失われた歌

有馬 礼

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「バルク、おはよー!」
 バルクは大声で荒っぽく起こされる。
 驚いて目を開けたが、まだ明け方だった。
「何かあったの?」
 バルクは目を擦りながら風に言う。
「まだ何もないよ? ちょっと手伝って欲しいことがあってさ。リハビリがてら、出掛けない?」
 風はうきうきしているようだった。
「ホラ、聖域に行くじゃない? その装備を揃えるのに、お金がいるからさ。町まで行商に行くの。ついて来てよ」
「行商…?」
「そそ。あ、そだ。あんまり気合い入った服着てこないでね」

 バルクは初めて、塔の階段を降りた。塔の前は広場になっていて、そこで待つように風に言われていた。
 荷車を伴って現れたのは、ジャイアントと呼んでいる、人型の魔物だった。
 牛が引く荷車には、完全に人間の、恰幅のいい中年女性が乗っている。この塔には、バルクとリコの他にも人間がいたのか。
「ありがとね! じゃ、行ってくるから」
 女性はしゃがれ声でそう言うと、ジャイアントの背中をバシバシ叩いた。
「バルク、さっさと乗って」
「え? えぇと、あなたは…」
「あ、そっか、風よ風! まさか鎧で行くわけにいかないでしょ?」
 バルクは卒倒しそうになる。
「やー、助かるわ。いつもは火をダンナ役にしてるんだけどさ、あの人、気が利かないじゃない? かと言って水はチャラいし土は何も喋んないし」
「…」
「バルクは今日は私の甥っ子ってことでやるから、よろしくね」
「この野菜は?」
「ああ、魔物たちが趣味で裏の畑で作ってるの。でもリコ1人じゃ食べきれないから、時々町に持っていって売るんだよね。あと、この布なんかも、魔物たちが作ってるんだ。なかなかの評判なのよ」
 上機嫌で話す風は、農家のおかみさんにしか見えなかった。

 森を抜け、町に着いたのは開門の少し前だった。
「ラシルラの町よ。この辺では一番大きい町になるかな」
 ラシルラの町も、ほかと同じく、城壁で夜間の魔物の襲撃から町を守っていた。
「ソアさん! 久しぶり!」
 近くで開門を待っていた荷車から、こちらも農家のおかみさん風の女性が声をかけてきた。ソア、というのは、風のことのようだ。
「ああ、ミシュさん! 具合はどう? 魔物にやられたって聞いたから心配してたんだよ!」
「そうなのよ! ほんと災難だったわ~。ダンナが寺院に担ぎ込んでくれたからなんとか助かったけど!」
「まあまあ! 妬けるわね~」
「そんなことないわよ~。診てくれたのがイケメンマッチョの僧侶様でさ、まだ死ねないって気合が入っちゃったの!」
「やだ、アタシも診てもらいたいわぁ」
「でも魔物にやられるのはオススメしないわよ~」
 2人のおかみさんは大口を開けて笑った。
「ね、ところで、今日は見かけない男前連れてるじゃない?」
 ミシュがバルクを見て言う。女性たちの会話に参加せず、なるべく気配を消していたバルクだったが、仕方なくミシュに会釈した。
「甥っ子のバルクよ。ダンナがぎっくり腰で動けないから、頼んで手伝いに来てもらったのよ」
 会話を遮るように、開門の鐘が鳴った。
 今日は町の広場に市が立つ日だった。食料品の他にも、道具類、衣料、武器、薬草などの店が開く。店を開く場所はクジだったが、どこの店にも常連がついていて、場所の良し悪しはあまり関係がなくなっていた。
「ミシュさんちのハム、ひとつ取っといてね!」
 風がミシュに叫ぶ。
「わかった! ソアさんちの野菜と交換してよ!」
 ミシュはバルクたちとは反対方向に荷車を進めながら叫び返した。

