アンダーグラン

時雨虚太郎

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 二十と数年。これは私が姉妹と過ごした時間。

 三時間と十分。これは妹から違う生命の形であると告げられてからの時間。

 この二つの時間のギャップに私はひどく苦しんでいた。どうすることもできず悶える私は普趣味でもないウイスキーを寝酒に含み、そしてまた秒針の音を数えている。意識がほどける瞬間を待っているだけの無力な私の頭に、言葉が反響する。

 クロレお姉様の中に”人間”を感じたのでは。

 私たちは殺すために生まれたのです。

 確かに私たちは殺すために育てられた。殺しのやり方、殺しの仕組み、殺しの必然性。しかし、私は一度も自らを人間ではない等と思ったことはなかった。

 私は茶を好む。煙草を好む。朝焼けの街並みを愛し、アルコールの緩い揺蕩いをいとおしいと感じる。

 しかし、ミュルは殺しの話以外で盛り上がることはなかった。煙草を咥えているが、煙草に嗜好があるかと言えば、彼女はどんな安物でも遠慮がなかった。

 アイリスに至っては自らの事を語ることはなかった。ただ報告と連絡。それを繰り返すばかりの存在。アイリスの無感情は強がりだとか気取りの一言で片付く代物ではない。

 異常な二人の姉妹。それでも私は、一つの夢を見ていた。いつしかこの殺し屋稼業をやめて、三姉妹でゆったりと暮らす事を。好きな紅茶の香りをあの偏屈な姉に教え込み、アイリスに朝焼けが如何ほどに美しいかとこの街を見せてやることを。

「……そんな道があってもいいじゃないか」

 暗闇に手を伸ばしながら呟く。しかし、彼女は、いや彼女らは最早殺し屋そのものであるというのだ。

「殺すことから逃げることもできません」

 その言葉がフラッシュバックする。あれは決して今回の依頼に限った話ではないのだろう。アイリスは、人生を通して殺し合いの螺旋から逃れることは不可能だと、自らを省みて察していたのだ。

 それはミュルとて同じだろう。

 そして恐らく今日。私が殺し屋になりきれていないということをミュルは察したのだ。あの微笑みの意味は未だ分からないが、彼女は私が人間くさいということを察したのだ。

 心外でも衝撃でもある。私は殺し屋として生きてきたつもりだった。殺し屋としての矜持はあったし、この技術が誰かに劣るなどとは考えてこともない。だが振り返ればやはり殺し屋ではなく、私は、普通の感性を抱えた一人の人間として生きてきたのだ。

 殺し屋の二人と、殺し屋のフリをした一人。

 それに疎外感を持っているというわけではない。私は、あの二人とそういった生き方が出来ないという事実に絶望している。

 私はベッドの上でもう何度目かの寝返りを打った。窮屈に押し込められた身体はそのストレスで悲鳴を上げ始めていた。どうにかしたいという想いとどうにもできないという諦めが回り続ける。

 でも。

 私は殺し続けるこの日々になにも希望を見出だせなかった。

 私はこの事を明日にでも告げなければならない。依頼が終わったら、一度相談をしてみよう。あの二人も、私の事を無視できない問題だと捉えているはずだ。

 伝えたら何か変わるだろうか?

 もしかしたら変わらないのかもしれない。それでもミュルは人を殺し続けて狂喜するのかもしれないし、アイリスは無表情で無感情なまま生き続けるかもしれない。私だけ人間の生活を謳歌する結果に終わったら、どれだけ虚しい事だろうか。

 でも、私は皆と平和に過ごしたい。

 それを伝えなければならないのだ。

 時計を見ると、23時を回ったところであった。秒針が以前繰り返すチクタク。私は眠ることにした。



 明朝。私が広間に下りるとアイリスが銃の点検をしていた。狙撃専門の彼女には珍しく、拳銃やコンバットナイフ等、小ぶりな凶器が並んでいる。今日は彼女も潜入側なのだ。初めてのことではないのだが、私はなんとなく不安になって彼女の背に声をかけた。

「アイリス、いけるの?」

 アイリスは私の声を聞くとこちらへと向き直り、仰々しい礼をした。

「おはようございます、クロレお姉様。……ええ。私の今回の務めは飽くまでもサポート。つまり影で御座います。私が戦闘を行う可能性も考えられますが、諜報を優先致しますのでご安心を」

