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国王と王妃、つまり、父と母とは、月に一度程度手紙のやりとりをしていた。もっとも、アウゲが書いた手紙がそのまま両親に渡っているかは分からなかった。手袋を二重に着け、スカーフで髪を覆って細心の注意を払って書いてはいるが、国王に万一のことがあってはならないので、従者が読み上げた後は焼き捨てられているのだろう。
国王からの手紙には、春の女王の宴にアウゲが出席すると聞いた、非常に嬉しく思う、ということが書いてあった。第三王女ではあったが、アウゲは王と王妃の間に生まれた初めての女児だった。多忙な両親とはいつでも会えるというわけではなかったものの、2人は時間を作ってはアウゲを可愛がってくれた。幼い頃は、毒も今のように強くはなかった。
アウゲには、忘れられない場面がある。その前にどういうやりとりをしていたのかは忘れてしまったが、父の頬にキスをしたら、父が驚いたように目を見開いてアウゲを見る。驚きとも恐怖とも取れる表情。アウゲは何かいけないことをしてしまった気がして父に尋ねるが、答えてくれない、というものだ。確か、5つか6つの頃の出来事だ。
(あれはおそらく、私の毒のせいだった。その少し前から、従者が体調不良を訴えて配置換えになる、ということがよく起こっていた。私が懐いていた者ほど、すぐにいなくなってしまった。今なら、理由がわかる……)
初潮を迎えた頃から、毒は急激に強くなった。その前から肌の露出をできるだけ少なくして、マスクと手袋をつけていたが、決定的な事件が起こったのは14歳の時だ。歌唱の教師が、レッスン中に昏倒した。鍵盤の前に座っていた教師の男性が急に苦しみはじめ、喉を掻きむしって椅子から転がり落ちた。駆けつけた医師がゼレの解毒薬を飲ませて事なきを得たが、アウゲは自分が教師を殺してしまうのではと恐ろしくて気が気でなかった。その頃から、浄化筒を背負うようになり、さらに、人を遠ざけて離宮に暮らすようになった。
宴に出席することを決めたのは自身だったが、楽しみだとかうきうきするだとかいうことはなく、ただ憂鬱だった。新年祝賀の宴にアウゲが現れた時の、あのフロアの動揺を思い出すとため息がもれる。浄化筒がごぼ、と音を立てた。
(ヴォルフは、宴のあいだも控えているのかしら。それが彼の役目なのだし、いるのよね、きっと。でも、人前であまり親しく話をしちゃ、いけないわよね)
きっと彼にも、婚約者か恋人がいるのだろう。いつもゲームに熱中してばかりで、そんな話をしたことがないことに今更気付く。
(そうよね、彼も、貴族の息子なのだもの。親の決めた婚約者がいてもおかしくない。いいえ、既に結婚していたって、おかしくないんだわ)
改めてそのことを考えると、胸がツキリと痛んだ。彼が、あの、人懐こい優しい微笑みを向けるのは、アウゲだけではない。どうしてそんな簡単なことがわからなかったのだろう。
「親愛なるお父さま」という出だししか書けていない手紙をぼんやり見つめる。思い切ってペンにインクを吸わせて、紙の上に走らせる。「春の女王の訪れも近いとはいえ、寒い日が続きます。お変わりございませんか。宴でお目にかかれることを、心待ちにしております。お忙しき日々と存じます、どうぞご自愛くださいませ。」一気に書いて署名を入れ、封筒に封蝋を捺す。後でヴォルフに頼んで、執事頭に届けてもらおう。
無心に手を動かしたくなって、刺しかけの刺繍を取り出す。離宮を外からみた風景を、絵の具の代わりに糸で描いていく。咲き乱れるゼレの花、茶色の屋根に白い壁の、離宮とは名ばかりのこぢんまりした愛しい我が家。まだ風景までたどり着いていないが、初夏の澄んだ青空に白い雲を浮かばせよう。アウゲの誕生日の頃。1年で一番好きな季節。
扉がノックされて(口を酸っぱく言い続けたので、最近ヴォルフはようやく2回に1回はノックをするようになった)、アウゲはそちらを振り返る。
「姫さま、圧搾終わりましたよ」
「えっ、もう?」
「はい」
「本当に?」
「本当ですって、ほら」
ヴォルフは小瓶に入った青い液体を見せる。ゼレの花から取ったエキスに間違いなかった。
「本当だわ。……男の力って、すごいのね」
花を摘む時も、アウゲは、庭師の使う剪定用の重い鋏を数回動かしただけで腕が怠くなるのだが、ヴォルフは流石に身体を鍛えているだけあって、すいすいと仕事を進めていた。お陰で結晶作りはだいぶ楽になった。これまでも当番騎士に時々手伝ってもらっていたが、彼らは、口にこそ出さないものの、ゼレの花に触れることを怖がってあまり積極的ではなかったのだ。
ヴォルフから小瓶を受け取る。
アウゲが自分でやっていた頃は、石でできた重い圧搾器を回すのは1日がかりだったし、こんなに量も取れなかった。
