失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

19 透明な容れ物

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〈そんなことない〉

 リコは蟷螂を来訪者に対峙させる。
 蟷螂は2本の鎌で来訪者に襲いかかるが、来訪者は素早い剣捌きでことごとくその攻撃を斥ける。
 周囲の闇から夥しい数の魔物が生まれる。

「天地を統べるものの御名みなにおいて命ずる。魂を持たぬものよ、退け」

 セストの光に照らされて魔物たちが溶けるように消える。セストは合掌したまま続いて唱える。

「彷徨える重き者に言う。其方そなたの荷は下ろされた。天地を統べるものの御許みもとへの門は開かれている。天への道を辿れ」

 オオオオッ
 アアアッ

 悲鳴とも歓声ともつかない声があがり、集まっていた腐った魂たちは透明になって天に昇る。

「素晴らしい」

 ヴィラントがうっとりと言う。

「来訪者とはこれほどの力か。元人間の私はともかく、ヴィラントやボッチには術の効果が及んでいない」

 ジュイユは新たに出現し始めた魔物を撃破しながら言う。

「ぼやぼやするなよ、ヒューゴ! バルクと2人でリコを守れ! ヴィラントはセストだ!」

「了解!」

 呆然と立ち尽くしそうになっていたヒューゴはジュイユの檄に我を取り戻し、バルクに加勢する。
 蟷螂と来訪者の戦いは、徐々に来訪者の有利に傾き始めていた。蟷螂は右の斧を失い、左1本で応戦している。リコの額に汗が浮かぶ。バルクはリコを狙う魔物を蹴散らすので精一杯だ。

 ギィン!

 金属音が鳴って、蟷螂の鎌がはね上げられ、来訪者が一気に間合いを詰めた。

 ガギン!

 蟷螂の首が落ちる。その体は溶けるように形を失い、リコの指輪に吸い込まれた。
 リコは肩で息をしながら来訪者を見上げる。

「闇の精霊を出しなさい。自らの意志で自らを腐った魂に変えた、狂った魂を」

〈どういう……〉

「闇の精霊よ、聞きなさい。出てこなければ、私はここで、あなたの娘を殺す」

 リコは来訪者の言葉の真意を質そうとするが、言葉が続かず、下腹部を押さえてよろめく。バルクが素早く背中を支えた。

〈だめ、だめ……出てこない、で……〉

 しかしその目は焦点を失い、そのまま瞼が下りていく。首に縄が巻きついたような痣が浮かびあがった。闇の精霊が出てくる。
 リコの足元にはいつの間にか血溜まりが広がっていて、そこから白い腕がズルリと這い出す。出てきたのはリコと瓜二つの闇の精霊だった。ただし、目はボロ布を巻かれて隠されており、その服もあちこち焼け焦げ擦り切れている。左足首には足枷がつけられ、鎖が血溜まりの中に伸びている。

「う、うう……」

 闇の精霊は両腕をだらりと下げてゆらゆらと身体を揺らしている。
 バルクは意識を失ってしまったリコの身体を抱きしめながら、凍りついたように闇の精霊から目が離せない。以前より数段力を増しているのがわかる。リコの姿を取っていてさえ恐ろしい。闇が一層濃くなり、魔物と腐った魂たちが集まってくる。バルクはなんとか恐怖を押しやり、目の前の現実に意識を向ける。
 リコの身体を支えていて身動きが取れないバルクに代わり、ヒューゴが2人を背中に回して応戦する。脇を突かれそうになったところをバルクの氷の盾が守った。

「助かったぜ!」

 盾の影から躍り出て、甲虫のような魔物に火の弾丸を見舞う。

「アアッ!」

 闇の精霊が雄叫びを上げ、来訪者に向けて突き出した手のひらから紫色の雷が迸る。
 闇の来訪者が手のひらを上に向けて腕を伸ばす。放たれた紫の雷は、手のひらの上に吸い込まれ、球体を作る。

(なんだ、あれは……)

 バルクは目を見開く。闇の精霊が放った雷撃が、透明な球体の中に捉えられているように見える。
 来訪者が僅かにその手を動かしたのに反応して、闇の精霊が壁を作る。
 
 ドォン!!

