失われた歌

有馬 礼

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 しばらく天気の悪い日が続いたが、久しぶりにすっきりとした青空になった。バルクは塔の外壁を調べていた。天気が悪いからといって何か支障がある仕事でもなかったが、急ぐことでもなかったので、天気が回復するのを待っていたのだ。
 塔は石積みで作られていて、時間をかけて無秩序に建て増しされ、中は迷路のようになっている。なるべく古い石を探して、塔の内外を調査していた。ここは、誰がどういう目的で作ったのだろう。かなりの資金と労力をかけて造られたことは間違いない。
(これかな。いや、やっぱりあっちの方が…)
どれも甲乙つけ難く、やはり「専門家」の助言を仰いだ方が良さそうだ、とバルクは思う。
「土、いるかい?」
 バルクは塔に呼びかける。
「…ここに」
 背後に金色の鎧が現れた。
「『離脱』のポートを作りたいんだけど、いいかな。あと、おすすめの石があれば教えてほしいんだ」
「…それも悪くないが、こっちの方が」
 土は塔に入った。
 1階は広間になっている。その中心にある石畳を土は指した。
「ありがとう、助かるよ」
 バルクは地面に膝をついた。右手人差し指が緑色に光る。その指で、石にサインすると、バルクの名前はしばらく石の上で緑色に光っていたが、やがて吸い込まれるように消えていった。
「これで良し」
「…その石は、自分に名前を刻んだ者をずっと覚えている」
 その言葉に込められたもう一つの意味に気づいて、バルクは土を振り仰いだ。砂を払って立ち上がる。
「大丈夫。僕はここにいるつもりだよ。リコが、僕を必要としなくなるまで」
 土はわずかにうなずいた。
「…リコは遠ざけられ、隠された娘だ。町で見る同じ年頃の娘たちのように、弾けるように笑ったり、意味もなく歌ったり踊ったりしない。人間の友だちもいなければ、恋も知らなかった。そのリコが。守護者の禁を破ってでも、あなたを手に入れたいと願った」
「…」
「…この塔にいる者たちはみな喜び、祝福している。しかし、それと同じくらい恐れている。リコが、これまで知らなかった深い悲しみの底に落ちるのを」
 土は上を見上げた。天窓から差した日差しが、複雑に交差する階段や渡り廊下に遮られている。
「…あんなに嬉しそうなリコを見てしまった後では」
 土は顔を戻すと、石畳にズブズブと沈んでいった。
「…話しすぎた」
 バルクは、しばらく土の消えたあたりを見つめていた。
「お前さんは、苦労を背負い込む星のもとに生まれてるらしいな」
 ジュイユだった。
「苦労だなんて」
「私は、この騒ぎが落ち着いたら、お前さんが何も知らず、ここを去るのが一番いいんじゃないかと思っていた。これでも、かつては人間だった身だ。失うことの辛さも知っている。たがまあ、こうなったことは喜ぶべきなんだろう」
 バルクは何を言えばいいかわからず、黙っていた。
「さて、聖域だが」
 ジュイユはさっと手を振った。
 空中に大きな地図が現れる。
「これは、あの聖域の地図ですか」
「そうだ」
「誰がこんなものを…」
「ここの住人は、いつだって暇を持て余してるのさ」
 ハハ、とジュイユは乾いた声で笑った。
「聖域は、かつて、精霊使いの山がまだ活動していた頃、噴火の際に溶岩が作った洞窟だ。脇道はいくつかあるが、基本的には一本道だ。迷う心配はない。知っているとおりだ。お前さんたちが神獣に出会った場所は、ここだ」
 ジュイユが指差すと、洞窟の中ほどが光る。
「神獣は活動を活発化させているが、まだ完全に目覚めたわけじゃない。おそらく、火の力を取り込むために、洞窟のさらに奥に潜っていると考えられる。第1の問題は、それにより突破しなければならない距離が延びていることだ。聖域は非常に魔物が出現しやすい場所だ。まあ、だからこそ聖域という名目で近寄ることを禁じてたわけだがな。4体の精霊は、そこにいる魔物どもにどうこうされるようなものではないが、いかんせん、実戦経験がない。生身のリコを守りながらの通過は楽ではない」
「神獣が目を覚ましたことで、出現する魔物に変化はあると思いますか」
「…正直なところ、わからん。しかし、根拠はないのだが、より強力な魔物が出現するようになっているのでは、と思っている。それが第2の問題だ。そして最後に、神獣を眠りから覚ました者と鉢合わせする可能性だ」
「それは何ですか」
 バルクは直截に聞いた。
 ジュイユはしばらく口を閉ざしていた。
「闇の来訪者」
「まさか」
「これは、あくまで私の予感だ。当たるかもしれないし、外れるかもしれない。わからない。しかしもし、私の予感が正しいなら、お前さんはリコの本当の力を見ることになる。あの子を守ってやってくれ。あの子自身から。頼む…」
「どういう意味ですか。彼女自身から彼女を守るとは」
「闇の精霊だよ」
「それは、あの4体の精霊と同じようなものと考えればいいのですか」
「いや、彼らとは違って、リコの魂に深く結び付けられた存在だ。だが、完全に隷属させているわけではなく、精霊自身の意思を持っている」
「リコの意思に反した行動を取りうるということ」
 バルクは動揺を隠せなかった。闇の精霊と敵対するなら、万に一つも勝ち目はない。
「戦って勝つということだけが、リコを守るということじゃない」
 ジュイユはバルクの動揺を見て言った。
「闇の精霊をただ殺せばいいというなら、却って簡単なんだ」
「…!」
 バルクはある可能性に思い至る。
「リコを、守ってやってくれ」
 ジュイユは繰り返した。