「あの圧搾器を女性の力で動かすの、大変だったでしょ。みんな、姫さまにこんな肉体労働させて。姫さまの手にマメでもできたらどうするんだ」
「私の手のマメはどうでもいいけれど、本当は、裏手の用水路から水車で動力を取れると一番いいのよね。試したことはあるようなんだけれど、不純物が混ざってしまって、上手くいかなかったようなの」
アウゲはヴォルフから受け取った小瓶を窓辺の光に透かして見る。不純物は全くない。この後は、ゆっくりと結晶化させる。できた結晶は貴重な薬として王宮付きの医師に渡している。無闇に用いるべきではないが、適切に管理しながら使うのであれば、解毒の他、痛みを和らげてくれる素晴らしい薬だった。
「姫さまは、もうちょっと人に頼ることを覚えた方がいいですよ。大方、当番騎士が乗り気じゃないのを見て『もう大丈夫です』とか言って自分でやっちゃってたんでしょ」
ヴォルフの言うとおりだった。
「……ま、最近ようやく、少しはおれを頼ってくれるようになってきましたけどね。まだまだです」
「なんであなたにそんなこと言われなくちゃならないのよ」
アウゲはマスクの下で唇を尖らせる。
「なんでも何も。……わ、すごいですね、姫さまが作ったんですか?」
ヴォルフはテーブルの上の刺繍を見て声を上げる。
「こんなの、ほとんど絵じゃないですか。すごい。こんな才能があったんですね」
「大したことないわ」
とはいえ、悪い気はしない。
「両陛下にプレゼントするといいですよ。喜ばれますよ」
「……私が触っていたものなんか、差し上げられないわよ」
「じゃあ、おれにください」
「あげられるわけがないでしょう」
「気にしなくていいのに。思い出として嫁ぎ先に持っていくのなら、無理にとは言いませんけど」
「……持ってはいけないわ」
アウゲの目元の表情がスッとなくなる。
「なんでです?」
「人の国のものは、何ひとつ持ちこんではならないということになっているらしいから」
「えっ、そんな馬鹿な。誰が言ってるんです、そんなこと」
「誰って、天文博士よ」
天文博士は、神殿にいる、歴史や天文学の研究者だった。アウゲの前の蠱毒の王子に対して、神殿の巫女を通じて魔王から通知があった、と天文博士から、妃教育と称した魔界についての講義の際に聞いていた。
「あのじいさん耄碌してるから、間違えたんじゃないですか? 確認した方がいいですよ」
「いいのよ、別に。思い出の染みついたものなんかそばに置いてちゃ、いつまでもうじうじしてることになるもの。ごめんだわ、そんなの」
「もう……」
ヴォルフは呆れた声を出した。
国王からの手紙には、春の女王の宴にアウゲが出席すると聞いた、非常に嬉しく思う、ということが書いてあった。第三王女ではあったが、アウゲは王と王妃の間に生まれた初めての女児だった。多忙な両親とはいつでも会えるというわけではなかったものの、2人は時間を作ってはアウゲを可愛がってくれた。幼い頃は、毒も今のように強くはなかった。
アウゲには、忘れられない場面がある。その前にどういうやりとりをしていたのかは忘れてしまったが、父の頬にキスをしたら、父が驚いたように目を見開いてアウゲを見る。驚きとも恐怖とも取れる表情。アウゲは何かいけないことをしてしまった気がして父に尋ねるが、答えてくれない、というものだ。確か、5つか6つの頃の出来事だ。
(あれはおそらく、私の毒のせいだった。その少し前から、従者が体調不良を訴えて配置換えになる、ということがよく起こっていた。私が懐いていた者ほど、すぐにいなくなってしまった。今なら、理由がわかる……)
初潮を迎えた頃から、毒は急激に強くなった。その前から肌の露出をできるだけ少なくして、マスクと手袋をつけていたが、決定的な事件が起こったのは14歳の時だ。歌唱の教師が、レッスン中に昏倒した。鍵盤の前に座っていた教師の男性が急に苦しみはじめ、喉を掻きむしって椅子から転がり落ちた。駆けつけた医師がゼレの解毒薬を飲ませて事なきを得たが、アウゲは自分が教師を殺してしまうのではと恐ろしくて気が気でなかった。その頃から、浄化筒を背負うようになり、さらに、人を遠ざけて離宮に暮らすようになった。
宴に出席することを決めたのは自身だったが、楽しみだとかうきうきするだとかいうことはなく、ただ憂鬱だった。新年祝賀の宴にアウゲが現れた時の、あのフロアの動揺を思い出すとため息がもれる。浄化筒がごぼ、と音を立てた。
(ヴォルフは、宴のあいだも控えているのかしら。それが彼の役目なのだし、いるのよね、きっと。でも、人前であまり親しく話をしちゃ、いけないわよね)
きっと彼にも、婚約者か恋人がいるのだろう。いつもゲームに熱中してばかりで、そんな話をしたことがないことに今更気付く。
