塔の悪魔は天を仰ぐ

あやさと六花

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9話 信頼と疑問

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 エリザベスと別れ、ジェシカは塔へと向かった。

 沈みそうになる心を叱咤し、気持ちを切り替える。
 いくら憂鬱とはいえ、仕事で私情を引きずってはならない。エリザベスへの報告などでベネディクトの側に侍れなかった分、誠心誠意尽くさなくては。

「今日はプディングにしたけれど、ベネディクト様、喜んで下さるかしら」

 日課になりつつあるおやつとお茶の道具一式を乗せた盆を手に持ち、ジェシカはつぶやいた。
 プディングを出すのは初めてだが、焼き菓子が好きな彼は喜んでくれるのではないだろうか。そんな期待を胸に塔の前まで来た時だった。

「ーーですから、立ち入りを許可された者以外、この塔には足を踏み入れることはできないのです」

 緊張感のある見張りの声が聞こえた。
 顔を上げると、見張りの騎士と男が揉めているのが見える。男はこちらに背中を見せているため顔は見えないが、誰だかすぐにわかった。

「何をしているのです、モーガン卿」

 あえて険を滲ませ、ジェシカは声をかけた。
 モーガン伯爵の肩がぴくりと反応する。きっとその顔は不愉快そうに歪んでいるのだろう。彼は愛想を振りまかない女が嫌いだから。

 けれど、振り返った顔には取り繕うような笑みが浮かんでいた。

「これはステイプルズ子爵令嬢。……ベネディクトのアフタヌーンティーの準備かな?」

 モーガン伯爵はジェシカの持っている盆を見る。

「ええ。ベネディクト様がおくつろぎなさる時間ですので、騒ぎを起こすのは辞めていただきたいのですが」
「騒ぎなど……ただ、私はかわいい甥御に会いに来ただけさ。あの子は私の顔すら知らないんだ、一度くらいは会ってもいいだろう?」
「なりません」
「何故」
「殿下の命がない限り、どなたも塔にいれるなと厳命されてますので」

 取り付くしまのないジェシカの様子に、モーガン伯爵は一瞬不快そうに眉をしかめた。
 モーガン伯爵は咳払いをし、表面を取り繕う。

「そうか。そこまで言うのならば仕方ない。殿下の命を破るわけにはいかないからな」

 モーガン伯爵は引き下がったが、いらだちはあるようで、ジェシカを睨みつけた。

「だが、もう少しベネディクトを慮っても良いのではないか? あの子は一度も親族に会ったことがないだろう。こんなカビ臭くて不気味な塔に押し込められたあげく血縁者にすら会えないなんて、気の毒だと思わないのか。もし、貴女の弟がこんな目に遭ったらどう思う?」
「……私は侍女としての役目を果たすのみですので」

 ジェシカは淡々と答えた。情に訴えてわがままを通そうとする者に、まともに相手をしてやる必要はない。
 
 モーガン伯爵はジェシカの返答が気に食わなかったようだが、すぐににやりと口元を歪めた。

「ああ、貴女にこんな話をしても意味がなかったな。もしそうなったら、貴女にとっては都合がいいだけだろうから」

 悪意の籠もった言葉を投げつけると、モーガン伯爵はジェシカの返答も待たず、踵を返した。

「では、ベネディクトによろしくと伝えておいてくれ」

 小さくなっていくモーガン伯爵の背中を見送りながら、ジェシカはため息を付く。

「災難だったな」

 見張りの騎士が、気遣うようにジェシカを見やる。彼は以前、ベネディクトに気をつけろとジェシカを心配してくれた騎士だった。
 
「いえ、あなたのほうこそ、大変でしたでしょう」
「はは。お前が来てくれて助かったよ。あの方、しつこくてな。追い払うのに苦労していたんだ」
「……今までにもこうしてモーガン卿が来たことはありましたか?」
「いや。俺はここの見張りを五年くらい担当しているが、来たのは初めてだな」

 モーガン伯爵が王都に滞在するようになって数ヶ月経つ。今日来たのはきっと、ジェシカが不在だったからだろう。
 規則にうるさいジェシカとは違い、騎士なら多少強引な態度を取れば要求が通るのかと思ったのかもしれない。

 以前までいた不真面目な騎士が当番だったのなら、あっさりとモーガン伯爵の要求を通していたかもしれない。
 上に進言し、勤務態度の悪い騎士は見張りから外してもらっていて良かったとジェシカは安堵した。

「このことは殿下に伝えておきます。おそらくもう来ないとは思いますが、もしまた来ても一切要求には応じないでください」

 ジェシカの頼みに、騎士は迷いなく頷いた。




「お、今日は焼き菓子か」

 テーブルに置かれた皿を見て、ベネディクトは目を輝かせた。
 美味しそうにプディングを食べるベネディクトに、ジェシカの口元が自然とほころぶ。
 やはり、プディングにして正解だった。

 菓子を食べ終わり、ベネディクトにおかわりの茶を淹れている時に、ジェシカは家族に会うために数日休みをもらうことを告げた。

「ああ、もうすぐシーズンだからか」

 外の行事も把握しているようで、説明する前にベネディクトは察した。

「……君は、年頃の令嬢だからね。そろそろ結婚相手を見つける頃か」
「私は二十四ですよ? 相手を見つけるには遅すぎます」
「まだ若いじゃないか。僕より三つも下だろう。……でも、その様子だと君は結婚する気はないのか?」