 リコは自室にいた。椅子に座り、空中に向かって両手を広げている。空中には、4つの光の玉が浮かんでいた。
(4つの力を重ね合わせて…)
 赤青黄緑の四つの光の玉が集まり、1つの白い光になる。
 しかし、それも一瞬のことで、光はすぐにそれぞれに分離して、小さな粒になり、散ってしまう。
 リコは絶望的な気持ちでテーブルに突っ伏した。
「リコ、ちょっと休憩すれば?」
 ファミリアがハーブティーの入ったカップをテーブルに置く。
〈ありがとう、ジー〉
「誰でも最初は上手くいかないもんだよ。これは自慢だけど、僕はカップを50個は割ってるからね。でも今では、このとおりさ」
 ファミリアのジーは、鼻をひくひくさせた。
〈ジーはえらい〉
 リコはファミリアの頭を撫でた。
〈あああー、それに引き換えわたしは。守護者が「封印」を決められなきゃ、意味ないのに…〉
 リコは両手で顔を覆う。
「あぁ、リコ? 何か楽しいこと考えよう? 風が作ったケーキのこととかさ」
〈フルーツがいっぱい乗ってて、あ、やっぱりチョコのやつ…タルトかな…あああー考えがまとまらない〉
「困ったな…そうだ!」
 ジーの耳が元気よくピンッと立った。
「お茶飲んでて!」
 転がるように部屋から出ていく。

 ジーは転がるように階段を降り、渡り廊下を渡り、バルクの部屋にやってきた。ドアをノックするが、返答はない。
「いない! こんな時に!」
 ジーは地団駄を踏んだ。
「どうしたの、ジー?」
「ルー! バルクは?」
 ルーは、ジーの勢いに圧倒されながら答えた。
「なんか、ポートを作りに行く?とかで、ついさっき出かけたけど?」
「こんな時に!」
 再びジーは地団駄を踏んだ。
「どうしたの?」
「リコが『封印』の練習してるんだけど、全くできないって言ってしょんぼりしちゃっててさ。どのケーキが食べたいかもわからないんだよ!」
「大変だ」
 ルーは身震いした。
「そんなの、熱出す前の日じゃないか!」
「だろ?」
「探しに行こう」
 2体のファミリアは、階段に続く渡り廊下に転がり出た。
「あっ、見て、ジー!」
 ルーが1階のホールを指す。バルクとジュイユが何事か話していた。
「まだいたんだ、良かった!」
 大急ぎで階段を駆け下りる。
 バルクとジュイユは何事か話し合っていたが、ジュイユは去っていった、
「バルク!」
 バルクは転がるように駆けてくる2体のファミリアを見た。
「やあ、どうしたの?」
「バルク、リコを助けてあげて。『封印』が全くできないって、しょんぼりしちゃってるんだ」
「僕に何かできることがあるのかな」
「あるよ!」
「うんうん!」
 2体のファミリアはその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「わかった。じゃあ、行こう」
 バルクは屈んでファミリアの背中に腕を回すと、地面を蹴った。人間の跳躍力を遥かに超えて、一番近い渡り廊下の手すりに達すると、手すりを蹴ってもう一度跳ぶ。
「わあっ!?」
 ルーが驚いて必死にバルクにしがみつく。
「すごい!」
 ジーはきょろきょろ首を動かした。
 あっという間に塔の最上階に着く。
「風みたい!」
 ジーは興奮してぴょんぴょん跳ねたが、ルーは腰を抜かしてその場に座り込んだ。
「びっくりした~」
「ごめんよ」
 バルクはルーを助け起こした。
「もうっ」
 ルーがぷんぷん怒りながら助けられている横で、ジーはリコの部屋をノックした。

