最後の晩餐を

あやさと六花

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4話 不測の事態

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「私の負けです」

 持っていたカードを置き、マノンは微笑んだ。

「リシャール様はお強いですね。一度も勝てませんでした」

 既に何度かゲームをしていたが、すべてマノンが負けていた。

 マノンはカードゲームは強いほうだ。子どもの頃は負け知らずだった。
 けれど、淑女は男性を立てなければならない。我を見せて勝利をもぎ取るなど、みっともない真似は決してするなと叔母に厳しく教育されていた。

 だから、わざと負けた。勝たせておだてれば、リシャールも喜ぶだろうとのもくろみもある。
 だが、彼はマノンの予想に反して、不満げな顔をしていた。

「どうなさいました?」
「……賭けを、しませんか?」

 唐突な誘いに、マノンは目を瞬かせる。
 賭け事など退廃的な人間の好むものだ。それで身を持ち崩して破産する貴族も多く、良いイメージはない。

 リシャールは戸惑うマノンを安心させるように微笑んだ。

「賭けと言っても、令息の間で行われてるような金銭を伴うものではありません。負けた方はなにかひとつ、相手の簡単な願いを叶える。その程度のものです」
「……」

 勝てば、リシャールの弱点を探ることができるかもしれない。

 不死とされる吸血鬼の殺し方はいくつか知っている。
 焼け死ぬまで日光に当てる。杭で心臓を穿つ。
 どちらも、すぐに実行することは難しい。

 まずはリシャールのことをよく知り、殺す隙を伺うのが先決だ。

 マノンが頷くと、リシャールは笑みを返した。

「決まりですね。では、始めましょう」




「私の負けですね」

 持っていたカードを置き、リシャールは微笑んだ。
 負けたというのに、彼はどこか嬉しそうだ。
 
 疑問が顔に出ていたのだろう、リシャールはカードを整理しながら説明する。

「あなたが手加減せずに勝負を楽しんでくれたのが嬉しくて」

 屈託のない笑顔でそう言われ、マノンは言葉に詰まる。
 わざと負けていたことに気づかれていたのか。今まで誰にも気づかれたことはなかったのに。

「ああ、いいんです。ご令嬢は男を立てるのが礼儀になっていますから、あなたが私をみくびっていたわけではないのはわかっています。……ただ、あなたが純粋に楽しんでくれたのが嬉しかったんです」
 
 その言葉に嘘はないように思え、マノンの緊張が和らぐ。

「ゲームの類は昔から好きだったんです。ご気分を害さなかったのなら良かったです」
「やはりそうでしたか。私は勝ち負けにはこだわらないので、全力で相手していただけると嬉しいです。さて。賭けはあなたの勝ちですが、なにか願い事はありますか?」
「そうですね……でしたら、お屋敷の中を案内していただけませんか?」

 リシャールの屋敷に何度か訪れているが、マノンが足を踏み入れたのはこの応接間と庭だけだった。

「もちろんいいですよ」
「ありがとうございます」

 マノンは鞄を手に取り、立ち上がる。差し出されたリシャールの手を取ろうとした。
 だが、マノンが触れる前にリシャールは手を引っ込めた。

「リシャール様……?」
「……申し訳ありません。私、金属アレルギーなんです」

 眉尻を下げたリシャールの視線が、マノンの手に向けられる。
 舞踏会や外を歩く時などには必ず手袋をつけていたが、今は室内で過ごすから素手だった。
 その右手中指には銀の指輪がはめられている。

 マノンは内心がっかりする。銀は吸血鬼の苦手なものだった。触れた部分が焼けただれると聞いている。
 だから、さり気なくリシャールに銀の指輪を押し当て、痛みで動けなくなったところを杭で刺そうと思ったのに。
 マノンは杭の入った鞄を握りしめた。

「そうだったんですね。こちらこそ、申し訳ありません」

 焦ってはいけない。元々、銀の指輪で殺せたら御の字だと思っていたのだから。

 マノンは平静を装って、指輪を外して鞄にしまった。
 リシャールは安心したように表情を和らげると、マノンの手を取り、屋敷を案内し始めた。
 
 シリルの屋敷を一時的に借りているため、屋敷にあるものはシリルのものばかりで、リシャールの弱点を探る手がかりになるようなものはなかった。
 雑談を交わしながら、応接間に戻ろうとした時、リシャールが窓の外を見た。

「雨が降りそうですね」

 先程まで快晴だった空に、大きな雲が広がり始めている。黒い雲だ。あれは、雷雲だろうか。

「……どうかなさいましたか?」

 心配そうなリシャールの声に、マノンはハッとする。
 いつの間にか強く握りしめていた手を緩め、マノンは微笑んだ。

「いえ。雨で濡れてしまったら嫌だなと思ったんです。今日来ているのは、お気に入りなので」
「綺麗な服ですからね。それなら、雨が降る前に帰った方が良いでしょう」

 リシャールの提案に乗り、マノンはそのまま帰宅の途についた。
 幸い、雨はマノンが自宅に帰ってから降り始めた。だが、雷も共に連れてきた。

 夜闇に雷鳴が轟く。マノンはベッドに潜り込み、震える右手を左手で強く握り込んだ。
 マノンは雷が嫌いだった。母が死んだ時、激しい雷が降っていたから。
 父に次いで母を失った悲しみと絶望が瞬時に蘇ってしまう。

 雷に怯えるマノンを、姉はいつも慰め、励ましてくれた。
 けれど、姉はもういない。
 
 マノンは唇を噛みしめる。雷は朝まで鳴り続けた。
 
 
 
 
 
