失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

5 こんなことって

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 ヒューゴに指定された時間ぴったりに、バルクとリコはルブラのハンター協会に現れた。自分たちと違って多忙な勤め人のヒューゴは時間どおりになど現れないだろうが。

「忙しそうだったのに、どういう風の吹き回しなんだろうね」

 バルクはそう言ってリコの顔をなんとなく見やる。その表情はバルクの予想に反して強張っていて、バルクも思わず緊張する。

「どうしたの?」

 リコは目を見開いたまま真っ直ぐ前を見ている。その正面にあるのは、相変わらず田舎っぽいルブラの寺院だった。

〈なんで……〉

 バルクはとりあえずポートの円からリコを連れ出し、フロアの隅に避ける。
 リコは肩で息をしながら、気持ちを落ち着けるようにバルクのジャケットの下に腕を回して胸に顔を押しつけた。

「どうしたの?」

 バルクはもう一度優しく尋ねる。リコは何も答えず、弱々しくかぶりを振った。バルクはそれ以上追及するようなことはせず、右腕を軽くリコの背中に置いた。


 ヒューゴはほんの少しの遅れでルブラに現れた。

「バルク1人かと思ったら、リコもいるじゃねーか」

 ヒューゴはバルクの胸に顔をうずめているリコを覗きこむ。

「いちゃつき足りないなら家でいちゃついて来いよ」

 ヒューゴは半ば呆れたように言う。仕方なくリコはバルクから離れ、代わりに指を絡めて手を繋いだ。リコの手は冷たくて、そしてめずらしく汗をかいていた。

「……どうしたんだ?」

 リコの緊張した表情を見てヒューゴも尋ねるが、リコは俯きがちに首を振るだけで答えない。

「どうしたんだ?」

 ヒューゴはバルクの方を見る。

「とりあえず行こう。きみのお友だちのところに」

「おう……けど、いいのか?」

 ヒューゴはリコを気にしながら言う。

〈わたしは大丈夫。あまりのことに、なんていうか、ちょっと……。でも、大丈夫だから〉

「気分が良くないとかなら、無理する必要ないぜ? ロビーのベンチにでも座っとけよ。ささっと済ませてくるから」

〈大丈夫〉

 リコが、こう見えて言い出したら聞かないことを最近理解し始めたヒューゴは、バルクをチラリと見る。バルクも小さく頷いた。

「じゃ、行くか」


 ヒューゴは勝手知ったる様子で寺院の通用口に回った。呼び鈴を押すとヒューゴよりは少し歳上と思われる男性の僧侶が顔を出した。

「よう、ヒューゴ、よく来たな」

 今日の訪問のことは承知していたようで、にこやかに迎え入れられる。

「テオ兄貴、久しぶり。あ、こいつら俺の友だち」

 友だちになった覚えはないのだが、とバルクは思うが、大人としてこの場で否定したりはしなかった。

「バルク・フロウです。初めまして。こちらは妻のリコです」

 リコはこのやりとりが全く耳に入っていない様子で、こわばった表情のままだった。テオはそんなリコを不思議に思ったようだったが、殊更言及することはなかった。

「セスト、どこにいます?」

「院長と上の部屋にいるよ。そこの階段上がった突き当たりの部屋」

 テオは廊下の途中にある階段を指さす。

「ども」

 ヒューゴは軽く手をあげると、テオに示された階段の方に進む。バルクもリコの手を引いてそれに続いた。
 2階の突き当たりの部屋をノックすると、中から応答があった。ドアを開けるとそこには、初老の僧侶、僧侶にしておくにはもったいない体格のいい若い男性の僧侶と、そしてベッドに腰掛けているリコと歳の変わらない女性がいた。

