! 次こそ姉上に勝ってみせます!」
 
 ユージーンは意気揚々とチェスの駒を並べ始める。先程までの悔しそうな表情はどこへやら、今はニコニコと楽しそうだ。
 感情豊かなユージーンはきっと領地でのびのびと育っているのだろう。男であるユージーンはジェシカのように厳しくする必要はないのだから。

「姉上、始めましょう!」

 ユージーンに促され、ジェシカは駒に手を伸ばした。
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