失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

20 軛を切る

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「軛を断ち切ったか」

 来訪者は飛び退って距離をとる。しかし、闇の精霊はそれを許さない。獣のように跳躍し、来訪者の首を両手で締めあげる。

「ぐっ、う……!」

 来訪者の口から苦悶の声が漏れる。闇の精霊の体からも、真っ白な煙が立ち上った。

「魂食い……! ネクロマンサーの秘技を……そんな」

 ヴィラントが呆然と呟く。

「だめ、ママ、だめ! 約束したでしょ!?」

 リコが涙を流しながら絶叫する。バルクは、飛び出していこうとするリコの身体を必死に抱きすくめる。

「わたしと一緒に生きて、わたしが死ぬ時に一緒に死のうって、約束したじゃない!! 置いていかないで、お願い!!」

 来訪者は締めあげてくる精霊の手に爪を立てる。

「おの、れ……」

 闇の精霊が足先から形を失い始める。壁画が時間と共に少しずつ剥がれ落ちるように、ひびが入り、欠けて、空間に溶けていく。
 来訪者は右手を持ちあげる。そこに現れる、透明な球体。その球体が闇の精霊を吸い込み始めたその時、闇の精霊は最後の力で、来訪者の右腕を肩の下から雷撃で吹き飛ばした。

「ぐあ……っ」

 血飛沫はない。右腕は透明の球体を握った形のまま落下する。闇の要素が抜けて、透明な球体が空間に溶けるように消える。
 来訪者は闇の精霊に向けて、左腕1本で炎をかたどった剣を振りおろした。

 ザンッ

 精霊が右の肩から袈裟斬りに斬られる。

「……!!」

 リコの声にならない悲鳴。闇の精霊でありリコの母親の魂であったそれは、力を失って透明になった。

「ママ……!」

 リコは思わず腕を伸ばしている。

「セスト! 完全均衡の魂を見失うな!!」

 呆然としていたセストはジュイユの言葉に我に返る。即座に合掌し、意識を集中する。投出術。意識を、物質の世界と重なり合う要素の世界に向ける。混沌。色の奔流。火が、水が、風が、土が溢れる。セストは光を放つ鳥になってその奔流に飛び込んだ。

 闇の来訪者は失った右腕を押さえ、憎しみのこもった目でセストを睨みつけると、宙に溶けるように消えた。

「やれやれ、なんとか押し返したか……」

 ジュイユが安堵のため息とともに言う。

「……」

 ヴィラントは、座りこんでバルクの胸に顔をうずめて、肩を震わせて泣いているリコに歩み寄った。地面に膝をつき、そっとその肩に骨だけの手を乗せる。

「……」

 リコがヴィラントを振り返った。

「リコ様、わたくしはあの時、あなた様の母上から伝言を預かりました」

「……伝言?」

「ええ。軛を切ったことにより声を失ってしまったので伝えてほしいと」

「ほんとうに……?」

「もちろんでございます。何しろ、死霊と対話するのはわたくしの本業でございますからね」

「それで、ママは……なんて……?」

 ヴィラントは口を開いた。言葉を紡ぐその声は、いつもの彼の声ではなかった。

「リコ。約束、守れなくてごめんね。でもあなたを守る方法が、これの他に思いつかないんだ。
 あなたを守るためにあの選択をしたはずだったのに、結局何ひとつしてあげられなかったね。ごめんね。
 あなたが一緒にいてくれて、嬉しかった。あなたのこと、大好きよ。夜みたいに静かで優しい、私の娘。幸せになって。あなたの隣にいる人と、幸せになって」

「……」

 リコの両目からまた大粒の涙がこぼれ落ちる。

「以上でございます」

 ヴィラントの言葉に、リコは何度も頷いた。礼を言おうと口を開くが、しゃくりあげる嗚咽しか出てこない。

〈ありがとう、ヴィラント〉

「畏れ多うございます」

「戦いの余波で魔物の出現が止まっている間に脱出するぞ。バルク、離脱だ」

「わかりました」

「俺はいったん職場に戻るよ。あれだけの混沌が溢れて、他がどうなってるか気になる」

 ヒューゴがバルクに言う。

「気をつけて。僕ならまだ動ける。遠慮なく呼んで」

「おう、言われなくてもそのつもりでいる」

 バルクはリコの手を引いて、目を閉じたまま立ち尽くしているセストの肩に手を置いた。

「この状態で身体を移動させて大丈夫でしょうか」

 ジュイユを振り返る。

「これくらいの移動はセストにとっては誤差の範囲だろう。さっきの戦いで実証済みだ」



***



 セストは色彩の奔流の中を飛んでいた。セストの光に照らされると、それぞれの要素が光を反射する。宝石で埋め尽くされた空間にいるようだ。美しい。
 セストは自らの光でサーチしながら飛ぶ。
 その中に、光を反射しない部分があることにセストは気づいた。意識して光を当ててみる。しかし光はただ通り抜けてしまった。
 セストはそこへ向けて急降下する。その透明な部分に触れた瞬間、周りの景色が変わった。