 アイリスは、朝食の林檎を持ち上げるように手元の手榴弾を持ち上げる。その口元が軽く、虫眼鏡で見なければ分からない程度に笑んだ。

「ええ、大丈夫で御座います」

 何が見えていたかは分からないが、大丈夫らしい。私はアイリスが拡げた白のシーツの中に自らの銃器を探した。

 暗く陽光を弾くアサルトライフル。そして銀色に輝く拳銃が二つ。私はアサルトライフルを麻袋に入れ、腰のホルスターに拳銃二丁を入れ込んだ。

 落ち着くには落ち着くが、またこの時間が来たのか、とも感じた。数回跳ねた後、何度かホルスターから拳銃を抜く。

「まあ、好調。点検ありがとね、アイリス」

「恐縮で御座います」

 アイリスは仰々しいお辞儀をした後に、こう聞いてきた。

「クロレお姉様、お聞きしたいことが御座います」

 アイリスから何かを聞いてくるのはかなり珍しいことだ。彼女はいつもその予知能力にも似た力で大体のことを見通してしまうのだから聞く必要もないことばかりである。

 だから私は驚きつつ、その問いに応じた。

「なに? 珍しいね」

「ええ。昨夜、クロレお姉様とお話しておりまして私も美しい朝焼けというものが見たくなりました」

 私はさらに驚いた。アイリスの口からそんな言葉が飛び出すとは。しかし、私としては嬉しかった。アイリスは、いやミュルだって普通の人間として生きる道が残っているんだ。私はこのときに強い確信を得た。

「二階の自分の部屋、バルコニーからこの街を眺めました。午前五時十一分のことです。……しかし、私はどうしてもあの朝焼けを美しいとは思えませんでした。逆光からの狙撃でこちらをカモフラージュしたり、人気のない時間だから暗殺も容易く行えるだとか……」

 アイリスはソファに腰かけ、私を見上げる。その顔には微かに悲壮の色が滲んでいた。

「クロレお姉様。私、普通に生きていれば、あの朝焼けを綺麗だと、そう思える日が来たのでしょうか?」

「……違う。そう思える日が来るんだよ」

 私は強く首を振っていた。まだ手遅れなんかじゃない。アイリスもミュルも平穏に暮らして、普通に生きていける未来があるんだ。私はアイリスの肩を掴んだ。

「私が見せてあげる。綺麗だって思える朝焼けを。この国じゃなくてもいい……きっとどこかにあるはずだから! アイリス、ミュルお姉様も一緒に綺麗な景色を見るの!」

 アイリスは私の声に少し驚いていたようだが、何年ぶりかの微笑みを見せた。

「ありがとうございます、クロレお姉様」

 私もアイリスにつられて頬が緩んだ。当たり前だ。全く笑うことのないこの鉄仮面の妹がそのような笑顔を見せてくれたのだ。つられないわけがない。アイリスの笑顔が見れた喜びを噛み締めていると、間抜けな声が聞こえた。

「なーにしてんだー?」

 振り返ると、ミュルが階段を下りてくるところだった。アイリスの肩から手をどけて、身体を向ける。

「別にどうもしてません。ただアイリスと仲良くお話を」

「なんだそりゃ。アイリスの話なんて天気の話位だろ。あとお茶」

「お茶がご所望であれお茶をご用意致しますが。先日、最高級の茶葉が届きまして」

 ミュルが手をブンブンと振って否定を示す。

「あーーーいい!いい! 私に茶とか淹れようなんて考えなくていい!」

「せっかくの最高級茶葉なのですが……」

「いらねえ……。ところで準備はいいか? そろそろ出る時間だろ?」

「ええ。その通りです。アイリス、車をお願い」

「かしこまりました。ただいまご用意致します」

 アイリスはいつもよりはひどく軽装だがその身なりは給仕そのものであった。きっと潜入に必要な変装だろう。アイリスにそういった格好をされると、本当に使用人なのではないかと思えてしまう。

「……で、なに話してたんだ?」

 ミュルが大袈裟に私を小突く。

「天気の話をしてました」

「あー、悪かったよ、悪かった。天気の話以外もするもんな。それで? なんの話だ?」

 ミュルも興味が勝っているのだろう。軽薄さはそんなに感じられなかった。いつもこうやって接してくれれば話しやすいのに、等と思いながら私は言葉を返す。

「アイリスが……綺麗な朝焼けを見たいと」

「……ほう、そりゃ驚きだ」

 本当に驚いたのだろう。演技くさいリアクションはなく、ただ目を丸くしていた。

「アイリスがそんなことを言ったのはいつ以来だ? いや、そもそそんなことあったかな」

「私の記憶にはないです。……でも、彼女は朝焼けを見たくて、窓から街を見下ろしていたらしいです」

「不思議なこともあるもんだ」

 ゴーン……ゴーン……ゴーン……

 ミュルが漠然とした感想を言い終わると同時、背後で時計の音が鳴り響いた。ミュルが珍しく不服そうな顔をした。

「残念だがクロレ……久々に殺しより興味の湧いた内容だったんだがな……。まあ終わったら聞かせてくれ」

「ええ、分かりました」
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