失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

18 黄金と闇

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 バルクは本能的な恐怖を感じながら闇の蟷螂を見上げる。前に同じようにメトロのトンネルで魔物の起こす「嵐」をおさめる手伝いをした時は、バルクの魂の要素を使って魚のようなものを作り出していた。あれと同種のものか。しかし放っている存在感が桁違いだ。
 ク……と蟷螂が首を傾げるような仕草を見せた直後、その鎌が一閃して、射程範囲にいた魔物と腐った魂を両断した。魔物は力を失い、腐った魂は透明になり、天に昇っていった。

「おお、腐った魂が軽くなった……」

 ヴィラントは軽くなった魂たちがトンネルの天井を抜けて天に昇っていく様を呆然と見上げる。
 蟷螂は魔物や死霊たちを次々と屠っていく。その動きには、ジュイユも戦いの手を止めるほどだった。周囲を支配していた重苦しい闇の気配がどんどん薄れていく。
 魔物が放つ混沌の奔流を、蟷螂が翅を広げて受ける。金属のような光沢を持ったその翅もまた、傷ひとつ埃ひとつつかない。
 リコはその様子を、いつもの表情を欠いた目でじっと見つめていたが、ハッと目を見開いた。
 金色の光が閃いたと思った瞬間、金属同士がぶつかる音が響く。蟷螂が金色の剣を鎌で受けている。

「ふむ。闇の来訪者が姿を現したかと思ったが、違ったようだ……」

 現れたのは、リコの土の精霊に酷似した金色の鎧の騎士だった。しかしリコの精霊を違って顔を見せている。若い時分はさぞ美しかったのだろうと思わせる、威厳に満ちた老人。刻まれている深い皺は思慮と叡智を感じさせる。眼光の厳しさと威圧感は人の上に立つ定めを負ったものの証だ。そしてその顔もまた、黄金から削り出した彫像のような色合いをしている。精霊は剣を納めた。

「アールト殿下……いえ、今は皇帝陛下とお呼びすべきですね」

 ヴィラントが言って、臣下のように跪いて礼を取った。

「私に礼を取る必要はない。私は遺された精霊に過ぎぬ」そう言って黄金皇帝の姿をした土の精霊は、僅かに表情を緩めた。「久しいな魔王よ。まだ腐った魂を集めて舞踏会を開いているのか?」

「左様でございます。わたくしは馬鹿騒ぎを心から愛してございますので」

「相変わらずふざけているな、そなたは」

「お褒めにあずかり」

 ヴィラントは立ち上がった。

「それで?」

 精霊は苦笑した顔のまま、迷わずリコを真っ直ぐ見た。

「これは闇の精霊というわけではないな。限りなく近いものだが」

〈擬似精霊です。わたしの魂の要素で作りました〉

「……そなたは声を封じられているのか。素晴らしい力の持ち主だな。しかし来訪者というわけではない」

 精霊の言葉にリコは黙って頷く。

「精霊よ、来訪者はどこにいる」

 ジュイユが精霊に尋ねる。

「わからぬ」

 精霊は目を伏せた。

「いや、この混沌に潜んでいることは分かっているが……。見つけ出せぬのだ。濃い闇の気配がしたのでもしやと思ってきたのだが」

 そう語る精霊の真後ろの壁が眩しく輝く。しかし、闇に目が慣れているはずのリコとバルクも目を開けていられないようなことはない。物理的な光ではないのだ。
 壁を抜けて現れたのは光り輝く馬だった。皇帝の精霊は擦り寄せられた鼻面を撫でる。光の馬の輪郭はハレーションを起こしたように虹色に滲んでいた。

〈混沌……〉

「そう。光と闇が接することにより生まれるもの」

 精霊は愛しげに光の馬の首筋を撫でる。

「腐った魂たちを効率的に天に還すため、彼らが集まりやすい地下神殿を造ったのはアールトだ。レイフの遺した光の精霊は、確かに彼らを慰め、天に還した。しかしいつの頃からか、闇が濃くなりすぎ、混沌が生まれるようになった……。私とこの者が存在を消せば、混沌はこれ以上生まれなくなるのかもしれない。しかし、それでは闇の集中を防げない」