「……」

 光の奔流とは真逆の、白一色の空間。そこには見覚えがあった。しかし、あの時と違ってずいぶん傷んでいる。壁には亀裂が入り、床も所々ひびが入ったり、重いものを落としたように凹んでいる。天井の化粧板は外れかけていた。
 セストは部屋の中心に置かれたベッドに駆け寄る。

「ナナカ!」

 ナナカはそこに、身体を丸めて眠っていた。上掛けから覗く胸が僅かに上下していて、息をしているとわかる。白い枕の上には、萎れた黄色い花弁が散っていた。その色には見覚えがある。収穫祭の日、セストが贈った髪飾り。

「ナナカ」

 セストは躊躇いがちに、上掛けから出ているナナカの肩に手を置いた。

「……」

 ナナカが薄く目を開ける。

「ナナカ!」

 セストはナナカの顔を覗きこむ。

「セス、ト……?」

 その顔を認識した瞬間、ナナカの顔が恐怖に歪み、彼女は身体を起こして後ずさると、上掛けを胸の上まで引き寄せる。

「セスト、お願い……あたしを、見ないで……。あたし、こんなに汚れてるのに。本当は、あなたを好きになる資格なんか、なかったのに……」

 歯を食いしばって目を伏せた、その閉じられた目から涙が流れる。

「ナナカ……」

 ようやく見つけ出したナナカの拒絶に、セストは挫けそうになって手を引きかける。

――信じなさい。ナナカを。そして自分自身を。この子を愛している自分自身を信じなさい。何かのためじゃなくナナカを愛している自分を、あなたはもっと信じるべきだわ。

 あの時の風の精霊の言葉が甦る。

「『汚れる』なんて、あるものか。『資格』なんてもの、あるはずがない。あってたまるか」

「……」

 セストの静かな言葉に、ナナカは目を開いてセストを見た。

「俺は、きみを愛している」

 2人の視線が絡まりあう。

「きみの今日までの、生き抜くための闘いを俺は誇りに思う。きみのこれまでの道のりを全部ひっくるめて、俺はきみを愛しているんだ」

「セスト……」

 ナナカの目からまた涙がひとすじこぼれる。

「あたし、こんなに汚れてるのに? そう、言ってくれるの?」

 セストはベッドに片膝を乗りあげると、ナナカを抱き寄せた。

「きみは汚れてなんかない。その証拠に、きみは盗みもしなかったし、誰にも感謝されなくても人を助けていた。俺はきみを誇りに思う。そしてきみの誇り高い魂を愛している」

「セスト……」

 ナナカはセストの背中に両腕を回して、その胸に顔を押しつけて声を上げて泣いた。セストは子どものように泣きじゃくるナナカの薄茶色の髪を撫で、額にくちづける。

「……」

 ナナカはセストの胸から顔を上げた。セストはそのこめかみに、目蓋にくちづける。ナナカが顎を上げて、目を開いてセストを見た。
 セストはナナカの頬に手を添えて、僅かに開かれた唇に吸い寄せられるように唇を重ねる。セストの温かな手のひらがナナカの背中に添えられて、ナナカの身体から力が抜ける。苦しいくらいに胸が高鳴る。体温が重なる。吐息が重なる。魂が重なる。

「セスト……」ナナカは唇を離して、セストの顔を両手で包みこんだ。「あたしを、2度、見つけてくれたんだね」

 セストは包みこむようにナナカを両腕で抱く。女性としては背が高く、実戦で鍛えられた身体は脂肪が少なく均整が取れているが、それでもセストに比べればなんて細く、柔らかく、優しい身体だろうと思う。こんなに細い身体で、こんなに柔らかい身体で、こんなに優しい身体で、あの暗い廃坑で何度もセストを助けてくれたのだ。その事実はセストに感動に近い感情を抱かせた。
 ナナカはセストの逞しい首に腕を回して身体を預ける。

「きみがどこにいたって、俺はきみを見つけてみせる。何度だって」

 セストはナナカの首筋に顔をうずめた。自分はひとりの男として、彼女を愛している。愛しい。愛しい――。
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