 ジェシカの手が止まる。
 これまで、嫌になるほど投げかけられた質問だった。
 尋ねられる度、ジェシカは辟易した。

 けれど、ベネディクトに問われるのは不思議と不快ではなかった。
 ベネディクトが純粋に疑問に思って聞いているからだろう。ジェシカにそう尋ねてきた貴族たちと違って、彼の言葉には憐憫も嘲笑もなかった。

 だからだろうか。ジェシカは一度も口にしたことがない本音を言えた。

「今のところは結婚するつもりはありません。我が家には弟がおりますし、両親にも認めてもらっていますから、無理に相手を探す必要はないんです」
「それは……結婚したいと思える相手がいれば、するということか?」
「ええ。向こうもそれを望んでくれるのならですが」

 ジェシカは独身主義者ではない。結婚そのものを嫌っているわけでもない。

 ただ、こちらを家庭に押し込めようとするような男とは結婚したくないだけだ。家裁は妻の仕事だと思っているが、それ以外を取り上げられるのは我慢ならないから。
 残念なことに、貴族令息は大抵のものが女が剣を取ることを良しとしない。未婚ならまだしも、結婚すれば剣を捨てることは妻として当然の義務だと思っている。

 だから、ジェシカが結婚することはないのだろう。

「家族は普段領地にいますが、シーズン中は王都にいるんです。会える時に会っておこうと思いまして」
「そうか。なかなか会えない家族なら、機会は逃さないほうがいいな。僕のことは気にせず、ゆっくり家族団らんを過ごしてくれ」

 ぽつりとつぶやいたベネディクトに、ジェシカははっとする。自分は今、無神経なことを言ってしまったのではないか。

 生まれた直後からこの塔に幽閉されているベネディクトは、家族に会ったことがない。彼が家族に対してどんな感情を抱いているのかは知らないが、家族に会えないのは悲しいことではないだろうか。

 以前から気の毒な生い立ちだとは思っていたが、ベネディクトの侍女として仕えるうちに、ますますその思いは強まっていた。
 先程のモーガン伯爵の言葉は、そんなジェシカの弱みをつくものだった。

「僕は家族に会いたいだなんて思ったことはないよ」
「え……?」
「さっきの、モーガン卿の言葉を気にしているんだろう? 塔の入口ってこの部屋の下だから、話し声が結構聞こえるんだよ」

 ベネディクトは開いた窓を指す。
 健康的な生活を送るようになってから、ベネディクトは閉じていた窓を開けるようになっていた。

「彼は叔父ではあるけど、ああいう面倒そうなのと会いたいとは微塵も思わないから、君が気にかける必要はないよ」

 むしろ、絶対に追い払ってくれとベネディクトは付け加えた。

「もし来たら、僕はここから飛び降りてでも逃げるから」
「な、なりません! 万一そこから逃げる必要があるとしても、私がベネディクト様を抱えて飛び降りますので!」

 高さはあるが、ジェシカがクッションになれば、ベネディクトは助かるだろう。
 血相を変えて止めるジェシカに、ベネディクトは笑った。

「冗談だよ。君なら本当に僕を抱えて飛び降りそうだから、逃げるとしてもここからはやめておく。……ああ、でも僕が君を抱えて逃げるって手もあるか」
「殿下が私を……?」
「そうだよ。こう見えて結構頑丈だから。王家は代々頑強な者が多いと言うし。……あ、もしかして無理だと思ってる? 僕だって男だし、前よりは体力もついたと思うんだけど」

 確かに以前と比べたら、ベネディクトは健康的になった。だが、同年代の男性よりも細身であるし、筋力もついてないように見える。

「鍛えていない男性だと、女性を抱きかかえるのは難しいと思います。私は筋肉もありますので、一般の女性よりも重いでしょうし……」
「そう? ……ちょっと試していい?」
「構いませんが……気をつけてくださいね」
「大丈夫だって」

 否定されて少しむきになっているのか、ベネディクトはジェシカを抱き上げようとした。
 だが、どれほど力を入れてもジェシカの体は持ち上がらなかった。

「……」
「い、一般の男性でも私を持ち上げるのは難しいと思いますので……」

 落ち込んでいるベネディクトを、ジェシカは慌ててフォローした。
 ベネディクトも少し大人げなかったと恥ずかしそうに笑った。

「まあ……とにかく、君はあいつの言う事を気にすることないから。僕は今の生活に不満はない。……それより菓子のおかわりない? もっと食べたいんだけど」
「キャラメルならございます。明日からはもう少し菓子の量を増やしましょうか?」
「食べ過ぎそうな気もするし、いいよ。今日は少し多めに食べたいだけだから」

 キャラメルを頬張りながら、そういえば、とベネディクトはジェシカを見た。

「君がいない間、代わりは誰が勤めるの?」
「アネットという侍女です。彼女も殿下の侍女をしておりますので、ご安心ください」

 ベネディクトは王妃には警戒心を見せるが、何故かエリザベスにはそのような態度は見せなかった。むしろ、信頼すら見せた。
 侍女を使って毒殺しようとしてきた王妃を警戒するのはわかる。だが、エリザベスをそこまで信頼できるのは何故だろうか。

 王位継承権はないとは言え、ベネディクトは王族だ。モーガン伯爵のように、彼を担いで権力を得ようとする者もいる。
 自分の存在をエリザベスが疎んじないと何故信じられるのだろう。

 ジェシカは給仕をしながら、ぼんやりとそう思うのだった。
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