「52…ここだ」
 風は荷車を停めた。
「お客さんの相手は私がするから、バルクは品物の補充をお願いね」
「…わかった」
 バルクをよそに、風はさっさと店の設営を始めた。組み立て式の台に野菜を並べる。バルクも見様見真似で手伝った。
「ええっと、ミシュさんちのハムと交換してもらう分を取っとかないとねー」
 風は野菜を見繕って、麻袋に入れた。
「これ、あとでミシュさんとこに持っていく分だから、出さないでね」
 そうこうしている内に客がちらほらとやってき始めた。
「おはよう、ソアさん」
 最初の客は、杖をついた老紳士だった。
「まあ、マルバさん! 来てくれると思った! マルバさんにと思って持ってきたのがあるのよ!」
 風のおかみさんぶりに、最初はただただ感心していたバルクだったが、すぐにのんびりしていられなくなった。目の回るような忙しさで、有難いことに、昼前に荷車は空になった。風はミシュのところに行くと言って、バルクに店じまいを頼んで出ていった。
 バルクが店じまいを終えても、風は全く戻ってこなかった。きっとミシュと話し込んでいるのだろう。
 空腹を感じて、バルクは荷車の荷台に横になった。
 こんな日はいつ以来だろう。昔を思い出す。キャラバンの人々、魔術を教えてくれた先生。どうしているだろう。もう会うことはないけれど。
(あんなことがなければ、僕は、あのままキャラバンの一員になって、世界中を旅していたんだろうか。それはそれで良かったな。みんな親切だったし、旅は好きだ。家族だと思ってた。守りたかったんだ、ただ…)
 楽しいことを思い出そうとしても、意識は一番辛い瞬間を蘇らせる。キャラバンの人々の怯えた目、一変した態度…。少年に、もうここが居場所ではないことを悟らせるには十分だった。
 バルクは目を閉じる。
 父と慕っていた先生。ほのかに想いを寄せていた少女。楽しい日々。
 バルクは目を開き、顔の上に手をかざした。
 すべては、遠ざかってしまった。
 それからは、必死に生きてきた。身寄りのない者がなれる職業と言えば、ジェムハンターしか思いつかなかった。
 魔物は、倒すとジェムと呼ばれる宝石のような核を残す。ジェムはエネルギーを帯びており、それを取り出すことで、世の中の様々な仕組みを維持している。大型のものは都市のインフラに、小型のものは家庭で使う道具のエネルギーに。強い魔物ほど、ジェムが放出するエネルギーも大きかった。
 この町にも、ジェムの買取所があるはずだ。どこにでもある。
 単独で狩りをしていたバルクは、その実力を買われてパーティを組むようになった。いくつかのパーティに所属し、脱退した後、最後に組んでいたあのパーティに行き着いた。
「バルクー! どこー?」
 風の大声にバルクは思考を中断して起き上がった。
「あ、そこにいたのね」
 風はミシュに持っていった、倍の荷物を抱えて帰ってきた。バルクは風から荷物を受け取った。
「頼まれた買い物も終わったし、帰るわよ。ああ、今日も大繁盛で助かるわぁ。バルク、次も来てくれない? 火はクビよ」
 それを聞いてバルクは笑った。
「あなた、火の100倍手際がいいわ。火は、言われたことしかできなくてさ。何か商売してたの?」
「子どもの頃、キャラバンにいたんだよ。父親代わりの人がキャラバンの護衛でね。僕はその見習いだったけど、キャラバンが仕事をする時は手伝いもしていたから」
「どうりで」
「でも、風と火の夫婦も見てみたいな」
「ええー? どこにでもいる中年夫婦見たってつまんないわよ」
「いやいや、絶対面白いよ。今日だって、みんなご主人は?って言ってたし。お客さんも火に会いたがってる」
「うーん、まあ、次の市までに考えとく」
 荷車はゆっくりと守護者の森へ帰っていった。