 トンネルに大音響が轟き、揺れる。天井からパラパラとコンクリートの欠片が降った。
 バルクは闇の精霊の壁の後ろで、さらに氷の壁で自身とリコとヒューゴを守る。バルクは見た。闇の雷撃がセストにぶつかるのを。そしてそれが凄まじい量の混沌を生み出すのを。押し寄せてくる混沌の奔流を、魔力を放出し続け、なんとか壁をシェルター状に組み換え維持して乗り切る。
 混沌の奔流が去る。数分続いたような感覚があるが、実際には数秒の出来事だ。

(これが、狙いか)

 バルクの背中を冷たい汗が伝う。
 闇の精霊を呼び出し、闇の力をセストにぶつけることにより混沌を生み出す。

「やべぇ」

 ヒューゴが呟く。壁から、天井から、床から、魔物がわきだしてくる。

「セスト! 無事か!? 魔物除けだ!!」

 近づいてくる魔物に応戦するが、ヒューゴの銃と身動きが取れないバルクの攻撃だけではとても凌ぎきれない。
 ヒューゴの呼びかけにセストは我に返った。

「天地を統べるものの御名みなにおいて命ずる。魂を持たぬものよ、退け」

 光がトンネルを照らすが、魔物たちは一瞬動きを止めるだけで、先ほどまでのように無力化できない。

「ヴィラント、セスト、一箇所に集まれ、次にあれを食らってまだ立っていられる保証はない」

「ええ、ジュイユ翁。ボッチが……」

 ボッチは先程の混沌を相殺しきれず、胸から下がなくなっている。その身でヴィラントとジュイユを守り切った。
 ヴィラントは変わらず笑った顔のままのボッチの手を握る。力を失って、ボッチは姿を維持できなくなり、後には混沌のジェムだけが残された。ヴィラントはそれを懐に入れる。

 セストは魔物除けを繰り返しながら、先程の出来事を反芻している。闇が迫った時、無意識に結界術が展開された。その表面に闇がぶつかり、その境界が虹色に滲む。混沌。駆け抜けた混沌の奔流は、どこへ向かったのだろう。そして、来訪者の手のひらの上に集まった闇。あれは、闇の球体ではない。なにか、に闇を集めたのだ。透明な容れ物。それは――。

「ナナカ……」

 セストは悠然と宙に腰掛けた来訪者を見上げる。ナナカの顔をした来訪者は、うっとりと掌の中の透明な球体を見つめる。

「素晴らしいわ……! 混沌そのものを増幅することは、うまくいかなかった。混沌はね、とても繊細な存在なの。お互いの僅かな揺らぎで、お互いを打ち消しあってしまう。やはり、光と闇の和合に勝るものはない
……。なぜこの世界に2つの対極があるのか、その意味がわかろうというもの。そうでしょう?」

 来訪者は、子どもに諭すような優しげな口調で言う。

「この完全均衡の魂で闇を増幅してあの女の忌まわしい精霊を貪り食ってやろうと思っていたけれど、あなたで十分ね、僧侶さま。あなたと、その狂った魂があれば、世界をひとつにできる」

 ナナカの顔をした来訪者は、ナナカには決してできない表情で微笑む。

「もっとちょうだい。ひと息に世界を包むには足りないの、全然」

 ぺろりと上唇を舐める。

「ガアッ」

 闇の精霊が叫び声と共に闇を放つ。しかし、結果は同じだ。

「来るぞ!!」

 ジュイユの叫び声。
 セストに選択肢はなかった。全員を包むようにドーム状の結界術を展開する。その表面に闇の雷撃がぶつかり、虹色のハレーションが起こる。爆風のように混沌がトンネル内を駆け抜ける。

「これはこれは」

 ヴィラントが光のドームの向こう側で荒れ狂う混沌の嵐を見ながら、いつもの調子で言う。

「ふふ……あはははは!」来訪者が狂ったような笑い声を上げる。「本当に素晴らしいわ。でも、今の混沌も、世界を覆うには少な過ぎる」

「……ア」

 闇の精霊がだらりと腕を下げた。

「どうしたの? あなたのような狂った魂も、絶望するということがあるの? さあ、戦うのよ。あなたの娘を取り戻すために。みんながあなたの娘を連れていくわよ。そのために自分を腐った魂に変えたのでしょう?」

 来訪者はするりと宙を滑って闇の精霊のところまで降りてくると、そのおとがいに人差し指をかけて上を向かせた。

「ア、ウ……」

 闇の精霊は微かな呻き声に似た声を漏らした。前屈みに丸まっていた背筋が伸び、だらりと意思なく開かれていた手が力を込めて握られ、そして開かれた。
 左手を手刀の形にした精霊は、そのまま足枷につながっている鎖を断ち切る。

「……!」

 バルクの腕の中のリコが突然瞠目し、弾かれたように立ちあがる。

「だめ……!!」

 叫んだのはリコ自身だった。声が戻っている。

「行っちゃだめ! 約束したじゃない!」

 闇の精霊はリコの方を振り向き、そして目隠しを外した。リコと同じ緑の瞳。しかしそこに宿る意志の強さはリコが持っていないものだった。闇の精霊はリコに微笑んだ。
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