「闇か混沌か。究極の選択で混沌を選んでいるということですか」

 バルクが言う。
 精霊は目を伏せて力なく微笑んだ。

「……まったく、無力なものだ。愛した者の唯一の願いも叶えてやれない。腐った魂は生まれ続け、むしろその数は増えるばかりだ……」

 これほど哀しげな微笑みをリコは知らなかった。しかし、この気の遠くなるような時間を越えてきた精霊に対し、何を言うことができるだろうか。

「フ、フフフ……」

 全員の視線が突然笑い始めたヴィラントに集中する。

「どうした。気でも触れたか? むしろ今まで正気だったのか?」

 ジュイユが言う。

「ふふ、ジュイユ翁、わたくしはいつだって正真正銘まともでございますよ」

 ヴィラントは額に手を当ててひとしきり笑った。

「はあ、もう。はあもう。レイフ様、あなた様という方はまったく。雑すぎましょうよ、わたくしの扱いが。ほんとにもう」

〈ヴィラント……? 何を……〉

「わたくしが今ここにいる意味がようやくわかったのでございますよ」

 ヴィラントはぽっかり空いた眼窩でリコを見た。

「レイフ様は、このためにわたくしを中途半端に封印して、地下神殿の中に放り込んでおいたのですよ。なんという方でしょうか」

 ヴィラントはひとり納得しているが誰も彼の話を理解していない。

「魔王よ、何を知っている?」

 精霊が問う。

「何も。わたくしのなすべきことのほかは、何も存じません、皇帝陛下」

「そなたのなすべきこととは……」

 はぐらかすようなヴィラントの回答にさらに問いを重ねようとした精霊は、驚いた表情でトンネルの闇の先を見ると姿を消した。その驚き方は驚愕というべきものだった。

「おい、無事か!?」

 ヒューゴとセストが駆けてきた。

「遅いぞ」

 ジュイユが答える。

「俺たち脚2本しかないんですから勘弁してくださいよ、師匠」

「師匠ではない」

 いつもどおりのやりとりをする。

「あの……その、めちゃくちゃ大きいカマキリは……?」

 セストは茫然と巨大な蟷螂を見上げている。

〈擬似精霊だよ。精霊……的な、何か?〉

「精霊的な何か?」

 セストは蟷螂からリコに目を移す。

〈精霊的な何か〉

 リコは力強く頷く。

「それは精霊とどう……」

 全員の視線が空中の一点に集中した。

 女が空中に座っている。
 顔立ちとしては少女というべき年齢だったが、その表情は歳を経た女のものだった。

「ナナカ!!」

 悲鳴のようなセストの叫び。ナナカの姿をした女はセストの方をチラリと見下ろした。闇の来訪者。
 来訪者は空中に脚を組んで腰掛けている。黒いドレスのスカートには深いスリットが入っていて、そこから白い脚がなまめかしくのぞいている。裸足の爪先が誘うようにゆらゆらと揺れる。

「お久しぶり、光の僧侶。あの淫らなショウはお気に召したかしら?」

「黙れ!」

 ヒューゴは心穏やかな聖職者が声を荒げるのを初めて聞いた。しかし女は妖しく微笑むだけだ。磨かれた爪の並んだ指先で自分の胸を指す。

「でも、この子があなたを呼んだのよ? きっと、見てほしかったのね、あなたに」

――見ないで。お願い、見ないで…。

 脳裏にあの忌まわしい光景が甦りそうになり、セストは首を振る。

「そんなはずない」

「そのおかげで、私はこの子を手に入れた。私の望む世界が実現する。全てが調和した、悲しみのない世界が。あなたには、感謝しているわ」

 ザッ!

 闇の蟷螂が鎌を一閃するが、来訪者はそれを紙一重で躱す。

「世に比類なき守護者、母を宿した娘。面白いものを作り出したわね」

 来訪者はリコに妖艶に微笑みかける。リコは表情を変えず、また、何も答えない。蟷螂が再び攻撃を仕掛ける。繰り出された鎌を来訪者が剣で受けた。以前も見たことがある、炎をかたどった剣。

「でもね」

 来訪者は空中から剣を打ち下ろす。蟷螂が鎌で受け止め、振り払う。弾き飛ばされた来訪者はトンネルの壁を蹴る。その向かう先は。

 ドカッ

 狼の姿のバルクがリコに迫った来訪者を体当たりで吹き飛ばす。
 壁に叩きつけられた来訪者にヒューゴの銃が追い討ちをかける。しかし、いつもならその後に続く熱風は生まれなかった。

「混沌」

 ジュイユが呟く。
 来訪者の剣が迫る。人間に戻ったバルクがヒューゴとリコを連れて短距離の離脱をする。リコがいた場所を来訪者の剣が切った。蟷螂が応戦する。

「ママを出しなさい、リコ。そうでなければ私とは戦えない」

 地面から闇が立ちのぼる。
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