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3話 姉の死
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その部屋は恐ろしいほど静かだった。まだ日が高い時間なのに、ひどく寒々しい。
マノンはふらつきながら、部屋に入った。置かれている棺に近づき、そこに横たわった人物を見つめる。
「お姉様……」
震える声がマノンの口からこぼれ落ちる。
けれど、目の前のデボラは無反応だった。マノンが泣くと、必ず慰めてくれたのに。
「お姉様……お願い、目を開けて」
デボラは今日の舞踏会で、テラスから庭に落下した。打ちどころが悪く、そのまま息絶えてしまったと叔母が怒りながら端的にマノンに説明した。騒ぎになり、非常に恥をかいたと。
頭を強打して痛い思いをしたはずのデボラは、口元に微笑みを浮かべ、安らかな表情をしている。まるで眠っているようだ。
マノンは叔母の話が嘘なのではないかと思った。
だが、触れた頬は残酷なほど冷たく、マノンに姉の死を容赦なく突きつける。
「どうして……? お姉様だけは、私を置いていかないって言ったじゃない。お父様やお母様の分まで生きるって」
マノンは泣きじゃくり、デボラの亡骸に縋りついた。そして、目を瞠った。
デボラの首筋に、穴が空いている。よく目を凝らさなければわからないほど小さいが、ふたつの穴が確かにある。
「何よ、これ……。こんな傷、今までなかったのに。これじゃあ、まるで――」
――吸血鬼に噛まれたみたいだ。
頭に過ったその予測を、マノンは最初否定した。
考えすぎだ。姉を失ったショックで、あり得ない妄想をしていると。
だが、デボラの傷口を見ているうちに、本当のことではないかと思うようになっていた。
心当たりがあったからだ。
「お姉様……このところおかしかったのは、吸血鬼に狙われていたからなの?」
吸血鬼は金髪緑眼の女の血を好む。特に自身に恋心を抱いた女の血は格別甘いらしく、わざわざ自分に惚れさせてから手にかけるらしい。
デボラはここ半年ほど、様子がおかしかった。
人前では変わらなかったが、家でマノンとお茶をしている時にぼんやりと物思いにふけるようになった。
シリルと出かけることも多かったが、以前に比べてふたりはどこかぎこちなく見えた。
デボラに何かあった。だが、力のないマノンにはどうすることもできなかった。
歯がゆい思いをしているうちに、デボラが亡くなったのだ。
「お姉様は、吸血鬼に出会って恋をしたの……? それで、殺されてしまったの……?」
マノンの中で、姉は吸血鬼に殺されたのだという考えが強くなる。
けれど、それを誰にも言うことはできなかった。
吸血鬼など、空想の産物だ。物語の登場人物にすぎない。
そんな存在にデボラが殺されたのだと、誰が信じるというのか。叔母はマノンの教育が足りなかったのかと眦を釣り上げるだろう。
万が一信じてもらえたとしても、デボラの名誉を傷つけることになってしまう。
吸血鬼は自身に恋をさせてから血を吸うことで有名だ。デボラが吸血鬼に殺されたのなら、婚約者がいる身で他の男に心惹かれたふしだらな女だと不名誉な烙印を押されてしまう。
「自分で……なんとかしなきゃ」
なんとかして見つけなければならない。デボラの秘密を守りながら、彼女を殺した男を見つけ出す方法を。
マノンがまずしたことは、メリッサに連絡を取ることだった。
普段通り、こちらであったことなどを書きつつ、さり気なく吸血鬼の話題を振ってみた。
メリッサの家計は代々医師をしている。祖先は魔術の研究などをしていたこともあって、不可思議な事に関する書物は多かった。
彼女自身もそうしたものに興味があり、吸血鬼の話題にも乗ってくれた。
『マノンもやっと魅力に気づいたのね!? たくさん教えてあげるわ! 吸血鬼って昔は各地にいたらしくてね、文献たくさん残ってて、うちの書庫を片っ端から漁ったわ』
文面から溢れんばかりの喜びが読み取れるその手紙には、びっしりと吸血鬼について書かれていた。生態や実際に関わっていたとされる事件など事細に。
