失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

27 最終決戦・3

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「チッ」

 ヴィラントのしようとしていることに気づいたマークが攻撃の矛先をヴィラントに変える。
 混沌でできた無数の蔓が向かってくる。バルクはそれを攻撃するよりも、防御することを選択し、ドーム型に壁を展開する。蔓が絡みついて、混沌の作用でじわじわと中和されていく。バルクの額に汗が浮かんだ。リコが蟷螂を動かして蔓を切断する。
 蔓の幕を割ってマークが正面から迫る。蟷螂が立ち塞がって両の鎌を交差させて攻撃を防ぐ。土の精霊が蟷螂とマークの間に割り込むように斬りかかるが、あっさりかわされる。

 リコはチラリとヴィラントの方に視線を向ける。ヴィラントはまるで石像になってしまったかのように動かない。その頭蓋骨には、僅かにひびが入り始めていた。

 グン、と布地のように地面が撓む。それが一気に元に戻る衝撃でリコとバルクは空中に投げ出された。集中を切られたバルクの壁が消失する。精霊と蟷螂はヴィラントを守ることを選択した。バルクはリコの方に手を伸ばす。届かない。空中で身体を捻って脚から着地したその視界の端で、リコの身体が混沌の蔓に撥ね飛ばされるのが見えた。

 ゴグン、と、してはならない音が身体のどこかでしたのをリコは他人事のように聞いた。再び身体に衝撃。地面に叩きつけられたのだ、と思った刹那、視界が暗転した。

「リコ!!」

 バルクの絶叫は断末魔のそれに近い。短距離の離脱でリコのそばに跳ぶ。

「死ぬな!! お願いだ、死なないでくれ!!」

 全ての力を放出して治癒法を施す。混沌の蔓の一撃は、リコの右腕の骨と肋骨を砕いていた。右腕は肘が砕けてあらぬ方向へねじれ、開かれたままの目は焦点を失い、体内から溢れた気泡混じりの血が口から流れ出している。浅くて早い呼吸と細かい痙攣は、生命が失われようとしている前兆だった。

 バルクの壁がなくなり、無防備になったヴィラントを黄金皇帝の精霊は必死に守っていた。繰り出されるマークの炎形の剣、混沌の蔓、次々に迫り来るものをあるいは弾き、あるいは斬り、ヴィラントに近づけまいとする。ヴィラントは足の先から徐々に崩れ始めていた。眼窩の縁にも細かにひびが入り、角の先も欠け落ちている。その骨の手に包まれた物だけが、強烈な光を発し続けていた。

 リコに治癒法を施し続けるバルクの顎の先から汗が滴り落ちる。全力を尽くしてもなお、その魂が肉体から去らないように押しとどめるのが精一杯だ。自分の命と引き換えでも構わない、と、バルクは普段は絶対にしない、限界を定めない力の使い方をする。最愛の者を目の前で喪うことは、自分が死ぬことよりもよほど恐ろしかった。彼女を喪ってしまったら、その後は、どうして生きていかれるというのだろう。命に代えて守ると誓ったのに。しかし自分の無力に打ちひしがれている余裕すら今はない。
 リコに寄り添うように、擬似精霊、漆黒の蟷螂が立った。バルクがハッと顔を上げると、その形がぐにゃりと歪み、人間の形になる。黒い紙から切り出した影絵のような人物。

「……」

 一瞬、リコの中にいた母の魂かと思うが、そのシルエットは完全に男性だった。影絵の男性は「続けろ」と言うようにバルクのほうを見た。顔などないのに、バルクにはそれがわかった。影はバルクの方に手を伸ばすとその眉間に触れる。指が眉間にずぶずぶと沈んでいく。拒否感に怖気が走るが、今はそれどころではない。眉間に灼けるような熱を感じた。それはそのままバルクの身体を通り抜けて魔力を膨れ上がらせ、僧侶の治癒法もかくやという力となって放出された。みるみる傷が癒えていく。
 男性はそっともう片方の手をリコの額に乗せる。バルクに触れたのとは全く違う、慈しむような優しい触れ方だった。そして漆黒の靄に姿を変えてリコの額に吸い込まれていく。



 リコは上下もわからないような暗闇の中に立ち尽くしていた。いや、地面に立っているのか宙に浮かんでいるのか、目を開いているのか閉じているのか、それすら定かでない。
 リコは顔の前に手を翳してみるが、光の全くない空間では、自分の手のひらさえも見えなかった。その手で自分の頬に触れる。手のひらには感触があり、それで自分が闇そのものになってしまったのではないことが確認できた。しかしここはどこなのだろう。自分は、死んだのだろうか。バルクを遺して? 自分が死んだことよりも、バルクを独り遺してきてしまったことがリコを動揺させる。

(……?)