「リコ! お客さんを連れてきたよ!」
 気を取り直して、もう一度始めからやり直そうと立ち上がったタイミングで、ジーの声がした。
 ドアを開けると、ほかにバルクとルーがいる。バルクは膝をついて、両腕で、転んだルーを助け起こしているようだ。そのままの姿勢でこちらを振り返る。
「やあ」
 顔が熱くなるのを感じる。リコは曖昧にうなずいた。
「仕事が残ってるんだから、僕行くからね!」
 もうっ、とルーはもう一度言って背を向けると行ってしまった。
「ルー、ほんとにごめん」
 バルクはその背中に謝ったが、ルーは振り返ってくれなかった。
〈どうしたの?〉
「すごいんだよ! バルク、僕ら2人を抱えてぴょーん、て! それで、あっという間に着いちゃった! ルーはちょっと怖かったみたいだけど」
「悪いことしちゃったな。後でもう一度謝るよ」
「大丈夫、ルーは本当には怒ってないよ」
「そうだといいんだけど」
「友だちの僕が言うんだから、間違いないよ!」ジーはリコの方に向き直った。「リコ、バルクに『封印』を見てもらったら?」
「それならジュイユ師の方が…」
「ジュイユは、リコに教えられることなんかないって、相手にしてくれないんだよ」
「僕にしてもそれはそうなんだけど、まあ、何か役に立てることがあるかもしれない」
〈きっと笑われると思う…〉
 リコは自信をなくしてすっかりしょげていた。
「大丈夫だよ。最初から上手くいく方がおかしい」
〈そうなの?〉
「そうだよ。僕も焦ってると、今だに失敗することはあるよ」
 リコはそれを聞いて、少し気が楽になったようだった。
〈入って〉

「『封印』っていうのは、具体的にはどんなものなんだろう。君はどうやって知ったの?」
〈先代の日記で参考にしたものがあるから、持ってくる〉
 リコは隣の部屋に入っていった。そこは壁の三方が本棚になっていて、ぎっしり天井まで本が詰まっている。その中から迷わず1冊を手に取る。
 しおりが挟んであるページを開いて差し出す。
「借りるね」
 バルクは立ったまま読み始めた。
 
 リコは、真剣に日記に目を通しているバルクの横顔をそっと見つめた。
 少しうねりのある、焦茶色の長い髪。光の具合によって、水色に見える灰色の瞳。真っ直ぐに通った鼻梁。薄い唇。
(手、大きい。指が長くてきれい…)
 リコは慌ててかぶりを振る。
(この切羽詰まった時になんでこんなこと考えちゃうんだろう。ちょっとオカシイのかなわたし)
 落ち着け、とリコは自分に言い聞かせる。
(でも、あの手に触りたいな。ちょっとだけでいいから…それで、もう一回…ああもう、だから! なんで! 落ち着け!!)
 リコは頭を抱えて、落ち着きのない犬のようにその場でくるくる回った。
「どうしたの!?」
 バルクが驚いて尋ねる。リコは慌てて首を振って誤魔化した。
「大体わかったよ」
 バルクはテーブルに日記を開いたまま置く。
「『封印』っていうのは、魔術の類型で言うところの『結晶化』だね。こういうの、見たことはあるかな…」
 バルクは空中に円を描いた。
 そこに、水色の、鏡のような円盤が現れる。
「魔術師が使う『盾』だよ」
〈ジュイユが使ったのを、一回だけ見たことある〉
「要素を凝縮して発生させて、主に属性攻撃を吸収反射相殺するために使う。厚く張って壁にすれば、ある程度の物理攻撃も防ぐことができる」
 バルクが手を振ると、円盤は霧散した。
「これを、四要素同時に行うのが、『封印』ってわけ。…嘘みたいな話だ。一度、どういう感じか見せてもらっていいかな」
 リコはうなずいた。空中に手を広げる。4つの光の玉が出現した。
(合わされ…!)
 光の玉は空中で互いに衝突し、一瞬眩しい光を放つと先ほど同様、光の粒になって消えてしまった。
(やっぱりダメだ…)
 リコは救いを求めるようにバルクを見る。
 バルクは、先ほど光が浮かんでいたあたりを見つめていた。右手を顎に添えている。人差し指の先が、唇に触れていた。リコの目はバルクの口許に自然と吸い寄せられる。
(だから!)
 リコは意識してバルクの顔から目を逸らした。
「僕が見るところでは、必要なことはちゃんとできていると思うんだよね。これはこれで完成だと思う。あえて言うなら、4つの要素を合わせる時、今はぶつかり合ってるのを、もっと自然に、混ざりあうような感じにできないかな。渦を巻きながら、ひとつに融合していくように」
 リコはかぶりを振って雑念を追い払った。
〈やってみる〉
「あ、あと、コツを掴むまでは、言葉と、身振りも使った方がいい。魔術は術者の想像力によるからね。言葉や身振りは、想像力の手助けをするんだ」
 リコはうなずいた。再び空中に光が現れる。リコが右手を時計回りに動かすと、4つの光もそれに応じて回転し始めた。だんだん光度を増していき、色の区別がなくなってくる。