マノンは丁寧に読んでいく。知っていることもあれば、未知のものもある。
「吸血鬼ってサンザシが苦手なのね……」
サンザシはマノンにとって馴染み深いものだ。故郷の村によく自生していたため、身を菓子にして食べていた。
昔はデボラもサンザシを食べていたが、いつからか苦手になり、マノンに譲ってくれるようになった。
『マノンは本当にサンザシが好きなのね』
そう微笑んだ姉の笑みが脳裏に蘇り、マノンの目が熱くなる。同時にこみ上げる吸血鬼に、唇を噛み締めた。
目元を拭い、マノンは手紙を読み進める。そして、ある部分に目を留めた。
――吸血鬼は狙った女の心を欲する。自分を強く印象付ける魔法を用い、女に自分との出会いを特別なものだと思い込ませるのだ。運命の男と出会ったのだと。
マノンの手が震えた。かつての姉の言葉が耳に蘇る。
『ひと目見てわかったの。彼は他の人たちとは違うって。……私、彼に出会ってしまったのね』
あれはデボラがなくなる半年ほど前のことだった。舞踏会から戻ったデボラは心ここにあらずといった様子でそう呟いたのだ。
当時は何を言っているのかわからなかったが、姉はあの時に吸血鬼に出会ってしまったのではないだろうか。
そして、殺された。
手紙を持つ手に力が入る。
姉は、マノンのたったひとりの家族だった。両親を亡くしたトラウマに苦しむマノンを励まし、支え続けてくれた。
姉だって、両親を亡くした悲しみや叔母の厳しい教育のつらさがあっただろうに。
だから、マノンはいつか姉に恩返しをしたいと思っていた。この世の誰よりも姉の幸せを望んでいた。
なのに。
何も悪くない姉が、愛する人との結婚を楽しみにしていた姉が、化け物に目をつけられ殺された。
その怒りが、沸々と胸に湧き上がる。
「許さない……絶対に、お姉様の仇をうってやる……!」
その日から、マノンは吸血鬼に復讐をするために生きてきた。
令嬢教育は厳しい教師の合格点を貰えるまで励み、お茶会などの社交にも力を入れ情報収集を行った。
そして、社交界デビューしたあの舞踏会で、仇に出会ったのだ。
マノンはふらつきながら、部屋に入った。置かれている棺に近づき、そこに横たわった人物を見つめる。
「お姉様……」
震える声がマノンの口からこぼれ落ちる。
けれど、目の前のデボラは無反応だった。マノンが泣くと、必ず慰めてくれたのに。
「お姉様……お願い、目を開けて」
デボラは今日の舞踏会で、テラスから庭に落下した。打ちどころが悪く、そのまま息絶えてしまったと叔母が怒りながら端的にマノンに説明した。騒ぎになり、非常に恥をかいたと。
頭を強打して痛い思いをしたはずのデボラは、口元に微笑みを浮かべ、安らかな表情をしている。まるで眠っているようだ。
マノンは叔母の話が嘘なのではないかと思った。
だが、触れた頬は残酷なほど冷たく、マノンに姉の死を容赦なく突きつける。
「どうして……? お姉様だけは、私を置いていかないって言ったじゃない。お父様やお母様の分まで生きるって」
マノンは泣きじゃくり、デボラの亡骸に縋りついた。そして、目を瞠った。
デボラの首筋に、穴が空いている。よく目を凝らさなければわからないほど小さいが、ふたつの穴が確かにある。
「何よ、これ……。こんな傷、今までなかったのに。これじゃあ、まるで――」
――吸血鬼に噛まれたみたいだ。
頭に過ったその予測を、マノンは最初否定した。
考えすぎだ。姉を失ったショックで、あり得ない妄想をしていると。
だが、デボラの傷口を見ているうちに、本当のことではないかと思うようになっていた。
心当たりがあったからだ。
「お姉様……このところおかしかったのは、吸血鬼に狙われていたからなの?」
吸血鬼は金髪緑眼の女の血を好む。特に自身に恋心を抱いた女の血は格別甘いらしく、わざわざ自分に惚れさせてから手にかけるらしい。
デボラはここ半年ほど、様子がおかしかった。
人前では変わらなかったが、家でマノンとお茶をしている時にぼんやりと物思いにふけるようになった。