「まぁ……! 夕方も素敵でしたけど、朝に見る庭園も綺麗ですね」
 
 陽の光に照らされたリシャールの屋敷を見て、マノンは微笑む。そして、隣にいたリシャールに視線を移す。

「庭に出てもよろしいですか?」
「もちろん構いませんが……」

 リシャールは気遣わしげにマノンを見た。

「体調は大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」
「……ええ。昨夜の雷でなかなか眠れなかっただけなので」

 眠れぬ夜は、マノンに強い復讐心を呼び起こさせた。
 本来は夕方から会う約束をしていたのだが、屋敷でじっとしていることができず、こうして朝からリシャールの屋敷を訪れたのだ。

 マノンは庭に出た。日傘をさし、リシャールを振り返る。

「リシャール様はこの時間帯に庭に出たことはないんでしたよね? まだ陽の光はそれほど強くありませんし、この日傘を使えば庭に出られませんか?」

 自分には帽子があるから問題ない、と付け加えてマノンは微笑んだ。
 リシャールと少し庭を散歩し、隙を見て転んだふりでもして彼を日差しの中に突き飛ばすつもりだった。
 けれど、リシャールはマノンの提案を断った。

「万一日差しに当たったら、大変なことになりますので。きっとあなたにもトラウマを与えてしまうと思います。私はここから見てるだけでも十分楽しめるので、お気になさらず」

 優しく細められた榛色の目を見て、マノンは素直に引き下がった。食い下がってもリシャールは誘いに乗ってこないだろうし、変に不信感を与えてしまうだけだろう。
 焦らず、時間をかけてでも確実に倒せる時を狙う。姉の仇を逃してしまうことだけは避けたかった。


「本当に綺麗ね……」

 花々を見ながら、マノンはつぶやく。
 昨夜の激しい雷雨のせいで地面はぬかるみ、花びらもいくつか落ちているが、庭全体は瑞々しく美しい。
 見て回っていると、不意に背後から強く腕を引かれた。
 
「え……」

 後ろに倒れるマノンの体を、誰かが支える。
 漂う甘いアンバーの香り。リシャールだ。
 
 マノンが驚いて振り返ろうとした時、リシャールが前方に向かって杖を投げた。
 投げた先にいた何かが驚いて、近くの茂みへと逃げ込んだ。
 あれは――

「蛇……?」

 昨夜は雨が降っていたから、出てきたのだろうか。
 よく見えなかったが、リシャールが急いで駆けつけてきたのなら、毒蛇だったのかもしれない。
 
 そこまで考えて、マノンははっとする。ここは日向だ。リシャールが立ち入れない場所のはずなのに、彼はここにいる。
 
「ぐっ……」

 うめき声を漏らし、リシャールの体が傾ぐ。
 マノンは慌てて彼を支えた。

「リシャール様!」
「ご令嬢。ご主人様は私がお運びします」

 いつの間にか現れた執事がリシャールの体を抱えると、すぐに屋敷へと引き返す。
 気絶したリシャールは自室へ運ばれ、執事の手当てを受けた。
 部屋の前で待機していたマノンは、そっと部屋から出てきた執事に尋ねた。

「……リシャール様は大丈夫かしら? かなり苦しそうだったけれど……」
「ご心配なさらず。陽に当たったのは短時間でしたし、処置も致しましたので数日後には元気になられるでしょう」
「そう……」

 マノンは俯く。
 それをどう受け取ったのか、執事は労わるような声音でマノンに告げた。

「ご主人様が目を覚まされましたら、またご連絡いたしますので。今日はもう帰宅されて休まれた方が良いでしょう」
「……ええ。そうするわ。リシャール様が目を覚まされたら、すぐに連絡をちょうだい」
 
 マノンは婚約者の怪我にショックを受けている演技をしながら、馬車に乗り込んだ。

「お嬢様、具合が悪いのですか?」

 侍女が問いかける。

 マノンは一瞬戸惑った。
 この侍女がそんなふうに声をかけるなんて、初めてだ。これまでマノンがどんなに泣いたり落ち込んだりしても、心配の言葉ひとつよこさなかったのに。
 それほど、マノンの演技が上手いのだろうか。

「ええ。少し体調が良くなくて。……悪いけど、ひとりにしてくれるかしら?」
「……承知しました」

 わがままを言うなと却下されるかと思ったが、意外なことにまた侍女はすんなりと引き下がった。気を使ってくれたのだろうか。
 侍女は御者台に移動し、馬車は走り始めた。 

 車輪の音を聞きながら、マノンは先ほどのリシャールの姿を思い出す。

「……ひどい火傷だったわ」

 陽の光にさらされた顔も手も、赤く爛れていた。重傷のはずだが、執事は問題ないという。
 あれだけひどい外傷を負っても、吸血鬼にとっては大した傷にもならないのだろうか。

「それなら殺すのは相当手こずりそうね……」

 日光で焼くのなら長時間晒さなければいけないだろうし、杭を打ち込むのなら強い力で叩き込まなければならないだろう。
 覚悟はしていたが、吸血鬼殺害の難しさに、マノンはため息をついた。

「けど、収穫もあったわ」 

 リシャールが毒蛇からマノンを守ったのは、マノンが彼の獲物だったからだろう。吸血鬼は生き血を好む。マノンが死んでしまってはせっかくのご馳走が手に入らなくなってしまう
 今回のように、多少のリスクを追ってでもリシャールはマノンを守ることを選ぶだろう。

「それを上手く使えば、あいつを殺せるかもしれないわ」

 マノンは口角を上げた。そして、今後どう動けばいいのか思索に没頭する。
 脳裏にこびりついて離れない、リシャールの苦しげな顔と声をかき消そうとするように。
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