 夕方、いつも、あの右耳の欠けたファミリアが傷の様子を見に来てくれるが、今日は様子が違っていた。
 初めて見るファミリア2体が一緒にいる。
 ファミリア3体が口々に何事か言っているが、バルクは相変わらず聞き取れなかった。
 立て、と言われてる気がしたので、バルクは立ち上がる。
 ファミリアは首からメジャーを下げていて、バルクの身体のサイズを計測し始めた。1体がサイズを読み上げ、もう1体が記録しているようだ。
「?」
 何のためにこんなことをするのか全くわからなかったが、バルクは素直に従った。ファミリアは椅子に上ったり下りたりしながらメジャーでバルクの身体計測をする。
(そうか、これまでの服は、彼らが作ってくれていたんだな)
 持ってきてくれる新しい服が、妙にぴったりで不思議に思っていたところだ。
 ひととおりの計測を終えると、2体は記録を見ながら何事かおしゃべりしていた。
 追加の計測をすると2体は頷き合って、部屋を出ていった。
 右耳の欠けたファミリアは、包帯を取ると傷口に薬を塗った。傷は右の脇腹を一直線に走っていた。治癒法のおかげで傷は塞がって滑らかになっている。もう薬は必要ないように思えたが、バルクは何も言わず、されるに任せた。
 ファミリアは、テーブルの上の薬を示した。
「わかってる。ちゃんと飲むよ」
 失われた血を補うものなのだろうが、金臭くて、恐ろしくまずい。
 ファミリアはバルクが薬を飲むのをいつも見張っている。
「ああ、わかったよ」バルクは笑った。「信用がないんだよな」
 椀の薬を一気に飲む。いつもながら恐ろしい味だ。バルクはむせる。ファミリアが水の入ったコップを渡してくれた。
「ありがとう」
 バルクはむせながらコップを受け取る。
「これ飲んだ後、口の中がしばらくこの味なんだよ」
 コップの水をあおった。
 ファミリアは何度かうなずく。
「同情してくれるんだね。確かに、この味がもうちょっとマシだったらとは思うよ」
 ファミリアは何事か言って出ていった。
 バルクは上着のポケットから小さな袋を取り出す。中には4つの小さな石が入っていた。市場ではほとんど価値のない屑ジェムだが、魔術を行う者の基本にして究極的な鍛錬の道具だった。
 バルクは石をテーブルに並べると、両手をその上にかざした。
 まず、青いジェム、バルクの要素である水のジェムがわずかに光り始める。バルクは意識して他のジェムに力を送る。ジェムは、その要素の力でしか輝かない。
 それぞれのジェムはどんどん輝きを増し、最終的には4色の光の柱が出現した。バルクはしばらくその状態を維持したあと、一気に力を抜く。
 部屋が暗くなったような錯覚。バルクは息をついて、ジェムを袋に戻すと、立ち上がった。
「!」
 驚いてひっくり返りそうになる。振り向いたところにジュイユが立っていた。集中していて、入ってきたことに気づかなかったのだ。
「なかなかやるじゃないか。その屑ジェムをそこまで光らせるとは。もうその辺の石ころでも光るだろ」
「いや、石ころはさすがに。何かありましたか?」
「風が呼んできてくれと言うもんで、使いに来たのさ。手が離せないとかで」
「精霊の、手が離せない用事って…」
 感覚が完全に麻痺しているバルクは、そういうこともあるのかもしれない、と素直に思う。
「気合をいれて料理をしていた。風は料理が趣味なんだよ。まあ、ここには食べさせる相手は通常1人、今は例外的に2人しかいないがな」
「料理…趣味…」
 やっぱりだめだ。目眩がする。
「魔物になって寂しいことは、食事の必要がないってことだな。確かに飢え死にする心配はないが、毎日の楽しみがない。これも誤算の一つだ。それはともかく、たまには食堂で食事をどうかというお誘いだ」
 いつもはファミリアたちが部屋に食事を運んでくれる。
「喜んで」

 メインダイニングとはいうものの、そこは装飾もなくがらんとしていた。ただ、大きく切り取られた窓から見える森の風景は素晴らしい。精霊使いの山も見える。森を渡って涼しい風が吹いてきた。
 ジェムで光るランプが灯されていて、大きな長方形のテーブルには2人分の席が用意されていた。
 ここには2人しか食事をする者はいないとジュイユは言った。とすれば、もう1つはリコの席だろう。
 考えていると、リコが現れた。リコはバルクを見て、ほんのわずかに微笑むと、席についた。それと同時に、骸骨の魔物が、身につけた剣やら鎧やらをガチャガチャ鳴らしながら、ワゴンを押して入ってきた。
 骸骨のシェフが出ていくと、再び静けさが戻った。
 リコはそっとフォークを持ち上げる。バルクもそれに倣った。
 静かなディナーだった。野菜のスープに鳥肉のローストという素朴な料理だったが、今日のメニューも手間をかけて作られていて、とても美味しかった。家庭の味というものがあるのだとしたら、きっとこういう味だろうと思った。
 リコはひと口ずつ、ゆっくりと味わって食べた。バルクはリコのその様子に釘付けになったが、リコは見られていることに全く気づいていないようだった。
 食事が終わった頃を見計らってダイニングに入ってきたのは風だった。
「バルク、今日はありがとう。私から、食後のお茶のサービスよ」
「こちらこそ。とても美味しい食事だった。ありがとう」
「今日は、バルクは本当に大活躍だったの。もう火はクビね」
「そう言わずに連れて行ってあげなよ」
 バルクは笑った。リコも微笑んでいた。
 その日から、バルクとリコは一緒に食事を取るようになった。
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