 隣に何かの存在が現れたのを感じた。暗闇のせいで何も見えないが、悪意ある存在ではないと感じる。
 その何かがリコの手を取った。バルクではない、大人の男性の手だった。繋がれた手から、温かな力が流れこんでくる。勇気づけられている、とリコは感じた。手を引かれて、歩き始める。

 しばらく歩くと、リコの手を引いていた存在が立ち止まった。繋がれていた手が、前に押し出されるようにして解かれる。
 リコは不思議に思って隣を見て、また顔を正面に戻す。そこに、針の穴から漏れるような小さい青い光を見た。それはリコが恋焦がれた光だった。思わずそちらに向けて駆け出す。
 駆け出しながらふと我にかえり、リコは後ろを振り返った。相変わらずそこには闇しかなかった。しかしリコにはわかった。

(パパ……)

 青い光は子犬のような姿だったが、子犬ではなく狼であるとリコは知っている。小さな狼は、リコの方をチラリと振り返ると駆け出した。リコはその後を追う。
 暗闇は緩やかな登り坂になっていて、リコは必死に狼の後を追いかける。初めは子犬くらいの大きさだった狼は、今やリコの腰くらいの体高になっている。その背にそっと触れると、狼はチラリとリコを見た。その灰色の瞳に愛しさが募る。狼は段々とリコが知っている大きさに近くなっていった。水色に光る狼に導かれて、一気に坂を駆けのぼる。
 坂を登りきった瞬間、眩い光に包まれ、身体を支えるものがなくなって落下する。


 リコが数度瞬きをして、目が光を取り戻した。

「リコ!!」

 視線を彷徨わせていたリコは、覗きこんでいるバルクの顔を見てふわりと笑うと、立ち上がった。顔と服を汚している血の跡が生々しい。
 リコは真っ直ぐに来訪者に向けて腕を伸ばす。

 封印

 振り返ったマークの表情が凍りついた。

「人間でありながら私を封印しようというのか……!」

 マークも同じ力で対抗する。
 神殿の中央で2つの力がぶつかりあう。石の床が大きくひび割れ、へこむ。急に世界の重力が増したように、バルクは床に叩きつけられ、そのまま身動きが取れない。目だけで必死にリコの背中を追う。

「させないさせないさせない……!」

 マークが歯を食いしばる。
 憎しみと焦りに満ちたマークの表情とは対照的に、リコは凪いだ、奇妙に感情を欠いた目で静かにマークを見ていた。
 両者の力は互角だ。
 その均衡を破ったのは、ひとすじの光だった。
 リコの肩にそっと手が置かれる。肩越しに、緑の目が印象的な、美しい顔がリコを覗き込んだ。

「負けるな。私も力を貸す」

「レイフ……」

 リコの唇がその名を紡ぐ。

「レイフ……!!」

 怒りに満ちた声でその名を呼ぶマークを一瞥し、レイフが静かに言う。

「光は闇で、闇は光だ。全ては同じものじゃないか。簡単なことだったはずだろ」

 封印が力を増し、マークを光の中に塗りこめていく。その叫びを。悲しみを。願いを。
 後には、虹色の光を放つ光の柱だけが残った。
 レイフは、ふっと小さく息を吐くと、重力を無視した動きでふわりと柱の元に跳んだ。光の柱に手を触れ、目を閉じる。

「レイフ様……」

 腰から下がなくなったヴィラントが呼びかける。

「やあ、久しぶりだな、ヴィラント」

「ご無沙汰しております。というか、レイフ様。レイフ様は以前わたくしに、わたくしが死ぬ時に迎えに来るとおっしゃいましたが、違うではありませんか。わたくしが死ぬからレイフ様が来るのではなく、レイフ様が来るからわたくしが死ぬのでございましょうよ。因果関係が逆ではございませんか。間違っていただくと困ります本当に」

 そう言っている間にもヴィラントの身体はどんどん消えていく。レイフはヴィラントのところへふわりと移動した。両手で頭蓋骨を支える。

「ごめんごめん」

 レイフは肩をすくめて笑いながら、軽い調子で言う。

「あのねえ、ごめんで済んだら弁護士も警察も不要なのでございますよ? おわかりですか? ていうかあなた様……いえ、よろしゅうございますよもうなんでも。何を言ってもどうせ聞きやしないのでございましょうし」

「だから。ごめんって」

 レイフは頭蓋骨だけになったヴィラントの眉間にくちづける。

「レイフ様、わたくしがそんな、くちづけひとつで許すようなチョロい骨だと……許します」

 さあっ、と、砂に描いた絵が風にかき消されるようにヴィラントの姿が消え、レイフの手の中には輝きの失われたジェムが残された。

「……」

 レイフはそっとそのジェムにくちづけると、両手で包みこむ。次に手を開いた時、ジェムはなくなっていた。

「レイフ……」

 黄金皇帝の精霊が静かにレイフに呼びかけた。
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