 四つの力よ
 回れ
 混ざりあえ
 合わされ

 光の玉が渦の中心で重なると、空中に七色の光を放つクリスタルが出現する。が、それも数秒で内側に向かって崩壊してしまった。リコは心底がっかりして、バルクを見上げた。
 バルクの表情はリコの予想とは違っていた。
「できた!」
 バルクは少年のようにはしゃいでいた。
〈でも、すぐに壊れてしまった…〉
「それは君のせいじゃない。言わなかったけど、結晶化を持続させるポイントは『核』なんだ。核となるものがなければ、結晶化はすぐ解けてしまうんだよ」
 何か…と言いながらバルクはポケットを探った。訓練に使っている、屑ジェムが入っている。
「これを」テーブルに、ただの石ころにしか見えない4つのジェムを置く。「『封印』してみて」
 リコは怪訝な顔でジェムを見た。
「ただの石にしか見えないけど、それはごく弱い力のジェムなんだ。『封印』できると思う」
 リコはうなずいて、ジェムに向き合う。
 ジェムを囲んで4つの光が現れ、水平方向に回転し始める。光は一つに溶け合いながら、だんだん回転の径を縮めていく。
〈『封印』!〉
 クリスタルが4つのジェムを包み込む。光が引いたあと、惰性で数回転してから、止まった。
「すごい、成功した」
 バルクはクリスタルを摘んで持ち上げる。目の高さに掲げて、光にかざした。純粋な球体かと思ったが、よく見ると、沢山の三角形の面で構成されている。
「なんてきれいなんだ」
 クリスタルは4つのジェムを閉じ込め、七色の光を放っていた。よく見ると、クリスタルの内部でジェムがゆっくりと回転している。これまでに見たどんな宝石よりもジェムよりも美しかった。どうせならもっといいもので試してもらえばよかったな、とバルクは思う。
「これ、もらっていいかな」
 もともとそれはバルクのものだったし、どうしてそんなものを欲しがるのかよくわからなかったが、リコはうなずいた。
「ずっと見ていられる」
 バルクは目を輝かせながら、クリスタルを光に透かしたり、手のひらに載せて観察したりしている。
(できた。良かった…)
 ほっとすると、脚の力が抜けて、リコはその場にへたりこんだ。
「大丈夫!?」
 バルクは驚いてリコに駆け寄る。
〈大丈夫。ほっとしたら、力が…〉
 笑ったその目から涙がこぼれる。
〈ずっと練習してたけど全然できなくて、本当にどうしようかと思ってて。センスなさすぎてジュイユにも「その時になればできる」とか言って匙投げられちゃうし、どうしようって…。でも、本当に良かった。ありがとう〉
 バルクは床に膝をつくと、指先でリコの涙を拭った。
「成し遂げたのは君自身の力だよ。多分だけど、ジュイユ師の言うとおり、その時になればきっとできたと思う。でも、それとは別に、自信を取り戻せたことは本当に良かった。術の成功は術者の心理状態にも左右されるから」
 リコの頭を自分の肩に引き寄せる。
 リコは目を閉じる。心臓が、細い紐で締め付けられたようにきゅっとなる。全く嫌な感覚じゃない。心地よいくるしさ。リコはバルクの肩に頭を預けると、そっと背中に腕を回す。
 バルクはリコの頭を優しく撫でた。
「昔…まだキャラバンにいたころ、師匠が言ってた。世界には、歌うみたいに、踊るみたいに、自然に魔術を使う者がいる、って。その言葉が本当だって、今わかった」
 君のことだ、とバルクは言う。
〈わたしにはよくわからない…〉
「ジュイユ師が君に教えられることはないって言った意味、よくわかるよ。君に魔術の訓練をしたら、君の持っているものを歪めてしまいかねないと思ったんだ」
 リコはバルクの肩から顔を上げた。
「もっと自信を持っていいんだよ。君は素晴らしい」
 バルクはリコの髪を撫でた。
〈ありがとう〉
 リコは髪を撫でるバルクの手に、自分の手を重ねた。
「そうだ、今からあの泉に行くんだけど、一緒に来る?」
 リコはぱっと顔を輝かせて何度もうなずいた。
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