忘れたふりのスプモーニ

Nuit et Verre

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第1章 おすすめはスプモーニ

第2話 苦味の奥の会話

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「スプモーニをひとつください」

店員に声をかけたあと、志穂はグラスの水をひと口飲んでから、こちらを見た。

「水島くんは何飲むの?」

「……じゃあ、同じので」

「お、それなら二杯でお願いします」

手際よく注文を済ませた彼女は、やわらかく笑った。

「苦いの、平気なんだ」

「まあ……カンパリ、たまに飲みます」

「ふうん」

それだけ言って、彼女はまた前を向いた。
話を広げるでもなく、視線を外すでもなく。
けれどその背中に、“覚えている”という気配が、かすかに滲んでいる気がした。

やがて届いたスプモーニは、グラスの中で氷がカランと小さく鳴いた。
赤みがかった液体の下に、薄く泡立つトニック。
グレープフルーツの香りが、ひとつ記憶を引き出す。

あの夜、カウンター越しに彼女がグラスを傾けたときも――
この香りが、確かにあった。

「ねえ、水島くんって、前は何してたの?」

「食品系の営業です。地方をぐるぐる回ってました」

「へぇ、地方営業……それ、ちょっと憧れるな。出張って楽しそう」

彼女の口調は、自然体だった。
初対面を装う演技にしては、ずいぶん手慣れている。

「でも、なんで転職?」

「まあ……色々あって」

曖昧に返すと、志穂は「ふふ」と小さく笑った。

「そういうときの“色々”って、けっこう重いよね」

見透かされたような気がして、思わずスプモーニに口をつけた。
苦味と酸味が舌に広がり、その奥でかすかに甘さが残る。

まるで彼女の言葉みたいだ、と思った。

「……志穂さんは?」

「うん?」

「前、会ったこと……ある気がして」

彼女の手が、ぴたりとグラスの上で止まった。

けれどすぐに、涼しげな笑顔が戻ってくる。

「うーん……私、人の顔覚えるの苦手なの」

その言い方が、あまりにも自然すぎて――
逆に、すべてを知っているようにも思えた。
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