「……!」

 バルクは顔色を変えてリコを背中に庇い、鋭い目で女性を見る。

〈待って、バルク。彼女は、あの時の彼女じゃない……!〉

 それまで黙っていたリコがバルクの肘を引いた。

「でも、完全に……」

〈そう。そうだけど、違う〉

「何の根拠が?」

〈説明できるような根拠はないけど、でも、わかる、としか……〉

「どうしたんだよ」

 滅多に見せることのないバルクの剥き出しの敵意を見て、ヒューゴが割って入る。

「なにか問題があるのかね?」

 初老の僧侶が口を開く。

「あ、院長、すみません来るなり」

 ヒューゴが2人に代わって謝罪する。

「彼女のことを気にしているなら、彼女は今自分の意思を示せる状態ではない。まずは落ち着いて話をしようじゃないか」

「……失礼しました。取り乱してしまって」

 バルクは丁寧に謝罪しつつも、ナナカの方を気にしている。リコは繋いでいたバルクの手を解いて、ナナカの正面に立った。

〈魂が離れたところにある……〉

「なんで……」

 セストはヒューゴに連れられてやってきた少女がナナカの状態を一目で言い当てたことに驚きを隠せない。

〈見ればわかる。わたしは、精霊使いだから〉

 セストは彼女が口を動かしていないことに気づいた。

〈彼女は魂が身体から引き離されている。そしてあなたは光の来訪者〉

 リコは力をこめてセストの顔を真正面から見た。その視線にセストはたじろぐ。

〈収穫祭の日、どこにいたの?〉

 突然の質問にわけがわからず、しかし気圧されてその意図を確認せずに思わず答えてしまう。

「古都に……」

〈わたしたち、ずっとあなたを探してたの。あなたを探して帝都にまで行ったのに、どうしてなの? どうしてこんな近くにいるの? こんなことって、ある?〉

「リコ、落ち着いて」

 バルクは興奮してまくし立てるリコを思わず嗜める。

〈信じられない。なんなの、なんでなの〉

 リコはバルクの手によって、半ば引きずられるように椅子に座らされる。

「申し訳ありません」

 バルクがリコに代わって謝る。

「院長、セス、最近俺が帝都で協力してもらってた、バルクとリコです」

「初めまして。お二方。あなた方は彼女を、ナナカのことをご存知だったのですか?」

 院長はナナカの方を見やる。このちょっとした騒ぎにもナナカは無関心だった。

「私たちは、彼女と会ったことがあります」

 バルクが答える。

「いつ、どこで?」

 院長の問いはあくまで穏やかだった。

「半年ほど前、精霊使いの聖域で。その時私たちが会った彼女は、闇の来訪者でした」

 バルクの言葉に思わずセストが声をあげる。

「そんなバカな。彼女は闇の来訪者なんかじゃない。そうじゃなくて、完全均衡の魂を利用されていたんだ」

〈完全均衡!?〉

 リコがセストを振り向く。セストは頷いた。

〈まさかそんな……。でも、そうなのね……〉

「あの時僕らが聖域で出会った闇の来訪者は、ナナカを操ってたということ?」

 バルクがリコに尋ねる。

〈操られていたという感じはしなかった……。そこにいるのは闇の来訪者それ自身という感じがしていたけれど……〉

 リコは言葉を切ってしばらく考え込んだ。そこにいる面々は辛抱強くリコの次の言葉を待った。

〈完全均衡の魂は、属性を持たない、透明な魂なの。透明な魂には、他の存在が容易く入り込んでくる。……あの時彼女は確かに、闇の来訪者だった。一体になっていた〉

「取り憑かれる、みたいなことか?」

 ヒューゴが尋ねる。

〈魂に別の存在が入りこむことをそう呼べるのなら、そうだと思う〉

「そもそも、魂に他の存在が入りこむなどということが、起こりうるのかね?」

 院長が疑念を込めて言う。リコは首を振った。

〈普通は、ありません。だって、魂は身体という強力な鎧に守られていて直接触れることはできないし、大抵の魂には属性があるから。均衡の魂にだって、2つと同じものはない。自分とは違うものが入りこんできたり混ざりあったりすることは、ありえません。でも、闇の来訪者の力があれば、身体は問題にならないのかもしれない……。そして、完全均衡の透明な魂は、属性がないから、自分と他の存在を区別することができないのだとしたら〉

 セストはリコの言葉を聞きながら、あの白い部屋を思い出していた。現実ではなく、しかし夢でもないあの空間。
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