(そうよね、彼も、貴族の息子なのだもの。親の決めた婚約者がいてもおかしくない。いいえ、既に結婚していたって、おかしくないんだわ)
改めてそのことを考えると、胸がツキリと痛んだ。彼が、あの、人懐こい優しい微笑みを向けるのは、アウゲだけではない。どうしてそんな簡単なことがわからなかったのだろう。
「親愛なるお父さま」という出だししか書けていない手紙をぼんやり見つめる。思い切ってペンにインクを吸わせて、紙の上に走らせる。「春の女王の訪れも近いとはいえ、寒い日が続きます。お変わりございませんか。宴でお目にかかれることを、心待ちにしております。お忙しき日々と存じます、どうぞご自愛くださいませ。」一気に書いて署名を入れ、封筒に封蝋を捺す。後でヴォルフに頼んで、執事頭に届けてもらおう。
無心に手を動かしたくなって、刺しかけの刺繍を取り出す。離宮を外からみた風景を、絵の具の代わりに糸で描いていく。咲き乱れるゼレの花、茶色の屋根に白い壁の、離宮とは名ばかりのこぢんまりした愛しい我が家。まだ風景までたどり着いていないが、初夏の澄んだ青空に白い雲を浮かばせよう。アウゲの誕生日の頃。1年で一番好きな季節。
扉がノックされて(口を酸っぱく言い続けたので、最近ヴォルフはようやく2回に1回はノックをするようになった)、アウゲはそちらを振り返る。
「姫さま、圧搾終わりましたよ」
「えっ、もう?」
「はい」
「本当に?」
「本当ですって、ほら」
ヴォルフは小瓶に入った青い液体を見せる。ゼレの花から取ったエキスに間違いなかった。
「本当だわ。……男の力って、すごいのね」
花を摘む時も、アウゲは、庭師の使う剪定用の重い鋏を数回動かしただけで腕が怠くなるのだが、ヴォルフは流石に身体を鍛えているだけあって、すいすいと仕事を進めていた。お陰で結晶作りはだいぶ楽になった。これまでも当番騎士に時々手伝ってもらっていたが、彼らは、口にこそ出さないものの、ゼレの花に触れることを怖がってあまり積極的ではなかったのだ。
ヴォルフから小瓶を受け取る。
アウゲが自分でやっていた頃は、石でできた重い圧搾器を回すのは1日がかりだったし、こんなに量も取れなかった。
「あの圧搾器を女性の力で動かすの、大変だったでしょ。みんな、姫さまにこんな肉体労働させて。姫さまの手にマメでもできたらどうするんだ」
「私の手のマメはどうでもいいけれど、本当は、裏手の用水路から水車で動力を取れると一番いいのよね。試したことはあるようなんだけれど、不純物が混ざってしまって、上手くいかなかったようなの」
アウゲはヴォルフから受け取った小瓶を窓辺の光に透かして見る。不純物は全くない。この後は、ゆっくりと結晶化させる。できた結晶は貴重な薬として王宮付きの医師に渡している。無闇に用いるべきではないが、適切に管理しながら使うのであれば、解毒の他、痛みを和らげてくれる素晴らしい薬だった。
「姫さまは、もうちょっと人に頼ることを覚えた方がいいですよ。大方、当番騎士が乗り気じゃないのを見て『もう大丈夫です』とか言って自分でやっちゃってたんでしょ」
ヴォルフの言うとおりだった。
「……ま、最近ようやく、少しはおれを頼ってくれるようになってきましたけどね。まだまだです」
「なんであなたにそんなこと言われなくちゃならないのよ」
アウゲはマスクの下で唇を尖らせる。
「なんでも何も。……わ、すごいですね、姫さまが作ったんですか?」
ヴォルフはテーブルの上の刺繍を見て声を上げる。
「こんなの、ほとんど絵じゃないですか。すごい。こんな才能があったんですね」
「大したことないわ」
とはいえ、悪い気はしない。
「両陛下にプレゼントするといいですよ。喜ばれますよ」
「……私が触っていたものなんか、差し上げられないわよ」
「じゃあ、おれにください」
「あげられるわけがないでしょう」
「気にしなくていいのに。思い出として嫁ぎ先に持っていくのなら、無理にとは言いませんけど」
「……持ってはいけないわ」
アウゲの目元の表情がスッとなくなる。
「なんでです?」
「人の国のものは、何ひとつ持ちこんではならないということになっているらしいから」
「えっ、そんな馬鹿な。誰が言ってるんです、そんなこと」
「誰って、天文博士よ」
天文博士は、神殿にいる、歴史や天文学の研究者だった。アウゲの前の蠱毒の王子に対して、神殿の巫女を通じて魔王から通知があった、と天文博士から、妃教育と称した魔界についての講義の際に聞いていた。
「あのじいさん耄碌してるから、間違えたんじゃないですか? 確認した方がいいですよ」
「いいのよ、別に。思い出の染みついたものなんかそばに置いてちゃ、いつまでもうじうじしてることになるもの。ごめんだわ、そんなの」
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