失われた歌

有馬 礼

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第3部 古都アーセンバリ篇

18 明け渡す※

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 「彼」が来る。
 それ自体がほのかに光を放っているような、白い天井、白い壁、白い床。滑らかな手触りの白いシーツ。

 そこはナナカにとってはどこよりも見知った場所だった。かつてはナナカに、いっときのぬくもりを与えてくれた場所も、今のナナカにとっては恐ろしい場所に変貌していた。
 ナナカはベッドから身を起こす。いつものように何も身につけていない。さらりとしたシーツを胸元までたくしあげながら、周囲を見回す。

ーーあの忌々しい光のせいで来られなかったけれど、ようやく消えてくれた。

 ぎくりとしてナナカの肩が跳ねあがる。ベッドの端に彼が腰掛けていた。横目でナナカの様子を見て微笑んでいる。その蠱惑的な微笑みは一見いつもと変わらないようだったが、その奥には怒りがあった。

 彼はゆっくりと立ち上がり、歩み寄った。ナナカは無意識に身構える。
 彼はそんなナナカの様子には構わず、手を伸ばすと、ナナカのおとがいを捉えた。顔を上げさせて、至近距離からナナカの目を覗きこむように見つめる。

ーー…。

 ナナカは動けない。声を出すこともできない。

ーーどうしたの? そんなに怯えて。しばらく会わない間に、様子が変わってしまったね。何があったのかな。

ーー…。

 恐怖で呼吸が浅くなる。肩で息をしながら、ナナカは紫の瞳を見つめかえす。
 彼はそのままさらに顔を寄せて、ナナカにくちづけた。

ーー…っ。

 ナナカは顔を背けてそのくちづけから逃れようとするが、身体が麻痺してしまったかのように動けない。
 たくしあげていたシーツが取り払われ、細い指先が乳房をまさぐる。嫌悪感にぞくりと鳥肌が立つ。

(あたしはもう、前のあたしじゃない…)

 彼の舌が唇を割って侵入してくる。彼の冷たい指も、口内を犯す舌の感触も、もう、何もかもが嫌だった。

ーー私を拒絶しているね、ナナカ?

ーー…っ。

 ようやく唇が解放されて、ナナカは歯を食いしばった。嫌悪感に涙が流れる。

ーーやめて…。

 身体はやはり動かない。懇願するしかない自分が嫌で、情けなくて、涙が止まらない。

ーーどうしてかな。前はあんなにも私のことを求めていたのに。

ーーいや、いやなの、もう…。

ーーそうはいかない。

 彼はナナカの反応を楽しむように、もう一度唇を重ねる。

ーー言っただろう、ナナカ。貴女は私のものだと。やっと見つけたんだ。手放すはずがない。

 彼はナナカの背後に回ると、両手で掬い上げるように、ナナカの乳房をゆっくりと揉みしだく。

ーーやめ、て。

ーー貴女を見つけた時は、ようやく求めていたものが手に入ったと思って、拙速に事を運びすぎた。本来の力を発揮できなかったし、危うく魂が壊れるところだった。

 彼はナナカの耳元でささやきながら、耳殻を舌でなぞる。

ーーゆっくりと時間をかけて私に馴染ませ、結合していかなければと思っていたけれど、もうあまり時間がないようだね。また、あの忌々しい者たちが横槍を入れようとしてきている。

 細い指先がナナカの秘所にもぐりこむ。

ーーふふ、態度では私のことを拒絶しているようだけど、ここはまだ私を求めているね。

ーー違う…。違う、これは…。

 ナナカは何とか拘束から逃れようとするが、かなわない。

ーーそうかな?

 ぴちゃ、とそこが劣情の音を立てる。

ーーいやだ、いや、いや…。

 ナナカは指の動きに抗いながら、思わずその名を呼んだ。

ーーセスト…。

ーーなるほど、それが、その者の名前というわけか。

 彼はナナカを引き上げて膝立ちにさせると、背後から強引にナナカの中に侵入した。

ーーあう、く…。

 十分に柔らかくなっていない中を引き裂かれるような痛みに、ナナカが苦痛の声をあげる。

ーーほら、ごらん、ナナカ。

 ナナカを羽交い締めするような格好で背後から犯しながら、彼が部屋の一角を示す。
 ナナカの目が恐怖に見開かれる。

ーーセスト…。

 そこに立ってこちらを見ているのは、セストだった。

ーー貴女がここに呼んだんだよ。

ーー嘘。そんなこと…。

ーー貴女が、彼をここに招き入れた。

 セストは驚いたような顔でこちらを見ている。

ーー違う、違うの、これは。これは、違う…。見ないで。お願い、見ないで…。

ーーそんなこと言わずに、よく見てもらうといい。

 彼は嗤いながらナナカの身体をセストの方に向けさせると、奥を穿ちながらナナカの花芽を片手で弄る。

ーーそれとも、彼もベッドに呼んで、一緒に楽しむ?

 腰を打ちつけながら、ささやく。
 ナナカは目だけで背後の彼を見た。

ーーやめて。彼に触れないで。彼は、汚さないで。お願い。

ーーならば、私のものになると言え。魂を明け渡すと。

ーーわかった…。

 ナナカは目を閉じた。涙が頬を流れる。

ーーあなたのものになる。あたしを、明け渡す…。

 そうして、全ての感覚が閉ざされた。


***


「…っ!!」

 セストは息を呑んで目を見開いた。そこは寮の自室だった。

(最低だ、夢とはいえ…)

 上体を起こして、先程の夢の余韻を振り払う。それにしても、自分を真っ直ぐに見ていた、あの目。あの、挑みかかるような紫の瞳。

〈夢ではありません、セスト導師〉

 ハッとして声のした方を見やると、そこには大僧侶がいた。しかしいつものように車椅子は使っておらず、立っている。その輪郭はかすかに光っていて、術で姿と声を飛ばしているのだとわかる。

〈かの者がナナカの魂を連れ去りました。妨害を試みましたが、防げなかった。ナナカが、彼女自身の意思でかの者を受け入れたからです〉

「ナナカは、無事なのですか」

 セストは弾かれたように立ち上がる。

〈生命という意味で言うなら、無事です。しかし、その身体は今や抜け殻のようなものです。魂と長らく引き離されていれば、いずれ衰弱して死亡するでしょう〉

「ナナカの魂は、どこに行ってしまったのですか」

〈すさまじい混沌の中です。申し訳ありません、私にわかるのは、それだけです〉

 すさまじい混沌と聞いて、セストに思い当たる場所はただひとつだった。

「帝都だ」

〈セスト導師、ナナカを連れてルブラに戻るのです。今はっきりと見えた。あなたの友人に、火の魂を持った人がいますね?〉

「火の魂?」

〈常に混沌の中に身を置いている人です。心当たりはありませんか〉

「ヒューゴ…」

 その名を口にすると、大僧侶は頷いた。

〈彼が連れてくる者に、ナナカを会わせてください。彼らが鍵を握っています。今、私にわかるのはそれだけです〉

「わかりました」

〈頼みました、セスト導師。いえ、来訪者セスト〉

 セストは大僧侶の言葉に、力強く頷きかえした。
 一度は逃げ出した、闇と混沌が渦巻く帝都へ。しかしもう、セストは恐れを感じなかった。

 歌よ、導いてくれ。失われた歌よ。再び。
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