シリルと出かけることも多かったが、以前に比べてふたりはどこかぎこちなく見えた。
デボラに何かあった。だが、力のないマノンにはどうすることもできなかった。
歯がゆい思いをしているうちに、デボラが亡くなったのだ。
「お姉様は、吸血鬼に出会って恋をしたの……? それで、殺されてしまったの……?」
マノンの中で、姉は吸血鬼に殺されたのだという考えが強くなる。
けれど、それを誰にも言うことはできなかった。
吸血鬼など、空想の産物だ。物語の登場人物にすぎない。
そんな存在にデボラが殺されたのだと、誰が信じるというのか。叔母はマノンの教育が足りなかったのかと眦を釣り上げるだろう。
万が一信じてもらえたとしても、デボラの名誉を傷つけることになってしまう。
吸血鬼は自身に恋をさせてから血を吸うことで有名だ。デボラが吸血鬼に殺されたのなら、婚約者がいる身で他の男に心惹かれたふしだらな女だと不名誉な烙印を押されてしまう。
「自分で……なんとかしなきゃ」
なんとかして見つけなければならない。デボラの秘密を守りながら、彼女を殺した男を見つけ出す方法を。
マノンがまずしたことは、メリッサに連絡を取ることだった。
普段通り、こちらであったことなどを書きつつ、さり気なく吸血鬼の話題を振ってみた。
メリッサの家計は代々医師をしている。祖先は魔術の研究などをしていたこともあって、不可思議な事に関する書物は多かった。
彼女自身もそうしたものに興味があり、吸血鬼の話題にも乗ってくれた。
『マノンもやっと魅力に気づいたのね!? たくさん教えてあげるわ! 吸血鬼って昔は各地にいたらしくてね、文献たくさん残ってて、うちの書庫を片っ端から漁ったわ』
文面から溢れんばかりの喜びが読み取れるその手紙には、びっしりと吸血鬼について書かれていた。生態や実際に関わっていたとされる事件など事細に。
マノンは丁寧に読んでいく。知っていることもあれば、未知のものもある。
「吸血鬼ってサンザシが苦手なのね……」
サンザシはマノンにとって馴染み深いものだ。故郷の村によく自生していたため、身を菓子にして食べていた。
昔はデボラもサンザシを食べていたが、いつからか苦手になり、マノンに譲ってくれるようになった。
『マノンは本当にサンザシが好きなのね』
そう微笑んだ姉の笑みが脳裏に蘇り、マノンの目が熱くなる。同時にこみ上げる吸血鬼に、唇を噛み締めた。
目元を拭い、マノンは手紙を読み進める。そして、ある部分に目を留めた。
――吸血鬼は狙った女の心を欲する。自分を強く印象付ける魔法を用い、女に自分との出会いを特別なものだと思い込ませるのだ。運命の男と出会ったのだと。
マノンの手が震えた。かつての姉の言葉が耳に蘇る。
『ひと目見てわかったの。彼は他の人たちとは違うって。……私、彼に出会ってしまったのね』
あれはデボラがなくなる半年ほど前のことだった。舞踏会から戻ったデボラは心ここにあらずといった様子でそう呟いたのだ。
当時は何を言っているのかわからなかったが、姉はあの時に吸血鬼に出会ってしまったのではないだろうか。
そして、殺された。
手紙を持つ手に力が入る。
姉は、マノンのたったひとりの家族だった。両親を亡くしたトラウマに苦しむマノンを励まし、支え続けてくれた。
姉だって、両親を亡くした悲しみや叔母の厳しい教育のつらさがあっただろうに。
だから、マノンはいつか姉に恩返しをしたいと思っていた。この世の誰よりも姉の幸せを望んでいた。
なのに。
何も悪くない姉が、愛する人との結婚を楽しみにしていた姉が、化け物に目をつけられ殺された。
その怒りが、沸々と胸に湧き上がる。
「許さない……絶対に、お姉様の仇をうってやる……!」
その日から、マノンは吸血鬼に復讐をするために生きてきた。
令嬢教育は厳しい教師の合格点を貰えるまで励み、お茶会などの社交にも力を入れ情報収集を行った。
そして、社交界デビューしたあの舞踏会で、仇に出会ったのだ。
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